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数秘術関連等ツイート(2018年3月分)
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運命を変える
(2018.3.31 13:21)
「運命を変える」という表現について。
たとえば一人の運命を変えようとするならば、それに連なる全ての人の運命を再プログラミングしなければならない。
もし僕が神ならば、ヒトとの業務提携を打ち切るレベル。
だからこそ軽々しく「運命を変える」だなんて言えたもんじゃないわな。
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そっか
(2018.3.31 11:30)
「9」には「諦める」の意もあるけれど、これは「《運命》という名の偶然として諦める」イメージ。
喜びも悲しみもたっぷりと味わった後で、あらゆることを「そっか」と受け流していく。
時の流れを堰き止めず、早めもせず、ただ流れるに任せていく。
「9(全)」の境地から、ヒトの小なるを学ぶ。
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「言語」で無くても (2018.3.30 13:58)
「7」というカオスな思いを、補数の「3」にてカオスのまま外へと出していく。
もし誰かに理解してもらうのなら、逆数の「2」でコスモス(秩序)なものへと翻訳する必要がある。
でも「3」で吐き出すのならば翻訳の必要はないし、翻訳なんてできやしない。
そもそも「言語」で出す必要すら無いんだ。
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言い換えて平和に
(2018.3.30 9:18)
「老害」という言葉を「プリザーブドフラワー」に変えて、世界平和に貢献したいと思う。
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反省 (2018.3.30 0:30)
自らの行為を省みて、後悔の螺旋階段を際限なく下りて行くのが「7」という反省のチカラ。
それを「ごめんなさい」という文字や音声で相手に伝えるのが「2」という反省のカタチ。
非言語的な抽象思考を表す「7」と、言語的な具体思考を表す「2」とが合わさることで「反省」という行為は完成する。
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相棒 (2018.3.29 20:15)
「3」的に垂れ流して分かる「6」の良さもあれば、「5」的にかき乱して分かる「4」の良さもある。
奇数と偶数は、かけがえのない相棒なんだ。
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自然と正しさ (2018.3.29 19:53)
「自然」とは、それはそれはすばらしいものだけど、それが「正しい」とは限らないよね。
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「3」と「5」 (2018.3.29 19:48)
垂れ流す「3」と、かき混ぜる「5」。
おもいっきり出すけれど、出した後は特に何もしない「3」。
出したものを更にぐちゃぐちゃに乱していく「5」。
そんな風に捉えてみるのもありかも。
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あえての苦悩 (2018.3.29 12:48一部改変)
偶数(静的・秩序・カタチ・オトナ)的な苦悩は、それ自体が「カタチ」というコスモス(秩序)として機能するから、あえてその中に入ることで致命的なカオスを防いでいたりもするね。
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巨大な「?」 (2018.3.29 12:38)
「勝利」や「成長」という名の太陽に向かって、ぐんぐんと伸びていくことを強いられるシステム。
この構造にこそ、巨大な「?」を叩きつけたいもんだ。
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腕の見せ所 (2018.3.29 8:40)
自らの中に潜む、最も獰猛な奇数(動的・混沌・チカラ・コドモ)とも言える「1」マインドをベストパートナーとするのか、同志とするのか、飼い慣らすのか、ごまかすのか、閉じ込めるのか、罰を与えるのか、押し殺すのか、はたまた完全に無視するのか。
まさに「8」マインドの腕の見せ所となるだろう。
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シェアリング (2018.3.29 8:31)
「8」は管理・所有・支配を表す数でもあるが、これは世界のあらゆるものを格子状に区切り、その区画ごとに「持ち主」を定めていく資本主義的な私有社会のイメージ。
対する「9」は無私有、つまり「シェアリング」であり、世界を線で区切らず、当然「持ち主」も定めず、全ては「みんなのもの」となる。
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新たな「世界」 (2018.3.28 15:59)
自分が見たくないものを「9(世界の全て)」から取り除けば、残ったものが新たな「世界」となる。
「9(全)」から「7(孤独・疑念)」を取り除けば、残った「2(関係・信頼)」が「世界」となる。
「9(全)」から「2(隷従・盲信)」を取り除けば、残った「7(孤高・思索)」が「世界」となる。
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逃げ続けるよ
(2018.3.28 12:47)
僕はいくらでも「5(回避・脱出)」し続けるよ。
自らの心身を「4(防衛・固持)」するためにもね。
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レイシズム (2018.3.28 11:18)
「人種」という使い古された乱暴なカテゴリで個人を評価・判断すること自体が「レイシズム」の始まりだよね。
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親切 (2018.3.28 11:04)
「2」マインドにて相手を良く見聞きし、信頼関係を構築する。
「4」マインドにて自己の領域を保ちつつ、地道に続けていく。
