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数秘術関連等ツイート(2016年5月分)

 

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心変わり (2016.5.30 16:05)

 

よく「あの人は心変わりしてしまった」などと言うけれど、これって人の心は本来変わらぬものであるという思い込みと、変わらぬものであって欲しいという願望とが編み込まれた表現なんだろうな。

人の心は刻一刻と移り変わっていくものだし、その一瞬一瞬の心を摘んで勝手に固定化しているだけ。

 

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世界を充たす精神 (2016.5.30 14:37)

 

1」から世界は始まり、「3」で世界が広がり、「5」で世界から飛び立ち、そして「7」で世界を充たす精神へと到達する。

7」とは内側を深く掘り下げる数だが、そんな「7」で表し得る精神とは単にヒトの内側にだけ存在するものではなく、ヒトの外側にも概念の形で無限に充ちている。

 

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「統合」のシンボル (2016.5.30 13:40)

 

逆数秘術において偶奇両有の「9」とは「統合」のシンボルだが、これは相対する二者を無理矢理一つにすることではない。

人為に頼り過ぎず、長い時間をかけながら自然に二者間の境界線が薄くなるのを待ち、そんなことすらも忘れかけた頃に気付いたら互いがゆっくりと溶けて混じり合っている状態だ。

 

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客観の知、主観の知 (2016.5.30 13:24)

 

観察という行為により育っていく「2」という「客観的な知」は、まさに「観る」に特化した機能。

洞察という行為により育っていく「7」という「主観的な知」は、まさに「問う」に特化した機能。

2」が多過ぎれば「7」という主観は客観に冒され塗り替えられてしまうし、逆も又然りである。

 

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適合 (2016.5.30 13:10)

 

集合を個人に適合させようとする働きが奇数(動的・混沌・チカラ)である「1」となる。

個人を集合に適合させようとする働きが偶数(静的・秩序・カタチ)である「8」となる。

社会を知らな過ぎると自らの中の「1」が暴れ回るが、社会を知り過ぎると自らの中の「8」が自身を締め上げる。

 

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「名前」を付ける (2016.5.29 14:55)

 

カオス(混沌)かコスモス(秩序)か不明な「9」的存在に対して、まずは「2(関連付け・分類)」を駆使して《名前》というコスモスを与えてみる。

その名付けられた存在は「7(検証・洞察)」という思考のカオスのためのツールとして役立つ。

コスモスを当てがえば、自動的にカオスも決まる。

 

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ただの部品 (2016.5.29 13:46)

 

一桁の偶数(静的・秩序・カタチ)のうち最大である「8」はコントロールされたシステムを意味し得る。

たとえそのシステムの頂点に立ち、下々を支配的にコントロールする存在であっても、その存在自体がシステム内に組み込まれたただの「部品」でしかない。

部品」が偉そぶるのは実に滑稽だ。

 

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科学という根拠 (2016.5.29 12:25)

 

数秘術における「」のイメージの根拠として科学を取り入れるケースはよくある(ヒトのDNAを構成する4つの塩基など)。

でも科学とは常に「更新される可能性」を持っているのだから、それに基づくイメージ付けも決して絶対的なものではないよね。

 

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無意は無意のまま (2016.5.29 11:10)

 

吉象から凶意を見出し、凶象から吉意を見出し、無意無意のまま放ったらかす。

 

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成長 (2016.5.28 23:17)

 

老化」を考慮しない「成長」は、ただの自殺行為となる。

人間も、社会も、国家も。

 

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ケン・ウィルバー (2016.5.28 17:14)

 

1」のケン・ウィルバーは父親の仕事の都合で幼少期に転居を繰り返したことにより、物事に執着しない態度を習得していったと述懐している。

1」が補数「9」、つまり無執着を身に付けることにより、「1(個)」を超えて「9(全)」へと至るトランスパーソナルへの道が開けたのかもしれない。

 

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境界線 (2016.5.28 15:45)

 

2」とは自他の間に境界線を引く数であり、「7」とはその境界線の有無や引く位置を常に考え続ける数となる。

つまり「2」マインドが強ければ「私は○○であり△△では絶対にない」という明確な自己像を語れるが、「7」マインドが強いと「私は○○だろうか?△△だろうか?」と悩むことになる。

 

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二つの旅路 (2016.5.28 15:22)

 

1(一)」の中に「9(全)」を見つける内側への旅

9(全)」を「1(一)」として捉える外側への旅

自らの中で交差する二つの旅路

 

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「数」に囚われない (2016.5.28 15:10)

 

これは数秘術を学ぶ全ての人へのメッセージだけど、みんな「」に囚われずに「」で考えてみようよ。

つまり生年月日や氏名から導き出した「」、そしてその人のある時期を表す「」などに囚われるのではなく、もっと自由自在に「」を駆使して自他や万象をとことん考えてみようってこと。

 

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答え (2016.5.28 14:54)

 

2」マインドの強い人の中には、ある一つの絶対的な「答え」を出すことにこだわり過ぎる人もいる。

その「答え」は確かに当人の心の安定につながるが、それが過ぎるとその「答え」で全てを定義していってしまう。

そんな自分を恐れ始めると逆数「7」が起動してしまい「答え」を出せなくなる。

 

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両極端な安定 (2016.5.28 14:42)

 

偶数(静的・秩序・カタチ)である「2」は自他の間に線を引くイメージから「対人関係の安定化」を表し得る。

しかしこの安定化には誰かと「つながり続ける」、そして誰かと「離れ続ける」という二つの両極端な振る舞いがある。

前者に腐心し過ぎて疲れ果てたなら、反転して後者で傷を癒す。

 

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ショボいストレージ (2016.5.27 21:32)

 

明るい未来を作るために暗い過去を忘れていく」というありがちな話を聞くと、何だかすごくショボいストレージをイメージしちゃうね。

全てを上書きし、別名保存をしなくなる人類の恐怖。

 

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ええんやで (2016.5.26 21:51)

 

9」という赦しはね、他人に対する「ええんやで」だけではなく、自分に対する「ええんやで」でもあるんだよね。

そうやって世界に向けて「ええんやで」を無差別に無責任にバラまきながら、気がついたらこの世とおさらばしているというあっけなさ。

人生そんなんで、ええんやで

 

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予防 (2016.5.26 18:26)

 

ヒトの持つ「6」マインドが強くなり過ぎると相手の今を助けるだけに止まらず、相手の未来をも先回りして助け始める。つまり「予防」だ。

これはもちろん相手を慮っての行為なのだが、あまりにも予防を施し過ぎると相手の自発力を奪っていく。

宿題を促し過ぎて子供のやる気を奪う親がそうだ。

 

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「持たない」生活 (2016.5.26 12:47)

 

何かを「持つ」ために懸命に働いたと思ったら、今度は何かを「持ち続ける」ために懸命に働き続ける。

そこのあたりに矛盾を感じているから、僕はなるべく「持たない」生活を送っている。

 

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忍耐の逆効果 (2016.5.26 8:41)

 

8(コントロール性)」を駆使し過ぎて自制や忍耐の度が超えると、むしろ自らの「1(衝動性・獣性)」が増大していく。

本来ならば自らの「1」を暴走させないように駆使した「8」により、かえって逆効果となってしまう。

ヒトは「8」という偶数性の連続に耐えられるようにはできていない。

 

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「波」を意識する (2016.5.26 8:27)

 

僕が数秘術ツイートを続けるに際しては、平坦な道ではなくて「」を意識するようにしている。

つまりツイートがどんどん湧いて出てくる時には止めることなくそのままの勢いでつぶやき、逆に空っぽになったなら無理につぶやかずに他のことをやったりボケーっとしている。

それが自然だから。

 

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月日数が同じ人 (2016.5.25 21:40)

 

先ほど「月日数(生月+生日)が同じ人同士の深い絆」について書かれたブログをリツイートした。

ふと自らを思い返してみたら、僕自身・妻・前妻・実母・叔父と、僕と深く関わる(関わってきた)人の月日数が同じだった。

ヒトはこういう偶然の一致に神秘を感じ、数秘術に傾倒していくのだ。

 

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チャーハンの素 (2016.5.25 12:58)

 

チャーハンの素を使ってチャーハンを作り食べている。

本来なら満遍なく粉末状の素が混じり合っているのが美味しさとなるんだろうけど、一部に粉末が偏っているところを食べた方がそのチャーハンの「個性」を感じ取れる。

全体としては毎回同じような味ではあるけれど、やはり一期一会なんだね。

 

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ゼロレクイエム (2016.5.24 21:53)

 

そういえば皇暦1999年12月5日生まれ、つまり基本数「9」のルルーシュが逆数である「ゼロ(0)」を名乗り、やがては「ゼロレクイエム」を完遂させるんだなぁ、などと考えながらAbemaTVで毎日「コードギアス・反逆のルルーシュ」を観ている。

 

