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数秘術関連等ツイート(2016年12月分)

 

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咲けないのなら (2016.12.31 8:45)

 

置かれた場所で咲きなさい」の著者が亡くなったとのことだけど、とりあえず僕が提唱したいのは「咲けないのなら移しなさい」だな。

 

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「本」に煽られない (2016.12.30 17:15)

 

」に煽られない生活を送るだけで、だいぶラクになるね。

 

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ありふれて消える (2016.12.30 10:45)

 

何かが「9(ユビキタス・遍在)」に近付けば近付くほど、その何かは逆数「0(無化)」へと転化する。

何かが世の中に満ちてありふれたものになればなるほど、人々の意識の中からその存在感が消えていくということ。

 

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今年の総括 (2016.12.29 23:49)

 

今年初めの抱負「生きる

今年半ばの経過「生きてる

今年最後の総括「生きれた

 

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ぐちゃぐちゃな年 (2016.12.29 22:59)

 

偶奇両有・カオスモスを表す「9」の年である今年は、様々な出来事においてカオス(混沌)だと思い込んでいたものが実はコスモス(秩序)であり、コスモスだと思い込んでいたものが実はカオスだったということに気付かされた年だったなぁ。

 

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「9」から「1」に繋ぐ (2016.12.29 16:44)

 

2016年は「9(終焉)」の年だったけど、だからと言って別に「9」な出来事ばかりが起こるわけではないからね。

この1年の中で起きた「9」な出来事に焦点を当てることで、見えてくる何かがあるよってくらいに思えばいいよ。

その見えたものを次の「1(始動)」にどう繋げるかが大事。

 

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ソーシャルのしんどさ (2016.12.28 18:10)

 

FGO(Fate/GO)の開発コンセプトの一つ「ソーシャルより、パーソナル」はホント大事なポイントだと思うよ。

ソーシャルという「連携・比較・競争」のしんどいことしんどいこと。

 

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魚の小骨 (2016.12.27 16:29)

 

時折、他者の言葉が「魚の小骨」のように突き刺さることもあるわけで。

そんな時はご飯のように美味しい言葉で小骨をゴクリと押し流すか、あるいはピンセットのように的確な言葉で小骨を丁寧に取り除くか。

そもそも魚を食べない(なるべくコミュニケーションしない)という道もあるよなぁ。

 

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感情の秩序化 (2016.12.25 16:42)

 

3」は感情の奇数(動的・混沌・チカラ)化であり、「6」は感情の偶数(静的・秩序・カタチ)化であると言える。

つまり「6」の象意に属し得る倫理や道徳とは言うならば「感情の秩序化」であり、その調った様にヒトは「」を見い出し、秩序を乱すカオスという名の個性はその存在を否定される。

 

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確率 (2016.12.25 15:38)

 

確率」というものを有効に使えるパターンは、あなたがその行為を一万回試せるか、あるいはあなたが一万人存在するかのどちらかだ。

つまり一度や二度の行為において「確率」とは何の当てにもならないし、「確率」を理由に何もしないでいるのは実にもったいない限りだ。

 

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VR (2016.12.25 9:48)

 

最近は「VR(バーチャルリアリティ・仮想現実)」が話題になっているけれど、今までのヒトだって自らの主観によって都合良く「リアル」を切り貼りしながら「そのヒトの世界」を創ってきたわけだから、そういう意味では昔からずっと「VR」なんだよ。

 

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女たらしと奥手 (2016.12.24 14:07)

 

女誑(たら)しの「1」もいれば、奥手の「1」もいる。

前者は自身の逆数である「8」、つまりコントロール欲求を外に向ける(他者支配)ことで満たしていく。

後者は「8」というコントロール欲求を内に向ける(自己抑圧)ことで満たしていき、その言い訳として外(他者)に仮想の恐怖を創る。

 

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合わなくて当たり前 (2016.12.24 13:23)

 

あの人とは考え方が合わない」という表現は「考え方が合う」ということが前提となってしまっているのがとても厄介だ。

そもそも自らの中でも様々な考え方が矛盾したまま同居しているというのに、自らと他者とのそれがマッチングする方がそれこそ奇跡というもの。

合わなくて当たり前だ。

 

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実の諦念・虚の諦念 (2016.12.24 13:14)

 

9」は「実の諦念」であり、「0」は「虚の諦念」。

全ての数の要素を無尽に使いながら、人生をこれでもかというくらいにしぶとく生き抜いた後に漸くにして訪れるのが「9(実の諦念)」。

そんな「9」の境地をショートカットで手に入れようとした結果もたらされるのが「0(虚の諦念)」。

 