「6」マインドにて積極的に相手に関与して、その不足を補う。
「8」マインドにて相手の言動に振り回されず、辛抱強く行う。
これら偶数の働きにより「親切」は達成される。
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問うための「基準」
(2018.3.27 23:26)
良く「7(問う)」ができるとは、それを担えるだけの「基準」を持っているということ。
何かを比較・判断するために存在する「基準」とは、つまりは「○○は△△である」というような「2(答え)」の集合体とも言える。
この「基準」を時代の変化に合わせて問い直せれば、自らの「7」はより輝く。
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同じ文でも (2018.3.27 23:00)
たとえば『自らの「4」が「5」になる』という数秘術的な一文があったとする。
これを『自らの「不自由」が「自由」になる』と読む人がいる。
または『自らの「安定」が「破壊」される』と読む人もいる。
二つの数のイメージに対する意識、そして現状の捉え方によって、これだけ意味が変わってくる。
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鋭く、鈍く
(2018.3.27 22:48)
「4」とは「静の感覚」であり、停止または緩徐に動く様を表す。
「5」とは「動の感覚」であり、高速または機敏に動く様を表す。
自らの動きが「4」になればなるほど、感覚はむしろ「5(鋭敏)」に近づいていく。
自らの動きが「5」になればなるほど、感覚はむしろ「4(鈍麻)」に近づいていく。
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「未来」のカタチ (2018.3.27 17:48)
たまにツイッターで流れてくる星占いを見るんだけど、たとえば「6月からは流れが変わります」的な文言を読んでも、僕の頭には全然入ってこないんだよね。
なぜなら、これといった目標も計画も予定も無いから。
時間の流れをカタチに閉じ込めずに生きているから、つまり「未来」のカタチも無いんだ。
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ぼんやりとした交流
(2018.3.27 14:29)
いわゆる「コミュニケーション」というものを、ハッキリと引かれた「2(線)」でイメージしようとするからややこしくなる。
もっと「9(ぼんやり)」的なもの、つまり繋がっているのかどうかがすごく曖昧だけど、まぁ何となくふわっとみんなが包まれているイメージで捉えてもいいんじゃないかな。
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いい子 (2018.3.27 14:19)
(自分にとって)いい子になる「3」マインド。
(他人にとって)いい子になる「6」マインド。
(どっちだって)いい子になる「9」マインド。
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壊せる占い師に (2018.3.26 21:38)
「破壊の数」という概念を用いる占術を初めて知ったが、その数が強迫観念となってしまい苦しむ人もいるようだ。
そんなくだらない概念、俺が破壊してやろうか。
てなわけで、どうせなるなら固定観念をぶち壊せるような占い師になろうぜ。
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背中で語る
(2018.3.26 20:44)
常に先へと進んでいく「1」マインドが「背中で語る」のは至極当然。
わざわざ後ろを振り向くだけ、時間の無駄というやつさ。
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箱庭遊び (2018.3.26 17:49)
僕は自分で作った「逆数秘術」という理論の箱庭で、一人でのんびりと遊んでいるだけ。
そんな僕に興味を持った人に対し「こんな遊び方があるよ」とレクチャーしている。
そこには組織も序列も、そして切磋琢磨すら存在せず、ただただ「数」でこじつけて遊ぶだけ。
まぁのんびりやろうぜ。
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非均衡
(2018.3.26 15:46)
奇数(動的・混沌・チカラ・コドモ)として生きるということは、つまりは「非均衡」であることを恐れずに生きるということ。
相手からの礼に対して同じような礼を返したり、周囲の忍耐に対して同じように耐え忍ぶ、正に偶数(静的・秩序・カタチ・オトナ)的な「均衡」志向へのアンチテーゼでもある。
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「9」的な歩み
(2018.3.25 15:24)
「いろいろと寄り道しながら、そして時々ぼんやりと休みながら、ただ何となくのんびりと歩いていく」
これが奇数性と偶数性とを併せ持った「9」的な歩み方のイメージだね。
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対称性は全てに (2018.3.25
10:25)
「1」が「真っ直ぐ先へと進む」なら、逆数の「8」は「逸らずに踏み止まる」。
「1」が「真っ直ぐ先へと進む」なら、補数の「9」は「寄り道しながらフラフラ歩む」。
「1」が「真っ直ぐ先へと進む」なら、同じ「自」のラインの数である「7」は「歩んだ道のりを遡る」。
そう、全てに「対称性」がある。
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数秘警察 (2018.3.24 12:55)
数秘警察 「あなたを《マスターナンバー拒絶罪》及び《カルマナンバー侮辱罪》の容疑で逮捕します」
僕 「ふざけるなぁぁぁ!!!」
数秘警察 「逮捕時刻、11時11分(ガチャリ)」
僕 「ルートナンバー、ばんざぁぁぁい!!!」
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残りカス (2018.3.24 12:46)
現在とはつまり過去の「残滓」なわけだから、そんな残りカスのために齷齪(あくせく)頑張らなくてもいいよ。
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弱者扱い (2018.3.24 0:34)
