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数秘術関連等ツイート(2016年9月分)

 

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失せ物を探さない (2016.9.30 12:49)

 

せっかくならば失せ物探しの占術を究めるよりも、失せ物への執着自体を緩和していく術を身につけたいものだなぁ。

 

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メッセージの見え方 (2016.9.30 12:43)

 

様々な占いによる、様々なメッセージ。

毎日を懸命に生きている人にはそれがとても色鮮やかに見えるだろうし、毎日をなんとなく生きている人にはぼんやりと見えるんだろうな。

こうやって書くと前者を望み後者を嫌う人もいるだろうけど、後者が与える穏やかな毎日もそう悪いものではないよ。

 

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敏感か、鈍感か (2016.9.28 16:07)

 

「幸福にも不幸にも敏感」
「幸福には敏感、不幸には鈍感」
「幸福には鈍感、不幸には敏感」
「幸福にも不幸にも鈍感」

さて、どれがいいんだろうね。

 

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アリとキリギリス (2016.9.28 14:49)

 

アリとキリギリス」におけるアリは偶数性の象徴、キリギリスは奇数性の象徴と僕は捉えている。

ここに「2(信仰)」と「7(疑念)」を当てはめると「2」のアリは「頑張れば報われる教」の信者に見えてくるし、「7」のキリギリスは「頑張れば報われる教」を怪しみ疑う者にも見えてくるね。

 

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「占い」の「2」と「7」 (2016.9.28 12:00)

 

占い」という行為は、現在の自らの状況を「象徴の為せるわざ」として関連付ける、つまり「2」によって思考を落ち着かせるものとも言える。

しかし逆に自らが思い込んでいた関連付けを解体して再考察する、つまり「7」によって思考を活性化させるものともなり得る。

どちらも実りをもたらす

 

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アメリカ大統領選 (2016.9.27 19:35)

 

テレビ討論会においてヒラリー・クリントンは自身を計画性のある女性として描き、ドナルド・トランプは自身を変化をもたらす人物として描いた」などとウォール・ストリート・ジャーナルは書いている。

3」のクリントンは逆数「6」を、「4」のトランプは逆数「5」を演じたというわけか。

 

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道 (2016.9.27 15:18)

 

独りで悩み苦しむ、いや、悩み苦しむからこそ「独り」になってしまう「7」マインド。

でもそんな「7」だからこそ自らと他者との間、更には自らと「」との間に逆数である「2」、つまり二者が繋がり合うことによる「」がはっきりと浮かび上がる。

後はその「」をゆっくりと歩めばいい。

 

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「4」の著名人 (2016.9.27 11:32)

 

基本数は「4」だけど逆数「5」をフルに発揮している著名人の例として北野武タモリ石橋貴明忌野清志郎岡本太郎立川談志ホリエモンなどを講座では取り上げてきたけれど、これからはこの中にトランプ氏も入れるとするか。

でも同氏の基本思想はやはり「4(閉鎖的安定)」なんだね。

 

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ライオンかネコか (2016.9.27 0:12)

 

1(獣性)」を「8(理性)」で抑え過ぎないこと。

内なる猛き「ライオン」をただ愛玩されるだけの「ネコ」にしてしまっていないかをチェックするのも有。

 

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トリプルナイン (2016.9.26 22:46一部追記)

 

明日(2016年9月27日)は数秘術的に今月3回目の「9」の年・「9」の月・「9」の日ですが、これが終わると次は2025年9月9日まで訪れませんのでトリプルナインを良く味わってくださいね。

 

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皆が笑う (2016.9.26 20:59)

 

「来年の事を言えば鬼が笑う」
「明日の事を言えば鬼が笑う」
「明日の事を言えば天井で鼠が笑う」
「三年先の事を言えば鬼が笑う」
「来年の事を言えば烏が笑う」

とりあえず占い師は笑われっぱなしということだけは分かった。

 

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復縁 (2016.9.26 13:16)

 

私どうしてもあの人と復縁したい!」と思っている人は、相手との良い思い出ばかりを想起するのではなく、まずは相手との最悪の思い出を脳裏に展示してみればいいよ。

ほぅら、復縁する気が失せてきた。

めでたし、めでたし

 

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モノを持たない暮らし (2016.9.26 9:25)

 

テレビで「モノを持たない暮らし」を取り上げているけれど、モノにはそれぞれ「ストーリー性」、つまりモノを得るまでの心の運動があったわけだから、モノを減らした分だけ別の何かで「ストーリー性」を補う必要があるね。

