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数秘術関連等ツイート(2016年4月分)
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ヒトの特徴 (2016.4.30 23:10)
なんでもない「偶然」を疑いようもない「必然」であると捉え直せること。
厳密な因果である「必然」をただの「偶然」であると流してしまえること。
この二つはヒトの持つ最もすばらしい点であり、そして最もすばらしくない点でもある。
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個=システム
(2016.4.30 21:54)
「1(個)」として生きようとすればするほど、社会という「8(システム)」に抗う戦いを余儀なくされる。
「8(システム)」の中で生きようとすればするほど、自らの「1(個)」を抑える戦いを余儀なくされる。
そんな戦いの果てに「個=システム」という「9(全)」的観念の祝福がある。
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心のタンス (2016.4.30 17:41)
「3」は感情のカオスであり、喜びも悲しみも心のタンスから乱雑にばら撒かれる。
「6」は感情のコスモスであり、喜びも悲しみも心のタンスに折り畳まれて仕舞われる。
そして心のタンスの開け閉めを繰り返すのに疲れ、喜びも悲しみも開けたままさらっと仕舞うのが「9」というカオスモス。
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その「発言」の前に
(2016.4.30 16:25)
「3(発言)」がその効果を大いに発揮するためには、「1(意志)」と「2(対象)」をハッキリさせる必要がある。
「1」がぼやけた「3」はただの妄言となり、「2」があやふやな「3」はただの放言となる。
「3」で一度表に出したら引っ込められないからこそ、「1」と「2」を見つめ直す。
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相互効果
(2016.4.30 15:55)
「7」の如く自らの内側で徹底的に練り上げるからこそ、初めて自信を持って「3」の如くのびのびと表現なり発表なりができるようになる。
「3」の如く自らにも他者にもよく聞こえるようにハッキリと表明することにより、そのメッセージは「7」の如く自他の内側において繰り返し共鳴反射していく。
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「アピール」の効能
(2016.4.30 15:29)
内側から外側に何かを出していく様を表すのが「3」であり、自己アピールや大声でハッキリと意思表示することにもつながる。
そしてこの「3」を行うことを躊躇わず、かつ恐れなければ、「2」という意中の人との関係を手に入れたり、「4」という意中の場を確保できる確率が上がることだろう。
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「現在」という「苦」 (2016.4.30 14:46)
「1」という「外向きの運動」はまだ来りぬ「未来」。
「7」という「内向きの運動」は過ぎ去りし「過去」。
この両者は常に動き回るカオスであり、追っていてはキリがない。
でも真ん中にある「4」、つまり「現在」という一瞬の「不動」に両者を集め寄せて固定化することで「苦」となる。
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尾木ママ
(2016.4.29 15:17)
「尾木ママ」こと尾木直樹氏は「7」の人だが、氏の他者への寄り添い方には逆数「2」が多く用いられている。
氏が使う「オネエ言葉」は交換日記を通じて女子生徒にアドバイスを贈る際、感性を高めるため染み付いたものだとか。
他者を良く観て、その仕草や言葉を真似る「2」のコピーイングだ。
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カップの8 (2016.4.29 11:23)
様々なものを支配・制御しようとする「8」マインドは実に多くのものを山積みにしていく。
そんな「8」から解放されるためには、逆数「1」を用いるのが手っ取り早いが、これは山積みの荷物を捨て去るのではなく、自身がその荷物から遠ざかっていくのだ。
タロットの「カップの8」のように。
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躊躇する手助け
(2016.4.29 10:12)
困っている人を見るに見かねて、スッと進み出て助けようとするのは正に「6」マインドの表れ。
でもそんな時に思わず「4」マインドが表れ、手を差し伸べることを躊躇してしまうこともある。
でもこの「4」は自らの安全を守ろうとする働きそのものであり、自責の念に駆られる必要はないんだ。
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「世界」は一方通行 (2016.4.28 23:09)
僕の「世界」とあなたの「世界」とが重なる部分だけが、ようやくにしてお互いに語り得る「世界」であり、そしてそれは実にちっぽけなもの。
相互理解に繋がるトンネルは、そのちっぽけな「世界」の中にしか通っておらず、しかも対面通行もできないくらいに細く、仄暗い。
進むのには勇気がいる。
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大変革はじっくりと
(2016.4.28 15:59)
「5」的な大変革を成し遂げる前に、まずは両隣の数を見つめ直してみよう。
今まで安定をもたらしてきた「4」的存在の価値と、これから作り出そうとする「6」的理想の正当性。
大事なものを壊さないためにも、「5」を行うのはそれらをじっくりと検証してからでも決して遅くはない。
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「信仰」の効果 (2016.4.28 12:51)
神たる存在と強固につながること、つまり「2(信仰)」という行為によって、両隣の「1(全能感)」と「3(多幸感)」が刺激される。
「神様に守られているから僕は何だってできるぞ!」という「1」の全能感。
「神様がそばに居てくれる!こんなに嬉しいことはない!」という「3」の多幸感。
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ブレる生き方
(2016.4.28 8:43)
「俺はブレずに生きていく!」などと「4(不動)」的な生き方を志す人は確かに自分自身はブレていなくても、周囲や社会の動きについていけずにそれらから大きくブレたりもする。
むしろ自らが「5(機敏)」的にブレまくることで、周囲や社会の変化に対応でき、それらからのブレは少なくなるかも。
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セレクティブ (2016.4.28 8:13)
そういえば以前「セレクティブ・ヌメロロジー」という占術(0〜9までの数を重複無しで3つ選び、選んだ順番を元にリーディングする)の概略を作って放ったらかしにしてたな。
これを講座化するのも面白いかもしれん。
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哲学の日 (2016.4.27 18:00)
今日4月27日は「哲学の日」とのこと。
紀元前399年4月27日、かのソクラテスが死刑宣告を受け、獄中で自ら毒杯を仰いで亡くなったという。
この年月日を単数変換すると「7(哲学)」という思考のカオスが現れるから、数秘術はやめられない。
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成長のライン (2016.4.27 17:53)
成長のラインって緩やかな右肩上がりでイメージされがちだけど、実際には飛躍的にグンと伸びるいくつかのポイントと全くと言っていいほど伸びない長い時間とを繰り返していく感じ。
何がきっかけで飛躍につながる「プチ開眼」をするか分からないから、短期間で投げ出すのもほどほどにね。
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「問う」能力 (2016.4.27 15:11一部改変)
「問う」という能力は後から鍛えることもできるけど、ある程度は才能として内蔵されていたりもするね。
だからいくら知識が少なくとも問える人は問えるし、いくら知識が豊富な人でも問えない人は問えない。
ただ蓄えた知識をとことん吟味することにより、自らの「問う」能力を鍛えることはできる。
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飛び級・飛び石 (2016.4.27 12:35)
飛び級的に最短ルートをたどる効率的な処世。
飛び石的に最短手順で簡潔明瞭な説明を試みるコミュニケーション。
この国ではどちらも欲する人が多い割に、他者のそれはあまり歓迎されず、一つ一つ順序をたどることを求められてしまう。
飛び級や飛び石に「嫉妬」以上の何かを感じてしまう性。
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「伝説」と「伝統」 (2016.4.27 12:00)
「伝説」という《点》となる奇数的な生き様。
「伝統」という《線》となる偶数的な生き方。
どちらも捨てがたい。
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「節制」と「摂生」 (2016.4.27 9:30)
「4」の「節制」は度を超さぬように欲を抑えることで健康を保つ、言わば消極的健康志向。
「6」の「摂生」は日常生活や食生活において進んで健康に留意する、言わば積極的健康志向。
「4」は余計なことをしないことで健康を保ち、「6」は様々な健康法を取り入れ、更にそれを周囲にも勧める。
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不摂生から摂生へ
(2016.4.27 8:59)
人生を謳歌するが故の「3(不摂生)」を味わい尽くしたのちに、逆数「6(摂生)」へと向かっていくのは別にいいと思う。
「3」→「6」への旅が急遽冥土への旅に変更にならなければの話だが。
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不可知論 (2016.4.27 8:32)
神を信じる有神論も、神の存在を否定する無神論も、どちらも明確に定義付けている時点で「2(信仰・関連)」のラインを引いているということ。
一方不可知論の場合は延々と「7(確認・検証)」を行った結果、分からないものは分からないという「9(放置・諦念)」に至ったとも言える。
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邪魔な「自負」 (2016.4.26 22:13)
「8(制御)」の強い人は自らの中の逆数「1(自負)」が邪魔をしてしまい、何でも自分で背負いこむことで苦しむパターンが多い。