あまりにも「7」マインドに傾くと、その分「2」マインドが弱まり他者を信じることが難しくなる。
すると弱まった「2」の機能を他者に「貼る」ことで「あの人はあまりにも信じ過ぎるから危なっかしい」などと「弱者」扱いをし始める。
そうすることで自らの多過ぎる「7」を正当化し、自己批判を防ぐ。
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順行 (2018.3.23 12:41)
そういえば水星逆行らしいが、僕はいつも世間に対して逆行してるから、つまり僕にとっては「水星順行」なわけだな。
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「4」の中の「5」 (2018.3.23 8:43)
「4(ルーティン)」の中にこそ「5(アクシデント)」が眠っている。
何気なく階段を下りる。
何気なく車道を渡る。
何気なく起き上がる。
そんな「何気なく」がヒヤリハットを生んだりするから、普段通りの「4(ルーティン)」こそ気をつけないとね。
歳をとると尚更そうかも。
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仏性 (2018.3.22 22:43)
「全てのものには仏となれる素質が備わっている」という大乗仏教の考え方。
この「仏性」はとても「9(全)」的な概念だね。
そして全てのものに備わっているからこそ、むしろそれが見えにくくなる。
それが「0(無)」への反転(⇔)かつ同化(=)というイメージかな。
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「9」へと戻る (2018.3.22 22:30)
全ての人は初め「9(全)」なのだが、成長するにつれ自らの中で「1(衝動)」と「8(制御)」のように「逆数」同士に分離していく。
その分離した両者が互いを赦し合い、再び融合して「9」へと戻る作業が人生そのもの。
「9」の人ならば「0(無)」と和解し融合させる。
というこじつけもありかな。
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ハエ (2018.3.22 21:00)
エンジェルナンバー「3333333333333333」を見かけた人は、天使がハエのように湧き過ぎなので、キンチョールで適度に落としてください。
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疲れた果てに (2018.3.22 16:57)
何かしらの意見や考えに「従う」か「抗う」かの二択となった場合。
その二極の間を行ったり来たりすることに、ほとほと疲れ果ててしまうこともある。
すると二極が激しく混じり合い、やがて「諦める」が現れる。
これは「従う」でも「抗う」でもなく、その判断を放棄して無為自然に委ねる道である。
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「意志」の鍛錬 (2018.3.22 16:43)
ダイスでも他の占術でも、何かを占った際、その結果は仮の「基準」となる。
すると自動的に、その基準に対して「従う」と「抗う」の二極が生まれる。
従うのもいいし、抗うのもいい。
肝心なのは自らの「意志」が二極間を運動し始めること。
その激しい動きによって「意志」は鍛え上げられていく。
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こじつけない (2018.3.22 14:09)
たとえば身体に不自由を抱える「5(自由)」のヒトに対し「あなたは身体の「4(閉塞)」を通じて、自らの「5」を学ぼうとしているのです」などとは、さすがの僕でも言えないな。
「逆数」を用いれば大体のことはこじつけられるけれど、それでもやはり「こじつけるべきではないライン」はあるよね。
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扇情的なタイトル (2018.3.22 8:17)
『○○は△△である!』などというように「答え」が明示されたタイトルの本は、その内容を鵜呑みにしないように気をつけている。
特にそれが「扇情的」なものならば尚更だ。
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心配 (2018.3.21 21:14)
未来の「心配」をわざわざ現在に持ってこない。
眼前に問題が迫ったなら、その時はじめて真剣に「心配」する。
これが僕のライフハック。
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鏡のような恋 (2018.3.20 17:57)
ヌメロダイスにて恋愛鑑定をし、デメリットの位置に「2」が出た場合。
「あなたの恋はまるで鏡のよう。相手の動きに合わせてこちらも動く。けれど相手が止まったままならばこちらも止まったまま。ただ時間だけが過ぎていく」
こんなメッセージになるかもね。
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「基礎」の繰り返し (2018.3.20 14:21一部改変)
僕の数秘ツイートなんて延々と「基礎」を繰り返しているようなもの。
そうすることで、やっと「基礎」が心身に染み込み始めるし、吐く言葉にも「基礎」の薫香が漂い始める。
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27文字目 (2018.3.20 12:22)
もし「&」が27文字目のアルファベットとして残っていたならば、ルートナンバー(1〜9)使いの僕は好んでゲマトリアを使っていたかもなぁ。
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「絆」という呪い
(2018.3.20 11:14)
「絆」は無理して深めるものではなくて、偶然の作用も含めて自然と「深まる」ものなんじゃないかな。
もし深まらないのなら、それが自然の流れなのだろう。
そもそも複雑化した社会において「絆」という概念が一種の「呪い」と化している感があるし。
そんな「絆」からも自由になりたいものだね。
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デッドセクション (2018.3.19 20:23)
