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数秘術関連等ツイート(2021年1月分)

 

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流行りもの2 (2021.1.31 20:33)

 

まだ始めたヒトが少ない頃の「流行りもの」であれば、「5(刷新)」マインドの強いヒトは率先してそれを取り入れるかもしれない。

でもみんながやり始めそうな気配を帯び始めた「流行りもの」は、それ自体が未来の「4(慣習)」となり得るため、むしろ「5」マインドは「反抗」の形で現れたりもする。

 

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流行りもの1 (2021.1.31 20:27)

 

5」は「流行りもの」への「憧憬」とも読めるし、逆に「反発」とも読める。

4」は「流行りもの」への「警戒」とも読めるし、逆に「順応」とも読める。

この違いは、その時の「流行りもの」の性質を奇数(動的・混沌・チカラ)的と見るか、偶数(静的・秩序・カタチ)的と見るかで変わってくる。

 

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懲りもせず (2021.1.31 19:54)

 

久々かつ戯れに「FXの再開について」を占ってみた(占うなよ)。

未来(右側)にダイスが無く、メリットが「4(現状維持)」、アドバイスが「0」(この質問自体が「愚問」という解釈)だから、一瞬で終了。

デメリットが「9」だから、相場が極めて読みにくくなるんじゃないかなぁ。

 

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良かったこと (2021.1.31 18:15)

 

Q:逆数秘術をこねくり回して良かったことは?

A:相対主義に馴染めたこと

Q:逆に良くなかったことは?

A:ニヒリズムが悪化したこと

 

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革命 (2021.1.31 16:33)

 

5」は「革命」の数でもあるが、奇数(動的・混沌・チカラ)自体が「革命」を表すものといえる。

この「革命」とは、極めて「瞬発的」なものであり、決して長続きするようなものではない。

革命」をし続けた時点で、それはもう「4(維持)」に代表される偶数(静的・秩序・カタチ)と化す。

 

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1968 (2021.1.31 15:36)

 

『1968 激動の時代』を観ている。

アメリカ公民権運動、ベトナム戦争への反対運動…世界中が動いていた。

1968は「6」となるが、これを新しい「6(調和)」の実現と捉えるのか、はたまた既存の「6(秩序美)」に対する逆数「3(逸脱)」的な抵抗と捉えるのか。

まぁ、どうとでもこじつけられる。

 

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早送り (2021.1.31 11:01)

 

いっぱい寝て、人生を早送りしているとこ。

 

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分業化 (2021.1.30 22:41)

 

逆数秘術(アンビバレント・ヌメロロジー)の最大の特徴は「性質の分業化」だね。

例えば、自信のない「1」のヒトがいても、その説明を「1」の内容の中で行うのが既存の数秘術。

でも逆数秘術だと自信のない「1」のヒトがいたら、それを逆数である「8(抑制)」の過剰な働きと捉え、分業化していく。

 

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面倒 (2021.1.30 22:23)

 

自らが作り上げた知識を「お金」に替えるのが面倒臭い。

だから、垂れ流していたい。

 

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ニッチな需要 (2021.1.30 21:56)

 

なんだか既存の数秘術の性格論にうまく当てはまらないヒト向けに、ニッチな需要を満たすような話しか出来ていないような気がするなぁ…

逆数秘術(アンビバレント・ヌメロロジー)は。

まぁ元々の始まりがそこからだから、仕方ないのか。

 

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「恥ずかしさ」と「面白さ」 (2021.1.30 19:49)

 

6(羞恥)」とのコントラスト(対比)をなす「3(無恥)」について。

あえてルールや社会秩序から「はみ出る」ことの「面白さ」が「恥ずかしさ」を上回るからこそ、自らの中の「3」マインドが機能できる。

つまり日々の「面白さ」が不足すればするほど、自らの中の「6」マインドの支配は強くなる。

 

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はみ出る (2021.1.30 19:40)

 

自らの中の「6(羞恥)」マインドの存在が、偶数(静的・秩序・カタチ)的なルールや社会から「はみ出る」ことを未然に防ぎ、全体の秩序維持に貢献していく。

そこから「はみ出る」ことを志向する「3」マインドは、対比としての「無恥」のイメージを与えられることになるわけだ。

 

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「伝説のコンサート」を観て (2021.1.30 17:46他)

 

自分が最も美しく、そして最良のパフォーマンスを見せられる時に、自らを終わらせるのも「6(美学)」マインドなのかもしれない。

6」の山口百恵を見て、そう思った次第。

これは「6(完成)」と「9(完全)」の違いでもあるね。

山口百恵の引退時の個人年数が「9」というのは、数秘術的な出来過ぎ感。

6(責任)」の山口百恵が最後に通した「3(奔放)」などとこじつけたくもなるな。

 

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勇気と失敗 (2021.1.30 17:17)

 

失敗」を詰り、嗤い、蔑むような社会では、そりゃ「勇気」が出せなくなって当たり前。

初めから「勇気」がないヒトなんていないし、それは単に「勇気」を出したことによる「失敗」を恐れているだけ。

バリエーションに富む失敗」が許されなくなった社会は、残念ながらやがては詰むのだろうね。

 

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勇気 (2021.1.30 16:57)

 

私には勇気がないから行動できない」というケース。

もしかしたらそれは、自らの「1(衝動)」マインドの暴走を無意識下で恐れるあまり、理性としての「8(抑制)」マインドが自動的に作用しているのかもしれない。

勇気が「蛮勇」とならないためにも、無意識下で必死に抑え込んでいるイメージだ。

 

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「⇔」でも「=」でもある (2021.1.30 16:51)

 

思いついたら発作的に行動する「1(衝動)」と、そんな衝動を理性で抑え込む「8(抑制)」の対比。

1」があるからこそ「8」が生まれるし、「8」が存在するからこそ「1」が認識される。

そういう意味では「1」⇔「8」であると共に「1」=「8」ともなり得るのだろう。

 

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遠くから眺める (2021.1.29 16:52)

 

1(衝動)」と「8(抑制)」。
3(奔放)」と「6(責任)」。
5(変革)」と「4(安定)」。
7(検証)」と「2(信用)」。

それらを遠くから眺めれば「9(全)」となり、両極たちの違いも「ぼんやり」とし、そして「ささいな」ものとなっていく。

 

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行動前の満足 (2021.1.29 15:54)

 

