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数秘術関連等ツイート(2017年2月分)

 

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違い (2017.2.28 9:31)

 

【数学】1+1=2

【数秘術】「1」+「1」=2つの「1」

 

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ただ在ること (2017.2.26 14:18)

 

アメリカの詩人で「1」のE・E・カミングスが語った言葉。

もし、ただ在ることができるのなら、ただ在りなさい。もし、そうでないなら、元気を出して他人の仕事に首を突っ込み、自分が脱落するまで他人にちょっかいを出せばいい

1」とは「存在」そのものであり「行為」ではない。

 

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「9」は「醸成」 (2017.2.26 14:09)

 

9」とは「醸成」の数。

奇数というチカラを加え過ぎず、偶数というカタチを与え過ぎず、それら人為人工の手を少し離れて、無為自然という時に委ねてみることで自らをゆっくりと醸(かも)していく。

そうして「醸成」された人生からは、さぞかし芳醇な香りが漂ってくることだろう。

 

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補充を焦る「4」 (2017.2.26 13:56)

 

これは偶数性(静的・秩序・カタチ)の強い人全般に言えることだろうが、特に「4」マインドの強い人は自らが定めた「」の中身が減ることに極めて敏感となる。

評価点数、貯金残高、電池残量などのいわゆる「量数」における「枠(基準値)」に支配され、減り始めるとすぐに補充しようと焦り出す。

 

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「線」ばかり見る (2017.2.26 10:01)

 

2」という数は自他を繋ぐ「」であり、「2」マインドが健全であれば繋がった先にいる相手をきちんと見つめ大切にする。

しかし「2」マインドをこじらせると相手そのものではなく、関係性という「」の状態ばかりをやたらと気にするようになり、肝心の相手が目に入らなくなっていく。

 

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野性の王 (2017.2.25 13:37)

 

1」とは正に「野性の王」。

何かに向かう時は周囲の制止の一切を振り切って、ひたすら真っ直ぐに突き進む。

何かから逃げる際は周囲の叱咤の一切を振り切って、ひたすら真っ直ぐに逃げ切る。

1」とは「動的直観」であり、ただ「生存する」という衝動そのものが「1」を支える矜持だ。

 

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プレミアムフライデー (2017.2.24 11:42)

 

9」の日にスタートした「プレミアムフライデー」は正に「9」の如く有耶無耶なまま終わりそうな予感。

 

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文句 (2017.2.24 9:04)

 

6」マインドから「3」マインドへの文句「恥ずかしげもなく、生みっぱなし出しっぱなしなんてよくもまぁ…

3」マインドから「6」マインドへの文句「容赦なく削り取っちゃったから、せっかくの良さが台無しじゃんか…

 

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未熟者の自粛 (2017.2.24 8:29)

 

6」マインドが強過ぎる社会、つまり対象の未熟さを窘(たしな)める意識の強い社会において、技術レベルを問わずに発信・発表を試みる「3」マインドは肩身の狭い思いをする。

6」マインドは自他の完成度を高めるために必要だが、それが過剰だと「3」マインドが抑圧され、自粛してしまう。

 

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「8」の秩序志向 (2017.2.23 22:36他)

 

集団の中において自らを巧みにコントロールし、集団内の一機構として正しく機能しようとするのが「8」マインドという秩序志向

そんな「8」が集団のトップに立ったなら配下全てのコントロールを強く志向するだろうし、逆に集団の末端であれば自らを歪なき歯車として辛抱強く律していくだろう。

8」マインドという秩序志向・集団性維持志向が強まると、逆数「1」マインドという混沌志向・個人性確立志向の健全性が脅かされていく。

8」マインドが過剰な人がトップに立てば「1」マインドは暴走しワンマンとなり、逆に末端に甘んじると「1」マインドは抑圧され自己の過小評価に至る。

 

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地球型惑星発見 (2017.2.23 16:20)

 

2017年2月22日、つまり「7」の日にNASAが地球型惑星を7個発見と発表。

そのうち3個の惑星は生命がいる可能性ありとのこと。

3」には「活動・産生・繁栄」などの象意があるけれど、それも含めて実に数秘術的にこじつけやすい新発見だね。

 

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意志の光 (2017.2.23 11:19)

 

」のせいにすることで問題を外在化しているうちは、問題に振り回され続けるだけだからね。

」とは「意志の光」なんだから。

 