「9」から「1」に変わる端境期を僕は「象意の嵐」と呼んでいるけれど、この時期は見えない「0」が挟まるから、余計に「焦り」が生まれやすいんだよね。
鉄道の架線でいうところの「デッドセクション」のイメージだね。
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「完成」とは? (2018.3.19 14:59)
完成された「8(構造)」の中でこそ、完成された「1(個人)」が生まれ得る。
近代の哲学者ならば、そんな風に考えたかもしれない。
まぁ何をもって「完成」とみなすかがハッキリとしていないので、そこまでの明言は僕にはできないけれど。
そもそも真の「完成」なんてあり得るのかという話だし。
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パフォーマンス前に
(2018.3.19 10:10)
自らのパフォーマンスをみんなに喜んでもらうべく、まずは周囲に対して気を配っていく。
哀しむ人には笑顔を取り戻し、騒がしい人には注意を促し、イライラする人は宥(なだ)めて穏やかにさせる。
これが「3(自己愛)」を存分に発揮するために、まず「6(他者愛)」を率先して行うということだ。
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「驚く」ということ (2018.3.19 9:53)
「感情を動かすために必要なのは《驚き》であり、ヒトは笑う前に必ず驚いている」という言説。
ここには「3」という「動の感情」「カオスの感情」の本質が書かれている。
「日々の生活にダイナミックやカオスを取り入れて、きちんと驚いているかい?」
自らの「3」マインドが悪戯っぽく囁きかける。
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生きにくいヒト (2018.3.19 8:36)
プロフィールにわざわざ「変人」と書いているヒトは単なる「生きにくいヒト」であり、さほど「変人」ではないと思うな。
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平野レミ (2018.3.19 7:54)
どう計算してもマスターナンバーにはならない「9」の平野レミ。
彼女の存在がマスターナンバー未使用派に勇気を与える。
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ねじれた鏡像 (2018.3.19 0:07)
逆数秘術における「逆数」の関係、つまり「1」と「8」、「3」と「6」、「5」と「4」、「7」と「2」はそれぞれ「ねじれた鏡像」として存在し合う。
しかし「9」の相手は基本数(生年月日の数字根)には現れない「0」であり、鏡が無いために像を結ぶことができない。
ここに「9」の苦悩の本質がある。
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「師匠」と「魔獣」 (2018.3.18 23:15)
てなわけで『思考ツールとしてのタロット』を読了。
大アルカナ22枚の象意説明は必要最低限だが、だからこそ「思考ツール」としての使い勝手が増すというもの。
同書に出てきた「師匠」と「魔獣」だけど、逆数秘術に応用するなら僕の場合、師匠は「9」で魔獣は「0」だなきっと。
シンプルな良書だ。
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「自」のマニュアル (2018.3.18 15:25)
逆数秘術において「1」「4」「7」は「自」のライン。
偶数(静的・秩序・カタチ・オトナ)であることを強いる教育環境において「自」を貫きたいのなら、周囲と隔てる「4(壁)」を築き、その中でのみ「自」を展開していく。
それが「超・偶数社会」における「自」の在り方のマニュアルなのだろう。
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一世一代の大博打 (2018.3.18 14:41)
「5」という数は(奇数全般にも言えるが)「冒険心」や「一世一代の大博打」を表し得る。
そしてこれは「冒険の結果、一文無しになっても文句を言わない覚悟」でもある。
これをソシャゲのガチャに例えるなら「爆死の覚悟が無いなら、初めからガチャなど回すんじゃない!」という叱咤ともなる。
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転職鑑定 (2018.3.18 14:33)
とある転職鑑定にて(二者択一のラバーズ)、鍵に「5」、最終診断に「2」が出た。
この場合の「5」は当人の「変わる覚悟」が本問題最大のテーマであり、その覚悟が曖昧なままだと結果として「2」という現状契約の維持を選ぶし、その方が良いという結論に。
最終診断が奇数なら、転職を勧めただろう。
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感情労働 (2018.3.18 11:32)
行き過ぎた「6(ホスピタリティ)」マインドを表す新たな言葉が生まれたようだ。
それは「感情労働」。
「6」とは自らの感情を鎮め、秩序をもたらす数だが、周囲の感情をも整えるべく(つまり怒らせないよう悲しませないよう)感情の「演出」を行う。
これをやり過ぎると「能面」が顔に貼り付く。
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反抗者
(2018.3.18 11:17)
「7(懐疑・検証)」とは「2(約束・契約)」への反抗者。
「5(変則・革新)」とは「4(慣習・伝統)」への反抗者。
「3(逸脱・奔放)」とは「6(倫理・美徳)」への反抗者。
「1(独立・無視)」とは「8(組織・法律)」への反抗者。
荒ぶる「奇数力」により、鎮める「偶数圧」を跳ね除ける。
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「怪しみ」の信頼 (2018.3.17 22:33)
「7」とは何かを「怪しむ」数だけど、これを行えるのは自らが抱いた怪しみを「2(信頼)」しているということ。
その信頼が無ければ、何かを「怪しむ」ことは到底続けられない。
つまり自らの奇数を続けていくためには、偶数というカタチ(容れ物)が必要ということだ。
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秩序を「おかす」