何かをやろうとしたり、何かを買おうとすると、すぐさま脳内にて何かをやった自分や買った自分を「イメージ」してしまい、それだけで満足してしまうパターン。

まぁ良い意味での「9(諦念)」とも言えるが、自分の中のあらゆる性質が相殺し合って「空っぽ」が現れるという意味では「0(空虚)」かも。

 

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触れないようにしているもの (2021.1.28 21:15)

 

そういえば僕は逆数秘術において、いわゆる「ジェンダー」と「外見」についてのこじつけ解釈はしないようにしているね。

 

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2ツイート (2021.1.28 16:18)

 

わずか2ツイート(280文字弱)で、大乗仏教の核心を語る『般若心経』は、やっぱすごいよなぁ。

 

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10年以上 (2021.1.28 16:02)

 

それにしてもお金にならない「数秘術ツイートのサイト転載作業」を、よくもまぁ10年以上も続けてきたよなぁ。

もはや「続けるために続けている」レベルであり、これもまぁすごく「4(継続)」的ではあるね。

 

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脱・責任 (2021.1.28 14:03)

 

自分は「言いたいことを自由に言う」けれど、それによって「誰かの役に立つ」ならいいなぁ、という淡い願い。

つまりは自らの「3(奔放)」が、誰かにとっての「6(奉仕)」につながればいいなぁ、という淡い願い。

この「脱・責任」的な願いのズルさは、ヒトのヒトらしさとも言えるのかもしれない。

 

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「何もない」けれど… (2021.1.28 12:13)

 

「自分が「4(不動)」のままでも、どうか素敵な「5(変化)」がもたらされますように」という願いと同じく、自分が「0」のままでも周りから素敵な「9」がもたらされることを願うヒトは多い。

自分は「何もない」し「空っぽ」のままだけど、周りから素敵な「満ち足りる」が来て欲しいという願いだ。

 

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セカイ (2021.1.28 12:05)

 

2」マインド「二人いっしょのセカイを大事にしよう

7」マインド「一人一人、それぞれのセカイを大事にしよう

 

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重なり合う「ぼんやり」 (2021.1.28 11:54)

 

奇数(動的・混沌・チカラ)と偶数(静的・秩序・カタチ)とが、同時に重なり合う様が、まさに「シュレディンガーの猫」的な「9」マインド。

9」マインドの「ぼんやり」とは、ある意味で「生きている」と「死んでいる」、そして「起きている」と「眠っている」の重なり合いなのかもしれない。

 

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言葉の捉え方 (2021.1.28 11:26)

 

言葉の意味を「固定」のものとして捉える「2」マインドと、状況に応じて「変動」するものと捉える「7」マインド。

あなたがそう言ったから、ずっとずっと待ってたのに!」とは「2(信用)」マインドの言。

あのヒトの言葉、ホントは逆の意味なのかもしれない…」とは「7(検証)」マインドの言。

 

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自分は動かぬまま (2021.1.28 10:47)

 

自らは「4(不動)」のままなのに、周りから自然に「5(変化)」がもたらされることを期待するヒト。

自らは「5(多動)」のままなのに、周りから自然に「4(安定)」がもたらされることを期待するヒト。

これもある種の「アンビバレント」だ。

 

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高齢化社会への対応 (2021.1.27 23:10)

 

現代数秘術(モダン・ヌメロロジー)における「サイクルナンバー」や「ピナクルナンバー」だけど、さすがに高齢化社会への対応が課題だよなぁ。

 

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起きている数、眠っている数 (2021.1.27 20:51)

 

心の中の「1(衝動)」が暴れ始めたなら、心の中に眠る双子の数である「8(制御)」のことを思い出してみる。

心の中の「4(固持)」が重苦しくなったなら、心の中に眠る双子の数である「5(冒険)」のことを思い出してみる。

片方が起きていれば、もう片方はただ眠っているだけに過ぎない。

 

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そういう「平和」 (2021.1.27 20:20)

 

逆数秘術(アンビバレント・ヌメロロジー)において、奇数(動的・混沌・チカラ)でもあり偶数(静的・秩序・カタチ)でもあるのが「9」。

奇数でも偶数でも、そんなんどっちでもいいじゃん!なんくるないさぁ!」などと、両極によるコントラストをぼかして「グラデーション」な平和を作る数。

 

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ジェンダー論 (2021.1.27 9:34)

 

西洋・東洋問わず、古今の占いにおける「ジェンダー論」が更新されていくといいね。

 

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自尊心の確認 (2021.1.26 22:17)

 

愛した相手からの反応により自らが「愛されるに値する存在」なのかどうかを確認するための恋愛、つまりは「自尊心の確認」のためにするのが「8」的な恋愛。

逆に「1」的な恋愛は気が付いたら相手にアタックしているような「発作的」なものであり、むしろ自らの自尊心を相手に認めさせようとする恋愛。

 

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時空のコントロール (2021.1.26 22:01)

 

無為に時間を過ごしてしまった際、その失った時間を取り戻そうと躍起になってしまうのが「8」マインド。

寝る時間を後ろにずらして何かに励んだり、体調不良も癒えぬまま自らに鞭打って準備に勤しんだり…

8」は「コントロール」の数だが、これはある意味で「時空のコントロール」ともいえる。

 

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自分で作るしか… (2021.1.26 21:28)

 

そもそも僕が逆数秘術(アンビバレント・ヌメロロジー)を作ったきっかけは、自らは「4」のヒトなのに、様々な点で「5」っぽいところがあったから。

既存の数秘術本に僕の求める「答え」がないならば、そりゃ自分で新たに「作り上げる」ほかないわけで。

 

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上昇欲 (2021.1.26 21:14)

 

5」の「上昇欲」だけど、これは「自分がエラくなることで、この組織(環境)自体を変えていく!」的なマインドによるもの。

だからメインは「上昇」ではなく「改変」の方。

なおこれは偶数(静的・秩序・カタチ)優位のパターンであり、奇数(動的・混沌・チカラ)優位ならばさっさと脱出する。

 

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一概には… (2021.1.26 20:27)

 

逆数秘術(アンビバレント・ヌメロロジー)では、それぞれの「」のイメージはなるべくシンプルにしていく代わりに、そのヒトの性質については異なる「」同士が織りなす「コントラスト」で解釈しているね。

だって、一概には言えないから。

 

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アストロロジー・ハラスメント (2021.1.26 20:04他)

 