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壁の中の自由 (2016.5.24 17:26)

 

5」で表される「自由」にも色々あるが、その人にとって楽しめる「自由」というものはむしろ「4」という安定の壁の内側にこそ存在するもの。

確かに「4」を打ち破って外へと脱け出せば、更なる「5」を堪能できるだろうが、その「自由」を楽しむ余裕は無くなり、カオスの荒波と戦う羽目になる。

 

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アランの「幸福論」 (2016.5.24 16:30)

 

ちまちまと読んでいた『幸福論』(アラン著・村井章子訳)をやっと読み終えた。

全編を通して書かれていたのは、幸福における「6」の大切さ。

礼儀や礼節、他者を慈しみ育んでいくホスピタリティ精神の発露、そして社会貢献。

しかし「6」の根底にある「3」へのフォローも忘れてはいない。

 

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取り出しにくい本心 (2016.5.23 23:31)

 

3」というダイナミックかつカオスな感情とは、つまり「コントロール困難な感情」ということでもある。

別に言うつもりは無かったのについ言ってしまう言葉。

話していくうちに段々とオーバーになっていく言葉。

そんな「3」からいざ本心を取り出そうとしても、乱雑であるが故に難しい。

 

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目の粗いザル (2016.5.23 23:09)

 

この歳になるとね、本を読んでも読んでもなかなか記憶にはつながっていかないんだ。

それはまるで目の粗いザルで何かを濾すような微妙な徒労感。

でもそんなザルの目にも、時にはほんのわずか引っかかるものがある。

それさえつまみ取ることができれば、それはもうめっけもんって感じだね。

 

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吐き出すは掃き出す (2016.5.23 22:33)

 

6」とは調えることでもたらされる美そのものだが、そんな「6」を手っ取り早く実現するには逆数である「3」が効果的だ。

3」とはすなわち自らの内側にあるものを洗いざらい「吐き出す」ことであり、これは「掃き出す」にもつながる。

つまり「デトックス」とは「3」で実現する「6」だ。

 

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大人になる (2016.5.23 20:54)

 

大人になるということは、自らの「3」というダイナミックな感情、カオスな感情、子供じみた感情をそれぞれ「6」というスタティックな感情、コスモスな感情、大人びた感情へと矯正していくということ。

でもそんな「大人」すら超え老成してみると「3」がどれだけ大切なものかが分かるようになる。

 

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上機嫌と不機嫌 (2016.5.23 17:49)

 

上機嫌と不機嫌をそのままの形で表に出していく「3」的なふるまいに気付いたなら、さっと「6」的に大人ぶることで、この二つの機嫌の差を均していくという訓練。

これを繰り返して心身になじませることにより「まぁ上機嫌も不機嫌もあるさ」などと少しずつ「9」的な大らかさが身に付いていく。

 

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「4」の再確認 (2016.5.23 13:36)

 

たとえばヌメロダイス(数秘ダイス)で「5」が出たならば、何かを新しく変える勇気が湧くというもの。

でも「5」が出た時こそ逆数の「4」、つまり自らに安定をもたらすはずのものが機能不全に陥っていないかどうかを今一度確認してみる。

刷新や変更の前に「4」を振り返ってみる。

 

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赤 (2016.5.23 9:41)

 

炎が赤くなければ、血が赤くなければ、もしかしたら「」という色は安らぎの色になっていたのかもしれないね。

 

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霊能者と妖怪 (2016.5.22 11:33)

 

いわゆる「霊能者」とは「7(見えぬ精神世界)」が「2(見える物質世界)」に反転投影しやすい人のことだと捉えている。

それは「7」という内在のカオスを「2」という外在のコスモスへと変換する営みでもある。

そして「2」を「7」として反転投影させると「妖怪」が現れるのかもしれない。

 

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ヌーソロジーの入口 (2016.5.22 11:19)

 

人間の外側のものとして意識している「2(見える物質世界)」。

人間の内側のものとして意識している「7(見えぬ精神世界)」。

まだまだ学習途中だけど、ヌーソロジーではこの両者の内外を入れ替えて捉えるということは何となく理解できた気がする。

 

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エイジング (2016.5.21 16:14)

 

みんな諦めて素直に「エイジング」しようぜ。

 

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疲労感 (2016.5.21 13:08)

 

人生を歩むということは、自らの奇数性(動的・混沌・チカラ)偶数性(静的・秩序・カタチ)のバランスゲームに興じるということ。

でもこのゲームに疲れてくると「もうどっちでもいいじゃない」という気持ちになる。

この「疲労感」こそが偶奇どちらにも拘らない「9」の境地への入口となる。

 

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自己と忘己 (2016.5.21 12:41)

 

全方位に愛を施しまくった結果、まるで世界に溶け込んだかのように自分自身がいなくなってしまう「9(忘己)」の境地。

でもそうなってからこそ「1(自己)」の尊さや掛け替えの無さというものに気づけたりもする。

1」が「1」としてそこにあるからこそ「9」になることができるんだ。

 

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カタチだけの関係性 (2016.5.21 11:36)

 

2」という常に誰かを観て、その繋がりに気を配る生活を送ることにより、「7」という自らについてとことん内観する性質をあえて麻痺させるヒトもいる。

しかしカタチだけを追い求めてきた対人関係、つまり歪んだ「2」的行為が限界を迎えると、今度は一気に「7」的な独り内観衝動へと反転する。

 

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個性 (2016.5.21 11:05)

 

昨今における「個性」という語は、集団から抜きん出た特徴を表すことが多いようだ。

つまり偶数性(静的・秩序)の強い集団において、奇数性(動的・混沌)の強いヒトが「個性」を認められやすいということ。

しかし偶数性集団の中で目立たずに偶数性を発揮することも立派な「個性」となる。

 

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瓶詰めのメッセージ (2016.5.21 10:56)

 

僕も以前やっていたけれど、いろんな占い師が「その日の占いメッセージ」的なものを発信している。

このメッセージはガラス瓶に入れられて海に漂っているようなものであり、ヒトはこれを海から拾い上げて蓋を開け、まるで自分宛の天佑の如く読み干していく。

拾わなければただの漂流物となる。

 

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五文字 (2016.5.20 18:13)

 

Q:逆数秘術講座を五文字で終わらせてください

A:逆も又然り

 

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煩悩煩悩無煩悩 (2016.5.20 8:25)

 

煩悩」から解放されるため、ひたすら「0(無)」の境地を目指し、あらゆるものを捨て去ろうとする人。

そしてただ穏やかに「9(全)」の境地へと歩み、自他の不完全性をも赦し認めて「煩悩」の有無すら気にならなくなる人。

後者はやがて「無為自然」に至り「煩悩」が「煩悩」ではなくなる。

 

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無かったことにする (2016.5.20 8:06)

 

0(虚無)」な人(「9」がこじれて反転した人)も「9(鷹揚)」な人も、保有スキルとして「無かったことにする」を持つ。

前者は「無化」、つまり完全に無かったことにすること。

後者は「無化の忘却」、つまり無理に無かったことにせず、時間と共に有も無も気にならなくなるという違い。

 

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根拠なきラッキー (2016.5.19 8:52)

 

根拠のない「ラッキー」ばかりを追い求める人は、根拠のない「アンラッキー」にも振り回されることになるぞ。

 

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ユングの二分類 (2016.5.19 8:20)

 

僕は逆数秘術においてユングの四分類(思考・感覚等)は用いるが、二分類(内向・外向)は用いていない。

なぜなら同じ「」でも状況によって内向として現れたり、外向として現れたりするからだ。

たとえば「7(思考)」が内向的となれば「自省」となり、外向的となれば「批評」となる様に。

 

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ラッキーナンバー (2016.5.19 7:58)

 

数秘術で用いられる「」はあくまでもイメージをまとわせることのできる概念でしかなく、それをアクセサリーのように身に付けても気休めにしかならない、というのが僕の考え方。

だから「ラッキーナンバー」なんてものも扱わない。

」は世界を哲学的に再検証していくためのツールだ。

 

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レコーダーリモコン (2016.5.18 22:48)

 

数秘術的レコーダーリモコンの一例

1」:早送り
2」:録画
3」:再生
4」:停止
5」:シャッフル
6」:番組表予約
7」:巻き戻し
8」:メニュー
9」:リピート
0」:番組消去

 

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安らぎ (2016.5.18 12:04)

 

静の感覚・感覚のコスモスである「4」を駆使して、自らが安心安定できる空間を手探りで確かめながら構築していく。

動の感覚・感覚のカオスである「5」を駆使して、上の「4」で築かれた空間を飛び越えながら安心安定性の更新を行っていく。

4」と「5」の共同作業で安らぎは作られていく。

 

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未来人 (2016.5.18 9:05)

 