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正義の暴走 (2017.2.23 10:57)

 

いわゆる「正義の暴走」とは「偶数性の暴走」でもある。

2(関係・信奉・従属)」
4(伝統・遵守・継続)」
6(倫理・責任・奉仕)」
8(自制・忍耐・団結)」

これら社会秩序の維持に必要な偶数性を殊更に持ち上げ、そして過剰に強いてくるのはただの「暴力」でしかない。

 

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「2」は「言葉」 (2017.2.22 11:45)

 

二者が互いに言葉を交わすことから「言葉」というものに「2」のイメージを当てはめることができる。

でも言葉を交わす云々の前に、言葉そのものが別々なもの同士を繋ぎとめたり、一つのものを分け隔てたりする機能を持つ。

だからこそ言葉というものは「2」というイメージが最も相応しくなる。

 

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婚約の日 (2017.2.22 9:49)

 

今日は「2」だらけの2/22だね。

そして2+2+2=「6」になるね。

これを数秘術で翻訳するならば『美しき約束』かな。

てなわけでこれからは2/22を『婚約の日』とでもするといいよ。

 

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「神」を穢す行為 (2017.2.22 8:27)

 

神の使い」とか「神の近くにいる」とか、とかく「」という語をまるでミンクのように自らに纏うヒトの中には、「」と「」の間に交流不可能な壁を設け、俗な人々を完全に見下してしまうヒトもいるね。

そういう行為こそが「」を穢すということなんだろうな。

 

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「切る」覚悟 (2017.2.21 16:02)

 

2」は「繋ぐ」でもあり「切る」でもある。

そんな「2」という数が教えてくれる大切なことは、縁を「切る」覚悟を持った者だけが本当の意味で縁を「繋ぐ」ことができる、ということかな。

 

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全体(尊重)主義 (2017.2.21 11:22他)

 

個人(尊重)主義」の爛熟による社会の非効率化(面倒臭さ)に腹を立てる人々が「全体(尊重)主義」へと逆行し、古き良き社会の効率性を取り戻そうとする動き。

もちろん彼らはそんな効率性の暴力で流れた個人の涙には目もくれないだろうし、全体の利益のためひたすら良い歯車となるべく励む。

でも、本当の意味で「全体(尊重)主義」を志向する人々は自らが良い歯車になることなど夢にも思っていない。

彼らは彼ら自身の「個人(尊重)主義」を満喫し、他の人々を良い歯車にさせようと叱咤していく。

 

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「神」は「点」 (2017.2.21 9:42)

 

人々が神事や祭りを行うたびに「」は意識の中に立ち現れるが、日常に戻ると「」は意識から居なくなる。

つまり「」とは連続した存在ではなく「」的な存在なのかもね。

 

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特異点「0」 (2017.2.20 12:26)

 

ただただのんびりと生きていきたい」という明確な目標のない生き方。

こんな「9」的な生き方を目指していくと、日常という色合いがどんどんと淡くなり、やがては逆数「0」という特異点が現れる。

このブラックホールはあらゆる意味や意義を吸い込んで「虚無」へと変換する強敵だ。

 

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「6」で「3」を補う (2017.2.18 16:24)

 

3(自らを愛おしむ)」が足りない場合、逆数の「6(他者を愛おしむ)」に励むことにより、それを「3」へと転化し不足を補う。

それとは逆に「6」的な人や行為に反発することにより、自らの中の足りない「3」を際立たせる。

どちらも「6」を借りて「3」を補っていることに変わりはない。

 

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「念」の矢 (2017.2.18 15:56)

 

占い師とは相談者の放つ様々な「念(願望から生まれしもの)」のを避け続ける存在なんだと思う。

もしそんな矢がまともに刺さったなら、占い師の方が致命傷を受けてしまう。

相手の放つ「」のを避け続けられる自信と覚悟のある者のみが占い師を続けるといいよ。

 

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温(ぬる)める (2017.2.18 15:45)

 

自らの熱々な「理想」を叶えるべく必死に頑張るのもいいけれど、温(ぬる)やかな現状を後付けで「きっとこれが理想だったのかもな」などとごまかす生き方もそれはそれで悪くないと思うよ。

そうやってヒトは「差異」によって生じる苦しみを均して緩和することができるわけだし。

 

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わからない (2017.2.18 15:20)

 