そんな時は補数「2(委任)」を活かし、重過ぎる荷や決定権を他者に委ねることで負担を軽くしていく。
それでうまくいったなら、自らの「1」は傷付かずに済む。
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「遠慮」の人 (2016.4.26 21:45他)
一桁の偶数(静的・秩序・カタチ)で最大の「8」は自制(セルフコントロール)の数だけあって、本質的には「遠慮」の人なんだよね。
でも遠慮して損ばかり被ったり、心が傷付くことを重ねることで、抑え込んできた逆数「1(欲望)」を爆発させて「8」を外向き(支配・獲得)に使う人も現れる。
「8」が強い人の場合、その場その場で逆数「1」を戦略的に用いながら自らの欲求を分かるように周囲に伝えたりもするが、当然ながらそれはとても疲れてしまう。
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自由のための基地 (2016.4.26 20:33)
短期的に「5(自由)」を実現するならそれほど難しくはないけれど、長期的に「5」を続けていきたいのなら逆数「4(安定)」という「基地(ベース)」の整備は欠かせない。
「4」を蔑ろにしない人の元にこそ、本当の「5」はやってくる。
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「逆数」の活用 (2016.4.26 14:13)
「4」は自らの安定性を保つためなら、いくらでも逆数「5」を駆使してちょこまかと四方を飛び回ることだろう。
「5」は自らの自由性を保つためなら、いくらでも逆数「4」を駆使してその場でじっと留まり続けることだろう。
自らの「数」を達成するため、大いに「逆数」を活用していく。
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豆腐 (2016.4.26 13:01)
「正直自分のことだけで精一杯」
「他人の心を斟酌しているとキリがない」
「感覚が敏感過ぎるのも考えもの」
これらの言葉で表されるように「4」マインドの強い人は「鈍感さ」を戦略的に用いることで、自らを守り抜こうとすることがある。
か弱い豆腐を傷付けぬためには揺さぶらないことだ。
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ホリエモン的 (2016.4.26 12:43)
「4」のホリエモンが「9」の松本人志に「発言は大体間違ってはいないけれど、心がいつもない」などと言われたとのことだけど、同じ「4」の僕が正にホリエモン的なんだよなぁ。
他者マインド(心)経由で遠回りするより、自己ブレイン(頭)のみの最短ルートを採りたがる気持ちは良く分かる。
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「9」というテーマ (2016.4.26 8:41)
せっかく九年に一度の「9」の年なのだから「9」をテーマとして色々と考えていくのもいい。
偶奇両有の「9」とは「二元論」を超えていくということでもあるが、それは「二元論」を蔑み避けていては達成できない。
むしろ徹底的に「二元論」を考え抜いてこそ、やっと超えていけるものなんだ。
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配慮 (2016.4.26 8:26)
他者への配慮を面倒臭がったあげく、一人でフットワーク軽く行動していくのが「1」マインド。
自己への配慮を面倒臭がったあげく、つい必要以上の重荷を背負ってしまうのが「8」マインド。
「1」に抵抗を感じたなら「8」へと傾いていくし、「8」で懲りたなら「1」へと開き直っていく。
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面倒臭い (2016.4.26 8:06)
「3」の面倒臭いは、他にやりたいことがあるのにやりたくないことに時間を割くのは嫌だ、という意味での面倒臭いであり、つまり「動」がテーマ。
「4」の面倒臭いは、今現在の安定パターンを崩すような煩わしさに思わず抵抗してしまう、という意味での面倒臭いであり、つまり「静」がテーマ。
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「不幸」の扱い方
(2016.4.25 23:20)
がむしゃらに「不幸」を取り除くことで、残りの「幸福」の比率を増やそうとする試み。
訪れる「不幸」の数を気にすることなく、新しい「幸福」を次々と生み出していく試み。
どちらの試みでもいいけれど、正直言って前者の試みはやってもやってもキリがないと思うよ。
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昇華 (2016.4.25 14:46)
若い頃における過剰な「3(自愛)」によるやんちゃを、大人になってから「6(奉仕)」で償うことで昇華させる。
若い頃に植え付けられた歪んだ「6」を、大人になってから「3」の喜びを知ることで昇華させる。
この昇華により「3」と「6」は「9(自然)」へと交わり、互いを赦し合う。
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後付けの正当化 (2016.4.25 14:28)
若い頃に散々「3(遊興・自愛)」を行った人が、中年以降になって「6(教育・矯正)」モード全開となり、やたらと若い人たちに教訓を垂れたがるケース。
これって「6」を行うことにより、自らが若かりし頃に行った「3」を後付けで正当化(有価値化)しているだけだったりするんだよね。
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公園の砂場 (2016.4.25 13:04)
最近ではすっかり巨大なネコのトイレと化している「砂場」だけど、幼い頃に「3(自由な表現)」のすばらしさを豊かに学べる場所は減らして欲しくないものだなぁ。
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久遠
(2016.4.25 12:36)
「2(観察)」と「7(洞察)」を高めるカギは、時間を意識しない「9(久遠)」の中にあるんだね。
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「3」と「6」の裏表 (2016.4.25 11:45)
自らの内にうごめく歪んだ「3(享楽・自愛)」をカムフラージュするため、表向き「6(教育・倫理)」に熱心になるケース。
「6」を為すという使命感で自らを追い込むあまり「これだけ頑張っているのだからこの位いいだろう」などと歪んだ「3」の発芽を許してしまうケース。
どちらもあるね。
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ブラックホール (2016.4.25 10:22)
「オレってすごいぜ!」という歪な「1(自己絶対性)」。
「オレってすごいだろ!」という歪な「3(自己顕示性)」。
その歪な両者の間に、これまた歪な「2(従順・盲信)」がまるで吸い込まれるかのように寄り集まってくる。
そんな「2」が増えれば、危ぶむ「7(警戒心)」も増える。
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ろうそく
(2016.4.25 1:03)
占い師とはまるで自らの経験知と直観、そして術理を燃料として燃やしながらクライアントの闇を明るく照らし、その心を優しく暖め、道しるべとしての光点にもなる《ろうそく》のような存在。
でも頑張り過ぎれば《ろうそく》は早く燃え尽きてしまう。
良い《ろうそく》とは細く長く燃えるものだ。
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本当の「自信」 (2016.4.24 22:14)
いまいち自信が持てない人は自身が持つわずかばかりの「1(自信)」を、逆数「8(自制)」で抑え込み過ぎていたりもする。
しかし気を緩めると暴れ馬となる「1(自信)」を「8(自制)」でうまく抑え込めるようになった自らを認めることにより、ようやく本当の「1(自信)」を手に入れられる。
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偶奇の絡み合い (2016.4.24 21:32)
そもそもヒトの一つの行動において完全に奇数のみとか偶数のみというものは少なく、そのどちらもが動機として絡み合っているケースがほとんど。
たとえば「6(ホスピタリティ)」を行うということは、つまり自らの善性の「3(プレゼンテーション)」であると言い換えることもできるというわけだ。
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「雰囲気」こそ武器 (2016.4.24 17:17)
「9」の人はね、別に無理してまで自らの特性を探し求める必要はないんだ。
「9」の人であるが故に持つ、何となく周囲をほんわか柔らかくさせる「雰囲気」こそが最強の武器。
むしろ「あーするべき!こーするべき!」などと自らを急き立てると、せっかくの「雰囲気」が台無しになってしまう。
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聖と俗のブレンド (2016.4.24 17:06)
「9」という境界がぼんやりとした無我的な数にやたらと「聖性」を与えるのは如何なものかと思う。
偶奇両有の「9」の中には聖も俗もブレンドされているし、そもそも聖とか俗とかで分かれてはいない。
異なる二者の境界を溶かして混ぜることで二元論的な概念を超越していくのが「9(全)」だ。
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命を守る「冗長性」 (2016.4.24 15:48)
自他にとって有益なことばかりに頑張り過ぎてしまい、心身の調子を悪くするケース。
そんな時は有益さから離れて「無駄」を味わうことで、心身の調子を取り戻すこともある。
これは言わば命を守るための「冗長性(余分な機能を持つことで全体の安定性を高める)」であり、とても「9」的なもの。
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「真理」は不要 (2016.4.24 13:10)
「真理」をわざわざ探し求めるということは、つまりそこに「真理」を認めることができないから。
探せば探すほどに「真理」の存在が許される空間が減り、それ以外のものはニセモノ判定されてしまう。
そんな狭量さを生み出してしまうくらいなら、初めから「真理」なんて大仰なものは必要ない。
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「互助」の縛り
(2016.4.24 10:31)
「4」が「自助」ならば、補数の「6」は「互助」となる。
「困った時はお互い様」を合言葉に、それぞれが倫理的かつ社会的美学に則り行う優しさのキャッチボール。
でもこのゲームを始めたなら「投げたらどんな形であれ投げ返してくれるはずだし、そうすべし」という期待と不文律に支配される。