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問い続けられる強さ (2016.12.24 12:47)

 

たとえ「2」という数の如く特定の何かを信じきり、それと自らとを頑強なロープで結び付けることでの安定を享受していたとしても、自らの中に生じた「」を決して放置したりせず、「7」という数の如くあえて知の嵐で万象を吹き荒らし、自他含めて問い続けられるヒトはとても強いと思う。

 

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飼い馴らされる (2016.12.24 11:47)

 

奇数(動的・混沌・チカラ)という「野性」を偶数(静的・秩序・カタチ)という「理性」でコントロールしていくということ。

でも「理性」で完全に飼い慣らされた「野性」なんて何の役にも立ちはしない。

 

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逃げる勇気 (2016.12.24 11:20)

 

危険に遭遇したら本能的にさっさと逃げるケモノとは異なり、煩わしい倫理観や責任感に縛られてしまい、いざ逃げる際に思わぬ勇気を求められるヒトの如何に面倒臭いことよ。

 

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「運」を良くしない (2016.12.24 11:14)

 

僕が他の大多数の占い師と根本的に異なる点は、いわゆる「」を良くする行為を一切行わないところ。

ヒトはどう足掻いても生・老・病・死の「四苦」からは逃れ得ないわけだし、いくら「」を良くしても死ぬ時はあっさりと死ぬ。

」なんかに拘らず、あるがまま自在に生きていけばいいさ。

 

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ただ観る (2016.12.24 10:21他)

 

2」は「観る」という行為につながるが、更に言うと「凝視する」ということ。

何かをじっと凝視した分だけ、凝視できない「」の部分がどうしてもできてしまい、それは逆数の「7」を用いて推理する他ない。

そんな「2」と「7」を落ち着かせたところに「9」という「ただ観る」が現れる。


観る」を強く意識した「観る」は「2」であり、それはつまり「観る者」と「観られる者」が分かたれること。

観る」をほとんど意識しない「観る」は「9」であり、それはつまり「観る者」と「観られる者」がハッキリと分かたれないこと、ぼんやりと自他含めた全体を「ただ観る」ということ。

 

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盛る・削る・有る (2016.12.23 11:02)

 

3」は「盛る」美。

6」は「削る」美。

9」は「有る」美。

 

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どちらかに (2016.12.22 8:48)

 

奇数(動的・混沌・チカラ)にしても偶数(静的・秩序・カタチ)にしても、彼らは奇数偶数のうちどちらかであろうとする

しかし偶奇両有の「9」は「どちらかであろうとする」ことをやめ、どちらになろうがそれを良しとする。

 

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二つの「真」 (2016.12.20 20:30)

 

」という概念には二つあり、一つは必ず「」とセットとして現れる「相対真」であり「狭い真」。

そしてもう一つは「」と定義できるものすらも内包し、その混じり気のある有様自体を「」であるとする「絶対真」であり「広い真」。

」を必要とする前者、その有無を問わぬ後者の違い。

 

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フレーズ (2016.12.19 12:56)

 

僕の編み出した誇るべきものは「逆数秘術」ではなく「占いとはこじつけアート」というフレーズなんだろうな。

 

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一度きりの人生 (2016.12.19 12:32)

 

一度きりの人生なんだから成功しなきゃ!」と頑張るのもアリだけど、これといった成功もせず無意味にダラダラ生きられるのも一度きりなんだよなぁ。

同じ「一度きり」なんだから、好きな方を選べばいいよ。

 

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フイにする勇気 (2016.12.19 9:31)

 

身近でささやかな何か」を守るために「チャンスをフイにする」勇気って大事だよなぁ。

 

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三歩で忘れる (2016.12.18 17:30)

 

Q:幸せな人ってどんな人ですか?

A:ネガティヴな占いを聞いても三歩歩けば忘れる人

 

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糸電話 (2016.12.18 16:19)

 

異なる二者を繋ぐ「2」というコミュニケーションとはこちらの「1(自我・自尊)」とあちらの「1」とが一本の線を引っ張り合って作る「糸電話」のよう。

引っ張り過ぎれば切れてしまうし、かといって緩め過ぎれば通話ができなくなる。

丁度良い張り具合により「2」というコスモスが実現する。

 

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年甲斐もなく (2016.12.18 16:06)

 

ファミコンやスーファミが我が家にやって来て、年甲斐も無く自分の中の「3(遊べや遊べ)」がワクワクしっ放し。

中年になってから幼年期に遊んだものたちと再会するのはいいものだ。

 