書いてあることが「わからない」というのは、当人の読解力云々の前に「わかる必要に乏しいから」という理由かも。

当人にとって、その書かれていることが本当に必要であるならば、大きくくちばしを開けてエサを待つひな鳥みたいに「わかるために頑張る」ことができるようになるのだろう。

 

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アンチブロック (2017.2.18 14:44)

 

抑圧、緊張、圧迫、そして「ブロック」、これらは全て偶数(静的・秩序・カタチ)的なもの。

それらを解き放とうとする衝動や感情発露、そして「アンチブロック」、これらは全て奇数(動的・混沌・チカラ)的なもの。

しかし「アンチブロック」も固執し過ぎれば「ブロック」へと転化してしまう。

 

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鈍く、鋭く (2017.2.18 14:25)

 

他者や社会との関係性への感覚の鋭さを「4(静の感覚)」を用い、少しずつ鈍くさせていくワーク。

呼吸や歩行など日常の所作への感覚の鈍さを「5(動の感覚)」を用い、少しずつ鋭くさせていくワーク。

これらを行うことで自らの中の「4」と「5」が混じり合い「9(統合)」が生まれていく。

 

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二つの「主人」 (2017.2.18 12:23)

 

社会という主人からの見えない要請を受け、自らが社会の代理人となって自他をコントロールしていくのが「8」マインド。

主人はあくまでも自らだけであり、社会からの見えない要請にも従わず、「自らで在る」ことを貫き通すのが「1」マインド。

 

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「群れて」嫌う (2017.2.17 20:52)

 

一個人」に堂々と真正面から向かい合えない弱いヒトほど、特定の人種や国籍を嫌うね。

そして弱いヒトほど「群れて」嫌う。

 

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「始まり」の前 (2017.2.17 15:51)

 

1」は正に「始まり」だけれども、これは「始まりとしてのチカラ」として捉えられる。

つまりそれより前には「チカラともカタチとも判然としない始まり」が存在し得るが、そんな判然としない存在を認識することはできない。

これが「1」の前の「9」であり、かつ「0」でもある何かだ。

 

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無極にして太極 (2017.2.17 15:44)

 

無極(むきょく)にして太極(たいきょく)」という表現。

太極とはつまり「万物の根源」を指し、上の表現は「太極とは無である」というニュアンスとなるけれど、もし逆数秘術でこじつけるなら『「0」にして「9」』といったところかな。

僕は太極を「1」よりもむしろ「9」と捉えるね。

 

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なぜオープンか? (2017.2.17 15:07)

 

後藤さんはサイトに惜しみなく逆数秘術について書いていますが、どうしてそんなにオープンなのですか?」などと先日のレッスンにて尋ねられた。

逆数秘術のベースはあくまでも現代数秘術であり、先人の知恵を拝借している以上、それを「所有」することはできない…そんな風に答えたと思う。

 

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名刺のサイズ (2017.2.16 14:31)

 

自らの名刺を作る際にたぶん最も重要となるのが、名前の文字のフォントや大きさ、レイアウトなどではなく、相手の名刺整理を妨げぬよう「一般的な名刺のサイズで作る」ということ。

つまり名刺交換とは「自らという個性を社会に合うサイズにきちんと整える」ことの第一歩なんだろうなとも思う。

 

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やり取り数信仰 (2017.2.16 14:22)

 

2」とは二者を繋ぐ(分ける)「」であり、もし二者が繋がったなら両者の間で何らかのやり取りが交わされていく。

それはモノだったり、言葉などの情報かもしれない。

その交わされるやり取りの数が、繋がった「」を太く丈夫にしていく、という信仰に囚われやすいのが「2」の強い人。

 

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ぺふぺふ病 (2017.2.15 13:15一部改変)

 

出家した清水富美加が自らの状態を「ぺふぺふ病」と名付けたけれど、これはまるで「9(充足)」が逆数「0(虚無)」へと転化していく途中経過みたいだ。

 

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金正男暗殺 (2017.2.14 20:28)

 

暗殺の一報が流れた金正男氏は、今占いクラスタに全力で占われていることだろう。

 

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アンガーマネジメント (2017.2.14 16:07)

 

怒りのコントロールを指す「アンガーマネジメント」という言葉はまさに「8」的。

逆数「1」という感情化する前の「怒り」、つまりケモノ(野性)としての本能的興奮状態を客観的に認識・整理・把握することで「8」というシステムに置き換え、ヒト(理性)が扱いやすいものへと変えていく行為だ。