さもないと心の動きが悪くなり、「」そのものがぼんやりとしてくるから。

 

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インプットの多寡 (2016.9.25 23:43)

 

様々な情報をインプットし、それらを関連付けていくのが「2」という思考のコスモス(秩序)。

そんな「2」が足りなくても、あるいは多過ぎても、「7」という思考のカオス(混沌)の原因となってしまう。

足りなければ「思考の幻」で補い過ぎてしまうし、多過ぎれば今度は決めかねてしまう。

 

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「私」ということ (2016.9.24 22:46)

 

1」マインドとは、誰の力も借りなくても「私は私である」と絶対的に定義付けること。

4」マインドとは、何者にも揺さぶられることなく「私は私のままでいる」と踏ん張ること。

7」マインドとは、周囲の決め付けをはねのけて「私のことは私が問う」と内観へ向かうこと。

 

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「7」の月 (2016.9.24 21:32他)

 

一年を九分割すると、今はちょうど「7」の月となるけれど、みんな「7(思考のカオス)」を味わってるかい?



まぁそもそも「7(思考のカオス)」を味わわずに済む月ってあるのかしら?という話。

 

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ワインとカップ酒 (2016.9.24 14:57)

 

ワイングラスを傾けながらコスモス(秩序)のもたらす美を愛でる。

カップ酒を呷(あお)りながらカオス(混沌)のもたらす乱を味わう。

同じ人生生きるなら前者を目指すヒトの方が多いだろうけど、僕にとって両者の価値は等しい

 

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ソードの3 (2016.9.24 13:42他)

 

ウェイト版タロットにおける「ソードの3」。

ソード(風)を「思考」と捉え、「3」を「拡大」や「表出」と捉えるならば、このカードは「一人勝手に悲しいと思い込み、その悲しみのありのままを見せる」ようにも映る。

感情としての悲しさではなく、無対象の悲しさを思考で吟味している状態。

その「悲しさ」の原因となったであろう対象物は意識から消え去り、ただ「悲しさ」という得体の知れないものが意識を占め始め、それを「悲しさ」と名付けて「そうか…これが悲しさか」などと独り言ちながら味わっていく。

その行為全体が「悲しさ」と定義されていく過程…それが「ソードの3」かも。

 

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幸福の不感症 (2016.9.23 8:33)

 

他人の不幸が好きなヒトというのは単に自らの幸福を相対的、つまり比較の上でしか認識できないということ。

相対的な幸不幸に囚われるというのは、ある意味「幸福の不感症」なのかもしれない。

 

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ケンタウロス (2016.9.22 14:53)

 

半人半馬のケンタウロスは偶奇両有の「9」的な存在。

これは「8」というヒトの理性による制御と、「1」というケモノの野性による衝動とが別個の存在として分けられているのではなく、一個の存在として統合・調和されているということか。

人馬一体よりも更に進んだフュージョンの「9」だ。

 

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確かな「現在」 (2016.9.22 14:39)

 

1(未来)」「4(現在)」「7(過去)」は「」のライン。

期待へと向かう「1」も、記憶へと遡る「7」も、共に奇数(動的・混沌・チカラ)であり、定まりない不確かなもの。

しかし「そこ」で体験する「4」は偶数(静的・秩序・カタチ)であり、定まりある確かなもの。

 

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解きたくなる紐 (2016.9.22 14:16)

 

相手からやたら不自然に「2(関係)」という紐結びを求められると、反動的に自らの中の「7(疑念)」が膨らんでしまい、かえってその紐を解きたくなるということはあるんだろうな。

2」は一歩ずつ、少しずつ。

 

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師弟のコント (2016.9.22 14:05)

 

8」のいかりや長介と「1」の志村けん。

この逆数師弟コンビはきっと双方向で多大なる影響を与え合ったんだろうなと思う。

一発勝負ではなく、小道具からセリフ一行に及ぶまでの全てを徹底して「8(計画・準備)」する志村のコントを見ていると、「8」から受けた影響の強さを感じる。

 

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平和主義もいろいろ (2016.9.22 12:38)

 

平和主義」にもいろいろあって、過剰な「6」マインドのそれは「おせっかい」となるし、過剰な「4」マインドのそれは「事なかれ主義」となるね。

 

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円空仏に金箔 (2016.9.22 0:03)

 

弟子や生徒自身の「見栄」のために、師匠や先生にこれ見よがしな「権威」を与えていくこと。

まるで円空仏に金箔をベタベタと貼るようなものだ。

 