僕がもし「未来人」だったなら、たとえ人類に多大な影響を与えることになったとしても、自らが未来から来た証(未来の産物など)を堂々と開陳するよ。

もし特殊任務のためできないのなら初めから言うなって感じだし、だからそういうことをしない「未来人」は一切信じないことにしている。

 

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町興し (2016.5.17 15:08)

 

田舎の町興(おこ)しを促進させるのは、都会の荒(すさ)みなんだろうな。

 

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のぞき見 (2016.5.17 13:49)

 

つい魔が差して、誰かの秘密を見て、聞いて、そして読んでしまう行為。

これらの歪んだ「2(インプット)」によって、逆数「7(疑心暗鬼)」と補数「8(コントロール欲)」が徒らに刺激される。

そしてこの「2」は隣接数の「1(エゴ)」と「3(好奇心)」から負の燃料を供給され続ける。

 

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「7」の矜持 (2016.5.17 2:09)

 

たとえ「解なし」だと分かっている問題であったとしても、それを考え抜かずにはいられないのが「7(思考のカオス)」の矜持なんだ。

7」にとっては「」よりも、それを解こうとする思考の「過程」の方が大きな意味を持ってくる。

古今東西の知を「7」で解体し、「2」で再構築していく。

 

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目を逸らさない (2016.5.16 22:44)

 

スピリチュアルとは現実から目を逸らすためのツールではなく、むしろ現実の奥に潜むものと真正面から向き合うためのツールだと思う。

現実の奥には現実を動かしている様々な仕組みが働いており、それを探ることでスピリチュアルとマテリアル双方の視野が広がっていく。

目を逸らしたら学べない

 

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敬意 (2016.5.16 20:45)

 

9」という《無為自然》の境地になることは、両隣にある「1」という絶対の《カミ》と、それにより創られし「8」という絶妙な《システム》にそれぞれ敬意を払うことでもある。

9」のつもりであっても両者に敬意を払わないのであれば、それは「9」の振りをした「0(ニヒリスト)」となる。

 

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安定のあまのじゃく (2016.5.16 17:04)

 

4」の僕は物心ついた時から、とにかく「あまのじゃく」である。

様々なものに徒らに反発し、権威者にやたらと抗っていくその様は正に逆数「5」の権化のようだ。

でもそんな「5」をやり続けることがルーティン化し、それにより「4」という安らげる自分だけの城を築いている感じがするんだ。

 

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淡々と語ればいい (2016.5.16 16:49)

 

何かの思想を広める際「お役に立つかはわからないけれど…」などと遠慮しながら勧めても説得力は弱い。

逆に「あなたはこれを信じるべき!」などと強引に勧めても、いらぬ敵や病的依存者を生むだけ。

むしろ自らが淡々と思想通りに生きながらごく普通に語ることで、向こう側から近づいてくる。

 

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言語化しない (2016.5.16 16:32)

 

スピリチュアルという「7」的な非言語的カオスを、中途半端にマテリアルという「2」的な言語的コスモスに翻訳しなくてもいい。

徒らに言語表現を試みるのではなく、じっくりと時間を掛けて「7」は「7」のままに味わい尽くしてみよう。

どの道「7」を全て言語化することは叶わないのだから。

 

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解がないことが解 (2016.5.16 15:12)

 

マテリアルな世界において全ては「2」という「解あり」状態、つまり全ては別の何かに関連付け可能であるということが前提となる。

しかしスピリチュアルな世界において全ては「7」という「解なし」状態が前提となる。

だからこそ両者を混ぜて「9」の「解がないことが解」に気づく旅に出る。

 

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何でもスピリチュアル (2016.5.16 15:00)

 

物質的であり明確な外的世界と繋がる「2(思考のコスモス)」と、精神的であり曖昧な内的世界で解(ほど)ける「7(思考のカオス)」。

スピリチュアルとは本来「7」寄りの概念だと思うが、これを「2」的に用いて何でもスピリチュアル的概念や用語を駆使して明確な解を導こうとする人もいる。

 

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「7」の年の過ごし方 (2016.5.16 11:33)

 

僕は今、個人年数「7」に入っているが、自らの「7(洞察力・思索力)」を鍛えるために逆数「2」というコミュニケーションやインプットを何となく心掛けている。

異なる思考の人と話し、異なる思想の本を読むことにより、自らの「考える力」をすくすくと育てていく一年がかりのプロジェクトだ。

 

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「王」と「法」 (2016.5.16 11:13他)

 

1」というが崇め奉られるためには「8」という法システムの整備運営が欠かせない。

1」は自らの存在の絶対性に胡座を掻き、衆生の声にいちいち耳を貸さず、尊大に構えていればいい。

王の代わりに衆生の声に耳を傾け、細大漏らさず公平に彼らの苦しみを取り除くのが「8」の法制度だ。

いくら「1」のが尊大に振舞おうとも、自らがきちんと「8」のの中に収まっている限りは問題ない。

しかし「1」のが自らの機嫌によって好き勝手に「8」のを犯し始めたなら、今度は臣民が「8」のの厳格な運営者となり、「1」のを廃しなければならない。

8」あっての「1」だ。

 

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占い師の増加 (2016.5.16 10:46)

 

絵の印象だけで何となく鑑定できるタロット(卜術)と、足し算ができれば何となく鑑定できる数秘術(命術)、この二つの入りやすい占術により占い師を名乗る人がわんさか増えた印象がある。

もちろん突き詰めれば極めて奥深いものではあるが、その入りやすさから「鑑定可能感」が得やすいのは確か。

 

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理不尽性の強化 (2016.5.16 0:19)

 

昔の「理不尽」は解決手段が少なかったがために、致し方無いものとして受け入れやすかったとも言える。

しかし今の「理不尽」は昔に比べれば解決手段が増えているため、むしろ解決できなかった際にその「理不尽」の理不尽性が強化されてしまい、致し方無しと受け入れることが難しくなってしまう。

 

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二つの自尊心 (2016.5.15 23:17)

 

自尊心(プライド)」という語を辞書(スーパー大辞林)で調べてみたら、二つの意味があった。

ー分を優秀な者だと思う気持ち。尊大に構える心。

⊆分の品位を保とうとする心。

前者は自尊心を「手段」として用いる「1」で、後者は自尊心の獲得を「目的」とする「8」という感じだ。

 

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反射的な関連付け (2016.5.15 18:31)

 

7」という思索を苦手と感じている人ほど、様々な出来事を「2」で反射的に関連付けしがち。

これは苦手な思索の時間をなるべく減らすべく、検証も乏しいまま瞬時に事象の関連付けを行い、心の安定を図ろうとする行為。

この「2」が強くなり過ぎると、権威者の関連付けに依存するようになる。

 

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考えてなどいない (2016.5.15 17:47)

 

僕が逆数秘術をレクチャーするのは「占うことよりも、まず自分でしっかりと考える癖をつけてもらう」ため。

でも中には「考えるのが苦しいから、占いで救われたいだけなの!」と反発する人もいることだろう。

だがそれは「状況に自動的に反応している」だけであり、決して考えてなどいないのだ。

 

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犯罪の二歩手前 (2016.5.15 13:44)

 

あまり偶数的な常識に縛られないためにも「犯罪の二歩手前」まで進んでみることが奇数的なチャレンジとなる。

でも一歩手前まで行ってしまうと、ひょんな拍子に「犯罪」へと転んでしまうかもしれないから、そこは二歩手前で良しとしよう。

世間的な善の範囲を狭めることで自らに自由をもたらす。

 

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矢印の軌跡 (2016.5.15 12:16)

 

1」を図形で説明する際、僕はよく「・→」という点から矢印が伸びたイメージを使う。

ただ点として存在するだけでは飽き足らず、矢印という強力なベクトルを駆使して、始原のカオスを現出させながら、ただひたすらに未来へと驀進する。

そんな「1」の描いた軌跡が「2(線)」へと繋がる。

 

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最小の中の宇宙 (2016.5.15 10:49)

 

森羅万象のうちの一つを取り出し、それを究極までにシンプル性を高めたものを「1」とする。

この「1」は常識的に言えば最小のものとなるはずだが、その最小をも超えることで手前の「0」を通過し、更に手前の「9」という多様性宇宙が見えてくる。

まるで原子の中に広がる素粒子の宇宙の様だ。

 

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数の元型化 (2016.5.14 23:42)

 

数秘術という行いを最もシンプルに表現するならば「数の元型化」なんじゃないかな。

」という「元型」を自由自在に配置し、様々なセリフを喋らせながら、千種万様の物語を展開させていく。

これはね、己が人生を賭けられるほどの面白さを秘めているんだよ。

 

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シンプルと複雑 (2016.5.14 22:55)

 

逆数秘術において、最小の奇数である「1」とは原初の持つシンプルさであり、最大の奇数である「7」とは進化の先にある複雑さである。

1」というシンプルさは「7」という複雑さを獲得すべく未来へと進み、「7」という複雑さは「1」というシンプルさの中にヒントを見つけるべく過去へと戻る。

 