さっきの「アストロロジー・ハラスメント」で思ったんだけど、そのハラスメントを生むきっかけとなったのは、従来型の占い雑誌だったりするよなぁ。

読者にわかりやすく伝えるためとはいえ、その星座の特徴を「デフォルメ」して際立たせて表現していたりもしたからね。

パパッと覚えてもらうために、やたらとシンプル&キャッチーな表現を用いることで、覚えたヒトが「一面的」にしか理解してくれなくなるという。

アストロロジー・ハラスメント」や「ヌメロロジー・ハラスメント」は、きっとそこから始まっていくわけだね。

やはり「売りモノとしての数秘術・占星術」と「学ぶモノとしての数秘術・占星術」とは、分けて捉えないといけないよなぁ。

お前チョー変わり者だから、絶対マスターナンバーだろ!」っていうのも、ものすごく「ヌメロロジー・ハラスメント」だよなぁ。

 

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「ぼんやり」と「むなしさ」 (2021.1.26 17:50)

 

僕のように「0(ニヒリズム)」癖がついているヒトは、ゆったり「9(ぼんやり)」している時に突然「0(むなしさ)」が襲ってきたりする。

目標達成後の虚脱感のことを「燃え尽き症候群」というけれど、次にやることが見出せずに「9(ぼんやり)」となるからこそ「0(むなしさ)」に反転するのかも。

 

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空っぽなヒト (2021.1.26 17:23)

 

逆数秘術(アンビバレント・ヌメロロジー)においては、いわゆる虚無感に苛まれた「空っぽなヒト」を「9(満)」⇔「0(無)」のコントラストでこじつけたりする。

でも他の数秘術においては、どうやってこじつけるのだろうね。

僕はまぁまぁ「ニヒリスト」だから、そのあたりが気になってしまうな。

 

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奇数期、偶数期、「9」期 (2021.1.26 13:49)

 

期間やパターンには個人差があるが、ヒトは奇数期(興奮・多動)偶数期(鎮静・不動)、そのどちらでもない「9」期(リラックス・中庸)を行ったり来たりしながら生きていくイメージ。

奇数期に落ち着かせるのは大変だし、偶数期に動き始めるのもまた大変。

せっかくの「9」期はのんびりしたい。

 

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ルーティン (2021.1.26 12:34)

 

僕にとって数秘術が「情熱(パッション)」ではなく「日課(ルーティン)」になったのは、果たしていつの頃からだろうね。

 

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両立できる (2021.1.25 21:35)

 

奇数(動的・混沌・チカラ)的な「気まぐれ」と、偶数(静的・秩序・カタチ)的な「コツコツ」は両立できるからね。

自らの行動をきちんと見つめてみれば、どちらも発見できるはずだよ。

 

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奇数の輝き (2021.1.25 16:31)

 

あなたを繋ぎ止め(2)、囲い込み(4)、調え直し(6)、そして抑え制す(8)もの、つまりは偶数(静的・秩序・カタチ)たちの存在。

これらを問い質し(7)、破り壊し(5)、開き直り(3)、そして押し通す(1)ことから、あなたの中の奇数(動的・混沌・チカラ)たちは、その輝きを取り戻し始める。

 

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入れ物のサイズ (2021.1.25 15:48)

 

自分という入れ物のサイズを分相応に小さくすることで、ごく小さな幸せであっても満足感を得ようとする「4」マインド。

むしろ規格外の大きさの幸せを入れようとすることで、自分という小さな入れ物を壊して刷新しようとする「5」マインド。

 

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無限に生きそう (2021.1.25 13:33)

 

こうやってのんびり生きていると、なんだか自分が「無限」に生きそうに思えてくるからアレだな。

明日ポックリ逝くかもしれないんだし、出せるものは出しておかんとなぁ。

 

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オウム返しとミラーリング (2021.1.24 23:31)

 

2」とは相手との「秩序的つながり」を築く数だけど、そのためのツールとして「オウム返し」と「ミラーリング」を用いる。

相手の言葉をそのまま返す「オウム返し」と、相手の言動やしぐさの一部を真似する「ミラーリング」。

これらを用いることで、相手とのつながりをより強固なものにしていく。

 

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ツッコミ (2021.1.24 22:00)

 

4」のヒトがせっかく持っている「5」のチカラを他者への「ツッコミ」、つまりは他者の意見に対して別解釈や反対案などの「5(改変)」を投げつけることばかりに使うのは、実にもったいないよなぁ。

まぁ、僕のことなんだけどね。

 

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イレギュラー (2021.1.24 21:51)

 

僕は「4」のヒトだけど、確かに他者からもたらされるイレギュラーにはイラつくけど、自らの意思でイレギュラーを起こすことは好きだったりするね(ここは「5」的)。

5」のヒトも他者からもたらされる継続にはイラつくけど、自らの意思による継続に対しては逆に執着することも(ここは「4」的)。

 

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信長の「コントラスト」 (2021.1.24 20:07)

 

織田信長は当時のユリウス暦だと1534年6月23日生まれの「6」のヒト。

今回の大河を観ていると、信長の「6(静の感情)」と逆数「3(動の感情)」とが、極めて激しく行き来しているイメージ。

この振れ幅の大きさからくる「コントラスト」は、信長自身の「」も「」も、その実像以上に際立たせる。

 

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飽きっぽさ (2021.1.24 19:39)

 

飽きっぽさ」を直そうとするよりも「面白いこと」を探した方が、よほど手っ取り早いかもね。

 

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商い (2021.1.24 19:31)

 

つくづく「商い」には「飽きない」が求められるよなぁ。

僕、飽きちゃうからなぁ。

 

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善いもの (2021.1.24 18:59)

 

占いを自らの人生を「善いもの」にするためだけに用いるのは、実にもったいない。

占いを誰かの人生を「善いもの」にするためだけに用いるのも、実にもったいない。

自らにとっての「善いもの」とは何か、そして誰かにとっての「善いもの」とは何かを探るために、占いを使えるといいね。

 

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ドラマ (2021.1.24 17:36)

 

失恋・悲恋のことなどすっかり忘れて、想う相手へと猛進する「1」マインド。

二度と失敗しないため、失恋・悲恋のアーカイブを参照し続ける「8」マインド。

1」でしくじるヒトもいれば、「8」でくじけるヒトもいる。

でもどちらも恋を「ドラマ」にするためには欠かせないマインドだ。

 

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見ない (2021.1.24 13:35)

 

自分の「ささやかな幸せ」が小さく見えてしまうようなものは、あまり見ない方がいいのかもね。

 