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まるで看守 (2016.9.21 16:25)

 

携帯電話含め至るところにある時計はまるで牢獄の看守みたいだよなぁ。

 

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一つの仕事だけで (2016.9.21 12:09)

 

一つの仕事だけで食べていく教」から脱会するだけで、いろんなことがラクになっていくと思うよ。

 

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インドタロット (2016.9.20 13:11)

 

もしタロットがインド発祥ならば、きっと「Death」の札にはガンジス川のみが描かれるんだろうな。

 

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愛の二極化 (2016.9.18 9:33)

 

自分を愛する」という「3」的な自愛がうまくできない人の中には、そんな「3」を増やした分だけ「他者を愛する」という「6」的な他愛が減ってしまうのでないか過剰に恐れる人もいる。

でも愛を二極化せずに混ぜ合わせて「自分も他者も満遍なく愛する」という「9」的な博愛に生きる道もある。

 

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「現在」しかない (2016.9.18 9:17一部抜粋)

 

現在の意識により想起するからこそ「過去」が現れ、想像するからこそ「未来」が現れる、つまり常に在るのは「現在」しかないという捉え方もあるね。

 

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その時点で大成功 (2016.9.17 23:43)

 

その時はとても面白いと思った趣味だけど、いざ本格的に始めてみたらいまいち続かずに終わってしまった」などと別に悩む必要はないよ。

どんなに美味しいものでも、それをずっと食べ続けはしない。

その趣味をやってみた刹那、それを面白いと思ったのなら、その時点で大成功でしょ。

 

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「老い」を避けない (2016.9.17 17:40)

 

老い」を避けてばかりいると、うまく老いられなくなるよ。

 

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「9(全)」的な自己 (2016.9.17 16:00)

 

自己というものを「1(単)」的なものとして捉えず、「9(全)」的なものとして捉えていく。

すると自己と相対する環境の間の「境界」、更には時間の流れ(過去・現在・未来)の中の「境界」すら薄らいでいく。

自も他も全てが「」となり、今の瞬間が永遠となり、死生の中の悲喜もなくなる。

 

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慄(おのの)くか否か (2016.9.17 15:20)

 

先ほどサイゼリヤにてほうれん草のソテーに胡椒をかける際、ペッパーミルの蓋が外れて胡椒粒が大散乱した。

この極めて些細な出来事に対し、後の大事につながる「兆し」を与えることもできるし、逆にただの些事としてスルーもできる。

しかし「兆し」に慄きながら生きるのは実に窮屈なことだ。

 

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治し癒すも自己表現 (2016.9.17 14:38)

 

ヒトを治し、癒し、そして調える「6」的な仕事を通じて「3」という自己表現をしたって構わないと思うよ。

つまり「6」を頑張るため徒らに「3」を封印したり悪者扱いする必要はないということ。

3」が輝けば「6」も輝くし、逆もまた然りだ。

 

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自在は少なし (2016.9.17 14:32)

 

8」とは「あらゆるものを自力でコントロールしてみせる!」という気概でもある。

しかしそんな「8」に疲れ果てたなら、隣の「9」というクッションに倒れてみるといい。

それは「この世で自在となるものは少ない。コントロールを頑張らず自然に委ね、そして大らかに生きる」ということだ。

 

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熱狂 (2016.9.16 20:41)

 

僕が自らの生存率を高めるために心掛けているのは「熱狂に近付かない」ことだね。

 

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性格よりも環境を (2016.9.16 13:52)

 

そもそも性格というのは「自身の内外からの刺激に対する反応の癖の総称」なわけだから、性格を変えるには内外問わず環境を変えるのが一番手っ取り早いし、逆に反応の仕方を変えるのはとても難しい。

 

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思い当たらぬ長所 (2016.9.16 13:41)

 

性格占いにおいて自らの短所が言及され、そして存分に思い当たるなら、それはスルーしていいよ。

それを意識すればするほど、かえってその短所は焼印の如くこびり付くから。

それよりも思い当たる節のない長所を言及されたなら、それは丁寧に温めていこう

きっとすくすくと育っていくから。

 

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虚無という博愛 (2016.9.15 22:38)

 

0(虚無感)」から生まれる「9(博愛)」もあるさ。

 

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本当に好きなもの (2016.9.15 11:21)

 

円満な関係を築こうとするあまり「相手の好きなものは自分の好きなものである」などと相手に合わせていると、そのうち自分が本当に好きなものがよく分からなくなってくるから気を付けないとね。