(2018.3.17 21:39)
それにしても杉下右京の「7(探求・検証)」無双振りを見るにつけ、つくづく「7」(も含めた奇数全般)の荒ぶりは秩序(ルール)を容赦なく「おかす(冒す・侵す・犯す)」なぁ、と。
そしてそれは、とある理不尽に対して別の理不尽で「倍返し」するイメージでもあるね。
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頑張り屋さん (2018.3.17 18:47)
「8(コントロール)」という数を「頑張り屋さん」と捉えるのか。
はたまた「頑張ることしかできない人」と捉えるのか。
当人の中の「1(自尊心・自信)」の多寡が、それを決定付けていく。
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「0(無)」という希望
(2018.3.17 11:17)
「0」という数にある種の「希望」を見出すヒトがいる。
でもそれは、この世界があまりにもいろんなもので「あふれている」からこその「希望」なんだろうな。
いろんなもので満ち満ちている「9(全)」的な世界に対する「うんざり感」が「0(無)」を「希望」のシンボルにしていくイメージ。
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使いにくい数秘術
(2018.3.17 9:44)
数多の数秘術の中で、きっと僕の「逆数秘術」は使いにくい部類に入ることだろう。
でも「数」で考えることを求める以上、使いにくい方がむしろ目的に適う。
もし使いやすくなれば、それだけ「答え」を出しやすくなり、そこで「問い」を止めてしまうことにつながる。
もっともっと考えて欲しいんだ。
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ズラす (2018.3.16 22:04)
ドライブに出かけた際、交差点を通るたびに青信号でスムーズに進める時もあれば、反対にやたらと赤信号に引っかかってしまう時もある。
そんな時はタイミングを少し「ズラす」ことで、連続した青信号に遭遇できたりもする。
たぶん「人生」もそんな感じなんじゃないかな。
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機能 (2018.3.16 14:44)
数秘術における「数」とは、それぞれが一つの「機能」を表す。
部分としての「機能」一つだけで、その人の「全体」を言い表すのは無理がある。
《「4」の人は頑固である》という表現ではなく《「4」という機能を駆使している様が「頑固」として見える》という表現の方が、より的を射たものとなる。
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懐疑論 (2018.3.16 14:11)
何かしらの「2(思考のコスモス)」的な線引き、つまり関連付けや定義・認識などを「7(思考のカオス)」で懐疑した果てに、やがて両者は混じり合う。
すると「9」的な「エポケー(判断保留)」、つまり「まぁどっちでもいいか」という態度が生まれ、それが平静心をもたらす。
これが「懐疑論」か。
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色褪せたヒト (2018.3.16 13:43)
「考えの古いヒト」なんて言うと角が立つから、代わりに「色褪せたヒト」とでも呼ぶとしようか。
赤い文字が色褪せてしまい、何を訴えたいのかよくわからなくなってしまった看板やポスター。
赤々とした(つまり激しい)主張や思想は経年劣化に耐えられず、未来ヒトによる勝手な改変の憂き目に遭う。
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持ち帰る「答え」 (2018.3.16 9:13)
占い師の側がどれだけ崇高な理念を抱こうとも、相談者は自らの都合に合う「答え」のみを回収していく。
もし当人が「絶望」のみを持ち帰ったなら、それは自らが持つ曖昧模糊な「不安」にはっきりとしたカタチを与えるためだったりもする。
自らの心を「確定」させるために「答え」を持ち帰るわけだ。
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何も説かない (2018.3.15 13:20)
頑迷なイデオロギーから自由になるべく「多様性」にシフトするケース。
でも、その「多様性」を尊ぶ思想もまた別のイデオロギー。
もし「多様性」を尊重しないヒトを排除・非難するのであれば、それもまた一つの頑迷なイデオロギーとなってしまう。
だから「何も説かない」という無為で回避する。
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不都合な「カオス」 (2018.3.15 13:11)
襲い来るカオスをしらみつぶしにことでコスモス(秩序)を実現しようとしたら、それこそキリが無くなる。
そんな作業の中でカオスは「悪」のレッテルを貼られていく。
しかしカオスは決して「悪」などではなく、単にコスモス実現にとってすこぶる「都合が悪い」というだけだ。
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カオスを味わおう (2018.3.15 9:06)
落ち着くこと、つまりコスモス(秩序)を強く意識すればするほど、それを妨げるカオスが発生する。
開き直ってカオスを味わうようになると、気が付いたらコスモス(秩序)が実現できていたりする。
永遠に走り続けるジェットコースターなんてない。
だったらせめて乗っている間くらいは楽しもうか。
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真剣 (2018.3.14 22:46)
僕の「テキトー」は真剣だよ。
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解無し (2018.3.14 20:47)
ダイスで占った際、特に「0」が多く出た際は「解無し」となることもあるね。
「アドバイスの余地無し」
「アドバイスをしても無意味」
「アドバイスするだけ野暮」
何でもかんでも「答え」を出せば良いというもんじゃないし。
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混じり合い (2018.3.14 16:25)
