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数秘術関連等ツイート(2018年1月分)
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「意味」のシンボル (2018.1.31 15:30)
タロットの「16 塔」を単数変換すると「7」となる。
逆数秘術において「7」とは動的思考による「意味の解体」であり、逆数「2」、すなわち静的思考による「意味の固定(定義化)」と対をなす。
つまり屹立する塔自体が「意味(定義)」のシンボルであり、それをバラバラに解す意とも読めるわけだ。
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健康作り (2018.1.31 15:12)
心身の恒常性を保とうとするのが「4」的な健康作りだとするならば、「6」的なそれは不健康に対する羞恥や罪悪感からもたらされるもの。
自らの心身への申し訳なさ、そんな心身を生み育てた親への申し訳なさ、そして不健康さによって足を引っ張ってしまう社会への申し訳なさが「健康」へと走らせる。
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凝固
(2018.1.31 12:57)
ものすごくおぼろげに答えは出ているけれど、いまいち明確になっていなかったことが先程急遽問題化したため、ダイスで占い5秒で答えを出したところ。
ある程度答えは出していても、それが非言語の海を漂ってしまっている場合、占うことで明確に言語化してその答えを「凝固」させるのは大事だね。
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ファジー (2018.1.31 11:37)
「9」という数を表す言葉の中で僕が好きなのは「ファジー(あいまい、ぼんやり)」。
高度に構造化された偶数な人々からも、そんな構造化に抗う奇数な人々からも「あいまいだ!」などと言われがちな「9」な人々。
でもだからこそ、その両極にうまく馴染めない人々が最後に頼る「楽園」にもなるんだ。
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純然たる「自」 (2018.1.30 13:22)
「1」のヒトなどいない。
「8」のヒトなどいない。
自らの中の「1」と「8」を含む、あらゆる数における「対」の性質同士の迫真の演技の中に初めて「ヒト」は現れる。
「1」無ければ「8」成らず。
「8」無ければ「1」成らず。
互いが互いに依って立つ、つまり純然たる「自」などいないということだ。
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普遍性 (2018.1.30 12:54)
星座占いでも数秘でもそうなんだけど、そこに書かれた性質は他の星座や数の人にだって十分当てはまるからね。
「当たってる!」などと驚いてばかりいないで、もっとそこに書かれている表現内容の「普遍性」に気付いてみてもいいと思うよ。
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癒しフェア
(2018.1.30 11:54)
「《癒し》には依存性がありますので、用法用量を守って正しくお使いください」などという注意喚起文が提示された「癒しフェア」なら興味が湧くというものだ。
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大抵「成功」 (2018.1.30 10:59)
元々夢がホームレスの僕からすれば、大抵のことは「成功」扱いなんだよ。
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ヒッピーとスクエア (2018.1.30 0:01)
英語圏においては「ヒッピー」の対義語として「スクエア」が広く用いられるとのこと。
「スクエア」をその言葉のまま「4(閉塞・安定・伝統)」とするならば、対義語となる「ヒッピー」はそんな「4」へのカウンターカルチャーである逆数「5(自由・破壊・革新)」としてこじつけられるね。
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ヒッピー
(2018.1.29 23:54)
「ヒッピー(Hippie)」をゲマトリアすると「9(自然回帰)」になるのは、なんかいいね。
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見解の相違 (2018.1.29 14:35)
「見解の相違」によるトラブルは多いけれど、そもそも自分とは全く異なる他者と「見解の一致」が見られること自体が奇跡。