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旗幟の不鮮明 (2016.5.14 17:55他)

 

進むべきだ!変えるべきだ!」という奇数的意見。

止まるべきだ!守るべきだ!」という偶数的意見。

これらのように自らのイデオロギーをはっきり表に出す、つまり旗幟を鮮明にするのではなく、「9」的に「さぁ…よく分からないの」と言葉を濁して旗幟を不鮮明にする玉虫色な処世術。

処世術として使われがちな「旗幟の不鮮明」は確かに事態を荒立てないという意味では効果的に働く。

しかしその便利な術の駆使に慣れすぎると、いざ旗幟を鮮明にしなければならない事態となった時に何もできない「空気」と化す。

そしてそんな「空気」ばかりが満ちた社会は無活力と化す。

 

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さっぱり忘れていく (2016.5.14 16:12)

 

1」と「8」、「3」と「6」、「5」と「4」、「7」と「2」。

これら奇数性と偶数性のシーソーゲームを味わい尽くした後に「9」という奇数性と偶数性が程よくブレンドされた境地が訪れる。

しかしそんな「9」にすら固執することなく「0」へと反転してきれいさっぱり忘れていけばいい

 

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出し過ぎ、調え過ぎ (2016.5.14 14:45)

 

3」は自らの内側から様々なものを次々と生み出すイメージであり、対する「6」は生み出たものを美しく調え直すイメージ。

行き過ぎた「3」ならば髪もヒゲも脇毛もすね毛もボーボーに生やして放置するだろうし、行き過ぎた「6」ならば生えたものを徹底的に切り落として清潔の権化となるだろう。

 

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大テーマを育てる (2016.5.14 14:32)

 

生年月日から導き出した基本数を人生を通じての大テーマとするならば、周りにある逆数・補数・隣接数などは基本数に栄養を与えてすくすく育てる役割の数とも言える。

たとえば基本数「7」の場合、逆数「2」、補数「3」、そして隣接数「6」と「8」、更には他の数も用いて「7」を育てていく。

 

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「3」=「6」 (2016.5.14 14:26)

 

3(感情のカオス)」は「6(感情のコスモス)」の生みの親となるし、逆もまた然り。

そして両者は相互作用をし合った結果、やがて同じものとなっていく。

つまり「3」⇔「6」という対称性だけではなく、究極的には「3」=「6」も成り立つ得る。

そのヒントは偶奇両有の「9」にある。

 

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苦手 (2016.5.14 12:20)

 

何かが面倒臭いとき、自らの怠惰性を認めたくないが故に、それを「苦手」と定義付けしてしまうヒトっているよね。

僕とか、僕とか。

 

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禊(みそぎ)算 (2016.5.14 11:31)

 

昨夜TLにて「禊(みそぎ)算」なるものを見かけたので少し調べてみたら「ひふみ神示」と「神の数学」というワードが現れた。

ざっくり言うと十進法ではなく「九進法」的に、つまり「9」=「0」として捉えているのが逆数秘術にも通じてくる。

まぁ逆数秘術では「9」⇔「0」でもあるのだが。

 

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自愛の醸成 (2016.5.13 19:00)

 

いくら他人から「もっと「3(自愛)」を大切に」などと言われたところで、それは両隣にある「2(人への信頼)」と「4(場への安心)」が満たされないことにはなかなか醸成されないもの。

まずはその両隣を得るために、「3」の逆数「6(他愛)」のホスピタリティな生き方を選ぶのが近道となる。

 

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ためらい (2016.5.13 8:29)

 

偶数(静的・秩序・カタチ)である「6(他愛)」の愛を一言で表すなら「ためらい」だね。

あの人は喜んでくれるだろうか?
愛を重たくは感じないだろうか?
嫌いになったりしないだろうか?

愛の前に置かれる一瞬の「」は「6」の優しさであり、婉曲な「3(自愛)」でもある。

 

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愛と愛と愛 (2016.5.13 8:04)

 

3(自愛)」:「熱く!激しく!後先考えずに愛をブシャーッ!!!

6(他愛)」:「ささやかなものですが、この愛をどうぞお受け取りください

9(全愛)」:「私も世界も全てが愛。目くじら立てずに全てを赦してあげようよ

3」「6」「9」という「愛のライン」。

 

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システムと意志 (2016.5.13 0:18)

 

一桁最大の偶数(静的・秩序・カタチ)である「8」は正にシステムそのもの。

そこに一桁最小の奇数(動的・混沌・チカラ)である「1」という意志が動力を与える。

大きな「8」と小さな「1」の両者が混じり合うことで偶奇両有たる「9(全)」となり、無限大へも無限小へも染み渡っていく。

 

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支配という被支配 (2016.5.12 23:18)

 

2(被制御・被支配)」という線を三乗すると「8(制御・支配)」という立体が現れる。

ヒトはひたすらに何かをコントロール・支配・獲得しようと躍起になるが、実はそれらの行為はただ世間や社会の常識が命じるままにコントロールされているだけかもしれない。

8」ではなく「2」なのだ。

 

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二人の社長 (2016.5.12 23:11)

 

1」的な社長は「会社は私の所有物である」というマインド。

8」的な社長は「私は会社の所有物である」というマインド。

会社はあくまでも自己実現ツールの一つに過ぎないと捉える利己的な「1」マインドと、会社のために身を粉にして徹底的に尽くそうとする利他的な「8」マインドの違い。

 

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ループする思想 (2016.5.12 22:39)

 

思想の無限ループ

1」:新しい理が現れる
2」:万象と照応させる
3」:人々に語り広める
4」:心に定着し始める
5」:旧い規範が改まる
6」:自他を律し始める
7」:内奥を求め始める
8」:自我を理に捧げる
9」:自我も理も溶ける
0」:全てが無へと帰る

 

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現れる (2016.5.12 22:09)

 

1」も「3」も「何かが現れる」というイメージを持つが、両者には違いがある。

1」はそれまで何も無かったところから突如として出現するイメージ。

3」はそれまで何かの内部に隠れていたものを外側に現出させるイメージ。

突如湧くイメージが「1」で、それを発表するのが「3」。

 

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主客逆転 (2016.5.12 21:28)

 

この会社(組織)にとって私は必要な存在なのかな?

もし悩んだら「主体」と「客体」を入れ替えてみればいい。

私にとってこの会社(組織)は必要な存在なのかな?

 

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「性質」と「性格」 (2016.5.12 12:32)

 

僕はヒトに先天的に備わっている資質を「性質」と捉え、ヒトが環境に対応していく中で後天的に育っていく資質を「性格」と捉えている。

環境というものは千差万別であり、それにより育まれる「性格」はバラエティに富むだろうが、本質的な「性質」はせいぜい数パターンくらいしか無いと考えている。

 

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「知」の相互作用 (2016.5.12 8:35)

 

2(思考のコスモス)」という関連付けを「7(思考のカオス)」でバラバラに解し、また別の「2」を作り直す作業。

これを行う際にまず必要となるのは徹底した「2(観察)」であり、これを続けることにより「7(洞察)」の力が手に入る。

観る」と「問う」の相互作用で「」は作られる。

 

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「0」の人 (2016.5.12 8:08)

 

西暦0年0月0日という日が無い以上、単数変換して「0」となる人は存在しないし、これからも現れないだろう。

でも人生を大いに彷徨い、諦念を招き寄せた結果、つまり「9」を懸命に生きた人が「0(虚無)」へと至るケースは多い。

わざとらしい喜びも哀しみも存在しない無色透明の境地だ。

 

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真なるもの (2016.5.12 0:20)

 

様々な宗教や思想が絶対的な《真なるもの》を目指しているけれど、これは《真ではないもの》を自動的に大量生産していくことにつながる。

そうなると今度は両者の間に価値の差というものが生まれてしまう。

そもそも全てが《》であると捉える僕からすれば、目指すも否もどちらでも良いことだ。

 

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映写箱 (2016.5.11 23:29)

 

1」という光点から放たれた光が、「2」という対象に当たって反射し、「3」というイメージとなって拡大投影され、「4」という閉じられた映写箱の中でヒトは当たり前に生きていく。

そんな「4」という映写箱を「5」という冒険心で破り壊せたなら、その時から「退屈」の二文字は消滅するはず。

 

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「くう」か「から」か (2016.5.11 21:43)

 

このセカイを「9(空・くう)」と捉えるのか、はたまた「0(空・から)」と捉えるのか。

この「9」と「0」を混同しないようになれば、セカイはその秘密の一端を垣間見せてくれるかもしれないね。

 

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手相へのツッコミ (2016.5.11 21:08)

 

手相」という手に刻まれたシワは、当人の性質や運命を意味し得る「験(しるし)」として定義付けしているに過ぎず、決して「手相」自体が摩訶不思議な理で当人を操っているわけではないよね。