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無為無成 (2016.4.24 0:38)
「為す」とは、ただチカラを振るうだけの奇数的(動的・混沌・チカラ)な行為。
「成す」とは、カタチを作り上げるための偶数的(静的・秩序・カタチ)な行為。
そして「為す」にも「成す」にもこだわることなく、ただただ自然に生かされていくのが「9」=「0」という無為無成な無我的存在。
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無限論的ライフ
(2016.4.23 23:46)
「人生には限りがある」などと考える《有限論》は何かを成す原動力にもなるが、それは同時に苦しみを生み出す素地ともなる。
自らの時間の流れを止め、まるで人生が無限であるかのように何かをただ為しながら生きていく《無限論》的なライフスタイル。
「成す」を努めず、「為す」を味わう。
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地震で気づく
(2016.4.23 23:29)
大地が激しく動き、様々なものを壊していく「地震」とは正に「5」そのものであり、それ自体が地球の生の証明のようなもの。
「5」という奇数(動的・混沌・チカラ)により、我々は如何に「大地は動かないもの」という「4」的な意識に支配されているかということを思い知らされる羽目になる。
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タイミング (2016.4.23 22:46)
僕の数秘術ツイートは数あれど、いわゆる「タイミング」についてのツイートはほぼ皆無だ。
短い一生の間に何かを成そうとするならば、最適な「タイミング」を知ることはとても大事なのだろう。
でも日々「成す」を考えず、ただ「為す」を生きている僕は「タイミング」にあまり関心が無いんだ。
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壊すと問うの間に
(2016.4.23 13:04)
せっかく作り上げたものであっても、意に沿わぬものは容赦なく叩き壊していく「5」の要素。
作り上げたもののカタチにのみ拘るのではなく、その意義や意味を哲学的に問う「7」の要素。
この「5」と「7」という奇数(動的・混沌・チカラ)の間にこそ、本当の「6(美のカタチ)」は宿る。
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説得力 (2016.4.23 11:50)
「3(動の感情)」とは則ち「感情の発露」でもある。
そんな「3」を行うために、隣の「2(静の思考)」で自らの感情状態に適した言葉を用意し、「4(静の感覚)」で自らの感情を徒らに刺激しない環境を用意する。
その両者が揃わないうちに行う「3」には他者への「説得力」が宿らない。
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王様と奴隷 (2016.4.23 0:16)
自分自身という世界の中で、きちんと王様として君臨すること。
自分自身という世界の中で、決して卑屈な奴隷とならないこと。
この大切な二つのことを教えてくれるのが、他でもない「1」という数だよ。
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「言葉」への拘り (2016.4.22 12:34)
「7」の人の持つ「《言葉》というツールへの強い拘り」は、逆数「2」という「強い定義化志向」のせいにしてこじつけ終了。
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「無意味」も怖くない (2016.4.22 8:05)
僕は普段から「ヒトや世界や宇宙に《意味》はなく、だからこそ自由に《意味》を与えられる」と考えている。
そう捉えることで《無意味》であることすらも恐れることは無くなる。
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「動」と「不動」 (2016.4.21 22:23)
その場でじっと立ち続けてみることで、自らの中の「4(静の感覚)」に気付ける。
そして意識を足の裏に向けると、盛んに重心移動を繰り返す「5(動の感覚)」に気付ける。
「4」は「5」があってこそ、「5」は「4」があってこそ、お互いを理解できるようになる。
動の不動、不動の動だ。
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苔生えぬ石
(2016.4.21 21:24)
円や球にも通じる「9」は「転がる石には苔が生えぬ」が相応しい。
元々はイギリスの諺だが、保守(偶数)的なイギリスだと「職や住居を転々とする人は成功できない」の意となり、改革(奇数)的なアメリカだと「いつも動き回る人の能力は錆び付かない」の意となる。
この両義性こそが「9」だ。
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白髪 (2016.4.21 8:32)
僕はだいぶ前から白髪を染めなくなった。
今ではすっかりゴマ塩頭になってきたし、前髪にまとまっている白髪がトレードマークと化している。
でもこれは白髪を染めることを諦めたわけではなく、むしろ長い時間をかけて髪を白く染めているだけ。
無為自然のおしゃれだ。
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「成す」より「為す」 (2016.4.21 8:26)
あまり「成す(ある状態を作り出す)」ことに意識を向け過ぎず、まずは「為す(ただ行う)」ことだけに集中してみてもいいかもね。
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「雑然」から「充満」へ (2016.4.21 8:22)
「9(雑然としたカオスモス)」は「0(虚無)」を経ることで「9(充満としてのカオスモス)」へと生まれ変わる。
奇数というカオスも、偶数というコスモスも、自らの中でごちゃごちゃにならず緩やかにまとまっていく。
もう両者によって自身がバラバラにならずに済むようになっていく。
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飛び出す「点」 (2016.4.21 8:02)
数秘術において「5(自由)」のイメージを説明する際、四角形という「4(閉塞)」から「1(欲求)」という《点》が一つ飛び出していく喩えが用いられることもある。
そんな「5」の勢いは「4」を「安定」などとごまかさずに息苦しい「閉塞」として危機感を覚えた際にこそ激しさを増していく。
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奇数でビビッドに
(2016.4.20 23:32)
四方を囲まれた「4」という四角い部屋。
「3」でアートを飾って楽しむも良し。
「5」で窓を開けて風を通すも良し。
両隣の奇数を活かすことで、偶数の「4」をビビッドにしていく試み。
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群れの倫理 (2016.4.20 14:39)
ヒトは「群れ」を作ることで生存可能性を高められる。
これは正に偶数性(静的・秩序・カタチ)の発揮とも言えるが、奇数性(動的・混沌・チカラ)の強い人は「群れ」によってかえって生き辛くなってしまうこともある。
「群れ」からあえて逸(はぐ)れる人を「群れの倫理」で責めてはならない。
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卜(ぼく)術のゴール (2016.4.20 13:34)
自らが転がしたダイスの出目に自身の命を預けられるようになるのが、いわゆる卜術(ぼくじゅつ)の一つの到達点なんだろうな。
そしてそれを越えると、もうダイスすら転がさなくなり、後は安らかな「無為自然」が待っている。
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「逃」という字
(2016.4.20 11:39)
「逃」とは「辶(しんにょう・人が進む)」+「兆(離れる)」で構成されている漢字。
地震でも、何か嫌なことでも、そこから「逃げる」という後ろ向きな表現に抵抗があるのなら、そこから「進み離れる」という前向きな表現に変換すればいい。
「逃」とは命を守る字なんだ。
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獰猛であれ (2016.4.20 9:51)
全ては「1(衝動・欲求・自己)」から始まるし、この「1」が無ければ何も始まらない。
ヒトの中で最も「ケモノ」に近い要素である「1」こそ、最もシンプルなアドバイス。
内なる《動機づけ》への俊敏な反応、「気付いたらやってた」という脊髄反射的な獰猛さが固まった人生に風穴を開ける。
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不観の観 (2016.4.20 0:14)
「2(他者・外を観る)」で疲れたなら「7(自己・内を観る)」で豊かな精神の旅に出掛けよう。
「7(自己・内を観る)」で苦しむなら「2(他者・外を観る)」で温かな命綱を手繰り寄せよう。
そんな「2」と「7」の行き来を繰り返すうち、やがては「9(不観の観)」へとたどり着けるはず。
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「死」とは (2016.4.19 22:38一部追記)
「9(全・完)」から次の「1(一・初)」の間にある見えない「0(虚無)」こそが「死」の正体なのかもしれない。
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豊かな虚無 (2016.4.19 16:15)
ヒトが「9(自然)」を求めるのは、そこで寛ぐことで豊かな「0(虚無)」を得られるからだ。
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翻訳家になろう (2016.4.19 15:15)
あなたが知っている言葉を象徴言語としての《数》で翻訳してごらん。
あなたが覚えた象徴言語としての《数》で未知の事象や概念を翻訳してごらん。
そこから哲学としての「数秘術」はスタートするから。
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否定から始まる変化
(2016.4.19 14:49)
「こんな自分なんか誰も好きになってくれない」
「あまりにも自分がダメ過ぎる」
これら自罰的な自己否定は過剰な偶数性、つまり自らを自らが定めた《カタチ》と過剰に比較することから始まる悲劇。
でもそんな偶数性があるからこそ、奇数性という自らを変える《チカラ》が育つきっかけとなる。
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二つの「喜び」
(2016.4.19 14:39)
奇数である「3」が示す「喜び」は、自己完結型である「絶対的喜び」。
他者の存在の有無に関係なく様々なものを生み出し表現する自己愛的喜び。
偶数である「6」が示す「喜び」は、関係性により成り立つ「相対的喜び」。