たとえば満開の「花」とまだ開かぬ「蕾(つぼみ)」とは、それぞれ単体では共存できない。
しかし草木全体で見渡せば、また時が経てば、その両者は「混じり合い」という状態で共存できる。
奇数と偶数とが混じり合った「9」が「全体性」や「時の流れ」を表し得るのは、正にこういった理由からだ。
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「フラグ」の連続 (2018.3.14 15:17)
昨日(過去)の「続き」として今日(現在)を捉える。
今日(現在)の「続き」として明日(未来)を捉える。
時間を細切れにできず、常に「連続」として捉えるヒトというのは、実に生きにくそうではある。
正に世界中に「フラグ」が立っているイメージだ。
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「プライド」は「恐れ」 (2018.3.14 14:36)
「1」という数で表される「プライド」とは「恐れ」の変名なのかもしれない。
「1(自己)」というオリジナルが傷つくことを恐れ、「2(関係)」という接続すらも「引っ掻き傷が付くのでは?」などと訝しむ。
そんな「恐れ」に向き合うことを避けるべく「プライド」というシールを上から貼っていく。
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星になった博士 (2018.3.14 13:12)
「7」のホーキング博士は死後の世界の有無について、自ら確かめに行ったんだな。
実にカッコいい「7」マインドな御仁だった。
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無理して読まない (2018.3.14 12:31)
いま読んでいる本を途中で止めて、別の本を読み始めたところ。
無理して読み進めるよりも、パッションが強く反応する本にシフトした方が、吸収の観点からは効率的だろうから。
読みたくなったら読む。
読むのに飽きたらやめる。
ただそれだけ。
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コントロール神話 (2018.3.14 11:08)
「無為自然」に生きていくことは、つまり自然の特性とも言える(ヒトがそのように見ているだけだが)「気まぐれ」を自他に許していくということ。
自らの「気まぐれ」を許すのはともかく、他者の「気まぐれ」を許すのは中々に難しい。
それだけヒトは「コントロール神話」に毒されているとも言える。
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気まぐれ (2018.3.14 10:42)
「気まぐれ」を悪しきことと捉えてしまうのは、それだけ我々のいる社会が高度に「プログラミング」されているということ。
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コロコロ変わる
(2018.3.14 9:49)
僕は本当にやりたいことがコロコロ変わる。
昨日言ったことを今日翻すなんてことも良くあること。
でもそんな風に移ろい行くのが「9(無為自然)」マインドの特技と言ってもいい。
無理矢理やりたいことを固定させなくても、別にそれはそれでいいんじゃないかな。
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安倍政権の今後 (2018.3.14 9:12他)
問題が有耶無耶になることを期待するも、次から次へ闇が開陳され、とある失言がとどめに。
最終診断が偶数であり、結果として与党内のパワーバランスの変化が起こる(首相交代等)だけに止まり、政権交代まではいかない。
与党内の裏切り連鎖が進み、伝家の宝刀も抜けずじまい。

全体を通して奇数が多いため、何かしらの変化は起こるものの、最終診断が「8(構造)」であるため、構造破壊までには至らないイメージ。
また鍵の位置の「5」を「解散」と読めなくもないが、「0」の方がより当てはまると思うし、今回はこの「5」を「叛逆」の意で捉えてみた。
政権側を主体としてリーディングした際に「5」が出たならば、それを「内閣改造」と読むこともできる。
ただしデメリットの「3」が内閣改造による問題収束を許さないくらいのカオスを発揮しそうであり、メリットの「9」ですら「自然の流れはもはやコントロールできない」の意にも読めてしまう。
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哲学ごっこ
(2018.3.13 19:42)
そもそも、バリバリの非・運命論者たる僕がなぜ「数秘術」を続けているのか。
それはたぶん「哲学ごっこ」を行うのに象徴としての「数」がとても便利だからだろうなぁ。
「運命論に縛られたままで、いったいどうやって自由になれるんだい?」というのが僕の持論。
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「完全」の意 (2018.3.13 18:44)
あるタロット本では「8」に「完全」の意が与えられていた。
しかし始原の「1」も「完全」足り得るし、数学的に完全数の「6」や一桁最後の「9」、更には虚無の「0」すらも「完全」足り得る。
そもそも完全な「完全」などあり得ないなどと、どの「数」にもその意を当てはめないこともできるわけだ。
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地下の「塔」 (2018.3.12 16:50)
地上にそびえる「塔」ではなく、地下に伸びる大穴を「塔」と見立てたタロットがあれば買ってみたいな。
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象徴言語は曖昧に (2018.3.12 14:23)
たとえば数秘術における「7」のイメージとして「掘り下げる」があるが、より正確な表現を用いるなら「掘り下げる的な」というやや曖昧なものとなる。
象徴言語としての「数」を明確な言語に翻訳し切ることは不可能であり、むしろ曖昧なまま用いることにこそ象徴言語の存在意義があるというものだ。
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外なる神・内なる神 (2018.3.12 13:11)
「外なる神」と繋がることが「2(信仰)」となるわけだが、この繋がりを「7(検証)」することにより、やがて「外なる神」は死ぬ。