「人間」という緩い枠組みによる同属性をうっかり信じてしまうことによる弊害だと思う。
それぞれのヒトは、出身惑星の異なる別々の「宇宙人」と捉えた方が手っ取り早い。
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恋 (2018.1.29 14:04)
恋は「誤解」から始まり「理解」で終わる。
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運命の人 (2018.1.29 13:22)
いわゆる「運命の人」なんてものは初めから存在せず、自分にマッチする人が見つかってから後付けで呼称する、言わば「名誉称号」みたいなもの。
そんな「運命の人」と出会いたいのなら、初めから完成品を求めるのではなく、自らの手で時間をかけて目の前の相手を「運命の人」に仕立て上げればいいよ。
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期待しない (2018.1.28 21:19)
他人に何も期待しなくなれば、それだけで相当人生ラクになるんじゃないかな。
自分自身でさえ、ろくすっぽコントロールできないんだから、ましてや他人なんか尚のことコントロールできやしない。
期待しなくなれば、失望もしなくなるよ。
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不要な「原因」 (2018.1.28 15:24)
物事には必ず「原因」が存在するという思想は、本人を徒らに自罰へと駆り立てるか、相手に過剰な罪をなすり付けるかの両極端へと向かいがちだね。
「原因とかいまいち良く分からないけど、なっちゃう時はなっちゃうもんだし、まぁ次行こうぜ次」というマインドにより救われることは少なくないかも。
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束縛の象徴 (2018.1.28 15:06)
たとえ本人には束縛の意志は無くとも、相手からすれば恋人(パートナー)との「関係」自体が束縛の象徴となってしまうことはある。
本来は目に見えない「関係」という「線」がリアルに見えると、それは命綱にもなるし、本人の自由意志の足を引っ張るロープにもなる。
どちらが悪いとかじゃないんだ。
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5秒でわかる
(2018.1.28 14:10)
僕も「5秒でわかる数秘術講座」を開いてみようかしら。
「数秘術とは《こじつけアート》である!以上!」
これで荒稼ぎ間違いなし。
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ハコからはみ出る (2018.1.28 0:18一部改変)
「8」という体系・システム・ロジックからはみ出るのが「9」。
一つのハコには収まりきらない「9」だからこそ、特に偶数マインドからは曖昧模糊として掴みにくいイメージとして見られてしまう。
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不要なカバラ (2018.1.28 0:11)
そういえば「逆数秘術」の理論からは意図的に「カバラ的要素」を(当然「生命の樹」も)排除しているよ。
別にカバラ自体が嫌いなわけではなく、ただ「必要ではない」だけなんだ。
それは違う世界観の、違う体系のお話だから。
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「9」と「0」あれこれ
(2018.1.27 23:27他、一部改変)
■「9(全)」の中に「0(無)」があるとも言えるし、無いとも言える…他の数とは異なり「無」という概念でしか表せられない「0」の特殊性が正にそれ。
■全ての「有」は「0(無)」があるからこそ存在として定義できるわけであり、そう考えると「0」と「9」は切っても切り離せない逆数関係なんだよね。
■たとえば不純物のない純水はある意味「0」的だが、それ自体を俯瞰すればモノとして存在する純水は「0」では無くなるわけだ。
つまり「0」も相対化からは離れられないというわけだね。
■チカラ(奇数)でもありカタチ(偶数)でもあるのが「9」であり、その二つとも存在しない(という設定の概念)のが「0」。
なんでもあるからなんでもできる「9」と、なんにもないから(イメージ的には)なんでもできる(と思える)「0」との対比だ。
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虚無フィルター (2018.1.27 23:21一部改変)
逆数秘術だと「0」はカオスでもコスモスでもない「虚無」であり、カオスですらないというのが冷淡でもあり逆に優しさでもある。