 

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老人の暴走 (2017.2.14 15:52)

 

老化により脳の前頭葉が萎縮すると感情等の制御が難しくなり、たとえば気配り上手だった人が急に傍若無人になることもあるという。

また社会との関わりが薄れることで自己肯定感が低下し、溜まった不満や不安が怒りに転化しやすくなるという。

偶数性の衰えにより、奇数性が暴走し始める。

 

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素っ裸の「我」 (2017.2.14 14:27)

 

1」という「」は国籍や職業などの「属性」を纏わない、言わば素っ裸の「」だ。

それら「属性」を借りることなく、自らという「」をそのままに表し、そしてそれを自らが認めていく。

それが「1」であるということ。

 

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ハッピー? (2017.2.14 10:10)

 

バレンタイン」はいつから「ハッピーバレンタイン」なんぞになったんだ?

絶望を味わう人だって多かろうに。

 

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学ぶ=領土拡大 (2017.2.13 21:04)

 

たりあさんは「学ぶ」=「領土拡大」とも記していたけれど(参照)、「自由を獲得する」ことも併せて凄く「3」なイメージ。

興味の範囲を広げていくことで、自らを愛しむための材料が集まっていく、それが「学ぶ」ことの本質かもね。

 

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自縄自縛 (2017.2.13 14:49)

 

8」マインドを言い表す言葉の一つに「自縄自縛」がある。

これは自らの言動・信条・行為などにより自由な動きができなくなる意を持つが、「8」マインドが更に強まると他人の言動や信条すらもセルフコントロールのために酷使してしまう。

その姿はきっと操り人形の様に見えることだろう。

 

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置き去りにしよう (2017.2.13 12:24)

 

恋人や配偶者とただ「別れる」というのは、互いが同じ場所に居ながらもカーテンで仕切るようなものであり、透けて映るシルエットが気になってしまう。

もっと未来へと向かいたいのなら、相手を「置き去りにする」といい。

相手を下の階に残したまま、こちらは上の階へと向かっていく。

 

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反省モード (2017.2.12 15:40)

 

7」という数の中には「自分自身」と「自分が過去にしでかした行為」とがカオスに入り組んでいる。

この両者をうまく分けられないことにより、生きること自体が反省モードとなってしまうのが「7」マインドの強い人。

その両者をスパッと切り離し「"いま"こそが自分の本体」と定義し直す。

 

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過去と和解せよ (2017.2.12 15:32)

 

7」から「9」へと向かう道に立てられた看板には「過去と和解せよ」と書かれている。

つまり「自分」と「自分のしでかしたこと」とを切り離し、前者が後者を正しく制御する「8」の作業を行うということ。

そうすることでカオスな「7」から「9」の緩やかな統合(自己の赦し)に到着する。

 

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消え去る夢 (2017.2.12 12:20)

 

夢を観たはずなのに、目覚めた瞬間からその記憶は曖昧なものとなり、起床して日常を始めるとすっかり消え去ってしまう。

これってすごく「9」なイメージだけど「そもそも初めっから夢なんぞ観てはいない」という「0」との違いは実に曖昧模糊としたものだね。

」と「」の曖昧な同居だ。

 

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ポエムな占い (2017.2.12 11:54)

 

あなたには○○が訪れる!」などというような明確な物言いの占いと、ポエム形式の曖昧な物言いの占い。

前者の「占者の解釈が絶対であり勝手な翻訳は不可」に息苦しさや不自由を感じた人が、後者の「受け手が自在に自らのリアルへと翻訳できる」という自由へと向かうケースは少なくないね。

 

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ダイス講座での課題 (2017.2.11 18:40)

 

今日の講座で生徒さんに「トランプ大統領下のアメリカ」について占ってもらった。

知性主義による大反省&大検証モード(7)、反知性主義による過去政策のリセット祭り(0)、分断すれども連携を諦めず(2)、最後は霞みがかった見通せぬ世界の実現と果てに待つ相互の赦し合い(9)か。

 

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入口と出口 (2017.2.10 21:19)

 

」は入口

その「」が持つイメージを通して自らの内側へ入り込む。

」は出口

その「」が持つイメージを用いて自らの外側へ曝け出す。

 

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輝く奥床しさ (2017.2.9 21:23)

 