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わずかばかりのもの (2021.1.24 13:25)

 

幸せになりたい!」と願い続けることは、つまり「今の私は幸せではない!」と宣言し続けているようなもの。

とりあえず「願うこと」をやめて、少し「空っぽ」になってみてはどうだろうか。

そこに入ってくる「わずかばかりのもの」に、なんとなくの「幸せ」を感じられるようになるかもね。

 

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妥協 (2021.1.24 13:00)

 

自分の中の奇数(動的・混沌・チカラ)と偶数(静的・秩序・カタチ)が互いに歩み寄ることで生まれる「9」マインド。

つまりは「9(妥協)」マインドということだけど、これは片方に偏ることの「しんどさ」を身をもって体験したからこそ至ることができる境地かも。

 

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戦った結果 (2021.1.24 11:40)

 

自分の中の「6(自粛警察)」と「3(奔放テロリスト)」が戦った結果「9(無為)」が現れてばかりの僕。

 

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ズルさ (2021.1.23 21:35)

 

逆数秘術だと僕は「4」のヒトでもあるし「5」のヒトでもある。

僕の旅好きは「5(刺激・自由)」でこじつけられるし、僕の家好きは「4(安定・固着)」でこじつけられる。

逆数秘術(アンビバレント・ヌメロロジー)の最大の特徴はこの「ズルさ」だね。

 

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相性 (2021.1.23 21:22)

 

数秘術本に書かれている「相性」は、いっさい気にしなくて良いと思うよ。

だって「一概に言えない」から。

それに「シチュエーション」が変われば「相性」も変わるもんね。

 

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保留 (2021.1.23 20:19)

 

そうそう、やはり「7(疑う・問う・探る)」という行為は大切だし、それを健全に行うためにも、容易に答えが出ないことはきちんと「保留(安易に答えを出さない)」しないとね。

 

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説明の省略 (2021.1.23 17:42)

 

逆数秘術においては「9(満)」は「0(無)」でもある、ということを「空気(満ちるとその存在を意識しなくなる)」に擬えて説明しているけれど、これを省略してしまうと確かに怪しいさ漂う表現になるよなぁ。

 

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生業 (2021.1.23 17:01)

 

僕のように「頼られる」のはいいけど「頼られ続ける」のはイヤだというヒトには「占いを生業としない生き方」もいいんじゃないかな。

 

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セカイの捉え方 (2021.1.23 15:48)

 

あらゆる関係や定義で構成された現実のセカイ、これを偶数(静的・秩序・カタチ)の「2」と捉えるならば、この見えているセカイを大きく超えて深く・広く捉えようとするのが、奇数(動的・混沌・チカラ)の「7」の働き。

2(リアリティ)」と「7(スピリチュアリティ)」のコントラスト(対比)だ。

 

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無個性 (2021.1.23 15:38)

 

世の中がムダに「個性(を志向する)」であふれるからこそ、無印の「無個性」ぶりが相対的に「個性」として機能する説。

 

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相殺 (2021.1.23 14:16)

 

僕がなかなか動かないのは、様々なモノを「相対的」に捉えるあまり、その両者が僕の頭の中で互いを打ち消し合うからかも。

つまり「不動」ではなく「相殺」ということだね。

 

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「アンビバレント」だからね (2021.1.23 14:05)

 

僕が現代数秘術を元に創り出した「逆数秘術(アンビバレント・ヌメロロジー)」。

僕はこれに対して「どんな数秘術よりも優れている」という思いと「どんな数秘術よりも劣っている」という思いの両方を抱いている。

さすが「アンビバレント」と名乗るだけのことはある。

 

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要請の厳しさ (2021.1.23 13:57)

 

9」のヒトや「9」なヒトの生きにくさは、もしかしたら「何者(個性の確立)かであらねばならない」という社会からの要請の厳しさによるものかもしれない。

 

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楽天的 (2021.1.23 13:50)

 

調えなくても幸せになれる!」と主張する「3(楽観的)」マインド。

調えなくては幸せになれない!」と主張する「6(悲観的)」マインド。

やがて両者が混じり合うと「調っていてもいなくても、それぞれの自分を赦せれば、きっと幸せでいられるさ!」という「9(楽天的)」マインドが生まれる。

 

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虚無感 (2021.1.23 12:39)

 

占いの依頼がないと「たまには占ってもいいなぁ」って思うけど、依頼が立て込むと激しい虚無感に襲われて全キャンセルしたくなる性質って、ホント昔から変わらないよなぁ。

まぁ最大の問題は、そんな性質を直す気がないというところなんだろうけど。

 

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多解釈性 (2021.1.22 17:55)

 

アート」とは「多解釈性」のことなのかもね。

 

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「思考」と「飽き」 (2021.1.22 16:56)

 

ある対象について「考え続ける意義」、つまり「2(定義づけ・「=」)」が構築されたなら、とことんまで考え抜くのが「7」のヒト。

でも「7」には奇数(動的・混沌・チカラ)本来の「飽きやすさ」があり、意義を見出せない場合は、コロコロと思考対象が変わる。

この「飽き」が精神の過負荷を防ぐ。

 

 

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没年月日 (2021.1.22 16:35)

 

昨晩たまたま「アッシジのフランチェスコ」の存在を知り、興味を抱いた次第。

彼のように生年月日が不明な人は、没年月日でその人生(意義)をこじつけてもいいし、彼は聖人でもあるから列聖日でこじつけてみても面白い。

前者なら「6(奉仕・節制)」となり、後者なら「9(博愛・自然)」となるね。

 

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更新 (2021.1.21 23:16)

 

一度繋がったらそのまま繋がり続け、一度別れたらそのまま別れ続けるのが「2」マインド。

でもヒトには「7」マインドも同時に存在しているから、どうしても「このまま繋がり続ける(別れ続ける)べきか否か…」を悩むことになる。

この「7」があるからこそ、ヒトは関係(断絶)を「更新」できる。

 

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「せっかち」と「のんびり」 (2021.1.21 13:18他)

 

1」「3」「5」「7」の奇数(動的・混沌・チカラ)は、自らが動くという点では「せっかち」だが、気が向かないと動かないという点では「のんびり」。

8」「6」「4」「2」の偶数(静的・秩序・カタチ)は、動きにくいという点では「のんびり」だが、周りを動かそうとするという点では「せっかち」。

奇数(動的・混沌・チカラ)と偶数(静的・秩序・カタチ)とが混ざり合っている「9」は、いわゆる「せっかち」も「のんびり」も判別しにくいくらいに「時間を超越している」イメージ。