しかし「外なる神」は決して死んだわけではなく、ヒトの精神の中に退避して「内なる神」となり、検証不能なカオスの心海(深海)の中で「概念」として生き続ける。
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自在に着替えよう (2018.3.12 12:38)
《天秤座のヒト》よりも《天秤座的なヒト》、《「4」のヒト》よりも《「4」的なヒト》という表現を僕は好む。
「星」や「数」は変えることのできない「肌の色」ではなく、環境に応じて様々に着替えられる「服飾」のイメージを持っている。
だから生年月日で固定せず、自在に着替えてもいいんだ。
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すばらしさ (2018.3.12 11:48)
宗教とはつまり「すばらしさ」への信仰であり、この「すばらしさ」が無くなることで、ようやくにしてヒトは「醒める」わけだ。
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宗教とは「結合」 (2018.3.12 11:00)
「宗教(religion)」の語源の一つは、ラテン語のreligare(結合)だという。
エンゲルスは『フォイエルバッハ論』において「二人の人間のあらゆる結合が宗教である」と述べている。
逆数秘術において「2」を「宗教」のイメージで捉える根拠の一つとして機能しそうだ。
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「凶」こそ「吉」 (2018.3.11 11:12)
既存のルールや構造に叛旗を翻す者にとっては、むしろ「凶」こそ「吉」というもんだ。
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概念の解体劇 (2018.3.10 22:39)
お笑い番組で割とまともに観ているのは「IPPONグランプリ」だね。
文章・写真・設定などの「2」的な定義(意味)付けを「7」でカオスに解きほぐし、そしてとんでもない感じに接続し直して新たな次元の「2」を見せつける。
この「概念の解体劇」が面白いんだ。
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ウロボロス (2018.3.10 21:35)
「1(個人)」として実現できなかった夢。
夢を諦めきれない当人が作った「8(組織)」にて後進を育成し、彼らに夢の実現を託していく。
成長した彼らは別個の「1(個人)」として、まっすぐに夢を追いかけていく。
奇数と偶数のバトンリレーが「ウロボロス」的に世界を回し続けていく。
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人身御供 (2018.3.10 20:33)
「1」は「個人」を表し、「8」は「組織」を表す。
そんな「組織」が不祥事から自らの秩序を守るため、とある「個人」のスタンドプレーのせいにして切り捨てるケース。
偶数的秩序を維持するために、あえて奇数的混沌という「異物」を作り上げて排除する。
人身御供として作られるニセモノの奇数だ。
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叛逆の数秘術 (2018.3.10 19:00)
「逆数秘術」とは「叛逆の数秘術」なんだ。
「数」の押し付けに叛旗を翻し、もっと自由に「数」でこじつけていけるようにする。
そんなレジスタンス運動を毎日コツコツやってるだけ。
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「思い」と「言葉」 (2018.3.10 11:46)
言葉にできない「思い」が脳から心にあふれ出す。
それが非言語思考たる「7」マインドの苦しみの一つ。
それとは逆に、言語思考たる「2」マインドは「言葉」にこだわるあまり苦しんでしまう。
自らが編んだ「辞書」にはない言葉を投げかけられることを嫌い、「こう言って欲しい」などと自他を縛る。
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ピナクルとか
(2018.3.9 20:15他)
そういえば来年からピナクルとチャレンジが変わるんだよな(と言っても特に何の注意も払わないのだが)。
これらの数に「逆数」を当てはめると、主テーマ実現のために必要なものや克服のヒントが浮かび上がってくるから試してみてね。

33〜41歳までの僕のピナクルナンバーが「3」、そしてチャレンジナンバーが「2」。
ちょうど33歳になった日からツイッターを始めたんだけど、ピナクルの「3(表現)」が正にこじつけやすいイベントだね。
そして「2」がチャレンジとなっているように、人との繋がりの有無が極端になっている感がある。
※補足
このサイクル・ピナクル・チャレンジなどは、現代数秘術のチャートリーディングで用いられる概念となります。
サイクルはその期間の主たるテーマ、ピナクルは成長する要素、チャレンジは克服すべき要素を表します。
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コレクション (2018.3.9
15:40)
「コレクション」という行為は顕著な偶数性(静的・秩序・カタチ・オトナ)の表れであり、僕は「8」にそのイメージを付与している。
タロット占い師が数多くのタロットカードを収集する際、それらのモノは占い師としての「1(自尊心)」たる奇数的チカラを固着安定させる偶数的カタチとして機能する。
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バーチャルな「自己」 (2018.3.9 14:20)
「1」が絶対的な(つまり無根拠な)自己肯定感を表すとすれば、対する「8」は管理・使用するモノによって担保される相対的な自己肯定感とも言える。
クローゼットに仕舞われた服。
煌びやかなアクセサリー。
足元を彩る靴の数々。
自らが買い集めたモノによって、バーチャルな「自己」ができあがる。
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計画を減らす計画 (2018.3.9 13:37)
自らの中の「1(衝動)」が荒れ狂う時、身の回りが「8(コントロール)」だらけになっていないかどうかを注視してみる。
「明日までにこれやらなきゃ」
「上司の命令果たさなきゃ」