奥床しい態度。
慎ましやかな佇まい。
殊更に主張しない美。

世の中が「3」という「魅せる(見せる)美」や「盛る美」で溢れれば溢れるほどに、上記のような「6」という「魅せぬ(見せぬ)美」や「削ぐ美」はむしろその輝きを増していく。

 

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「学」に漂う権威性 (2017.2.8 15:08)

 

数秘術」も「数秘学」も同じ「Numerology」だけど、好んで「数秘学」という名称を用いるヒトはその名称に漂うアカデミックかつサイエンスティックな権威性を好んでいるのかな、という印象がある。

僕は「術(アート)」としての「数秘術」という名称を好むし、「数秘」でもまぁいいよ。

 

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引き寄せる覚悟 (2017.2.8 12:36)

 

求めるものを「引き寄せる」ためには、基本的に引き寄せたいものの重さ・大きさに適った力量を身に付けるか、または引き寄せたいものをコンパクトにするかのいずれか。

これ以外の方法(祈る等)で引き寄せるのは正に運頼りであり、それはつまり引き寄せられなくてもその現実を受け容れる覚悟だ。

 

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本当はやりたくない! (2017.2.8 10:01)

 

自分は本当にそれがやりたいのか?

そうではなくて実は周囲(人々・環境・事態)から無形の脅迫を受け、それをしなければならないという気持ちを「やりたい」などと無理に転化しているだけではないのか?

自分の中の「本当はやりたくなんかない!」を無視しないようにしなきゃ。

 

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守破離の「離」 (2017.2.8 9:45)

 

4(継続・安全・守る)」には「4」の道理があるし、「5(革新・冒険・破る)」には「5」の道理がある。

この対立する二つの道理を自らの中で宥(なだ)めて仲直りさせ、対立を超えた新たな道理の礎にする。

それが「守破離」の「」、つまり「9(離れる)」という双極の和解的別離だ。

 

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守破離 (2017.2.8 9:30)

 

茶道や武道などにおける「守破離」。

既存の型を「守る」という「4」。

既存の型を「破る」という「5」。

そんな型から「離れる」ことで自在となる「9」。

双極である「4」と「5」が対立をやめ、共に認め合い混じり合い、新たな流儀が生まれていく過程こそが「守破離」だ。

 

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同音 (2017.2.7 20:45)

 

ベトナムでは「7(漢越語でthãt)」は「(漢越語でthãt)」に通じるため忌み嫌われるという話を先ほど知った。

日本や中国でも特定の数を忌み嫌う旧習は残っているけれど、この「同音(に近い)」のもの同士を概念の違いを越えて結び付ける行為からヒトはいつ卒業できるんだろうね。

 

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解釈し直せる (2017.2.6 20:58)

 

夢にしても占いにしても、重要なのはそれらの解釈そのものではなく「解釈し直すことができる」ということだと思う。

 

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「便宜的」なもの (2017.2.6 13:48)

 

そもそも数秘術における「生年月日」というものは、初めから絶対的な意味を持っているものではなく、あくまでも数秘術を用いる人々が便宜的に意味を持たせているだけ、と僕は捉えている。

だから「便宜的」なものに必要以上に縛られなくてもいいと思うんだ。

 

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「神秘」に逃げない (2017.2.6 13:23)

 

神秘」や「スピリチュアル」という概念をほとんど用いることなく数秘術を深めていくというのは、なかなかに難しいものがある。

でも、それらの概念に逃げないことにより、今までにない新たな数秘術を生み出しているという自負はあるね。

 

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「アート」ではない (2017.2.5 12:53)

 

テレビにていわゆる「ホームレス排除アート」を取り上げている。

街中にアート作品っぽく築かれたそれらは「アート」などではなく、街中にホームレスがたむろすることを好まない者たちの意志によって用意された「デザイン」に他ならない。

そこに「アート」の自由精神は欠けらもない。

 

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苦手のレッテル (2017.2.4 12:32)

 

自らが過度に意識してしまうものに対して「苦手」のレッテルを貼ることにより、そのものから自らを安全に遠ざけるのも一つの戦術だよね。

 

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美味しい「事実」 (2017.2.4 12:25)

 

真実」とは、その人にとって美味しいと感じる「事実」のこと。

もしその「事実」が不味ければ「真実」とは認定されない。

 

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さらけ出すペルソナ (2017.2.4 12:20)

 