おそらく他のヒトとは「時の流れ方」そのものが異なっているのだろう。

 

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「コントラスト」のせい (2021.1.21 10:39)

 

シンプルかつ真っ直ぐに生きようとする「1(衝動)」のヒトが、もしも生きにくさを感じたなら…

それはその「1(衝動)」の性質のせいなのか、はたまた十重二十重に抑え込みコントロールしようとする「8(制御)」なセカイのせいなのか。

いや、その両者による「コントラスト」のせいかもしれない。

 

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「褒める」難しさ (2021.1.20 14:35他)

 

自分や他人を「褒める」には、真逆となる「褒められないコト」を基準として用意する必要がある。

もし自分自身を「褒める」ならば、自分や他人の「褒められないコト」を基準に定めるわけだが、その際に自らの「褒められないコト」にばかり注目すると、ますます自己評価を下げてしまうから難しい。

特に自分自身を「褒める」ことが難しいのは、このあたりが理由かもね。

 

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入口 (2021.1.20 13:33)

 

時間をムダにした…」などという感覚が弱まったなら、それは「9(無為自然)」マインドへの入口。

 

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年齢 (2021.1.20 12:54)

 

○○歳までにこれを実現させる!」という気負いが無くなることで、ずいぶんと生きやすくなるヒトもいるね。

これも一つの「無為自然」かも。

 

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理解されにくい「遍愛」 (2021.1.19 17:52)

 

アガペー的な「9(博愛)」、つまり「皆を満遍なく愛する」という行いは一見すると「0(虚無)」、つまり「誰のことも愛していない」ように見えてしまう。

皆がイメージしやすい愛は「偏愛」であり、博(ひろ)く愛する「遍愛」は理解されにくい。

だからこそ二千年の長きに渡り説き続けるわけだ。

 

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「空(くう)」と「アガペー」 (2021.1.19 17:19)

 

これはWikiの「中観派」の一節だけど、まず言えるのは「9(空・くう)」は決して「0(虚無)」ではないということ。

そして僕は「9」に「アガペー(神の愛・無限の愛・無償の愛)」のイメージも与えているけれど、この「空(くう)」と「アガペー」の類似についての言及はとても興味深いね。

 

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持論 (2021.1.19 13:36)

 

そうそう、僕は普段から「これが真実だ!」などと主張するヒトやモノには、なるべく近づかないようにしているよ。

《事実》は一つだけど《真実》はヒトの数だけある」というのが僕の持論なもので。

 

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「判定」しない生き方 (2021.1.19 0:13)

 

自らを占うということは、自身の幸運・不運を「判定(固定化)」することにつながっていく。

でも自らを占うことなく、現状が幸運か不運かをあえて「判定(固定化)」しないという生き方もある。

何が幸運で、何が不運か。

刹那の人生においては、あまりにも些細な「判定」ともいえる。

 

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痛み (2021.1.18 22:17)

 

4(静の感覚・鈍麻)」の機能があるからこそ、ヒトは「痛み」を忘れつつ、自らの恒常性を保つことができる。

でも「5(動の感覚・鋭敏)」の機能があるからこそ、その「痛み」によって身体のダメージに気づくことができ、結果的に身体を守ることが可能となる。

どちらの機能も大切だ。

 

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違和感 (2021.1.18 21:05)

 

僕が聞くたびに違和感を抱く言葉として「救えたはずの命」があるね。

 

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現在の風速 (2021.1.18 18:19)

 

相手の気持ちが知りたい」という質問は、喩えるなら「現在の風速が知りたい」と尋ねるようなものだよ。

だからあまり意味はないんだ。

 

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『中論』 (2021.1.18 18:01他)

 

このPDF(『中論』における「縁起」の意義)を読めてよかった。

逆数秘術(アンビバレント・ヌメロロジー)における「全てはコントラスト(対比)で認知される」という考え方の源泉を見つけた喜び。

そしてこんなPDF(『中論』一章訳注)も見つけたので、読み進めてみるか(たぶんさっきのより読みやすい)。

 

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龍樹 (2021.1.18 17:28)

 

無自性(空・くう)」、「相依性(相互依存性)」、つまりは「自立的なものなど何一つない」という主張。

少しだけ龍樹(ナーガールジュナ)に興味が湧いてきたな。

 

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認知の要 (2021.1.18 17:16)

 

奇数(動的・混沌・チカラ)と偶数(静的・秩序・カタチ)とが渾然一体となった「9(全)」。

この「9」から「1(衝動)」を取り出せば、自動的に「8(制御)」が充てがわれるし、同じく「4(安定)」を取り出せば、自動的に「5(変化)」が充てがわれる。

コントラスト(対比)」は認知の要だ。

 

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一瞬 (2021.1.18 14:42)

 

幸運も不運も、たぶん「あっという間」だよ。

 

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トレードオフ (2021.1.18 14:33)

 

私が幸運になった分、他の誰かが不運に遭ってるかもしれない」などと考えるヒト。

運をある意味「トレードオフ」なものとして捉えているヒトって、いったいどれくらいいるのだろうね。

 

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そして「いなくなる」 (2021.1.18 14:02)

 

自分と風景がまさに「渾然一体」となるような感じ。

そして自らが自然の一部であることを再認識させられる瞬間、それこそが「9(自然)」であるということ。

9(混ざり合う)」になり、そして「0(いなくなる)」となる。

 

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はっきり (2021.1.17 23:34)

 

1」の「はっきり」は真っ直ぐであることを優先したが故のことだったりするし、「7」の「はっきり」は考え抜いた末の結果であるが故のことだったりするね。

そんな「1」が「はっきり」で懲りたなら、逆数「8(自制)」を身に付けるし、「7」が懲りたなら逆数「2(観察)」を身に付けるというわけだ。

 

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良い感想 (2021.1.17 15:16)

 

「これってチョー美味しい!」
「やっば!すっごく楽しい!」
「メチャ笑えるんだけどー!」

相手が「3」マインド全開、つまりは自らの感情をストレートに表現してくれたなら、こちらの「6(奉仕)」マインドも相手を楽しませた甲斐があったというもの。

良い感想」の出さずじまいはもったいない。

 

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宗教 (2021.1.17 12:46)

 