「9」というカオスモスから「0」という見えない「虚無フィルター」を経由して、次の「1」という新たなカオスが芽生えるイメージ。
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宇宙の愛 (2018.1.27 22:56一部改変)
産み出すカオスの「3」と、育み癒すコスモスの「6」、その両者の混交たるカオスモスの「9」とは正に「宇宙の愛」といったところか。
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みんなの荷物 (2018.1.27 15:28)
いろんな人の荷物(夢)をたくさん積み込み、それぞれを然るべき場所へと運ぶのが「8」であり、それはまるでトレーラーや貨物列車、コンテナ船みたいだ。
自分だけの荷物を運ぼうとすると使うエネルギー量や目的地の遠さに目眩がするけれど、みんなの荷物を運ぼうとすると不思議と力が湧いてくる数。
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どちらから学ぼうか
(2018.1.27 13:38)
カリキュラムやヒエラルキーを組み上げ、その中において生徒を適切にコントロールし、画一的な品質に丁寧に育て上げる「8」的メンター。
カリキュラムやヒエラルキーを一切作らず、「俺の技を盗め」と言わんばかりに放置し、自分だけがただひたすらに前進する「1」的カリスマ。
お好きな方をどうぞ。
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貨物列車 2
(2018.1.27 13:24)
「貨物列車」全体を自分自身であると認識するのが「8」マインドの特徴でもある。
つまり夢という名の貨物を何十両も繋いでこその自分というイメージ。
でも「1」のように全ての貨物を解き放ち、自らのシンプルな意志を自分だけで軽やかに実現したっていいんだ。
それが「8」を軽やかにしてくれる。
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貨物列車 1
(2018.1.27 13:15)
「8」とは正に「貨物列車」のようだね。
つながるコンテナ(夢)が多いほどゆっくりと走り出し、さほどスピードも出せず、そしてブレーキをかけてもなかなか止まらない。
そんな時は全てのコンテナを外し、シンプルに電気機関車だけでゴールへ向かってもいいんだ。
それが「1」であるということ。
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商いの連続性 (2018.1.27 12:18)
「4」的に商うとは小さな店や空間で日々コツコツと続けていくイメージ。
でも無理して高い賃料を払い続けなくても、その都度いろんな場所を借りながら自由に商う「5」的なスタイルでも別にいいわけだ。
むしろ商いの連続性とは「4」と「5」が混じり合った「9(動静の緩やかな統合)」に宿るのかも。
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本当の自分 (2018.1.26 18:01)
いろんな占いにおいて「本当の自分を知ろう!」という言葉が氾濫している。
でも天邪鬼な僕は「わざわざ本当の自分を知ろうとしなくても、まやかしの自分をいっぱい作り、シチュエーションに合わせて使い分けていけば、その総体こそがやがては《本当の自分》になるんじゃないの」などと考えちゃう。
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逆数同士だからこそ (2018.1.26 12:30)
「7」マインドが「2」マインドからの指摘に対して「そんな単純に物事を結び付けるのはやめて!」と叫ぶ気持ちは良くわかる。
「2」マインドが「7」マインドからの指摘に対して「決まったことを今さら蒸し返すのはやめて!」と叫ぶ気持ちも良くわかる。
逆数同士だからこそ、余計に気になってしまう。
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疑え!問え! (2018.1.26 11:04)
「スピリチュアルを名乗るならば、安易な言語化・定義化に頼らず、自らの内側に渦巻く「イメージ(言語に翻訳しきれないもの)」をダイナミックに駆使し、ただひたすらに森羅万象の不思議を確かめ続けよう!」
これが「7(スピリチュアル)」ということであり、「全てを疑え!問え!」ということだ。
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「スピ」とは思考 (2018.1.26 10:56)
「7」とは思考のカオスであり、非言語的イメージを用いてとことん思考を深める、それが「スピリチュアル」であるということ。