 

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不自由の先の自由 (2016.9.15 10:42)

 

5」の人は「大いに自由を求め、不自由を激しく嫌う」などと形容されがち。

でも僕なら「未来の自由を得るためならば、現在の不自由を甘受できる人」とでも形容するだろうな。

5」がきちんとできる人はね、逆数である「4」もきちんとできる人でもあるんだよ。

 

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盛らずに済む (2016.9.15 10:02)

 

始めたての数秘術を駆使してみたものの「」のイメージがうまく自他の性格等に当てはめられないケース。

そんな時に「逆数」という双子の数の概念を知っておけば、常に裏表で捉えることができるから、大きく外すことは無くなる。

すると性格に合わせて「」のイメージを徒らに盛らずに済む

 

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シェルター (2016.9.14 23:04)

 

なんか僕の「4」って世間の波風を避けるための「シェルター」として機能している感があるなぁ。

波風に当たると死ぬ」という恐怖感ではなくて「波風に当たるのが面倒臭い」という感じ。

いや、単に歳をとっただけか。

 

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異形 (2016.9.14 16:52)

 

ヒトは今まで「異形」の存在、つまり同じヒトであっても形状・大小・性質の大きく異なる存在を自らとは同じではない「」として扱ってきた。

そんな「」を「」と捉えず、そしてその存在を狭義で捉えることなく、広義で「同じ存在」とみなしていくのが「9」的に境無く遍く愛するということか。

 

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かかわらない (2016.9.12 12:01)

 

無理して人に「かかわらない(関わらない)」。

あえて何かに「かかわらない(係らない)」。

つまり関係に「かかわらない(拘らない)」。

というのが僕の生き方。

 

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無流 (2016.9.11 16:32)

 

一流」とか「二流」とかどうでもいいから「無流」としてほのぼのと生きていくべ。

 

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ダイヤモンドの強さ (2016.9.11 14:46)

 

高温高圧下で生成され、その多くは結晶構造が八面体であるダイヤモンド。数で喩えるなら「8」が相応しい。

周囲からの重圧にあえて身を曝し、自らを徹底して強靭に鍛え上げていく姿勢は実に「8」的と言える。

」のラインに位置する「8」の強さは他者からの重圧への抵抗力の高さでもある。

 

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意志 (2016.9.11 14:25)

 

意志」とは「1(衝動)」と「8(制御)」の合わせ技のことだ。

 

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漂う小舟 (2016.9.11 14:23)

 

その人の中の「9(諦念)」と「0(虚無感)」とがねじれ合うと、のらりくらりと諸問題をかわしながら何となく人生を歩むことになる。

しかしいくら逃げ泳いでも岸辺という安全地帯にはたどり着けず、やがてただ漂うだけとなる。

その漂う小舟に「1(衝動)」モーターは付いているだろうか。

 

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肝心なのは「解釈」 (2016.9.11 13:40)

 

私の身に今後何が起こるのか?」ということを占ったとて、その起きたことはすぐに過去のものとなり、それをいじくることはできなくなる。

でも、その起きたことの「意味付け」はいつでもいじくることができ、それは未来の色合いを変えていく。

肝心なのは出来事ではなく、その「解釈」なんだ。

 

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対比や対立を避ける (2016.9.11 12:01)

 

2」で分けることにより「対比」するのが偶数の性質だが、これは同時に「対立」を招くことにもつながる。

3」で分けることにより直接的な「対比」や一対一の「対立」を避け、鼎(かなえ)のように三者でのバランスを取っていく。

その可能性を示してくれるのが「9」という数だ。

 

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可分であり不可分 (2016.9.11 11:54)

 

偶数は「可分(分けられる)」、奇数は「不可分(分けられない)」の象徴。

しかし数学的には奇数でありながら「3」で割り切れる合成数でもある「9」は「可分」と「不可分」とが混ざり合った象徴ともなり得る。

分けられるが分けられないもの。
正に「自然」や「宇宙」そのものだ。

 

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「1」の自信と不安 (2016.9.10 20:46)

 

1」という原初の「」、自己という「」。

若かりし頃のようにその「」が世界の全てであるならば、そこに生まれるのは根拠の乏しい「自信」ばかり。

でも広く世界を知ることで自らがぽつんとした「」であることに気付いたならば、そこに残るのは寒々しい「不安」ばかり。

 

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心のデフラグ (2016.9.10 12:46)

 