もしそうならば、手の無い人はいったいどうなるの?という単純な話。

 

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犬のマーキング (2016.5.11 18:09)

 

誰かのとある意見に対して別の誰かが補足する場合、元の意見を肯定した上で補足する人と、元の意見の不足を指摘した上で補足する人とがいるね。

前の犬のマーキングをそのままにして他の電柱に排尿を施すのが前者で、前の犬のマーキングを上書きすべく同じ電柱に排尿を施すのが後者という感じ。

 

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「理」を描く (2016.5.11 17:43)

 

僕は「真理」という過剰な唯一性を帯びた語は好みではないので、なるべく「理(ことわり)」という語を用いている。

そして、そんな「」の一端を描画するツールは、アストロロジーでもヌメロロジーでもヌーソロジーでも何でもいいと思う。

その「」をより写実的に描く行為を楽しめればいい。

 

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理想という否定 (2016.5.11 16:10)

 

6」という数が示すのはすなわち現状の否定であり、要は「今は美しくないが、これから美しくしていく」という《理想》を表す数とも言える。

この鏡の如く美しい《理想》を目指すべく、現状という凹凸は磨かれていくが「凹凸こそが愉悦の源だ!」などと「3」というカオスは盛んに抵抗を試みる。

 

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楽観+悲観=自然 (2016.5.11 15:28)

 

そうしたいからそうする!」から入る「3」の楽観主義

そうなりたくないからそうしない」から入る「6」の悲観主義

ダイナミックな「3」でカオスをも楽しみ、スタティックな「6」でコスモスを作り上げる。

そんな「3」と「6」とが回転しながら「9」という自然を生み出していく。

 

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ぬいぐるみ (2016.5.11 14:22)

 

悲しみというものは、まるで寝る時に抱きしめるボロボロのぬいぐるみのようだ。

自己憐憫のたびにきつく抱きしめられて、縫い目がほつれ、中の綿があふれ出す。

でもいざ捨てようとすると、憐れむようなぬいぐるみの眼差しによって奇妙な罪悪感が芽生え、再びゴミ箱から取り出してしまう。

 

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微睡(まどろ)み (2016.5.11 14:12)

 

偶奇両有、つまり動性と静性の混交である「9」とは、ある意味「半醒半眠」のよう。

それは有意識と無意識の境目を溶かしながら、自在に行き来するようなものであり、平たい表現を用いるならば「微睡(まどろ)み」という感じが相応しい。

微睡めばあちらの世界にもこちらの世界にも旅ができる。

 

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ライフロンダリング (2016.5.11 14:03)

 

人為的な努力である「8(忍ぶ)」の先には、人為をやめて時の流れに委ねる「9(諦め)」という無為自然が待っている。

諦めた様々なものたちは次の見えない「0(虚無)」を通過することでリセットされ、再び真っさらな「1(前進力)」へと生まれ変わる。

これが「ライフロンダリング」だ。

 

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エゴの強い愛 (2016.5.11 13:22)

 

幼い頃の環境や教育などの影響で、遊び楽しむことにより自己愛を満たす「3」的行為がうまくできない人もいる。

そういう人は他者を助けることにより、つまり逆数「6」的な他者愛により自己愛を補完しようとする。

でもそれはエゴの強い愛となり、いくら施せども癒されないループに陥ることも。

 

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悪意なき蜘蛛の罠 (2016.5.10 23:53)

 

8」の人が自らのやっていることを知人に勧める行為。

逆数秘術的にこじつけるのなら、それは「8」という一桁最大の偶数が持つコントロール性や支配性の現れかも。

つまり相手にも自分と同じことをさせることで、無意識の内に自らの時間的秩序に相手を取り込もうとする悪意のない蜘蛛の罠だ。

 

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架空の天秤 (2016.5.10 22:48)

 

自身の今の心境や状態をまずは「」でこじつけてみよう。

そうしたらその「」の逆数や補数などをイメージして、元の「」と共に架空の天秤に載せてみよう。

そのバランスが取れているのかどうかを確かめるゆとりこそが、自身を救うヒントにつながる。

」の対称性に答えは眠っている。

 

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快楽と禁欲の間 (2016.5.10 16:40)

 

3」というエピキュリズム(快楽主義)と「6」というストイシズム(禁欲主義)の真ん中あたりで「9」としてナチュラリズム(自然主義)に漂えればいいね。

 

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「ツール」の分離 (2016.5.10 15:37)

 

直観(1・8)も、思考(2・7)も、感情(3・6)も、感覚(4・5)も、それらはその人自身ではなくただのツールに過ぎない。

そしてそれらを緩く内包する全体(9)も、それを拒む虚無(0)も、その人自身を覆い包むツールでしかない。

それらをその人から分離することから分析が始まる。

 

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鑑定再開の是非 (2016.5.10 15:08)

 

鑑定再開をダイスに問う。

白(有利点)「5」:術理の更新ができそう

黒(不利点)「5」:また気まぐれで止めそう

透明(鍵)「8」:人や場に流されず自制に努める

出目合計(最終判断)5+5+8→18→「9」:今決めず臨機応変に

 

 

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対人関係の悩み (2016.5.10 14:28)

 

2」という数には線を引くイメージから「人間関係」の意があるが、これに苦しみ始めると二つの隣接数がマイナス方向に刺激されていく。

全ての問題を自らに起因するものとして捉えてしまう「1」の自意識過剰

どんな些細なことでさえ極めて大袈裟に捉えてしまう「3」の拡大解釈

 

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心地良い傍若無人 (2016.5.10 14:03)

 

究極的には「1」とはカミでありケモノであり、傍若無人の語が良く似合う存在。

それは偶数的社会の持つ閉塞感や退屈感を吹き飛ばす大嵐であり、それらを吹き飛ばした後には何とも言えないカラッとした空気が残る。

そこには補数「9」のような、どんな存在でも赦されるような心地良さがある。

 

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システムの不備 (2016.5.9 14:46)

 

システムの不備をボランティアなどの善意により一時的に補完するのはいいんだけど、その人様の善意に胡座をかいてしまい、管理者や為政者がシステムの不備を直さなくなるのは如何なものか。

そういうことが散見される現実を思うと長期間の善意というものも考えものではある。

 

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ルーティンの検証 (2016.5.9 14:13)

 

ヒトが何かを「思い込む」、つまり「○○は△△である」という「2(関連付け)」に凝り固まるまではまだいい。

問題なのはその「2」をパターンとして完全に固定化し、更にルーティンとして延々と適用し続けてしまうことだ。

その「2」の適用可否を「7(検証)」を用いて常に確認していく。

 

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まず空っぽにする (2016.5.9 13:49)

 

そんなに空腹ではない時の食事と、ハンパない空腹感に支配された時の食事とでは、後者の方が満足感(幸福感)は高くなる。

つまりその食事という行為の前後における状態の差異(ギャップ)が大きいほど、幸福感を得やすくなるわけだ。

手早く幸福感を味わいたいなら、まずは空っぽにすることだ。

 

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幸せの定義付け (2016.5.9 12:47)

 

ヒトは一生を通して「幸せ」を探し求める生き物だけど、問題なのは探す際の指標となるはずの「幸せ」の定義がコロコロ変わること。

だから「幸せ」そのものを探すよりも、それをどう定義付けするかの方をまずアプローチしていく。

すると何でもないようなことが「幸せ」として定義付けできる。

 

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スケール (2016.5.9 12:12)

 

その人の「スケール」と訪れた運(偶然)の「スケール」とが掛け離れていればいるほど、その人は不幸になっていく。

この場合の「スケール」とは別に社会的立場等の高低ではなく、運の大きさに合わせた気宇壮大さを持ち合わせているかということ。

大らかになれば、自らの「容積」も増えていく。

 

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成長への発破 (2016.5.9 12:00)

 

3(表現力)」を駆使する表現者が二つの隣接数に甘え始めると、その成長が頭打ちとなる。

つまり自らを認めてくれる「2(人との関係)」と、自らを許してくれる「4(場との関係)」の二つだ。

この両者との繋がりが危うくなった時こそ正に「更新」のチャンスであり、成長への発破となる。

 

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更新作業 (2016.5.9 11:15)

 

まるで四方を壁で囲んだような「4」というルールを、その窮屈さに耐えかねた「5」という冒険者が隙を突いて破っていく。

もちろん「4」は破られっぱなしではなく、破れを直し、隙を埋め、壁を厚くすることで偶数ゆえの不自由さが強まる代わりに安定性を高めていく。

偶数は奇数で更新される。

 

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視えないもの (2016.5.8 17:02)

 

前を視る人は、後が視えない。

上を視る人は、下が視えない。

外を視る人は、内が視えない。

視えるもの全てを視る人は、視えないもの全てが視えない。

可視不可視にかかわらず全てを視る人は、何も視えないのと同じことになる。

視えないもの」があることで「視える」が生まれる。

 