他者への思いやりある奉仕で相手の苦を取り除いて得る他者愛的喜び。
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奇数を考慮する (2016.4.19 14:08)
「1(自尊・衝動)」を考慮しない「8(組織・仕組)」。
「3(自愛・情動)」を考慮しない「6(倫理・奉仕)」。
「5(冒険・自由)」を考慮しない「4(規則・慣習)」。
「7(検証・独自)」を考慮しない「2(信用・連携)」。
奇数を考慮しない偶数は不完全なものとなる。
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「多」への反発
(2016.4.19 13:57)
どことなく「皆が皆、そうすべきである」という流れに支配された時、僕はいつものようにムダにその流れに抗ってしまう。
そういう「多」への反発は昔からであるし「4」の逆数「5」の為せる技とこじつけても良いが、きっとこれは流れに飲まれることで「自己」が喪われると勘違いしているのだろう。
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「ブレイン」も大事
(2016.4.19 11:07)
世間には「思考(ブレイン)」の害を訴えつつ、その他の「直観(ソウル)」「感情(マインド)」「感覚(ボディ)」を大事にしようという主張もあるが、それは単に「思考(ブレイン)」からの逃げでしかないと思う。
「思考(ブレイン)」の意味を深く理解できたなら、忌み嫌う必要は無くなるはず。
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制限が生む生産性 (2016.4.18 23:12)
僕はツイッターをやり始めてというもの、すっかり長文を書かなくなったけれど、むしろこのスタイルの方が自らの「3(表現活動)」を大いに刺激してくれる。
140文字という小宇宙をその場その場で使い切りながら、相対的な「数」の味わい方を得手勝手に伝えていく。
字数制限が生む生産性だ。
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無音化社会 (2016.4.18 22:48)
喜んだら「こんな時に喜ぶな!」
楽しんだら「なんて不謹慎な!」
悲しんだら「悲しいのはお前だけじゃない!」
怒ったら「実に大人げない!」
そして誰も何も言えなくなる《無音化社会》がやってきて、その中では誰も「苦しみ」に気付かなくなってしまう。
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「愛」の進化 (2016.4.18 21:47)
「6」という奉仕・他者愛を施していて行き詰まると、次の「7」でよりよい《愛》の施し方を考え始める。
すると次の「8」でより大きくより広く《愛》を施せるシステムの構築に至る。
やがては次の「9」へと至り、システムに関わらず自他の全てを分け隔てなく赦す《全愛》へと変容していく。
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ふとした「野性」
(2016.4.18 19:40一部改変)
奇数性(動的・混沌・チカラ)というのはヒトが生まれながらに内包する「野性」でもある。
もしパートナーがふとした瞬間に凄まじい「1(衝動)」「3(享楽)」「5(奔放)」「7(猜疑)」を見せてきたならば、たとえ普段どんなに優しくても、それらの「野性」は十分に別れる理由となるだろう。
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哲学性を取り戻す
(2016.4.18 18:02)
僕が「逆数秘術」で試みていることは、なるべく数秘術から《占い性》を取り除いていき、数秘術が本来持っていた《哲学性》を取り戻していく作業。
「答えを与える」のではなく「答えを問わせる」数秘術。
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ぬか床
(2016.4.18 17:08)
内なる思考のカオスをかき回すという「7」的な行為は、まるで「ぬか床」をかき混ぜるかのようだ。
適宜かき混ぜないと発酵が促進されず、うまく漬からなくなってしまう。
「2」という自らの固定化された知を再検証し、関連付けし直すためのシャッフルこそが正に「7」という動的作業となる。
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「問う」ための関係 (2016.4.18 16:34)
「2」的に他者とつながりたい、と思うことはそれだけに止まらず、自らの中の「7」を大いに刺激していく。
相手の内側の深い部分を見てみたい、相手が自分とつながってくれる理由を知りたい、などのように相手をとことん「問う」ということ。
そんな「7」を刺激しない「2」は浅いものとなる。
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真の自分
(2016.4.18 14:53)
「真の自分」を探し求めるということは、そのためにあえて「偽の自分」を用意するということでもある。
「偽の自分」への否定や拒絶を重ねることで「真の自分」へと至ろうとする。
でも実際にはそんな「偽の自分」も含めての「真の自分」なんだ。
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アドバイス (2016.4.18 13:51)
ヒトは自らの状態と同じようなアドバイスをしがち。
自らが頑張ることで報われている人は他者にも「頑張れ!」と励ます。
自らが頑張ることに疲れ果てて休んでいる人は他者にも「もう頑張らなくていいよ!」と慰める。
だからアドバイスを求める際には、その人の「状態」が最も参考になる。
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性格の理由を探る (2016.4.18 13:16)
「逆数秘術」で重視するのは単純なヒトの性格やそれに基づく行動パターンではなく、なぜそのような性格が構成されるに至ったのか、そしてなぜそのような行動を起こすのかという「理由」の部分。
「あなたの性格は○○」などと安易に関連付けず「なぜそのような性格ができあがったのか」を問う。
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悲劇という燃料 (2016.4.18 13:00)
ただの「悲劇」だけを見せられてもヒトはなかなか動かない。
でも「顔の見える悲劇」ならば、ヒトはようやく動き始める。
そして犠牲者や家族の過去や未来に言及した「ストーリーのある悲劇」であれば、ヒトは更に積極的に動くようになる。
ヒトは「悲劇」をも消費して心のピストンを動かす。
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わかりやすい悲劇 (2016.4.18 12:51)
犠牲者の家族にカメラを向け、その哀しむ様を映すというマスコミの行為に立腹する人は多い。
僕だって同じ立場ならば、やはり腹を立てることだろう。
ただマスコミが流した「わかりやすい悲劇」によって視聴者の情感が大いに刺激され、支援や募金の拡大につながると考えると複雑な気持ちになる。
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握り締めるロープ (2016.4.17 17:37)
常識を疑い、群れを拒み、深みに至ろうとする「7(思考のカオス)」は「エキセントリックな思考」の持ち主とも言える。
でも、そんな内に秘めたエキセントリックさを理解し、受け止めてくれる人との「2(関係性)」が構築されたなら、そのロープを「7」は死に物狂いで握り締めることだろう。
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二匹のペット (2016.4.17 17:31)
ヒトは自らの中に奇数(動的・混沌・チカラ)という《非常識性》と偶数(静的・秩序・カタチ)という《常識性》の両者を飼っている。
奇数に傾けば自らの奇数性に喰い殺され、偶数に傾けば自らの偶数性に押し潰される。
この両者を飼い慣らそうとすること自体が偶奇両有である「9」そのもの。
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ノマド (2016.4.17 14:59)
故郷を守るか、故郷から去るか。
地震と戦うか、地震から逃げるか。
本来ならどちらも等しい選択肢のはずだけど、ノマド的なマインド(定住への疑念)にならないと、後者への積極性はなかなか芽生えないんだろうな。
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出すことの大切さ (2016.4.17 13:29)
奇数(動的・混沌・チカラ)である「3」とは「感情のカオス」であり、喜怒哀楽をストレートに出していくイメージ。
嬉しい時は素直に「嬉しい!」と喜び、悲しい時は素直に「悲しい…」と嘆く。
周囲を気遣って、内側に仕舞い込みそうになる感情を表に出すことの大切さを「3」は教えてくれる。
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「3」の快楽志向
(2016.4.17 13:08)
数秘術的にみて「3」には人生を楽しみ尽くし、遊びふけるというイメージがあるし、更には全てを「快」と「不快」で判断するという意味合いもある。
ただしこれは苦しみから逃れることを意味するわけではなく、たとえば登山などのように「苦しむことで快楽性が増す」行為を進んで行うことも表す。
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予知より準備
(2016.4.17 11:05)
TLに地震学者ロバート・ゲラー氏の発言が上がっていた。
同氏は「地震予知」という行為そのものを否定する発言を繰り返している異色の学者だけど、僕は氏の言に共感してしまうよ。
おぼつかない地震予知よりも、日々地震に備えることの方が大事だし、そしてこれは占いにも言えることだと思う。
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子供の成長 (2016.4.16 18:22)
母親が「2」的に信じさせ、「4」的に守り、「6」的に育み、「8」的に支配して子供を包む偶数的な他者愛。
子供が一人で「7」的に考え、「5」的に抗い、「3」的に遊び、「1」的に望むことで学び始める奇数的な自己愛。
親の偶数性を自らの奇数性で上書きすることが子供の成長につながる。
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募金 (2016.4.16 14:11)
純粋に困っている人を助けたいがための善意による募金。
何もできない自らを恥じるあまりに行う贖罪のための募金。
どちらも同じ募金だし、両者に価値の上下は無いよね。
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関わらない権利
(2016.4.16 13:12)
情報網の発達により遠地が遠地じゃ無くなってきた現代だからこそ、そこでの出来事に「関わらない」ことがとても難しくなっている時代。