0(虚無感)」というのは言わば「心のデフラグ」であり、今までの価値観や想念などを棚から出して整理するきっかけとなる。

そして棚を一度空っぽにしてみることで「この棚の中には何でも自分の好きなように入れていいんだ!」という「9(多様性)」的な価値観が芽生えるきっかけともなる。

 

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「9」「9」「9」の人 (2016.9.9 13:13)

 

9」の年「9」の月「9」の日生まれの有名人で真っ先に思い浮かぶのは1890年9月9日生まれのカーネル・サンダースだなぁ。

 

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多様性の日 (2016.9.9 12:59)

 

僕は「9」という数を偶奇両有かつカオスモスと捉え、様々なものが混ざり合う多様性の象徴と捉えているから、個人的に9月9日は重陽でも占いの日でもなく「多様性の日」と定めることにするか。

 

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2020年のテーマ (2016.9.8 8:43)

 

2020年の東京オリンピック開催を契機に日本も「多様性社会」を実現すべく様々なヒトやシステムを急速に取り入れていくのだろう。

しかし急速な変化は保守の反発反動を生み出すだけではなく、保守主義で無い者をも保守へと傾かせていく。

2020年は「4」の年らしく「」がテーマとなる。

 

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反多様性主義 (2016.9.8 8:33)

 

初めから多様性社会の実現に反対する「反多様性主義」のヒトと、多様性のもたらす変化の荒波を初めは容認し対応しようと努めるも結果として疲れ果ててしまい、その反動として「反多様性主義」へと傾くヒトとは分けて考えた方がいいのかも。

 

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「8」という人工 (2016.9.7 21:05)

 

8」とはヒトによって作られた組織や集団、更にはシステムを表し得る数。

自然であり全てである「9」から「8」を取り除いたところに、自分自身という「1(ひとつ)」が本当の意味で寛げる場があるのかもしれない。

8」に組み込まれ過ぎて「1」が「1」で無くなってはいないだろうか。

 

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「いのち」の数え方 (2016.9.7 20:48)

 

ヒトの「いのち」を「1(ひとつ)」で捉えるか「8(まとまり)」で捉えるかで「人権」の意味付けは大きく変わる。

でも実際に「いのち」というものはどちらか片方のみで定義できるものではなく、それは「ひとつ」でもあり「まとまり」でもある「9(すべて)」ということになるのだろう。

 

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無干渉平和主義 (2016.9.7 18:21)

 

社会や他人に対して自らの正義を振りかざして全体としての平和をもたらそうとするよりも、自分や家族のごくささやかな平和を維持することのみを考える」というのは極端な「4」マインドによる平和志向。

僕はこの「無干渉平和主義」を悪いこととは思わないが、社会の怒涛を防ぎきることは難しい。

 

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思い当たる (2016.9.7 15:15)

 

占いにとって大事なのは受動的に言い当てられることではなく、相談者自らが能動的に「思い当たる」ことなんだと思う。

 

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「0」による幸福感 (2016.9.7 13:42)

 

9(満ちる)」と「0(無くなる)」は表裏一体の数。

空腹が満腹の幸福感を高めるのと同じように「0」が「9」の幸福感を高めてくれる。

何となく幸福感を得られなくなったのならば、まずは身の回りに「0」をもたらしてみるのも良いかもしれない。

0」は別に悪いことではない。

 

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反動2 (2016.9.6 14:49)

 

反動」という流れにおける最も悪しき点は、先のものを否定そして反省した後のものであるが故に過剰な「善性」を帯びてしまうという点。

先のものにも少しはあったはずの「善性」を徹底して否定し、後のものにも少しはあるはずの「悪性」にはとことん目を瞑る。

これが「反動」の恐ろしさだ。

 

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反動1 (2016.9.6 14:36)

 

世の中の流れにおいて「反動」はとても恐ろしいもの。

全てをオーバーに・楽しくてナンボ・表現表出バンザイ」などという過剰な「3」的価値観による害が蔓延すると、反省後に反動として「全てを慎ましく・責務を果たしてナンボ・配慮考慮バンザイ」などという過剰な「6」的価値観が蔓延する。

 

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術理ブレイカー (2016.9.5 21:48)

 

気まぐれで九星気学のサイトで遊んでいるが、今年の凶方位は南西と北東とのこと。

ではますます南西と北東へ足を運ばなければ。

小田原は南西に当たるからまだまだ行く機会もあるし。

これからも「術理ブレイカー」として日々頑張らなければ。

 

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子どもらしさ (2016.9.5 14:20)

 