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「過去」の参照 (2016.5.8 14:48)

 

四分類のうち、直観感情感覚はその場のその一瞬にのみ湧き上がるもの。

それらは過去に移った途端にアーカイブ化され、思考の数である「2(言語化思考のコスモス)」や「7(非言語化思考のカオス)」により何度もリプレイされる。

つまり「思考」は全て「過去」の参照から始まっていく。

 

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「自明」と「哲学」 (2016.5.8 14:31)

 

逆数秘術において最小の奇数「1(自明)」とは、自らが自らであることが既に明らかであり、証明作業を一切必要としないこと。

そして最大の奇数「7(哲学)」とは、自らとはいったい何者なのかということを証明するべく思考を重ねること。

1」は未来へと向かい、「7」は過去を掘り下げる。

 

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ニセモノの「自尊」 (2016.5.8 14:03)

 

自虐」とは歪んだ「自尊」。

自らを高めることで得られるはずの「自尊」を諦め、自らを貶めるという「自虐」によって「自虐できる自分の優位性」というニセモノの「自尊」を得ていく。

それはまるで穴の開いた茶碗のようであり、いくら「自尊」につながるものを入れても漏れるだけとなる。

 

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地図 (2016.5.8 13:03)

 

旅に出ず「地図」を見ているだけで満足する人。

地図」を覚えてから旅に出る人。

旅から帰ってから「地図」を見て検証する人。

地図」を見ずに行き当たりばったりの旅をする人。

この「地図」とは数秘術のチャートや占星術のホロスコープの喩えであり、その使い方は自由ということだ。

 

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「0」の捉え方次第 (2016.5.8 12:30)

 

0(虚無)」を不可能性という絶望として捉えるのか、それとも可能性という希望として捉えるのか。

0(虚無)」というものに後向きに怯えるのか、それとも前向きに親しむのか。

どちらを選ぶかで「9」の人生は大きく変わっていく。

 

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柔らかい幸せ (2016.5.8 9:59)

 

確信的な定義付けによってガチガチに固められた「固い幸せ」。

定義付けを曖昧にすることで柔軟に対応していく「柔らかい幸せ」。

幸せとはこういうことだ!」という前者の幸せに向かって邁進するのも悪くはないけれど、「まぁこういう幸せもあるよね」と後者の幸せに寛ぐのもいいもんだよ。

 

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分けられなさ (2016.5.7 23:03)

 

1」と「8」は直観。
3」と「6」は感情。
5」と「4」は感覚。
7」と「2」は思考。

逆数秘術では便宜上四つに分類しているが、実際のヒトの機能はこんな明確には分けられない。

この「分けられなさ」こそが偶奇両有の「9」というカオスモスであり、これがヒトを満たしている。

 

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対象を具に観る (2016.5.7 13:35)

 

7(洞察)」という思考のカオスの泥沼にはまった人は、観たものに余計なものをくっ付けたり、観てもいないのに勝手に負のイメージ像をこしらえたりする。

そこから抜け出すには逆数「2(観察)」を駆使し、私見を挟まず対象を具に観てみるといい。

きっと「7」が生んだ幻に気付けるはずだ。

 

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墓参りという行為 (2016.5.7 13:18)

 

墓参りの際、ヒトは墓前にて様々な言葉を掛けたりする。

音声として発せられたり、心の中で語られたりする。

」というデバイスを介して、ヒトは自らの中の死者を目覚めさせ、そして目覚めた死者によるカウンセリングを受けていく。

墓参りとは死者の不死性の確認作業でもあるのだ。

 

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本の生命性 (2016.5.7 12:38)

 

昨日買った本には前の持ち主の書き込みが至る所に残っている。

これは著書の中に「読者によるピックアップ」という、もう一つの著書ができあがったかのようだ。

本来ならあまり好まれないだろうが、僕はむしろこの方が《本の生命性》を感じる。

 

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なぜ定義付けたのか (2016.5.7 12:04)

 

大事なのはヒトによって定義されたモノの方ではなく、その定義付けに至った動機の方だと思う。

たとえば《カミ(神)》という「定義」自体の話をいくら繰り返しても埒があかないから、むしろそれをなぜ《カミ(神)》と「定義付け」するに至ったのかをとことん探っていこうよ、という話。

 

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ルサンチマン (2016.5.7 11:57)

 

2」という思考のコスモス(言語化)は「被支配」をも表すが、支配者が自らの期待に応えてくれないなどの不遇が言語化できない「7」という思考のカオスとなって澱(おり)の如く内側に沈んでいく。

そんな「7」を十把一からげに「2(関連付け)」で言語化したものが「ルサンチマン」なのかも。

 

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タロットの「皇帝」 (2016.5.7 10:40他)

 

タロットの「皇帝」は「4」だが、これを逆数「5」でこじつけてみても面白い。

4」という自己帝国を維持し続けるためには誰も支配せず、そして誰にも支配されない「5」的な「中立性」が鍵となる。

他者の支配・被支配は自己帝国劣化の原因となるため、「皇帝」には他者が描かれていない。

タロットにおける「皇帝」、つまり「4」が逆数「5」を駆使し、支配・被支配の柵(しがらみ)から自由となり、玉座の位置にも固執しなければ自らの帝国の「4(維持)」はむしろ盤石なものとなる。

しかし「5」を使わず「4」ばかりに明け暮れて玉座の不動性に拘れば、無精者の帝国は瓦解する。

 

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本業・副業 (2016.5.6 19:47)

 

どうやら最近の僕は本業と副業の境目が消えてしまったようだ。

数秘術が本業でも副業でも趣味でも、そんなのは割とどうでもよくて、僕は単に数秘術でずっと遊んでいたいだけ。

ずっと気ままに数秘術で遊び戯れ、たまにそれが収入になる。

メインとサブという二項構造がバラバラになる快感だ。

 

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甘える (2016.5.6 16:05)

 

甘えられる人という「2」的存在と甘えられる場という「4」的存在、この両者の間でこそ「3(感情のカオス)」が解放できる。

そんな「3」的な甘えが不快であれば、当人を「6」的に矯正する前に「2」か「4」いずれかの存在感を弱めてもよい。

でも「3」的に甘えることで救われる命もある。

 

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煮詰める (2016.5.6 14:31)

 

真実」とは、エゴの炎により煮詰められて濃厚になった「事実」のこと。

癖になるほど味わい深いが、摂りすぎると毒となる。

 

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「笑い」で昇華する (2016.5.6 14:10)

 

当人の真剣度に関わらず、自らの内側で「7(思考のカオス)」を暴れ続けさせると、それは補数「3(感情のカオス)」のように開けっぴろげなコメディへと変わっていく。

でも内なる嵐の「7」が「3」へと転化し外側へと吹き荒れることにより、当人も周囲も「笑い」の形で昇華できるかもしれない。

 

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清潔 (2016.5.6 13:52)

 

数秘術において「6」とは「」を表す数であり、これには「清潔にする」という意味も含まれる。

自らを清潔に保つ方が快適さや健康につながる、もちろんそれもある。

しかし、実際には他人に不快な思いをさせないよう、社会秩序維持のため極度に「清潔」を強いられているような重苦しさがある。

 

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焚き火 (2016.5.6 12:59)

 

都市部においてすっかり嗅げなくなった焚き火の煙は、いまや郷愁を誘う心地良きアロマだね。

 

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充実感 (2016.5.6 12:56)

 

ヒトは《充実感》という麻薬を求め、味わい、縋(すが)り、そしてその毒に冒されながら一生を終えていく。

 

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「数」の話 (2016.5.6 12:44)

 

僕が「」の話をする際は、いくつか使い分け方がある。

「2」の人:基本数が「2」の人

「2」な人:「2」の要素が強い(または目立つ)人

「2」マインド:誰しもが持っている「2」の要素

つまり《「2」マインド》という表現の際は、みんなに当てはまる話を展開しているということ。

 

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握手 (2016.5.6 12:36)

 

握手する相手の手や目を観るのが「2」マインドであり、たとえ相手の頭や心に疚(やま)しさが無くとも、手や目に繋がる意志を感じられなければ握手しない。

握手する相手の頭や心を読むのが「7」マインドであり、たとえ相手の手や目が歓迎ムードであっても、頭や心を読み解けなければ握手しない。

 

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結婚と未婚のあいだ (2016.5.6 11:17)

 

結婚している》自分。
結婚していない》自分。

この二つだけでイメージするから、いろいろしんどくなる。

結婚しているようなしていないような、そんなあやふやな関係の中で寛ぐ》自分。

これを自らの人生にイメージできれば、もう少しいろんなものがラクになっていくんじゃないかな。

 

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確率論 (2016.5.6 11:10)

 