でもそんな時代だからこそあえて「関わらない権利」を主張し、自らが楽しむことを無理してやめないということも、自らの心を守るためにはとても大切なんだよ。
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善の強要 (2016.4.16 13:01)
苦しむ人を助けるべく頑張っている「6」マインド全開の人は実に美しいものだ。
でもそんな「6」が歪み始めると、自らの善を他者にも強要するようになる。
他者の「3(楽しむ)」を「自粛しなさい」という言葉で奪い取っていくことや、ボランティア精神の乏しさを非難することなどが正にそう。
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どちらもヒトの性
(2016.4.16 12:23)
自らとは無関係の地で起きた災害でも、被災者の苦悩に思いを馳せて少しでも救いの手を差し伸べようとする「6」マインド。
無関係だからこそ被災状況を好奇心全開でエンタメ的に味わおうとする「3」マインド。
前者は善、後者は悪と断じるのではなく、両者をヒトの両性として等しく捉えていく。
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マッチングの有無 (2016.4.16 11:11)
占いなどに救いを求める人の中には「2(被制御欲)」が強い人もいて、そんな人に対して占い師側の補数「8(制御欲)」がマッチングすれば、互いにとってメリットとなる。
でも中には相手に強い「2」で来られると、自らの中で逆数「7(懐疑)」が強まり、相手を受け止めず孤高に逃れる人もいる。
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情報からの防御
(2016.4.16 10:27)
ニュースを見聞きするなどの「2(インプット)」によって自らの「7(思考のカオス)」を収められる人もいるが、かえって逆効果になる人もいる。
自らと情報との間を線で「繋ぐ」ことにより苦しくなったなら、線の向きを変えて「分ける」ようにしていく。
見ない・聞かないという防御策だ。
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思い込み力 (2016.4.16 8:59)
ヒトは自らの「7」の暴走、つまり不安や疑念といった「思考のカオス」を落ち着かせるべく、逆数「2」により「これは○○である」とラベリングすることで「思考のコスモス」を取り戻す。
でもこれにより「7」の機能である推理力や洞察力が弱まり、「思い込み力」が無駄に強まる危険性も出てくる。
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前震・本震・余震
(2016.4.16 8:19)
まだ一連の地震活動が収束したとは言えない状態で前震・本震・余震などと順序化することは、かえってヒトの意識を一方向にのみ誘導し油断させる恐れがある。
本震と余震の後に新たな本震が来て、以前の本震が前震に変わるというのは徒らに人々を混乱させるだけ。
安易な順序化はパニックの元。
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ホームへ帰る勇気
(2016.4.16 0:14)
「誰かを守る」という「6」的な行為だけをひたすらに続けていくと、途中でガス欠状態になってしまう。
一気に「6」をやり抜くのではなく、途中途中で「自らを守る」という「4」的な行為に立ち戻ることで、むしろ「6」の航続距離は伸びていく。
ホームへ帰る勇気、ホームで休む勇気を持とう。
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非常口 (2016.4.15 20:16)
「5」という数のイメージをわかりやすく説明してくれるのは、非常口にあるあの緑の看板だね。
人が扉を開けて外に逃げようとする様が描かれているけれど、これは正に「4」的な閉鎖空間から脱出しようとする「5」的な動きそのもの。
その場が生き苦しいなら、いつでも「非常口」を意識しよう。
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非・実用書
(2016.4.15 18:45)
「哲学」や「思想」のコーナーに置かれる数秘術本ならば書いてみたいぞ。
非・実用まっしぐら。
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災害時の偶数性
(2016.4.15 12:29)
荒ぶる「1(本能)」を「8(理性)」で鎮める。
揺れる「3(感情)」を「6(奉仕)」で落ち着かせる。
著しい「5(異常)」を「4(日常)」に戻していく。
激しい「7(疑心)」を「2(連携)」で和らげる。
地震などの災害時に刺激されたヒトの奇数性は偶数性で安定させていく。
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フィリアと自給自足 (2016.4.15
8:21)
他者のために自らの何かを差し出す(もちろんそれは互いにそうあるべきだという期待はあるが)ことが「6」というフィリア(友愛)ならば、自らの中に他者を介在させない自給自足は正に「4」的なものといえる。
「6」で疲れ果てたならば「4」に、「4」で満たされないなら「6」に向かえばいい。
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オルトリズム
(2016.4.15 8:04)
元気よく飛び出す人がいれば、たしなめたり教え諭したりして落ち着かせる。
元気なく沈んでいる人がいれば、慰めたり励ましたりして活力を与える。
人の心のデコボコを平らに均して調えることが「6」の他者愛であり、それは「オルトリズム(利他主義)」としてむしろ自らの幸福性を高めていく。
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事後予報士 (2016.4.14 23:22一部改変)
地震が起こると「事後予報士」がうごめきだすね。
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ユビキタス (2016.4.14 21:13)
以前IT業界にて「ユビキタス(ubiquitous、遍在の意)」なる言葉が流行っていたけれど、これってまさに「9(全)」的な言葉だね。
そんな「9」という遍在は則ち「どこにでもある」となり、これが高じると容易に逆数「0」へと転じて「どこにも存在しない」ように感じることになる。
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魔法使い (2016.4.14 20:14)
魔法使いになるよりも、魔法使いをこき使う人になりたい。
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カリスマの動機づけ (2016.4.14 12:39)
自らの中に奇数も偶数も、清も濁も内包できるようになった「9」が補数である「1(カリスマ)」となるのは、それほど難しいことではない。
問題となるのは、その「1」の突破力を維持できるだけの「動機づけ」があるかどうかだ。
それは例え殺されそうになってもやり抜こうとする矜持でもある。
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ノンスピリチュアル (2016.4.14 8:30)
僕のツイッタープロフィールにある「ノンスピリチュアル」という語だけど、これは別にスピリチュアル的な概念自体を否定しているわけではないよ。
ただ僕には不要というだけ。
必要としている人はもちろんその世界観で暮らしていいと思うけれど、絶対的存在として強引に布教されても困るよね。
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「謙譲」の是非 (2016.4.14 8:08)
相手に敬意を表するため、序列を守るため、そして相手を不快にさせないために行う「謙譲」とは実に「6」的な行為。
でもそれをやり過ぎれば、相手の「3(自己愛)」を増長させることにもつながる。
不必要に畏(かしこま)ることをせず、自然体で相手に接する「9」的状態でいられるといいね。
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謙(へりくだ)るなかれ (2016.4.14 7:56)
男のために頭の悪いフリをした女が、むしろ頭の悪い男を大量生産していく構図。
愛だか恋だかのために謙(へりくだ)るなかれ。
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スコラ学 (2016.4.14 0:39)
ウィキペディアで「スコラ学」の項を読んでいる。
論理と理性に基盤を置く西方の神学、静寂に基盤を置く東方の神学。
前者を「7(動的な知)」、後者を「2(静的な知)」と捉えるならば、西方では「7(検証)」としての哲学や科学が隆盛し、東方では「2(信仰)」が重んじられたのも頷ける。
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「魂」の容積 (2016.4.14 0:24)
ノンスピリチュアルな僕があえて定義付けるなら「魂」とはヒトの精神における「未判明部分=不思議」であると捉える。
つまりヒトの精神の仕組みや機序が判明するにつれ、未判明部分たる「魂」の容積は減っていく。
でもいくら科学が進歩しても「魂」の容積はゼロにはならないのではなかろうか。
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まずは「1」を認めて (2016.4.13 23:44)
「こんなクソ会社辞めてやる!」
「もうこの人には我慢できない!」
「ふざけんな!もう!」
これらの自尊心が煮沸するような思いをしたならば、それらは全て「1(衝動)」としてラベリングしてしまえばいい。
そんな「1」を素直に許した上で、なだめ抑える「8(自制)」を起動すればいい。
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擬数化 (2016.4.13 22:11)
「擬人化」という言葉があるが、数秘術の利点の一つに「擬数化」がある。
自他における感情や思考等を象意をまとった《数》でこじつける、つまり「ラベリング」することで心の中を整理したり、対応策を講じやすくする。
「擬数化」が自他の理解を促進し、感情や思考等のエスカレートを抑え得る。
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人助けを楽しむ
(2016.4.13 13:32)
「6」の人の中には他者の苦悩を慮るあまり、自らの「3(快の追求)」を抑えたり罰したりする人もいる。
だったら他者を助けるという「6」的な行為自体を「3」という目的のために行っても別にいいわけだし、それ以外の「3」であっても自らに許していい。
自らの「3」が輝けば「6」も輝く。
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快と不快 (2016.4.13 13:02)