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生かされている (2016.12.18 12:31)

 

森羅万象の中で「」も無く「」も無く融け合うことで「生かされている」と感じる「9」的な感覚。

そんな「9」から「想像(創造)的家出」をして「生きている」という主体性を獲得するのが「1」という自我であり、ここから「」や「」が始まる。

 

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これも不幸 (2016.12.15 23:04)

 

幸せを求め過ぎる」という不幸。

 

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「自由」の定義 (2016.12.12 14:02)

 

通常における「自由」とは「4」的な閉塞から飛び出すことで得られる「5」的な自由をイメージする。

その「自由」は閉塞という「自由ではないもの」があるからこそ「自由」と定義できるのであって、対象としての閉塞が何一つなく本当の意味で自在ならば、それは「自由」と定義できなくなる。

 

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「8」の年 (2016.12.11 18:35)

 

10月から「8」の年に突入した僕だけど、数の象意の如く「うまくコントロールすること」を強く求められる出来事が続くなぁ。

そんな「8」の年はね、自制や忍耐が強く求められる分、逆数である自らの「1(自尊心・衝動性)」が徒らに刺激されてしまい暴走しやすくなるし、既に暴れ始めている感。

 

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「行動」と「目的」 (2016.12.11 12:11)

 

奇数(動的・混沌・チカラ)マインドは先に「行動」への揺るがぬ衝動があり、それに合った「目的」を創り出し、臨機応変に「目的」を変えていく。

偶数(静的・秩序・カタチ)マインドは先に「目的」への揺るがぬ計画があり、それに合った「行動」を創り出し、臨機応変に「行動」を変えていく。

 

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「荒ぶる」と「鎮まる」 (2016.12.11 9:59)

 

奇数は「荒ぶる」、偶数は「鎮まる」と捉える。

1(荒ぶる直観)」と「8(鎮まる直観)」。

3(荒ぶる感情)」と「6(鎮まる感情)」。

5(荒ぶる感覚)」と「4(鎮まる感覚)」。

7(荒ぶる思考)」と「2(鎮まる思考)」。

9」で両者はマーブル状に混じり合う。

 

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自らに喧嘩を売る (2016.12.11 9:25)

 

どれだけ自らの理性的かつ計画的な「8」マインドを駆使して諸事をコントロールしようとしても、自らの野性的かつ衝動的な「1」マインドによっていくらでも不測の事態は起こり得る。

むしろ自らの「8」に対して自らの「1」が喧嘩を売り続けることで、自身の中のバランスを取っているかのようだ。

 

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引退 (2016.12.9 19:06)

 

自らが「7」であり他者をうまく信じられないが故に、「2」の如く本当に信じられる人との繋がりに縋っていく。

でも縋っていた信頼という名のロープが無惨に千切れたなら、自らの「7」は蠢動し始め、他の全てのロープを自ら解き、独り内なる泥濘に潜り始める。

そんな「7」の俳優が引退した。

 

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ヤジ (2016.12.9 13:59)

 

まるで凪の海のような予定調和で議事が進行していく「6(静的美・秩序美)」的な議会。

そんな「6」をかき混ぜてさざ波を作るかのように飛ばされる「3(動的美・混沌美)」的なヤジ。

そんな「3」的なヤジは野卑で下世話で大声で、そしてオーバーな表現でもって予定調和を笑って吹き飛ばす。

 

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「聴く」を作るもの (2016.12.9 12:25)

 

2」という数は「線を引く」という行為そのものであり、相手の話を「聴く」という行為にも繋がる。

しかし真に話を「聴く」ためには相手との「繋ぐ線」だけではなく、その会話に関係ないあらゆるものに「分かつ線」を引き、会話の妨げを排除する必要がある。

二つの「」が「聴く」を作る。

 

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自己愛と自己保全 (2016.12.9 12:19)

 

似てるようで違うのが「3」の自己愛と「4」の自己保全

3」という奇数(動的・混沌・チカラ)は愛する自らの心を退屈させないために危険を冒すこともある。

4」という偶数(静的・秩序・カタチ)は自らの体を守ることが最優先であり、危険から身を遠ざけて退屈を寛ぎへと置き換える。

 

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「6」を避ける (2016.12.9 11:50)

 

自らの「6(他者愛)」をフルに発揮して他者を助けようとすると、途端に他者や社会の粗(あら)が気になり始め、それを調えないと気が済まなくなり、やがてそれは強迫観念として自らに襲いかかり、自家中毒的な自律心に苦しめられる。

それが嫌だから「3(自己愛)」で「6」を避ける人もいる。

 