確率」という指標は《》においては有効だが、《》においては全く意味をなさない。

》にとって出来事とは起こる(100%)か起こらないか(0%)の両極しかないからだ。

でもどちらにも属さない曖昧なグラデーション的解釈を取り入れることで、丁半博打的ストレスからは逃れられる。

 

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「数」の花を咲かせる (2016.5.6 9:58)

 

」を学ぶ際には、その「」通りに生きている人を参考にするのが一番手っ取り早い。

そんな人をつぶさに見ていくと、その「」だけではなく逆数や補数、そして隣接数などのような他の「」をうまく用いていることに気づけるはず。

」は他の「」との関係性の中で花咲くようになる。

 

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「個」か「群」か (2016.5.6 9:45)

 

奇数人「あのさぁ、《個》あっての《群》だろ」

偶数人「いやいや、《群》あっての《個》だろ」

9」な人「まぁまぁ、どちらも大事だよ」

奇数人偶数人「うるさい!」

0」化した「9」な人「…みな滅びてしまえ」

 

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跳躍の軌跡 (2016.5.5 22:25)

 

逆数秘術において生年月日から導き出される「1」から「9」の基本数は、その名の通りその人にとっての「ベース」であるに過ぎない。

むしろ大切なのは、その「ベース」から逆数や補数などの他の数にどう跳躍するか、ということ。

数から数への跳躍の軌跡が、その人の「その人らしさ」となる。

 

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二つのウソ (2016.5.5 22:15)

 

自分をより大きめに見せようとするのが「3(自己愛)」的なウソであり、自分を傷付けないためのウソ。

自分をより控えめに見せようとするのが「6(他者愛)」的なウソであり、他人を傷付けないためのウソ。

人間の坩堝(るつぼ)の中で生きていくため、この二つのウソを巧みに使い分けていく。

 

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ダークマター (2016.5.5 21:55)

 

まず初めに「0」があり、そこから突如として「1」が発生するというイメージ。

でも実はこの「0」が「0(虚無)」のように見える「9(充満)」だったとしたならば、その充満物が一点に集中することで「1」が発生するというイメージが湧く。

この「9」はまるで宇宙のダークマターのようだ。

 

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無運 (2016.5.5 18:02)

 

幸運」も追わないし、「不運」も避けない。

僕がなりたいのは「」という概念に囚われない「無運」というスタイル。

 

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所有・不所有 (2016.5.5 15:43)

 

奇数(1・3・5・7)はそれ自体が動的・混沌・チカラであり、自由であるからこそ何も所有しない。

偶数(2・4・6・8)はそれ自体が静的・秩序・カタチであり、不自由であるからこそ何かを所有する。

偶奇両有の「9」は所有と不所有とが入り混じり、どちらも無化されて囚われなくなる。

 

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不自由な偶像 (2016.5.5 14:08)

 

アイドル(偶像)」とは、つまりヒトの偶数化(静的・秩序・カタチ)の極致であり、その固定化は当人の人格にまで及ぶ。

当人がいくら人格の奇数化(動的・混沌・チカラ)を試みようとも、周囲により固められた人格イメージの更新自体が脅威とみなされ拒絶される。

アイドル」に自由はない。

 

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幸福感 (2016.5.5 13:28)

 

宗教的なアプローチにより一種の「幸福感」に包まれることがある。

これは「3」的な「多幸感」のようにも見えるが「多幸感」とは過剰に増幅された「幸福感」であり、そのため反作用を及ぼす危険性が出てくる。

多過ぎない「幸福感」は自他の垣根を消し去り、「9」的に柔らかく包み込んでいく。

 

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不思議な平野レミ (2016.5.5 11:24)

 

平野レミの料理番組を観ている。

おしゃべりしながらざっくばらんに、そして大雑把にも見える彼女の料理スタイルはとても「3」っぽい。

でも細かく見ていくと「6」的な効率化が至る所に垣間見える。

そんな彼女は「9」の人。
いろんな固定観念をドロドロに溶かしていく不思議な人だ。

 

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一歩と八歩 (2016.5.5 10:33)

 

獣の如き衝動で、勢いよく一歩を踏み出していくのが「1」マインドの持つ「直観のカオス」。

八歩先までのルートを策定し、慎重に歩みを進めるのが「8」マインドの持つ「直観のコスモス」。

1」であればあるほど「8」が巧くなりやすく、「8」であればあるほど「1」が強くなりやすい。

 

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おじゃマップ (2016.5.4 20:00)

 

とりあえず「おじゃマップ」での鑑定部分が無難な感じでまとまってて良かった。

あなたは○年後○○になります!」的な占いはね、もうやりたくないのよ。

相手の未来を占いで操作することほど罪深いものはないからね。

 

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博愛と無愛 (2016.5.4 16:22)

 

みんなを分け隔てなく愛そうとする「9(博愛)」って、一歩間違えるとただの「0(無愛)」になってしまうんだね。

 

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二つのレクチャー (2016.5.4 15:29)

 

相手に合わせて最適化を行い、きちんと組み立てながら教えるのが「6」的なレクチャー。

最適化は相手に任せて、出せるものは惜しげもなく出していくのが「3」的なレクチャー。

一般的なレクチャーは前者のイメージが強いけれど、僕の逆数秘術講座は後者のスタイルをモットーとしている。

 

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導きの無理強い (2016.5.4 15:21)

 

我が道を行く「1(カリスマ)」に対し、周囲が勝手に「8(コントロール)」性を与えてしまい「この人はきっと我々を導いてくれるに違いない!」などと思い込むケースがある。

そんな気などさらさら無かった「1」がついその気になることもあるし、良からぬ取り巻きがそれを悪用するケースも多い。

 

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自力救済宣言 (2016.5.4 14:26)

 

自己責任論を振りかざして相手を殴り続けていると「ならば自力救済します!」などと宣言され、カウンターフルボッコされるからあまり追い込まない方がいいと思うな。

 

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「美徳」への疲れ (2016.5.4 13:14)

 

昨今目立つ一部のヒトの過剰な「3(自己愛的奔放)」は、幼少期より散々に押し付けられ、そしてボロボロに使い古された「6(他者愛的美徳)」への反動のようにも見える。

他人には激しく「6(美徳)」であることを求める割に、実は自身が「6」であり続けることに疲れ果てているのかもしれない。

 

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どうせ… (2016.5.4 11:34)

 

どうせ…」という言葉は自らの不遇性の安定化(鎮静化)を図るために用いられる生存戦略兵器

だからこの言葉を使うことを無理に止めさせると、不遇な自分とそうでない自分とのギャップの間に発生する大嵐に耐えかねて、その人の心が壊れてしまうこともある。

どうせ…」で安らぐ人もいる。

 

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消えるか、消すか (2016.5.4 11:13)

 

健全な「9」は「消えていく」であり、逆数「0」に苛まれた「9」は「消していく」となる。

前者は種々の嫌なものを赦し諦めることにより、自らの意識からそれらがぼんやりと「消えていく」。

後者は種々の嫌なものを嫌悪する自らが嫌になり、自らを意識だけではなく物理的にも「消していく」。

 

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「3」の正体を探れ (2016.5.4 10:57)

 

自らの「3(感情の発露)」は本当にありのままの感情を出しているのか?

ただ他人に構ってもらいたいがため、戦略的に(わざとらしく)出しているだけではないのか?

自らの「3」、そして他人の「3」の正体や目的を、補数の「7(洞察・検証)」を駆使してよく吟味することはとても重要だ。

 

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「暦」の支配 (2016.5.4 10:45)

 

人類は農作を行うにあたり「」を発達させていったと同時に「」の支配を受け入れることとなった。

でも今や空調の効いた工場内でのLEDライトによる栽培、つまり「」に左右されない農作が可能となりつつある。

これは人類が「」による支配から脱け出す端緒となるのではなかろうか。

 

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不発屋 (2016.5.4 10:25)

 

とりあえず「この一発屋風情が!」などと一般人からバカにされた芸人は「うるさい!この不発屋!」と罵り返せばいいよ。

 

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偶然という神秘 (2016.5.4 10:14)

 

これは「卜(ぼく)術」全体に言えることだと思うけど、神秘性を持たせた道具を用いることにより、現れた偶然も神秘性を帯びるというわけではないよね。

道具の神秘性の有無に関わらず、偶然自体が単独で神秘的なんだよ。

それこそうんこが右に曲がったか左に曲がったかでも占いは成立するんだ。

 

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アクリル製ダイス (2016.5.4 10:05)

 

神秘もへったくれもないアクリル製の十面ダイスをころころと転がすだけで、うんうんと悩む時間が節約できるならこれほど効率的なことはないよね。

 

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無常の常 (2016.5.4 1:44)

 

強風によって古い大木が倒れるニュースをたまに見かける。

まるで「5(革新・自由)」の大嵐が「4(伝統・安定)」の大木を薙ぎ倒すかのようだ。

でも「5」があるからこそ「4」が「4」であることの価値は高まるし、両者が交互に現れることにより「9」という「無常の常」の理が見えてくる。

 