いわゆる「宗教」というものは、外のヒトからは強い「2(信仰・定義)」に見えるけど、中のヒトにとってはあくまでも「9(自然・全て)」なんだよね。

外のヒトならば「2(信仰)」⇔「7(検証)」が、信仰心の強い中のヒトだと「9(全て)」⇔「0(無い)」がコントラストとして成立し得るイメージ。

 

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野心 (2021.1.17 11:22)

 

ただただのんびりと人生を歩みたいヒトにとって「野心」ってホント邪魔よね。

 

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人意 (2021.1.17 11:12)

 

巷(ちまた)にあふれる全ての「今日の占い」を足し合わせたなら、きっと「プラス」になってしまうんだろうな。

僕が期待するのは「プラマイゼロ」なんだけど、残念ながらそうはならないはず。

なにせ「天意」のふりした「人意」だもんなぁ。

 

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「3」のまんま (2021.1.16 19:48)

 

僕が久々にやった24時間連続ゲームのように、徹底して「3(享楽)」マインドを放出させることで、やがては「3」に疲れ果て、反動的に「6(節制)」マインドへと向かわせる作戦。

ウソです。後付けです。

3」の年に「3」のまんま遊んだだけです。

 

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うちの門 (2021.1.16 19:12)

 

奇数」と「偶数」がよくわからないヒトは、うちの門を叩くといいよ。

 

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チラリと「魅せる」 (2021.1.15 16:37)

 

3(奔放)」マインド優位のヒトが、たまにチラリと見せる「6(責任)」マインド。

6(責任)」マインド優位のヒトが、たまにチラリと見せる「3(奔放)」マインド。

たまにチラリと見せるコントラストが「魅せる」につながっていく。

 

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ヘタなだけ (2021.1.15 16:32)

 

僕の講座を受けたヒトの何人かが、見事に占いから卒業していることが、僕の唯一の誇りかなぁ。

まぁ教えるのがヘタなだけという噂もあるけれど。

 

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仕方なく (2021.1.14 15:56)

 

助けなかった後悔」が心の中を這いずり回るのが嫌だから、仕方なく助けるのが僕流。

 

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関心と無関心のあいだ (2021.1.14 14:46)

 

全てのヒトに対して緩やかな関心を持ち、やんわりとした関係を築いていくのが「9」という多様性。

全てのヒトに対してこれといった関心を持たず、関係すらも特に構築しないのが「0」という無関心。

一見すると真逆に見えるが、本気で「9」を持続していくためには、時には「0」をも認めることが大事。

 

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大都会の「多様性」 (2021.1.14 14:29)

 

いわゆる大都会において「9(多様性)」が実現しやすいのは、そこに住むヒトたちが適度に「0(無関心)」であるからかもしれない。

 

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色 (2021.1.14 14:27)

 

一つの《》に染め上げることが不可能であると諦めた時、つまりは渾然一体であることを(たとえ渋々であっても)赦した瞬間から「9(多様性)」は実現し始める。

でも《隣人》への関心を強く持ってしまうと、相手に「自らと同じ《》であること」を期待してしまう。

適度に「0(無関心)」であれ。

 

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無関心化 (2021.1.14 14:12)

 

9」には「ダイバーシティ(多様性)」の意味もあるが、これは「あらゆるヒトが混じり合いながら、互いが存在することを認め合う」イメージ。

これを実現するカギは、双子の数である「0」が握っている。

つまりは「たとえ近くにいたとしても、互いの存在が気にならなくなる」という「無関心化」だ。

 

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二つのマインドの混交 (2021.1.14 13:01)

 

こんなに暖かいんだから外出しちゃおうぜ!」とささやく「3」マインド。

感染拡大を防ぐためちゃんと自粛しなきゃ!」とささやく「6」マインド。

僕の頭の中でこの二つのマインドがグルグルと混ざり合うことで、全てがどっちでもよくなる「9」マインドが現れ、ただただボーッとすることになる。

 

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ささいなこと (2021.1.14 12:45)

 

「なんでもかんでも《解決すべき問題》として定義していては、人生堅苦しくて疲れるばかり。変に焦点を定めずにボーッと暈(ぼか)せば、全ての問題は《問題》とはならなくなるよ」

自他を極大のマクロ(宇宙規模)な視点でぼんやりと見ることで、全てを《ささいなこと》にする「9」⇔「0」マインド。

 

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おぼろげなままに (2021.1.14 12:38)

 

あいまいなままにしておけば、決断をせずに済む」というのは「9(おぼろげ)」マインドの処世術。

これを「9」⇔「0」という観点から言い換えるなら「問題の無化」といったところか。

 

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五分類 (2021.1.14 12:31)

 

1」⇔「8」のヒト。
3」⇔「6」のヒト。
5」⇔「4」のヒト。
7」⇔「2」のヒト。
9」⇔「0」のヒト。

もうこの五つの分類でいいかも。

 

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混じり気のない (2021.1.12 22:21他)

 

「11」や「33」などのマスターナンバー、「11111」などのエンジェルナンバーを求めるヒトは、きっと「混じり気のない美しい奇跡」が欲しいのかもね。

マスターナンバーやエンジェルナンバーは、ただ「ゾロ目」を尊ぶというよりも、他の数が「混ざっていない」という特徴こそ尊んでいるイメージだね。

 

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次善 (2021.1.12 20:41)

 

いつまでも「最善」に執着して探し続けるよりも、馴染んできた「次善」に愛着を持つ方が、少なくとも「穏やかな幸せ」を得られるのかもね。

 

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シンプルライフ (2021.1.12 20:32)

 

何事も「最善」を選ばなければ、占いの回数は減らせるよね。

それも一つのシンプルライフ。

 

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天使と悪魔 (2021.1.12 16:24)

 

もっと信じてあげようよ!」という、頭の中の「2」な天使。

いやいや怪しいもんだぜ・・」という、頭の中の「7」な悪魔。

これは偶数(静的・秩序・カタチ)優位の文化における役割であって、もし奇数(動的・混沌・チカラ)優位の文化であれば、天使と悪魔の配役は「」になることだろう。

 

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報酬 (2021.1.12 16:01)

 

「約束を信じていればきっと…」という「2」。

「地道に続けていけばきっと…」という「4」。

「役目を担っていけばきっと…」という「6」。

「辛苦に耐えていればきっと…」という「8」。

これら偶数(静的・秩序・カタチ)マインドがあるからこそ、ヒトは苦労の先の「報酬」を目指していける。

 

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暴く、隠す (2021.1.11 15:22)