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どれにもなれる (2016.12.9 11:29)

 

子供たちの持つ可能性は数秘術における「」をはるかに超えるもの。

そう、どんな「」にだってなれるし、どんな「」になったっていいし、そもそも「」に閉じ込めなくてもいいんだ。

 

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オツな一生 (2016.12.8 22:58一部改変)

 

6」という世間的な美意識に逆らい、「3」というカオスにほろ酔い遊ぶ一生もまたオツなものかもしれないね。

 

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FNS歌謡祭2 (2016.12.7 23:15)

 

1」の長渕剛がただ「1」でしかなかった。

ただ「1」でしかなかった。

 

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FNS歌謡祭1 (2016.12.7 22:55)

 

4」の鬼束ちひろが見せる、「4」という狭い壁を逆数「5」の如くひび割りながら躙(にじ)り出るかのようなパフォーマンスを堪能したところで。

FGOのメンテ明けないなぁ。

 

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子供性と大人性 (2016.12.7 12:56)

 

奇数(動的・混沌・チカラ)という「子供性」と、偶数(静的・秩序・カタチ)という「大人性」。

この両者が融和した「9」とは正に「コドナ」であり、「コドナ」とは自他の子供性と大人性を否定せず、共に赦していく人のことだ。

 

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早起きが苦痛 (2016.12.7 12:30)

 

会社が苦痛」という心理を認めたくないあまり「早起きが苦痛」と置き換えてしまっていることってあるかもね。

 

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極まれば、転じる (2016.12.7 8:45)

 

1」という野性や衝動性が極まれば、それはやがて「8」という他者へのコントロール力を帯び始める。

8」という理性や自律性が極まれば、それはやがて「1」という自尊心やカリスマ性を帯び始める。

奇数が極まれば偶数に転じ、偶数が極まれば奇数に転じる。

 

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思考の幼児性 (2016.12.6 18:26)

 

2」とは思考の大人性であり、特定の二者を関連付けし、それを「答え」と定義するが、その作業工程において「妥協」が発生することも。

7」とは思考の幼児性であり、どんなに分かりきったことであっても「なんで?どうして?」と問い続け、子供じみた知の冒険を繰り返す「哲人」の武器となる。

 

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スマイル0円 (2016.12.6 14:45)

 

スマイル0円」という言葉を見る度に思うけど、笑顔も労働だぜ。

 

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偶数への復讐劇 (2016.12.6 12:29)

 

8(自制)」を強いられ「1(自尊)」に走る。

6(教育)」を強いられ「3(奔放)」に走る。

4(継続)」を強いられ「5(破壊)」に走る。

2(関係)」を強いられ「7(孤独)」に走る。

奇数を用いた偶数への復讐劇に疲れ果てた先に「9(容赦)」と「0(虚無)」がある。

 

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「ロック」という敵対 (2016.12.6 10:54)

 

反体制的な「ロック」という音楽を数に喩えるなら「5」となるが、これは逆数「4」的な慣習・保守・伝統に対する反抗であると共に、まるで金縛りの如く常に「4」への敵対を強いられ続ける。

つまり「4」あっての「5」であり、「4」が固ければ固いほど「5」の破壊力も増すというもの。

 

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自らを「固める」 (2016.12.5 22:07)

 

」が「固まる」と書いて「」となるけれど、自身の存在意義や在り方を自力できちんと自らに固着させることでようやく、社会の中で「個人」としてその存在を認められるのかもしれない。

その作業を他人にばかり委ねる人はいつまで経っても「個人」としては認められず、必死に群れ続ける他ない。

 

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パクられないため (2016.12.5 13:32)

 

多くの人々にとってわかりやすい内容のツイートだとすぐにパクられるので、あえて数秘術まみれのわかりにくいツイートを心掛けている」という言い訳。

 

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ユビキタスと無化 (2016.12.5 11:51)

 

インターネットでヒトとヒト、ヒトとモノとがいくら「2」的に「」でつながったとしても、その流れ自体を「7」的に疑い訝しむヒトは一定数存在し続ける。

しかしそれを遥かに超えて「9(ユビキタス〈遍在〉)」へと到達したならば、「2」も「7」も無くなり、在るが無い「0(無化)」となる。

 

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復讐 (2016.12.5 10:13)

 

逆数」とはある意味で最も原初的な「反抗」なのかも。

たとえば幼少期に過度な教育や倫理観などの「6」に支配されたのなら、そんな「6」を恨むあまり逆数である「3」へと向かい、教育や倫理観からあえてはみ出す人生を選ぶなど。