「○○は△△である」などと言語で明確に定義する「2」的な思考のコスモスは優しい理解や容認に繋がるが、これは同時に非言語的なものを言語にする際の「翻訳漏れ」を生む。
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不信からの盲信 (2018.1.26 10:45)
現代医療への疑念や不信という「7」の高まりが、スピリチュアルへの傾倒や盲信という「2」への反転を生むケースは多い。
逆数秘術的に「7」はスピリチュアルを表し、非言語で思考を深めるイメージなのだが、逆数「2」に反転するとキャッチーな言語や概念を確かめもせず信じた挙句、思考停止へ向かう。
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「信じる」すら不要 (2018.1.25 23:14一部改変)
「他」の存在しない「1」とは、正に「自」だけで世界が完結しているということであり、それはつまり「信じる」という行為すら自明のため不要という究極性なんだよね。
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嫌なものへの対処法
(2018.1.25 19:58)
嫌なものからは一目散に逃げて離れるのが奇数(動的・混沌・チカラ・コドモ)マインド。
嫌なものからは頑丈な壁を築いて防ぐのが偶数(静的・秩序・カタチ・オトナ)マインド。
嫌なものに対して定まりなくふわりとした態度を取り、のらりくらりと躱(かわ)していくのが「9」マインド。
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占いを占いで検証 (2018.1.25 15:13)
そういえば昨日のダイス講座では、受講者の方が既に別の方法で占ったこと(結果は伏せたまま)を改めてダイスで鑑定し、その答えの違いを検証する試みがなされて面白かった。
双方の答えが一致するケースが多く、実に興味深かった。
ダイスは実に「端的に」答えを出してくれるのがシンプルでいいね。
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「夢」の製造責任者 (2018.1.23 14:01)
あなたの叶えたい「夢」の製造責任者はあなたしかいない。
破れた夢を繕うのも、作り替えるのも、その製造法を知るのはあなただけ。
そんな夢を打ち捨てるのも、責任者であるあなたの裁量次第。
そして自らの「夢」に全責任を負う以上、その「夢」をどうしようが全てはあなたの自由なんだ。
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無責任 (2018.1.23 13:53)
偶数(静的・秩序・カタチ・オトナ)的な社会の中において、そんな秩序を乱すまいと偶数的に生きている人からすれば、奇数(動的・混沌・チカラ・コドモ)的に生きる人は全てが「無責任」に見えてしまうことだろう。
そう、この「無責任」とはあくまでも相対的な価値観にしか過ぎないのだ。
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心の家 (2018.1.23 13:23)
僕にとって逆数秘術ばかりをつぶやく当アカウントこそが、正に「心の家」というイメージ。
「4」の僕だからこそ、いや、別に誰であっても自らの中の「4」マインドを大切にするというのは、社会圧から自らの心を守る「シェルター」を作るということ。
そしてそれを作れる大工は自分自身だけなんだ。
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噴火 (2018.1.23 12:39)
噴火とは「1(動く火)」と「8(動かぬ火)」の共同作業。
「8」とは火山の奥で煮えたぎるマグマであり、その圧が強ければ強いほど、むしろ「1」として噴出する際の勢いは強まる。
「8」があるところに「1」は必ず存在し、「8」という秩序に安心していると、ある日突然「1」という混沌が牙を向ける。
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いつでも「9」 (2018.1.23 0:49)
そういえば今回の大阪講座を決める時もそうだったけど、全くもって占ってはいない。
僕の中の心のダイスは常に「9」しか出ないイメージ。
つまり「やってもやらなくても、どっちでもいいんじゃね」って感じ。
吉凶・成否などというつまらない枠を越えて、ただのびのびとやってみればいいよ。
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雪で一句 (2018.1.22 19:49)
「六角形 積もりて溶けぬ 責任感」
数秘術だと「6」は社会秩序維持のための「責任感」を表すからね。