 

奇数(動的・混沌・チカラ)の「1」「3」「5」「7」は「暴く」数。

偶数(静的・秩序・カタチ)の「8」「6」「4」「2」は「隠す」数。

偶奇両有の「9」は暴きも隠しもしない数。

隠す」ことで秩序は保たれ、「暴く」ことで混沌は現れる。

そしてこれらの要素がヒトやセカイにドラマを生み出す。

 

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だからこそ (2021.1.11 14:34)

 

数秘術師を自称する僕だからこそ「数字に捉われない生き方」を提案したいんだよね。

 

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飽きる (2021.1.10 20:07)

 

飽きる」とは「自由の行使」。

 

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あえて「逆」を見る (2021.1.10 18:33)

 

2021年は「5」の年だから、変わるもの、壊されるもの、そして新しいものに焦点を当てがち。

でもそんな年だからこそ、変わろうとしないもの、壊されまいと抵抗するもの、そして古くから続いているものに焦点を当ててみる。

5」の年だからこそ、「4」に注意を払っていく。

 

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陰謀論 (2021.1.10 16:17)

 

何だか「陰謀論」めいたことを、今年に入ってからよく目にするようになった。

4(安定・継続)」にまみれた自分ではとても「5(変化・革新)」を起こせないので、セカイの側から大いなる「5(変化・革新)」を起こして欲しいという、ヒトビトの淡い期待の現れかも。

2021年という「5」の年だけに。

 

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(2021.1.10 15:12)

 

ここ最近は「」を読む機会があるのだが、この「非言語的言語」感は実に「7(非言語的カオス)」のよう。

意味共有や情報伝達の「ツール」として用いる「2(言語的コスモス)」を一旦バラバラに解きほぐすことで、自らの内なるカオスをカオスのままに表現していく。

そういう意味では「アート」だ。

 

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「7」への傾倒例 (2021.1.10 12:56)

 

・独自の新用語を作りたがる

・既存の用語の意味を変える

・既存の言葉の関連付けを解く

・既存秩序の危うさを煽る

・既存言語<新造言語

・言葉<イメージ

既存の「2(言語的コスモス)」を強く否定した挙句、対極の「7(非言語的カオス)」へと傾倒するケースの一覧だ。

 

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事実の「真実化」 (2021.1.10 12:43)

 

目に見えている事実」や「皆が常識として理解している約束事」、つまり「2」を否定するヒト。

それらを自らの「知性」で解体・再構築し、正に「これが世界の真実だ!」と言わんばかりの主張を繰り返す。

2(言語的コスモス)」の否定から、一気に「7(非言語的カオス)」へと傾倒するケースだ。

 

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ガースー (2021.1.10 12:03)

 

そういえば前の総理も「4」のヒトだったけど、今の総理も「4」のヒトなのね。

4」には「自分でできることは自分でやる」「身近なものを使って解決を図ろうとする」という、いわば「DIYマインド」が根付いていたりする。

共助や公助よりも「自助」を重んじるという、今の総理の考え方が正にそれだ。

 

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おいしい失敗 (2021.1.9 20:38)

 

9(自然)」のヒトである大泉洋の『水曜どうでしょう』を観ていると、何だか「失敗のバラエティに富んでいく」様を楽しんでいるかのようだ。

むしろ「おいしい失敗」というものに気づけるのがこの番組の良さとも言えるし、これを観るヒトが自他の失敗に寛容になれたなら、それはとてもハッピーだ。

 

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ただの「妄想」 (2021.1.9 20:30)

 

分類や定義という「2(言語思考)」が乏しいまま「7(非言語思考)」を弄べば、それはただの「妄想」でしかなくなるというわけか。

 

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「箱状」に切り取る (2021.1.9 20:27)

 

温泉入浴剤を入れた風呂を楽しむのが最近のルーティン。

狭い浴室の全体を見るのではなく、自らの視野を「小箱」のように区切ることで、温泉に入っているかのように自身の感覚を勘違いさせる。

あえてセカイを「箱状」に切り取ってささやかに楽しむのも、ある意味「4」マインド的な楽しみ方かも。

 

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コントラストと超コントラスト (2021.1.9 12:52)

 

1」「3」「5」「7」という奇数(動的・混沌・チカラ)と、「8」「6」「4」「2」という偶数(静的・秩序・カタチ)によるコントラスト(対比)。

そしてコントラストを超えるものとしての偶奇両有な「9(全)」と、それにすらコントラストを与えようとする「0(無)」の存在。

 

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気候 (2021.1.9 12:09)

 

ギリシャの温暖な気候があってこそ「ディオゲネス」という生き方は可能になるね。

気候」が「哲学」に与える影響の大きさたるや。

 

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実績と自信の「両替」 (2021.1.8 23:41他)

 

我慢できたという実績」と「実績に基づく自信」を手に入れるべく忍耐を重ねる「8」マインド。

だから別に我慢や忍耐に向いているわけでもないし、得意なわけでもないし、もちろん好きなわけでもない。

ただただ生きるための必要に迫られて、実績と自信の「両替行為」をやっているだけに過ぎない。

そんな「8」のヒトや「8」の強いヒトに対して「あなたは我慢強くガッツのある数の持ち主だから大丈夫だよ!」などと不用意に煽てていると、そのうち大変なことになるかもしれないよ。

 

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満ちたフリ (2021.1.8 22:35)

 

そこら辺にある最低限の身近なモノやヒトで、自らを「満たす」ことができるのが、いわゆる「4」マインドの特技かもしれない。

この場合の「満たす」は、自らを不要な「5(変化・革新)」という刺激から遠ざけ、更に自らの感覚をあえて「鈍らせる」ことにより達成される「満ちたフリ」ともいえるもの。

 

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緊急事態宣言の比較 (2021.1.8 21:09)

 

前回の緊急事態宣言は「6(自粛)」の日からスタート。

今回の緊急事態宣言は「5(自由)」の日からスタート。

 

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処世術 (2021.1.8 20:36)

 

ファン」からも「アンチ」からも距離を置く処世術。

 

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無責任宣言 (2021.1.8 18:16)

 

Q:なぜ「無料ダイス占い」をしているの?