初めに受けた数の支配への精一杯の「復讐」かもしれない。

 

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グループ (2016.12.5 9:59)

 

二人以上で構成される「グループ」とは偶数(静的・秩序・カタチ)的なもの。

関係と区別(2)、慣性と保守(4)、均質と倫理(6)、そして自制と運営(8)に支配される。

その支配を無視し(1)、笑い(3)、抗い(5)、そして疑う(7)のが奇数(動的・混沌・チカラ)的な人々である。

 

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「考える」ために (2016.12.4 17:44)

 

学ぶ」のは「考える」ためであり、「教える」のも「考える」ため。

まさか「学ぶ」のは「学ぶ」ためであり、「教える」のも「教える」ためである、なんてことはないよね?

それだと手段の目的化になっちゃうよ。

 

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脱色 (2016.12.4 17:22)

 

数秘術を哲学や思想体系へと昇華させる、いや、回帰させるというべきか。

少しずつ「占い色」を脱色すべく、ぼちぼちと呟いていく。

 

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叶えるのか否か (2016.12.4 16:20)

 

サンタさんなんかいらない!」という願いをサンタさんは叶えるのか否か。

 

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無意識的な戦略 (2016.12.4 13:56)

 

逆数は「無意識的な戦略」であり、補数は「意識的な戦術」と捉えてもいいかも。

つまり補数は使用の有無を自らの意思で決められるけれど、逆数の場合は自動的に使用してしまうイメージ。

特に逆数は基本数と「双子の数」であり、相方を守るために反射的に庇いだてするようなもの。

 

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「完璧」を小分けに (2016.12.3 23:46)

 

やるからには完璧にやりたい」という「6」マインドが過剰な人は、むしろそのマインドが仇となってしまい、完成の見通しが立たないことを避けてしまうこともある。

初めから全体の完成を目指さず、小さな完成を少しずつ積み重ねる、つまり「完璧を小分けにする」方がうまくいったりもする。

 

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十進法と十二進法 (2016.12.2 11:02他)

 

数秘術を語る上で「十進法(0〜9)」と「十二進法(0〜9,A,B)」の違いは明確にしておきたい。

たとえば「11」という数は十進法ならば「11」となるが、十二進法だと「B」となる。

時制や占星術など十二進法を採用したシステムを数秘術と組み合わせる際には特に注意が必要だ。


時間や占星術のハウス等「十二進法(0〜9,A,B)」のシステムを我々が普段用いる「十進法(0〜9)」で表してしまっているというズレ。

もし厳格に時間を「十二進法」で表すならば10時は「A時」となり、11時は「B時」となる。

つまり「11」を二つの「1」と捉える余地は無くなる。

 

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「懊悩」の始まり (2016.12.2 10:44)

 

とある偶然の不運をまるで必然であるかのように自らに強く「2(関連付ける)」ことこそ「7(懊悩)」の始まり。

 

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「不自由」と「自由」 (2016.12.2 8:18)

 

4」とは四角い壁で囲むことであり「不自由」を表すが、これは「不自由」の内側にささやかな「自由」を作り出すことにつながる。

対する「5」はその壁を破壊して外へ出る「自由」を表すが、これは「不自由」の外側に強く「自由」を求めることにつながる。

 

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既存症 (2016.12.1 19:01)

 

2」マインドをこじらせると関係性への拘りが高じて依存症へと向かうけれど、「4」マインドをこじらせるとあらゆるものを今あるもので何とかしようとする「既存症」へと向かうとか向かわないとか。

 

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幻の「1」 (2016.12.1 10:52)

 

宇宙の始まり(あればだが)にでも立ち会わない限り、本当の意味での「1(一者・完全な自)」には出会えないのではなかろうか。

そういう意味においては「1」とは次の「2(他者との関係性)」が見せてくる幻なのかもしれない。

 

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「つながる」は呪い (2016.12.1 10:27)

 

2」という数は隔たった二者を表す数であり、だからこそ「つながる」という行為の大切さを思い起こさせる数でもある。

しかしこのまるで橋のようなつながりは、その橋を渡る者に対して常に「崩落の恐れ」を抱かせ続ける。

つながる」が故の呪いだ。

 

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大地震が割るもの (2016.12.1 10:15)

 

大地震は大地を割るだけではなく「時間」をも容赦なく割っていく。

たった数秒の隔たりしかなくとも、大地震前と大地震後とではまるで数世紀の隔たりにも思えてくる。

滔々と流れる時間の連続性に復元不可の段差が現れる。

 

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