育児に際して「子どもらしさ」という概念は呪縛になるね。

わが子が「子どもらしくない」場合は特に。

 

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サボる (2016.9.5 12:12)

 

サボる」の語源である「サボタージュ」は労働争議における武器の一つ(同盟怠業)なのだから、組織における無茶なオペレーションぶりを露わにするために行うのは良いことだと思うよ。

 

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人生一度きり (2016.9.5 10:34)

 

人生一度きりなんだから慎重に」というのもありだけど「人生一回しか味わえないのだから大胆に」というのもありだよなぁ。

 

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「永遠性」という幻 (2016.9.4 10:23)

 

SMAPの解散やら「こち亀」の終了やら、今年は「9(終焉)」の年らしい出来事に事欠かない。

でもここで重要なのは長年に渡って続いてきたものにヒトが与えてしまいがちの「永遠性」という幻が消え去るということ。

どんなものにも必ず終わりが来る」ことに気付かせるシビアな目覚ましだ。

 

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作品の「個人性」 (2016.9.4 10:11)

 

作品の「社会性」を重んじる作者であれば作者の死後も作品が継続していくことも是とするだろうけど、作品の「個人性」を重んじる作者ならば自らの生あるうちに作品を完結させておきたいだろうね。

 

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壊すべきか否か (2016.9.3 22:08)

 

何かしらの「4」という壁を「5」で壊そうとするあまり「5」の方ばかりを意識するよりも、まずはその「4」がなぜ築かれているのかを確かめる方が先決だと思う。

確かめた結果わざわざ「4」を壊さなくても済むかもしれないし、むしろその「4」を壊すとより厄介な「4」が築かれるかもしれない。

 

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常識と良識 (2016.9.3 12:57)

 

4」マインドは「常識」というルールに従い、「6」マインドは「良識」という美意識に従う。

 

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社会と自己との差 (2016.9.3 11:37)

 

過剰な「6」マインドによる苦しみ、たとえば「自らの資質や能力が社会に認められないのではないか」という潜在的な恐れ。

これは社会(=他者)を自身よりも過剰に大きく価値付けしているからこそ抱く恐れ。

しかし社会の一員たる自身社会全体との間における価値の高低差などただの幻なのだ。

 

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自らの価値付け (2016.9.3 11:23)

 

「誰かのためになりたい」
「社会の役に立ちたい」
「人を幸せにしたい」

これらは正に「6」マインドの現れだが、共通しているのは「自らの価値付けを他者に委ねている」という点。

自らの「6(ホスピタリティ)」が他者に受け入れられなかった時、その反動は自己否定という形で自らを襲う。

 

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自由のための闘争 (2016.9.3 11:13)

 

5」マインドによる「自由のための闘争」は何も激しくダイナミックなものとは限らない。

周囲の流れに従わず、頑としてその場から動かずに居るという「4」的な行為であっても、それが当人にとっての「自由のための闘争」となるし、ある意味そうしている時点で既に自由を謳歌しているとも言える。

 

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人から好かれたい (2016.9.3 11:04)

 

人から好かれたい」という気持ちは「3」マインドの現れであり、それは「自分で自分を好きになりたい」という気持ちにつながる。

人から嫌われたくない」という気持ちは「6」マインドの現れであり、それは「自分で自分を嫌いになりたくない」という気持ちにつながる。

似ているが違う両者

 

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いただきます (2016.9.2 23:33)

 

普段食事前に何気なく言う「いただきます」は、ある意味「儀式」が「習慣」となった例なのだろう。

そんな「習慣」を再び「儀式」として意識しながら執り行うことで、日常性の中に埋没しがちな「感謝心」を掘り起こせるのかもしれない。

 

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思ったより (2016.9.2 16:30)

 

ヒトって思ったよりも死にやすいし、思ったよりも死ににくい。

そしてこの「思ったより」というイメージング自体がヒトを不自由にする。

 

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予報が奪うもの (2016.9.2 16:20)

 

たとえ旅行当日に雨が降ったところで、晴れ限定の催しで無い限りは旅行自体に支障は無いし、雨ならではの楽しみ方も工夫できる。

でも旅行の数日前から週間天気予報を気にしてしまい、旅行当日の予報に傘のマークがあろうものなら一人勝手に失望してしまう。

期待と予報が奪う楽しみもある。

 

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死なない日 (2016.9.1 8:36)

 

防災の日であり、そして新学期が始まる日でもある今日9/1は「死なない日」とでも命名しようか。

 

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