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習慣の継続 (2018.1.22 15:36)
偶数(静的・秩序・カタチ・オトナ)における「習慣の継続」について。
続けることを自らに固く定義付けている、思考の「2」。
続けないと気持ちが悪いので続ける、感覚の「4」。
続けないと自らが嫌いになるから続ける、感情の「6」。
上記の根拠に関わらず自動かつ機械的に続ける、直観の「8」。
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返報性の原理
(2018.1.21 22:28)
「受けた恩は必ず返さなければならない」という倫理観。
「6」マインドとは、正にこの「返報性の原理」に彩られているが、これは翻せば「与えた恩は必ずどこかで報われるはずだし、そうであるべきだ」という「報恩への期待」にも繋がっていく。
つまりは「恩知らずの大量生産装置」でもあるわけだ。
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とある「7」の人生 (2018.1.20 22:50)
「7」と逆数「2」とのバランス。
そんな「7」を救う補数「3」的アクション。
そして「7」がたどった隣接数「8」、そして「9」への道。
更にいま歩んでいるもう一つの隣接数「6」の道と、そこから先に待っていた「5」というカオス。
明日の講座で話すのを忘れぬためにメモしておく。
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般若の面
(2018.1.19 7:39)
復縁への執着とは、まさに「般若の面」を着けているようなもの。
相手への執着をやめ、明るく前向きに諦めることにより「般若の面」はポロっと外れていく。
そうなることで相手は警戒を解いて近づきやすくなり、復縁の可能性はむしろ高まる。
復縁したいのなら、復縁を諦めるのが近道というもんだ。
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「終わり」の違い (2018.1.18 17:55)
「9」の「終わり」は「物事が熟しきり自然に終わりを迎える」イメージ。
どうにもできない終局を柔らかく諦め、自らの中に優しく包み込んでいく。
「8」の「終わり」は「物事が熟す前に意図的に終わらせる」イメージ。
自らの執念に互いが押し潰される前に、パッと手を離してサヨナラを告げていく。
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「モノ」への変換 (2018.1.18 15:12)
偶数(静的・秩序・カタチ・オトナ)最大の「8」はシステマティックやオートマティックを表し得る数。
巨大なシステム、緻密なスケジュール、複雑なプログラムの中に身を投じ、それら全てを自己制御のツールとして活かそうとする。
それらの中に入ったヒトは一つの「モノ」へと自動変換されていく。
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オートマティック (2018.1.18 15:06)
自らの中の「1」、つまり「ヒトとしての矜持」を失わない限りにおいて、「8」的にシステマティックかつオートマティックに生きることは、大きな夢の実現を早める「効率化」につながっていくね。
そしていざとなったら「1」というマニュアル操作に勇気を持って戻せるかどうかが大事なんだ。
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山中暦日無し (2018.1.18 9:24)
「山中暦日無し(さんちゅうれきじつなし)」とは、正に「9(無為自然)」の境地。
俗世を離れて山の中で悠々自適に過ごしていると、暦の存在も関係なくなるし、年月が経つことにも気づかなくなっていく意。
でもあまりにも「暦」と親しくなり過ぎた人は、かえって「0(虚無)」を覚えることだろう。
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共通の敵 (2018.1.17 10:50)
「2」はお互いを線で繋げて「絆」を作る数。
そんな「絆」をより強固なものにするには、共通の敵を作るのが最も手っ取り早い。
敵とした相手との間に絶望的な「隔て」を作り出すことで、盟友との「繋がり」を強化する試み。
「分かつ線」は「繋ぐ線」をより頑丈なものへと変える強力な武器となる。
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自らの気持ち (2018.1.17 10:27)
占いで相手の気持ちを知ろうとする前に、まずは自らの気持ちを確かめる方が先だと思うな。
本当に私は相手のことが好きなのだろうか?
もしかしたら「好き」と思い込んでいるだけではないのか?