「3」は《快》を単純に増やそうとする試みを表すが、増やし過ぎれば社会秩序が危うくなる。
「6」は《不快》を努めて減らそうとする試みを表すが、他者の《快》を《不快》認定して自粛ムードを生み出す恐れがある。
「9」は《快》と《不快》に囚われない境地を表すが、過ぎれば無感症となる。
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自粛 (2016.4.13 12:49)
ホスピタリティや親切心を表す「6」という数。
周囲の不快感を一方的に斟酌する&拡大解釈することで、必要以上の《自粛》を自ら行う(または周囲に課す)のが行き過ぎた「6」。
不快を無くすべく行う「6」の《自粛》が過剰となれば、自他の「3」による《表現行動の快》の存在が危うくなる。
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偶数という言い訳
(2016.4.13 10:41)
たとえば自らに「5(変化)」という奇数(動的・混沌)が必要であることは重々承知しておきながら、それを怖がったり面倒臭がったりするあまり、逆数である「4(安定)」という偶数(静的・秩序)的な現状を不満がありつつも容認してしまう心理。
奇数を為せない言い訳として偶数を利用していく。
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長続きしない自分
(2016.4.13 10:16)
「何をやっても長続きしない」などと思い込まず「長続きできる何かにまだ出会えていないだけ」と捉え直した方がきっと幸せになれるよね。
前者を思い詰め過ぎると、ただの現状認識から《変えがたい事実》や《変えられない資質》などに固定化してしまい「長続きしない自分」を更に演じ続けてしまう。
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「迷い」を大切に (2016.4.12 17:24一部改変)
他者との握手(繋がる)も手切れ(別れる)も、共に「2」という「線引き」であり、互いの関係性の固定化(秩序化)となる。
そして握手や手切れを行う刹那における逡巡や迷いこそが、関係性の固定化の是非を問う「7」となる。
一度「2」で決め切ってしまう前に「7」の「迷い」を大切にしよう。
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禁煙 (2016.4.12 14:46)
僕は喫煙者では無いけれど、タバコを吸うという行為は嗜好目的だけではなく、自らを落ち着かせて自分を取り戻す「4(習慣)」的行為だったりする。
そう考えると喫煙の代わりとなる「4(習慣)」を先に用意しておかないと、喫煙の習慣を止めるという「5(刷新)」作業は難しいのではなかろうか。
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悟ったフリ
(2016.4.12 13:11)
「私にはもう欲しいものなどないよ」などという悟り的な物言いは、まるで「9(無為自然)」的でありながら、実はわざとらしく見せている逆数「0(虚無)」でしかない。
「9」とは別に無欲になるということではなく、一つの欲望に囚われず様々な欲を自然なものとして認める「欲の多様性」なんだ。
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落ち着いた自分
(2016.4.12 13:00)
自らをより「5(自由)」にしていくために、安心して自分のままで居られるような逆数「4(場所)」を作っていくのはとても大切。
でもそれは実際の場所や空間で無くても良く、たとえばそれをやっていれば落ち着いた自分を取り戻せる、というような習慣やルーチンであっても立派な「4」となる。
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関係性の強要 (2016.4.12 12:43)
「私のことを本当に愛しているのなら、いつも一緒に居てよ!」という相手への「2(信頼・関係)」の強要。
これは当人の中にある歪んだ「7(疑念・孤独)」が逆数「2」という偶数性を武器にして相手を縛り上げているようなもの。
そんな歪んだ「2」は更に自らの歪んだ「7」を強化していく。
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享楽としての正義 (2016.4.12 11:37)
「6」という《正義》が正しく使われたなら、掃き捨てられた闇や悪は汚物扱いされず、更生の余地を与えられる。
しかし人々が自らの歪んだ「3(享楽志向)」を満たすために「6」という《正義》が手加減無く使われてしまうと、自らの中の闇や悪を度外視して他者のそれを徹底して除菌しようとする。
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「6」という正義 (2016.4.12 11:29)
社会をより公正に、より美しくしていく《正義》としての「6」。
この「6」的な《正義》を実行するために、相対的な闇や悪を逆数「3」を駆使して白日の下にさらし出していく。
全ての汚物を表に出し切り、一気に掃き清めていく「6」によって《正義》は達成され、闇や悪の居場所は無くなる。
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インプットは存分に
(2016.4.11 22:53)
記憶力がある若い頃に、いろんなものを見たり、聴いたり、読んだりなどの「2(インプット)」を存分にやっておく。
長じてからは若い頃に蓄えた知のアーカイブスを「7(思索作業)」で脳内再生しながら味わう。
「2」の質と量に恵まれれば、「7」という参照作業もまた自らに恵みをもたらす。
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グレーゾーン (2016.4.11 22:27)
偶奇両有の「9」とはある意味では「グレーゾーン」的な数とも言えるし、その清濁併せ呑むような性質こそが「9」の良さでもある。
そんな「グレーゾーン」に明確な線引きをしてしまえば、確かに分かりやすくはなるだろうが、それにより生きづらくなる人も出てくる。
「9」とは曖昧天国なんだ。
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偶然とは
(2016.4.11 22:09)
偶然とはシャッフルされた必然である。
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その「3」は本当? (2016.4.11 17:12)
周囲に明るさや笑いをばらまく「3」的な行為。
自らもその「3」を楽しめている分には問題無いけれど、そうではなく周囲をとにかく不安にさせないため、心配させないために行う「3」は結局のところ「6(責任)」的行為と何ら変わりない。
偽物の奇数性は歪んだ形で偶数性へと反転していく。
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芸能界 (2016.4.11 16:01)
芸能界などのような、一般社会とは異質の社会において偶数性(静的・秩序・カタチ)の強い人は自らの成功のために、逆数たる奇数性(動的・混沌・チカラ)を過剰に発揮するケースが多い。
奇数を発揮しなければ目立てないという焦りもあるが、そのために自らの偶数に過大な負荷が掛かることもある。
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「罪」と「罰」
(2016.4.11 14:43)
混沌の奇数はヒトの「罪」、秩序の偶数はヒトへの「罰」にもなる。
「1(望む)」という罪、「8(耐える)」という罰。
「3(遊ぶ)」という罪、「6(律する)」という罰。
「5(抗う)」という罪、「4(続ける)」という罰。
「7(疑う)」という罪、「2(信じる)」という罰。
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好きであり続ける
(2016.4.11 14:00)
僕のあの真っ黒なサイト、不親切なメニュー、そして既存の数秘術に喧嘩を売るような文言の数々…
商売上タブーになりがちな僕の「個性」がむしろフィルターとして機能し、僕に合った、そして適したお客さんを連れて来てくれる。
数秘術を好きであり続けるためにも、慌てず急かず自分のペースで。
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「0(無)」の価値
(2016.4.11 13:07)
長く生きていくと有形無形問わず、実に様々なものを抱え持つようになる。
それはある意味で全ての数を内包する「9(全)」のような状態とも言えるし、そうなってこそ逆数である「0(無)」の価値にようやくにして気付いていける。
「0」への恐怖が無くなれば、「9」は軽やかになっていける。
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カオスの開陳 (2016.4.10 23:59)
「7」の人が補数の「3」を駆使して自らの内側に蠢(うごめ)くカオスを開陳していくことで「7」+「3」→10→「1」という動力が生まれる。
言うもよし、書くもよし、弾くもよし、描くもよし、踊るもよし。
それら「3」を行うことで「7」という内のカオスの正体が掴めるかもしれない。
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禊というエンタメ
(2016.4.10 22:20)
断罪する人にとっては、猛省や自粛など相手の一連の「禊」そのものがエンターテイメントとなる。
その「禊」が期待以下なものであれば、途端に断罪者たちは空のペットボトルを投げつけるだろう。
そしてその「禊」があまりにも真剣かつ長期なものとなれば、直視に耐えかねて忘れ去ろうとする。
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禊(みそぎ)
(2016.4.10 22:14)
著名人の不倫や賭博などのいわゆる行き過ぎた「3(愉悦・耽溺)」を猛烈に責める人々。
それはまるで自らの奥底に眠る歪んだ「3」願望を「6(倫理・美学)」で他者を裁くことによりなだめているようにも見える。
そんな彼らが求めているのは猛省と自粛の集大成としての「禊」かもしれない。
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無調の調べ
(2016.4.10 19:21)
内なるカオスというノイズですら「無調の調べ」へと転ずることが「7」の真骨頂。
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真の「9」への老成 (2016.4.10 11:18)
「9」の人は、そのオールマイティ性(全ての数を内包する)故に、若い頃は様々な数の性質を行ったり来たりする。
そんな多くの経験を重ね「あっ、この行ったり来たりすることが自分自身なんだ!」と気付いた瞬間、そして「自分」という存在を前向きに諦めた瞬間、その人は真の「9」へと老成する。