「あと3kg痩せなきゃ」 「早くご飯作らなきゃ」
正しい「8(コントロール)」には「計画を減らす」ことも含まれる。
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接続願望・分離願望 (2018.3.8 20:14)
最も原初的な「コスモス(秩序)への願望」を表す「2」。
この「2」的な願望は「誰かと繋がりたい」「豊かな関係を築きたい」などの《接続願望》のみを表すわけではない。
「嫌なものから離れたい」「万物を分別したい」などの《分離願望》をも表す。
要するに「線」を引きたいという願望なのだ。
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宇宙でタロット (2018.3.7 18:43)
宇宙空間に浮かぶタロットカードをイメージしてみるといい。
きっと正位置も逆位置もなくなることだろう。
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パターン化の危険
(2018.3.7 17:24)
学習のためにタロット日記やダイス日記を付けることは良いと思うんだ。
でもそれがイメージ読み解きの単純な「パターン化」につながっちゃうことには気をつけないといけないね。
「パターン化」に伴って削られた「体験」の方に重要な何かが眠っていたりもするからね。
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「自尊」の圧縮
(2018.3.6 23:31)
自らの「1(自尊)」を極限まで圧縮したものが「8(自虐)」になったりする。
そうしてエゴも含めてコンパクトにすることで、集団や組織などのシステムの隙間にパーツとしてうまく入り込めるようになる。
相手の「自虐」を額面通りに受け取ると、復元した「自尊」に復讐されたりもするからご注意を。
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「自虐」という戦略 (2018.3.6 22:12)
基本数「8」の濱田祐太郎の「R-1ぐらんぷり2018」優勝。
「1(自尊)」とは対となるのが「8(自虐)」だが、自らの障害を自虐ネタとして昇華し、それをフル活用して見事に会場を沸かせたイメージ。
「自虐」とは周囲の雰囲気をコントロールする「戦略ツール」であることを改めて教わった感がある。
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自由中毒 (2018.3.5 12:00)
自らの不運や不調の理由を「星」や「数」に求めなくなると、僕のようにすごく「自由」になれるよ。
まぁこの「自由」は割と致死性が高かったりもするんだけどさ。
「9(なんでもいい)」と「0(なんにもない)」は表裏一体だからね。
「自由中毒」にならないよう、気を付けて「自由」を味わってね。
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強靭な慣性 (2018.3.4 13:01)
既存のルールの矛盾点に気付きつつもそれを抜本的に見直すことはせず、ただ淡々と慣性運動の如くルーティンをこなしていく。
そんな「4」マインドがこの社会を淀みなく動かしていくわけだが、これは「勤勉という名の怠惰」であり、そして「矛盾に関わらず動き続ける強靭な慣性」でもある。
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革命権 (2018.3.4 12:09)
「5(革命)」とは「4(旧守)」的な社会構造への健全な「恫喝手段」というのが僕のイメージ。
しかしそんな「5」的手段を悪であると教え込まれた人々は、「4」的なルールの中でこれといった抵抗もせず、ゆっくりと茹で上げられていく。
「5」とは市民がきちんと意識すべき「革命権」でもある。
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「7」との縁 (2018.3.4 11:44)
プライベートをつぶやくたびにフォロワーが減っていく健全なアカウントですこんにちは。
さて、僕は以前から「7」っぽい人やつぶやきに「縁」を感じるんだよね、不思議と。
まぁ、その理由を特にこじつけたりはしないけれども。
「セカイを問う」のは僕も好きですから。
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保管 (2018.3.3 15:17)
「憎しみ」や「怒り」などを圧縮して保管する「8」マインド。
それはあたかもいつでも「憎む」ため、そして「怒る」ために保存してあるかのよう。
でもキャパオーバーして保管しきれなくなり、そして保管し続けることにも疲れきったなら、やがては「9(赦し)」マインドがやってくることだろう。
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ひな祭り (2018.3.3 11:23)
今日は3月3日ひな祭りなので、数秘術使いの皆さんは「3」とか「6」とかでテキトーにこじつけながら遊んじゃってください。
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肉体も「環境」 (2018.3.2 21:23)
自我から見れば、自らの肉体も一つの「環境」。
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行き過ぎた倫理
(2018.3.2 8:45)
極めて強く「6(倫理)」的に生きるヒト(集団)は、自らの高邁な倫理を貫くあまり、一般社会からは強烈な「3(脱倫理)」的存在として浮き上がってしまう。
倫理を殺す者は野蛮さではなく、むしろ「行き過ぎた倫理」なのかもしれない。
その猛毒の瓶には「清く・正しく・美しく」と書かれている。
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ニヒリズムも友達
(2018.3.1 22:49)
自らの意志で「9(無為自然)」に生きることを続けているけど、どうしても年に何回かは双子の数である「0(虚無感)」が遊びにやって来る。
そんな時は拒まず一緒に遊んであげると、満足した「0」はすっと立ち去っていく。
「ニヒリズム」だって僕を構成する大切な仲間なのだから、邪険にはしない。
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