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みんな「9」なんだ (2016.5.3 22:36)

 

1」から「9」まで、みんなそれぞれいるけれど、数秘術的に見て奇数も偶数も一つに混ざり合った「9」を全員に当てがえばいいと、割と本気で思っているよ。

みんな違うようでいて、でも実は同じなんだ、ということを表すにはそれが手っ取り早いと思うから。

マクロで見れば、みんな宇宙だよ。

 

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最強の布教兵器 (2016.5.3 19:09)

 

岡山講座の受講生の一人は、広島カープそのものといっていいほどのファンであり、そして「1」の人でもある。

隣接数である「9(忘我)」と「2(信心)」を手に入れた「1」の人のアクションは正に最強の布教兵器と化す。

これだけの応援を目の当たりにしたなら、僕も思わず応援をしてしまう。

 

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不謹慎ラベル (2016.5.3 16:32)

 

感情のカオスである「3」とは個人の快楽追求そのものを表すが、社会秩序の中においては「6」という感情のコスモス化を余儀無くされるし、カオスのままでいようとすれば「不謹慎」ラベルを貼られてしまう。

問題は社会が個人の領域まで侵し始め「不謹慎」ラベルでグルグル巻きにしてしまうことだ。

 

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理由の後付け (2016.5.3 16:16)

 

ヒトは自らの行動に理由を後付けしたがる。

それは自らの行動に正当性や妥当性を与えようとする戦略であり、その理由がいかに素直なものに見えても、戦略的である以上素直なものではない。

理由を後付けしないことが「1」という素直さであり、ただそれをやったという事実に物語らせればいい。

 

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生と死 (2016.5.3 15:50)

 

」は不平等、「」は平等。

 

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永遠を作る刹那 (2016.5.3 13:16)

 

何かに夢中になったり集中している間は、その人の中の「時間」はまるで止まっているかのような感覚となる。

まるで自我の境界線がおぼろげとなり、時間も含めた全てのものと溶け合うことで一時的に現出している「9(永遠)」のよう。

それは連続する「1(刹那)」によって紡ぎ出されていく。

 

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普遍的アドバイス (2016.5.3 12:55)

 

タイミングを見計らう」ための占いもいいけれど、時期的なものに囚われず「人生においてより普遍的なアドバイスを得る」ための占いもいいよね。

僕の逆数秘術は後者寄りだね。

 

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偶数で大人になる (2016.5.2 23:22)

 

若き過ちを悔やむ(7)人も、いつかは誰かと結ばれる(2)。

世間や常識に抗う(5)人も、やがては守るべき家を持つ(4)。

好きに楽しく遊ぶ(3)人も、そのうち子供を教え育む(6)。

己を恃み突き進む(1)人も、いずれは自制し人を統べる(8)。

偶数を受け入れて大人になる。

 

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苦いニセモノ (2016.5.2 17:16)

 

苦いホンモノ」よりも「甘いニセモノ」の方を求めるヒトは多い。

でも「苦いホンモノ」の方を強く求めるヒトだっている。

更には「苦いニセモノ」ですら愛してくれる奇矯なヒトだっている。

だから何だって作ってみればいいし、出してみればいいし、売ってみればいいんだ。

 

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こじつけアート (2016.5.2 13:04)

 

占い」というものが本当の意味で楽しくなり始めるのは、それが「こじつけアート」であると気付いた時からだよ。

シンボルと万象とを、自在にアーティスティックにこじつけていけば、意識は柔らかく変わっていく。

 

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コミュ消 (2016.5.2 12:05)

 

僕自身「コミュ障」であることを自覚していて、でもコミュニケーション能力をわざわざ上げる必要性を感じないからこそ、面倒なコミュニケーションから足を洗うべく「コミュ消(コミュニケーション消極化)」を心掛けているんだ。

これでとてもラクになったよ僕は(当人比)。

 

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違和感の元凶探し (2016.5.2 11:21)

 

自分探し」というあやふやなことを行う前に「違和感の元凶探し」をやった方が早いかも。

自らの心のスクリーンに映し出された理想の自己像と現在の自己像との不一致により「自分探し」を行うわけだから。

その不一致という「違和感」の元をたどると理想の自己像の方に問題が見つかったりする。

 

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わざわざ好かれる (2016.5.2 10:48)

 

その人はただわざわざ好かれるための努力をしていないだけなのに「なぜあなたはわざわざ嫌われようとするの?」などと詰る人がいたりする。

それは人々が「世間では人がわざわざ好かれるための努力を行うのは当たり前のことである」という《常識》に支配されている、ということを物語っている。

 

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無感風呂 (2016.5.2 8:15)

 

不幸でもなく、かといって幸福でもない「無感風呂」みたいな状態だと、そこに長く入っていられる。

冷えもせず、のぼせもしない心地よさ。

 

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ミニマリズム (2016.5.1 13:43)

 

装飾性を極力切り詰めて簡素なものとし、一つのテーマをマイナーチェンジしながら延々と繰り返す「ミニマリズム」な生き方が「4」のテーマと言える。

それはマクロで見ればただの「4(日常的安定)」にしか見えないが、ミクロで見ればとてつもない「5(非日常的革新)」として渦巻いている。

 

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足りないくらいで (2016.5.1 11:37)

 

マイナス(-)ドライバーでプラス(+)のネジを回せることはあるけれど、プラスドライバーでマイナスのネジを回すことはできない。

何かが足りないくらいの方が、むしろ汎用性の高さにつながっていくこともある。

 

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労働者 (2016.5.1 10:44)

 

6」は社会奉仕を表す数であり、これを行う人は「労働者」となる。

社会奉仕には当然ながら育児や家事というものも含まれるし、これらに従事する人も立派な「労働者」だ。

労働者には報酬(賃金とは限らない)が必要だが、感謝や労いの言葉も含めた報酬はきちんと受け取れているだろうか。

 

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メーデー (2016.5.1 10:30)

 

今日5/1(5+1→「6」)は労働者の祭典「メーデー」だけど、社会奉仕者の最小単位としての労働者は、正に「6(ホスピタリティ)」という数に相応しい。

そんな「6」的な労働者が逆数「3(自己アピール)」的に声を上げて労働者権利を主張する日、それが「メーデー」なんだ。

 

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居心地の良い店 (2016.5.1 10:10)

 

お客も売り上げも増やそう伸ばそうと躍起になっているお店よりも「まぁ他で稼げるから、ここではそこまで頑張らなくてもいいや」マインドのお店の方が僕としては居心地いいなぁ。

 

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研ぎ澄まされる感覚 (2016.5.1 2:43)

 

地震によって自らの「5(感覚のカオス)」は鋭く研ぎ澄まされ、今までは無視できていた揺れでさえも敏感に反応してしまう。

それはヒトの防衛機能の発動に違いないのだが、それが続けば疲弊する一方。

自らの「4(感覚のコスモス)」を取り戻すためには、とにかく揺れにくい地へ逃げることだ。

 

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ヒースクリフ (2016.5.1 2:30)

 

世界を創った「」がもし実存するのなら、もしかしたら一人のヒトとしてこの世界に出現しているのかもしれない。

自らが創った世界をただ外側から眺めていることに飽きたなら、次はその世界の中でプレーヤーとして楽しもうとするだろう。

「ソードアート・オンライン」のヒースクリフのように。

 

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厄介な哲学者の武器 (2016.5.1 1:38)

 

7(思考のカオス)」の権化とも言える「哲学者」だが、その性根が歪み始めると両隣の数という実に厄介な武器を振り回し始める。

周囲にやたらと「○○すべきである!」などという教訓を垂れまくる「6」的行為。

自らの存在や発言によって周囲の人々をコントロールしまくる「8」的行為。

 

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「4」という無精 (2016.5.1 0:29)

 

4」とは「不動」の数であり、そしてそれは「無精」にもつながっていく。

でもそれは自らが築いた枠の外に関する無精だったり無関心だったりするが、枠の中のことについてはマイペースではあるが、ただただひたすらに職人の如くレンガを積み上げ続けていける。

そこには「無精者」の姿はない。

 

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無精者宣言 (2016.5.1 0:16他)

 

高校生の頃から占いをやってきた、いや、やらされてきた僕は結局のところ占いがうまくならないまま今に至る。

自らの論理の枠に相手を閉じ込め、その中の要素だけでこじつけようとしてしまうからだ。

だから相手に寄り添う占いは僕にはできないし、特にしようとも思わない。

実に無精者だ。

でも「無精者」だからこそ最近は開き直り「一方的にメッセージをばら撒き、各々が勝手にそれを拾い上げてくれればいいし、嫌ならポイ捨てしてくれればいい」というやり方を貫いている。

そしてこのやり方を始めてから、つまり「人助け」の呪縛から解放されてから、漸くラクになってきた感がある。

 

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