自らのうごめく感情に蓋をするべく、一途な「好き」という気持ちでごまかしているだけかもしれないよ。
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「愚痴」の扱い (2018.1.16 21:48)
所構わず愚痴を吐くことで、心のデトックスを図るのが「3」マインド。
ばら撒かれた愚痴を丁寧に回収し、場を清浄に保つのが「6」マインド。
偶数(静的・秩序・カタチ・オトナ)優位な社会においては、当然ながら「6」マインドが尊ばれ、「3」マインドは慎むべきカオスとして封印の憂き目に遭う。
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話せない悩み (2018.1.16 13:30)
「7」マインドに言わせれば「人に話せる悩みなんか悩みのうちに入らない」といったところか。
この「7」の「話せない」は、自らの内面世界の奥底に沈んでいて迂闊にサルベージできないものだったりする。
また非言語(イメージ)思考による悩みのため、誰にも分かる言葉に翻訳できなかったりもする。
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あえて失くしてみる (2018.1.13 15:05)
恋でも仕事でも、とにかく自らを「9(満たす)」したいのであれば、むしろ大事な何かを一度「0(失くす)」してみるといい。
「9(充足感)」を得るには、逆数「0(喪失感)」を経過するのが最も手っ取り早い。
ありきたりな日々の食事に満足したいのであれば、自らを極限まで空腹にしてみることだ。
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「意志」の両隣 (2018.1.12 15:16)
「1(意志)」の両隣には「2(結合)」と「9(飽和)」がある。
「2」へと進めば「1」はより明確に目標を捉えられるようになるが、解除も困難となる諸刃の剣。
「9」へと進めば「1」はこだわりの無い状態へと軟化できるが、諦めにもつながっていく諸刃の剣。
二つの道を進み分けながら夢を追おう。
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荒馬と御者 (2018.1.12 14:54一部修正)
「8(制御)」とは「1(意志)」という荒馬を乗りこなす「御者」。
御し方が甘ければ荒馬に殺され、御し方がきつければ荒馬が死ぬ。
でもうまく御することができれば、その実績は自らの「1(自尊・自信)」を育み、正しく制御された意志のすばらしさを実感した荒馬は、やがて名馬と呼ばれ始める。
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裏目に出る (2018.1.12 8:59)
やったことの結果が予想の逆となる意の「裏目に出る」とは、つまりダイスの出目の反対側の目のこと。
ヌメロダイスにおける10面ダイス(僕が販売するもの)は、この裏目が「逆数」となるものを選りすぐっている。
物事が裏目に出るからこそ、むしろ「逆数」による貴重な学びが始まっていく。
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自在 (2018.1.12 0:26)
「4(閉塞)」という「不自由」があってこそ、ヒトは「5(自由)」をまるで嗜好品のように味わうことができる。
しかし本来セカイとは「0(無自由)」なものであり、それに気づいた瞬間にヒトは「9(自然)」、つまり「自由」という概念からも自由になれる。
それこそが「自在」であるということ。
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ラスボス
(2018.1.11 8:27)
Q:神様とは何ですか?
A:ヒトが人生というRPGを楽しみ尽くすために作ったラスボス
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開運しない (2018.1.11
8:17)
僕が数多の占い師と大きく異なるのは、いわゆる「開運」のための行動を一切行わないことかな。
運が良ければ生き残るだけ。
運が悪ければ死に去るだけ。
生き死にが軽やかになれば、そもそも「開運」の必要がなくなる。
生き死にがあまりにも重過ぎるから「運」にこだわっちゃうんだよ。
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「1」を出せる人 (2018.1.10 12:36)
「1(衝動)」の人を鑑定していて、そのまんま「1」を出せる人の少ないこと少ないこと。
大抵は逆数である「8(自制)」を前面に出し、「1」は奥底に仕舞われたまま。
「1」を「8」で抑え込むことが美徳とされる構造の中で育っていけば、どうしても自らの「1」を悪役に仕立てあげるのも無理はない。
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「問い」への反応 (2018.1.10 9:02)
「7(問う)」というクエスチョンに対して、逆数の「2」は(唯一の)正しい答えを丁寧に思考しながら結び付けることで、世界に美しきコスモス(秩序)を顕現させるイメージ。
一方その「7」に対して、補数の「3」は正誤に関わらず思い付きを発表することで、新鮮なカオスを世界に産み落とすイメージ。