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目標への対処法 (2016.4.10 10:46)
確実性は度外視して最短距離で目標に向かっていく「1」マインド。
例え遠回りになったとしても確実性重視で目標達成を計画する「8」マインド。
何かしらの目標を掲げた際には、心の中でこの両者が戦いを繰り広げる。
でも目標達成にすら拘らなくなる「9」マインドという対処法も存在する。
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気長に待つ外交 (2016.4.10 0:45)
例えば国境問題を解決する際、その場で明確なラインを定めようとする「2」的なやり方だと対立の火種となりかねない。
その場その時に無理に解決せず、何十年という時間をかけて互いの友好関係の醸成を気長に待つという「9」的なやり方を選び、あえて曖昧なままにしておくことで訪れる平和もある。
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特異点 (2016.4.9 21:57)
数秘術的に見て全ての数を内包し、境目無くそこら辺にふわふわしているかのような「9」という数はある意味「宇宙」にも似た数。
そしてそんな「9」から、まるで突然変異の如く「1」という「特異点」が出現し、強大なるカオスとなって新たな万象の元となる。
そんなことを考えていく楽しさ。
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リセットもあり (2016.4.9 12:42)
奇数(動的・混沌・チカラ)と偶数(静的・秩序・カタチ)とが一人の中で定まりなくごちゃごちゃしてしまう「9」マインドの人だからこそ、逆数「0」というリセット願望を持つのは至極当然。
もちろん命のリセットはまずいけど、思い切ったリセットでごちゃごちゃから解放されるのはありだと思う。
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マイペース (2016.4.9 9:58)
「4」には「マイペース」という言葉がお似合いだが、別にこれはのんびり屋さんということを意味しているわけではない。
これは「自分に適した速度で物事を進めること」という意味の言葉であり、周囲から見て高速であっても「マイペース」となり得る。
そのペースを乱されることに「4」は弱い。
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4分33秒 (2016.4.9 0:50)
「9」のジョン・ケージの代表作に「4分33秒」という無演奏の曲があるが、これこそ彼が創始した「偶然性の音楽(不確定性の音楽)」の極致だという。
彼が無音室の中で聴いた音(自らの血流音など)の体験から《無の中の有》という「9(全)」と「0(無)」の渾然一体感に溢れる曲が生まれた。
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「4」を崩すな
(2016.4.8 23:50)
「3」という好奇心や「5」という冒険心は、真ん中の「4」という平常心に刺激を与えてくれる。
でも同時にそれら両隣の数は「4」というマイペース的リズムを乱す要因にもなる。
安易に「3」や「5」に憧れて突っ走ることにより、せっかく保たれていた「4」を崩してしまってはもったいない。
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理想のシステム
(2016.4.8 20:50)
社会主義や共産主義といったシステムは、ムヒカ氏のような人ばかりで政府が構成されていれば、きっと最高のシステムとなり得たかもしれない。
でもそうでないなら、このシステムは容易に機能不全に陥る。
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魂が老いる
(2016.4.8 20:40)
「たとえ肉体が若くても、魂が老いていたらそれは危険だ」というムヒカ氏の言葉。
若く危なっかしい野生味の「1(衝動)」と熟練した大人の理性の「8(制御)」は共に《ソウル》の数。
「魂が老いる」というのは「8」ばかりに熟練し、せっかくの「1」を忘れてしまうということなのだろう。
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無為自然な大統領 (2016.4.8 20:23)
テレビに元ウルグアイ大統領のムヒカ氏が出ているけれど、彼が「7」の人と知った後に見ると、また意味深いメッセージに捉えられるね。
そして彼の「7(孤高)」は妻や同志との強い「2(繋がり)」と混ざり合い、見事に「9(無為自然)」的な思想となって現れている感がある。
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スルメの滋味 (2016.4.8 8:43)
「分かりやすさこそ真の知性」という言葉は確かに一理あるかもしれない。
でも、一見取っ付きにくく分かりにくいものから滋味を感じ取る知性もまた「真の知性」と呼べるものではなかろうか。
良く噛んで味わわなければスルメの滋味が分からぬのと同じように。
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誘拐 (2016.4.8 8:26)
「誘拐」と聞くとどうしても物理的な連れ去りや監禁等をイメージしてしまうけれど、相手の正常な判断力を奪うようなマインドコントロール等の精神的アプローチも「誘拐」を構成する要素だよね。
でもこの後者の要素を軽視する人はとても多い。
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安心感 (2016.4.8 7:58)
人と繋がり交流することで安心感を得る「2」と「7」。
自らの領域を確保することで安心感を得る「4」と「5」。
社会に役立っていくことで安心感を得る「6」と「3」。
あらゆる物を獲得することで安心感を得る「8」と「1」。
安心感を得るという欲求を捨てて真の安心を得る「9」。
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ナポレオンの遺産 (2016.4.7 21:32)
「1」のナポレオン・ボナパルトは、その「1」たるカリスマ性や行動力でもって世界の歴史に多大な影響を与えた。
その彼が作らせた「ナポレオン法典」という「8」たる法システムは近代法の規範となり、現代人もその恩恵を受けている。
奇数のチカラ「1」は偶数のカタチ「8」を遺したわけだ。
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書き方に現れる (2016.4.7 12:59一部追記)
「その人の《数》は立ち居振る舞いや話し方よりも書き方にこそ現れる」というのは確かにその通りで、先日もコンテンツ打ち合わせの時にその話をしたら編集担当の人がメチャ大きくうなずいていた。
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泳ぐための命綱
(2016.4.7 0:43)
他者の知性を「2(信頼)」して自らの「7(精神のカオス)」を探っていくカウンセリング的手法。
自らの知性を「2(信頼)」して自身の「7(精神のカオス)」を探っていく内省的手法。
いずれの場合も「2」という命綱をしっかりと握ることで「7」という精神の泥沼を泳ぎ渡ろうとする試み。
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のびのびと描こう (2016.4.7 0:23)
僕の逆数秘術講座にはカリキュラムも課題も免状も存在しない。
イメージをまとった数で万物をこじつけていく「こじつけアート」を学ぶ上では特に必要性を感じないからだ。
僕がレクチャーできるのは逆数秘術という「絵筆」と「絵の具」の紹介だけ。
あとは皆がのびのびと描いていけばいい。
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疑念の先の信奉
(2016.4.6 22:58)
特定の対象に対して「7(疑念・検証)」をフルに発揮してしまうということは、つまりそれだけ特定の対象を「2(関心・関連)」というロープでぐるぐる巻きにしているということ。
だからその人の中の「7(疑念)」が解消された途端、今度はその対象を掌返しの如く「2(信奉)」しやすくなる。
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「!」と「?」 (2016.4.6 22:17)
心の中に常に「!」を持って大いに楽しむのが「3(動の感情)」の真骨頂。
頭の中に常に「?」を持って大いに考えるのが「7(動の思考)」の真骨頂。
この「3」と「7」という補数コンビを自らの中でぐるんぐるんと回転させることで、人生はより面白くなり、そしてより深みを増していく。
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逆転現象 (2016.4.6 12:59)
「2(被制御・従順)」と「8(制御・支配)」は補数の関係にあるが、片方が極まることで容易にもう片方へと傾いていく。
相手を制御・支配していたつもりが、いつの間にか相手の存在自体が自己の満足に不可欠なものとなり、結果的に相手に制御されているかのような状態となる逆転現象がその一例。
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無理心中
(2016.4.6 12:40)
「あの人を他の誰かに奪われるくらいなら、いっそ共に死んでやる!」的な《無理心中》という行為は正に致命的な外部への「8(コントロール・支配)」の発露。
そんな「8」が内側に正しく働けばそれは「自制」に繋がるが、自らの「1(衝動・獣性)」が暴れ始めれば「8」の機能も暴走してしまう。
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志向性の反対側 (2016.4.6 8:15)
「壁」の内での安寧を守る「4」マインドと、「壁」の外での冒険に憧れる「5」マインドとの逆数的な対比関係。
「4」を望む人ほど強く「5」を恐れ、「5」を望む人ほど強く「4」を嫌う。
自らの志向性がどちらか分かったなら、むしろ反対側にある恐怖や嫌悪にこそ「手当て」を施していこう。
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鉄砲玉 (2016.4.5 22:11)
行ったきり戻ってこない人のことを「鉄砲玉」とも言うが、そんな「1」的な思い切りを見せてこそ成し遂げられることも多い。
その速さ、その強さ、その勢いがあれば、どんな巨大な敵であろうとも斃(たお)せるはず。
真っ直ぐ飛んでこそ、ど真ん中に当たってこそ、自らの中の「1」は光り輝く。
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「鏡」へのお願い (2016.4.5 15:11)
あなたが何かを神にお願いしたとしても、それを実際に「聴く」のはあなた自身だし、それが実際に「効く」のはあくまでもあなた自身に対してのみ。
あなたがあなたにお願いをし、あなたがあなた自身のためにそれをただ叶えていくだけのこと。