僕は普段、奇数(動的・混沌・チカラ)の「3」は自らをオーバー気味にさらけ出すことであり、偶数(静的・秩序・カタチ)の「6」は自らを慎むペルソナであると捉えている。

しかし某所で「自らをさらけ出すのもペルソナ」という考えを見かけ、そう言われてみればその通りだなと思った次第。

 

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幸不幸という相対性 (2017.2.3 23:41)

 

自らが「幸せである」と感じるためには、そのすぐ近くに「幸せではないもの」を用意する必要がある。

自らが「幸せではない」と感じるためには、そのすぐ近くに「幸せであるもの」を用意する必要がある。

 

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恵方 (2017.2.3 12:41)

 

1」マインド「私が進む方向こそが恵方さ!

5」マインド「あえて恵方の真逆に向かってやるさ!

9」マインド「もう全方向恵方ってことで!

 

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ぼんやりとした縁 (2017.2.2 14:22)

 

友人を含む人間関係を「2」的に、つまり信頼や約束などで強固に結び付くほど、どうしても逆数「7」が湧き上がって懐疑的になったり、補数「8」を用いて関係を操ろうとしてしまう。

だから僕は「9」的に、つまり繋がっているかどうかが曖昧な「ぼんやりとした縁」として関係性を緩めている。

 

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「9」から「1」へ (2017.2.2 13:48)

 

あらゆるものが溶け込んだ「9」という「円(球)」は、その場からはるかに遠ざかることによって「1」という「」へと姿を変える。

そんな「9」から「1」、つまり「終わり」から「始まり」、「」から「」へと移りゆく途中に「0」というポイントを通過し、イメージがリセットされていく。

 

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時間 (2017.2.2 12:37)

 

奇数(動的・混沌・チカラ)マインドの持ち主は「自分(主観)の時間」で生きる。

偶数(静的・秩序・カタチ)マインドの持ち主は「周囲(客観)の時間」で生きる。

偶奇両有である「9」マインドの持ち主は「時間」そのものを溶かして生きる。

 

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性格の悪い人 (2017.2.2 11:26)

 

僕は「性格」というものを「内外の環境からの刺激に対する反応パターンの総称」と捉えているので、いわゆる「性格の悪い人」と見られがちな人に対してその責を100%当人に帰することには違和感を覚えるんだよね。

だから「性格」を変えるためには「環境」を変えるのが一番手っ取り早いと思う。

 

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問いと答え (2017.2.1 22:48)

 

2」マインド「答えのない問いなんて良い問いじゃない!

7」マインド「問いには必ず答えがあるとは限らないぞ!

 

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「2」から「3」へ (2017.2.1 21:10)

 

2」の入力から「3」の出力へ。

2」の反復から「3」の応用へ。

2」の模写から「3」の変異へ。

2」というコスモス(秩序)から「3」というカオス(混沌)への逸脱、つまりそれがアート

 

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自分を叱らないで (2017.2.1 15:53)

 

8」マインドが強過ぎて過剰に自制してしまう人に僕から言えることは「自分で自分をこれ以上叱らないで」ってことかな。

 

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個別体験の一般化 (2017.2.1 15:44)

 

いわゆる個別体験(例:とあるカテゴリの人から人格攻撃を受ける)を一般化(例:そのカテゴリに属する全ての人からの人格攻撃を恐れ敵視する)するのは人間の防衛反応とはいえ、相互理解の大きな妨げになるよなぁ。

これは占星術や数秘術を扱う人も気を付けなければいけないポイントだね。

 

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「3」の「止揚」 (2017.2.1 15:32)

 

たとえばバラエティ番組に超強面の俳優をセッティングするように、正反対のものをあえて組み合わせることで今までにない新たな価値を生み出していくのが「3」という「止揚」なんだろうな。

 

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数秘術を深めるには (2017.2.1 15:05)

 

数秘術を学ぶためには数秘術本を読めばいいけど、数秘術を深めるためには数秘術本以外の本を読まないとね。

 

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装置 (2017.2.1 11:07)

 

僕は「」をヒトが産み出した「全てのものに意味を与える装置」だと捉えている。

 

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漠然とした「厄」 (2017.2.1 11:02)

 

厄年」における「」という概念の何が不親切かって、それが表し得る範囲が広過ぎることだね。

」というあまりにも漠然とした概念に振り回される必要はないよ。

 

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