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ヒトとマシンの違い (2018.1.9 22:18)
ヒトによる占いとマシンによる占いの差は「占いを断ってくれるか否か」じゃないかな。
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考え過ぎ (2018.1.9 21:52)
過剰な「2(静の思考)」は、思考する側と思考対象との「結び過ぎ」につながる。
過剰な「7(動の思考)」は、思考する側と思考対象との「解(ほど)き過ぎ」につながる。
「2」ばかりだと盲信となり、「7」ばかりだと懐疑となる。
つまりベクトルは違えども、どちらも「考え過ぎ」ということだ。
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「9」という「天気」
(2018.1.8 22:54)
そういえば今日のダイスリーディングでは「9」の人を「天気」と称する機会が多かった。
海流・気圧・気温などにより千変万化する「天気」を血眼になって読み解こうとしても、素人にはなかなかできるもんじゃない。
環境に憑依されやすい「9」に意志や意図を尋ねても、意外な肩透かしを食らうかもね。
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七草がゆ
(2018.1.8 20:29)
暦を「だいたい」で生きる僕なんだから、もちろん七草がゆは今日の晩御飯だよね。
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おせち作り (2018.1.7 15:53)
「おせち作りをやめる勇気」を持てるといいね。
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ぐだぐだ (2018.1.7 15:16)
そもそもレギュラーという枠自体があやふやであり、イレギュラーをも何となく味方につける「ぐだぐだ」という「9」的概念、僕は嫌いじゃないよ。
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イレギュラー (2018.1.7 12:09)
偶数(静的・秩序・カタチ・オトナ)とは「レギュラー(規則的な)」の象徴。
対する奇数(動的・混沌・チカラ・コドモ)とは「イレギュラー(不規則的な)」の象徴。
偶数性が強ければ「イレギュラー」が敵となるし、奇数性が強ければ「レギュラー」こそが敵となる。
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人生の岐路 (2018.1.6 12:06)
よく「人生の岐路に立つ」と言うけれど、これって自らが勝手に「岐路」と思い込んでいるだけだったりするね。
「1(衝動・意志)」的に生きているヒトには、そもそも「岐路」は生まれないから。
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仕事始め (2018.1.5 11:56)
別に「仕事始め」をそのまま「仕事納め」にしちゃってもいいんだぜ。
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忘れる
(2018.1.4 23:23)
「9」の「忘れる」は記憶が「ぼやける」とか「にじむ」とか「薄れる」イメージ。
「0」の「忘れる」は記憶そのものがきれいに「消える」イメージ。
「9」は「温かい儚(はかな)さ」、「0」は「冷たい儚さ」と言い換えてもいい。
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相対ゲーム (2018.1.3 14:34)
「1(衝動)」と「8(抑制)」
「3(自愛)」と「6(他愛)」
「5(変化)」と「4(安定)」
「7(検証)」と「2(信用)」
これらの相対を「9(全体・自然)」へと緩やかに統合させ、相対ゲームからの卒業を図る。
しかし「9」からは新たに「0(虚無)」という相対が生まれ、次のゲームが始まる。
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今年こそは (2018.1.1 22:50)
今年こそは「元日にその一年の運勢を占っても、次の日にはすっかり忘れてしまうヒト」になれるように頑張ります。
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風雲児たち
(2018.1.1 21:50)
「風雲児たち」における前野良沢と杉田玄白の対比が面白かった。
『解体新書』の翻訳を未熟と捉え、更に磨きをかけるために出版を控えようとした「6」マインドの良沢。
何よりもまず出すことが大事であり、未熟な部分は後世に必ず補われると断じた「3」マインドの玄白。
「表現」の永遠のテーマだ。
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2018年
(2018.1.1 12:00)
2018年は「2」の年であり、逆数は「7」。
いま繋がっている(分け隔てている)ヒトやモノを「本当にこれで合っているのだろうか?」などと再検証し、その結果に基づいて再判断するのが今年のテーマ。
婚姻・友情・契約・同盟などの「連携」、別離・絶交・破棄・敵対などの「分離」を再検証しよう。
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