神を「鏡」と置き換えれば分かりやすくなるだろうか。
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敏感と鈍感の中間で (2016.4.5 14:25)
「人生っていうのは嵐と凪が変わりばんこにやってきて、しかもそのタイミングを操ることはできないものだし、いくらどちらか一方を望んだとしても決して思い通りにはならない。そんな自然の道理を敏感と鈍感の中間あたりでやんわりと受け止めて、最後は全てを赦していく」
これが「9」という境地。
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舞台装置 (2016.4.5 12:16)
ヒトが罪悪感に囚われることなく、自らの残虐性を発揮できるようにするための舞台装置がエンタメとしての「ゾンビ」という存在だし、これは「悪魔」とか「モンスター」も同じ。
そして自らの残虐性を存分に発揮するためには、それらの舞台装置にやたらと《人格》や《物語》を与えないことだ。
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手抜き
(2016.4.5 11:11)
冷凍食品で作ったお弁当を「手抜きだ!」などと指摘されたなら、相手の胸ぐらを掴みながら「これは手抜きじゃねぇ!効率化じゃハゲ!お前も冷食にしてやろうか!」とでも言ってやればいい。
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「9」に触れた「1」
(2016.4.5 1:37)
48年前の4月4日に暗殺された「1」のマーティン・ルーサー・キング・ジュニア。
彼は若い頃に通っていた神学校にて「9」のマハトマ・ガンディーの思想に出会い、甚大なる影響を受けたという。
「1」が補数である「9」的な思想に触れることにより「決して諦めない博愛」が誕生した瞬間だ。
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2016年4月 (2016.4.5 1:17)
2016年4月は数秘術的に見ると「4」がテーマであり、自らを取り囲むルールや習慣などの必要性や正体を探るには良いタイミングとなる。
そうやって自らの「4」をより自らに合った土台として再安定化&再評価できれば、それを踏み台とした新世界への飛躍、則ち「5」という刷新が可能となる。
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理解するのはあなた
(2016.4.5 1:06)
いくら逆数秘術を駆使しても、僕は「あなた」について何も理解できないし、理解する必要もない。
そうではなくて「あなた」自身が逆数秘術を駆使して「あなた」自身を理解していくんだ。
ここでいう《理解》とは自らの心の動き等を数でこじつけていくことで、安心という秩序を得る行為のことだ。
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天邪鬼だから (2016.4.5 0:42)
いろんな数秘術師が今月のテーマである「4」についてブログに書き記しているし、もちろんそれはとても正しい。
でも僕は天邪鬼だから、あえて逆数である「5」をテーマに据えていこうかな。
身近な「4」に焦点を当てることで、むしろ「5」のきっかけが掴めるかもね、みたいな感じで。
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「9」と「宇宙」
(2016.4.4 21:51)
全ての数を内包する「9」は遍く星々を内包する「宇宙」にも喩えられる。
どこまでも際限なく広がり、境目もよく分からない「9」的な人や「宇宙」という言葉は、その大らかさ故に様々な人に利用されていく。
そんな状況すら恨むことをやめ、赦すことができたなら「9」は正に「宇宙」となる。
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線引きの工夫次第 (2016.4.4
21:40)
「2」の人の人生は、何を読むか、何を聴くか、何を観るか、何と繋がるか、そして何を避けるか、などという「自らと他の何かとの間の線引き」の工夫と選択次第で大きく変わる。
繋がることができたなら、離れることだってできるはず。
離れることができたなら、繋がることだってできるはず。
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ワンパッケージ (2016.4.4 15:23)
僕の逆数秘術講座はワンパッケージであり、ダイス含めても一日あれば足りるボリューム。
受講後は僕の数秘術ツイート群を読んで独習してね、という感じで放置(質問はいつでも可)している。
師匠と弟子みたいに堅苦しく繋がらず、受講後は皆が自由に自身に合った逆数秘術を構築していけばいい。
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人生は数値じゃない (2016.4.4 14:27)
自らの人生を金額や所有個数や時間などの「数値」にガチガチに置き換えるよりも、イメージをまとったいろんな「数」に自由自在に置き換えた方がきっとラクになれる。
数秘術とはそのためのツールなんだ。
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「1」と「7」の処方 (2016.4.3 19:04)
「1(行動)」という外向きのベクトル量が増えれば、「7(思考)」という内向きのベクトル量が減るし、逆もまた然り。
つまり外へ動きたければ「7」を、内へ動きたければ「1」を減らせばいい。
逆に外へと闇雲に動きたくなければ「7」を、内へ闇雲に動きたくなければ「1」を増やせばいい。
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心と体のリンク (2016.4.3 18:46)
心と体がリンクしているというのは改めて言うまでもないことだろうけど、でもだからと言って心と体が100%リンクしているわけではないよね。
中には自らの意思で好き好んで心と体を因果の線で繋ぎ止めてしまう人もいる。
まるで自らの心身の不調の理由を都合良くこじつけてしまうかのように。
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悟りは人の数だけ
(2016.4.3 18:21)
「悟り」という状態はそもそも個人の体験を超えるものでは無いのではないか。
体験を超えるものならば、果たしてそれを個人は認識することができるのか。
その状態が「悟り」であると認識できる以上、それは個人の認識の範囲内にあるということであり、だからこそ人の数だけ「悟り」が存在する。
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不足感
(2016.4.3 17:57)
何かを「欲する」ということは、つまり自らの中に「不足感」を認めているわけだ。
だからいくら欲しても意中のものが手に入らないという外的条件の不如意さでイライラする前に、自らの「不足感」の正体という内的条件を探る方がはるかに手っ取り早い。
外に求める前に、まずは内に求めていく。
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相手の苦悩の所有 (2016.4.3 15:42)
「8」マインドで凝り固まった人に対するアドバイスは「相手の苦悩を自らの所有物としない」ということに尽きる。
相手の苦悩はあくまでも相手の所有物であって、それを共有や理解の名の下に後生大事に抱え持つ必要はないよ。
苦悩とはそれぞれの個人がきちんと向き合うべきテーマなのだから。
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群れる (2016.4.3 2:19)
独り一害、群れ百害。
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冷める (2016.4.3 0:52)
「冷める」から「覚める」んだね。
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ワンサイドゲーム (2016.4.2 22:55)
いろんなことを迷い、いろんなところを彷徨い続ける混迷感。
万事なるようになるだろうと、あっけらかんと開き直る楽天観。
この双方が行ったり来たりのシーソーゲームを繰り広げるかと思いきや、ある日突然ワンサイドゲーム的な展開で一気に片方に偏ることもあるのが「9」というカオスモス。
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「8」と「9」の対談 (2016.4.2 22:31)
今日の「達人達」は「8」の日野原重明氏と「9」の篠田桃紅氏の対談。
「8」の日野原氏は将来のスケジュールまでバッチリ組み立て、自らの生き甲斐を真剣に考える「8」マインド。
「9」の篠田氏は無為自然のままに生き、何も組み立てずにただただ生きる「9」マインド。
数のままの二人。
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「9」の意外性と可能性
(2016.4.2 22:13)
こちらが油断した際に「3(大胆さ)」以上の大胆さを見せたり、「6(洗練さ)」以上の洗練さを見せてくれるのが「9」というオールマイティの種が持つ意外性&可能性。
「9」が自らの万能性に躊躇せず、とある一方向に真っ直ぐ突き抜けることで、他の数の人をアッと言わせるほどの個性が現れる。
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スケート界の逆数 (2016.4.2 21:30)
「3」のハビエル・フェルナンデスと「6」の羽生結弦という逆数コンビ。
互いに切磋琢磨して、共に螺旋状に成長していく感じの組み合わせだし、数の性質がスケートにも現れている感がある。
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フィギュアスケート (2016.4.2 21:10)
フィギュアスケートを観ながら「3(大胆さ)」と「6(洗練さ)」と「9(自然さ)」の共生について考えてた。
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誤訳かもよ
(2016.4.2 0:25)
自らの「体感覚」に鈍感過ぎるのはあまり良いことではないと思うけれど、敏感過ぎてそこから汲み取る「メッセージ」で頭をいっぱいにするのは、鈍感過ぎるよりもなお始末が悪いと思う。
その「メッセージ」、実は誤訳かもしれないよ。
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「4」を壊す勇気
(2016.4.1 9:56)
「5」の人の中には自らの大して多くない知識や経験のみで万事を判断し結論付ける、つまり逆数「4」的な狭い領域に固執してプライドを守る人もいる。
そんな「4」を壊し、より広い世界を体験し、知識を更新することが「5」を持つ人のテーマだったりするが、それはとても勇気とパワーがいる行為。
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