A:たまには占いで相談に乗ってもいいんだけど、責任は負いたくないからだよ

 

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迷わずに済む (2021.1.7 22:39)

 

どこも目指さなければ、きっと迷わずに済むよ」と教えてくれる「9」マインド。

 

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レンタル品 (2021.1.7 16:36)

 

自分のカラダがあくまでもこの世でのみ使える「レンタル品」と捉えたなら、もっと大切に扱おうとするのでは…

…などと考えてみたけれど、大抵のヒトは初めから「借りパク」しているから意味無かったわ。

 

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聖杯問答 (2021.1.7 15:04)

 

『Fate/Zero』の「聖杯問答」におけるセイバーの主張は偶数(静的・秩序・カタチ)であり、ライダーの主張は奇数(動的・混沌・チカラ)というコントラスト。

聖杯によって滅びたコスモス(秩序)をやり直そうとするセイバーと、現世に受肉して再度カオス(渾沌)を楽しもうとするライダーの違い。

 

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「空っぽ」を埋める (2021.1.7 14:52)

 

あらゆることにチャレンジするも、どれも中途半端なままとなってしまう「9」なヒト。

その行為は自らの「0(空っぽ)」をとにかく何かで埋めようとした挙句のものだったりするから、そんな自分を責める必要はまったくないと思うよ。

0」を「0」のまま放置しておく方が、よほど危険というものだ。

 

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コスモスの美、カオスの美 (2021.1.7 14:31)

 

それにしても「Fate/Zero」観てると、つくづく時臣って「自らの美学と使命を重んじる」ヒト、つまり「6(コスモスの美)」だなぁと。

だからこそ「3(愉悦・カオスの美)」に目覚めた綺礼との「コントラスト」が成立するんだな。

 

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どんな数でも (2021.1.6 23:41)

 

僕って数秘術師を自称している割には、個人年数や月数を気にしないよなぁ。

なんでかって、僕はできる限り「9(無為自然)」でいようとしているから。

これはつまり「どんな数でも別にいいさ」的にのんびり生きているってこと。

ただ一つだけ問題なのは、時々「0(虚無)」がやって来ることだね。

 

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更新 (2021.1.6 12:57)

 

数でも星でも、象意(イメージ)は「更新」され得るものだよね。

 

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78億分の1 (2021.1.5 23:19)

 

あなたもわたしも所詮は「78億分の1」程度の存在なんだから、別に何をやったっていいんだよ。

 

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奇数性のアピール (2021.1.5 14:29)

 

偶数(静的・秩序・カタチ)優位な社会において自らを目立たせるべく、対極の奇数(動的・混沌・チカラ)振りをアピールするケース。

これって俺だけだぜ」と嘯く「1」。

はみ出しちゃえー!」と遊ぶ「3」。

逆にこうしようぜ!」と抗う「5」。

ディープな沼最高・・」と嵌る「7」。

 

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飽き (2021.1.5 13:54)

 

火が付いたら怒涛のごとくやり始め、飽きたらすぐにやめる奇数(動的・混沌・チカラ)。

火はなかなか付かないが、飽きても慣性のままにやり続ける偶数(静的・秩序・カタチ)。

奇数優位のヒトもいれば、偶数優位のヒトもいるけれど、少なくても原稿を書いている今の僕に関しては、すごく奇数だね。

 

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食べていかない (2021.1.5 12:29)

 

絶対にこれでは食べていかない!」という何かを持つことで、自らの「自由」を確保する生き方。

 

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社会の仕組みを占う (2021.1.5 12:03)

 

日々の占いなどを駆使して、その日・その月・その年の対処法を工夫する。

社会の仕組みそのものを占いを駆使して考察し、自らの生き方を模索する。

僕は後者が好みだね。

 

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「恐怖」を楽しむ (2021.1.5 11:47)

 

お化け屋敷やジェットコースターなどで「恐怖」を楽しむのは、実に奇数(動的・混沌・チカラ)的な行為に見える。

でも「恐怖」を楽しめるのは、そのベースに退屈なほど揺るがない偶数(静的・秩序・カタチ)的な生活があるからであり、そんな「退屈さ」とのコントラストにより「恐怖」が面白くなる。

 

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自らを愛する権利 (2021.1.5 0:04)

 

強い責任感の下で社会奉仕する」のが「6」マインドだが、高潔で倫理感が強いからこそ、薄給で利用されることも少なくない。

だからこそ普段は心の奥底に仕舞い込んでいる「3」マインドを発揮させる必要がある。

こんなんじゃとても働き続けられない!私には自らを愛する権利がある!」と叫ぼう。

 

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発散的「説教」 (2021.1.4 23:07)

 

3(無邪気さ)」による致命的な失敗に対し、人々が寄ってたかって「説教」をする図。

6」には「説教」の意もあるが、もしこの場にホンモノの「6」がいれば、まずは相手の不幸とそれに伴う後悔を慮り、口を閉ざすことだろう。

これは「6(説教)」の姿を借りた、自己愛的な「3(発散)」なのだ。

 

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革新者の報復 (2021.1.4 10:45)

 

本当は自分がセカイに大いなる「5(変化・革新)」を示したかったのに、他のヒトに更なる「5」を先んじて示されてしまうケース。

こうなると「5」を示せなかったヒトは、本来なら敵対する予定の「4(保守・伝統)」を急遽味方に付けて、相手の「5」を排除すべく徹底的に攻撃したりもする。

 

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どちらも「6」 (2021.1.3 12:28)

 

6」とは「責任感に基づく社会奉仕」を表す数でもある。

感染拡大を防ぐためにも、きちんと活動自粛しなければ…

社会の動きを止めないためにも、出勤し続けなければ…

このどちらもが「6」マインドによってもたらされるから難しい。

 

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反動的回帰 (2021.1.3 11:32)

 

2021年という「5」の年。

2020年という「4(維持・伝統)」の年には、その意味や意義を問うような、極めて激しい「5(変化・革新)」がもたらされた。

ならば「5」の年には、新しくもたらされるものへの過度な期待や希望に対し、一石を投じるような「4」への「反動的回帰」が見られるかもしれない。

 

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「未来」の先取り (2021.1.2 23:08)

 

どんな数のヒトもその数の性質を正常に発揮できるかどうかは、当人を取り巻く「環境」にかかっている。

この「環境」の範囲は極めて大きく、これは現在の状況だけではなく、生い立ちも含めた過去全ての体験、更には「未来を夢見る」ことにより未来の体験を先取りすることも、全てこの範囲に含まれる。

 

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貝がら (2021.1.1 8:59)

 

この貝がらが「ハート」に見えてしまうヒトは、きっと強く「」を欲しているのだろうな。

 

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