数秘術関連等ツイート(2015年12月分)
「能面」の下 (2015.12.30 11:13)
その「能面」の下の素顔は、ちゃんと目を細めて喜んでいるかい?
能面 (2015.12.30 11:02)
「3」という動的かつカオスな感情を、静的かつコスモスな感情へと落ち着かせる「6」マインド。
闇鍋 (2015.12.30 10:45)
あるものは奇数というカオスでぐっちゃぐちゃであり、またあるものは偶数というコスモスでカッチカチ。
「過ぎる」が故 (2015.12.30 10:27)
観る人(2)は観過ぎるが故に騙され、考える人(7)は考え過ぎるが故に誤る。
あんいんうんえんおん (2015.12.29 14:48)
「案(あん)」
乱気流を楽しむ (2015.12.29 12:56)
僕はパーソナルイヤー(個人年数)が「9」から「1」へ向かう端境期を「象意の嵐」と呼んでいるけれど、この別れと出会いの乱気流に揉まれて楽しむくらいがちょうどいい。
運ばない (2015.12.29 8:37)
「運」という概念から離れることで、人生においてこれ以上余計なものを「運ぶ」必要がなくなってラクになるよ。
尊厳の補完 (2015.12.28 16:17)
自らの尊厳が脆弱な人ほど「国家の尊厳」などという表現を持ち出して大上段に構えることで、自らに足りない尊厳を補完しようとするんだね。
神願望 (2015.12.28 16:10)
男性が抱く「神願望」を手っ取り早く叶えてくれるのが、数多のミニチュアで構成された「ジオラマ」なんだろうな。
委ねるなキケン (2015.12.28 13:12)
自らの「幸せ」を他者に委ねることほど危なっかしいものはないね。
天地一体 (2015.12.28 10:57)
ヌメロダイスで用いる十面体ダイスは概ね出目の数と接地面の数との和が「9」、つまり「逆数」の関係となる。
清潔の強制 (2015.12.27 21:44)
CMでやたらと菌やらウイルスやらを見せつけられ、不必要に不安感を煽られ、清潔の強制を余儀無くされる時代の「6」感と言ったらもう。
定義付けるツール (2015.12.27 20:26)
ヌメロダイスにおける出目は「真実」を教えてくれるわけではなくて、「真実」を「定義付ける」ツールなんだ。
「縛る」は「縛られる」 (2015.12.27 18:35)
「8」、つまり「コントロール」するということは、その対象に幾重にも「2」という「ロープ」を掛けて操ること。
同じTシャツ (2015.12.27 12:10)
「5」のザッカーバーグ氏が自らの「5(変革力)」を十二分に発揮するためにも、私生活においては逆数である「4(不変・不動・安定)」を満たした方が余計なパワーを消費せずに済むからね。
ギャンブルでの「8」 (2015.12.27 11:49他)
近所の東京競馬場まで有馬記念を買いに行こうと思ったけれど、つい面倒臭くなって「馬券買いに行くべきか?」をヌメロダイスで占ってみた。
「観る」を弱める (2015.12.27 11:32)
自宅の風呂という閉鎖空間だと特に観察するべきものが無い為、自然と「2(観る)」機能が弱まり、その分だけ「7(問う)」機能が高まっていく。
「幸せ」を問う幸せ (2015.12.27 11:25)
自らが観察した世界を全て善悪などの概念に分類することにより、自らの「幸せ」のカタチを定義するのが「2」マインド。
高める (2015.12.26 12:24)
「己を高める」という呪い。
返礼 (2015.12.24 16:47)
コンクリ打ちっぱなしの我が家には頻繁にテントウムシが入り込む。
火遊び (2015.12.24 16:36)
燃え盛る家を内から眺め、暑さに苦悶する自らを客観することで初めて自らの「生」を生々しく感じられるという意味では確かに不倫は火遊びなんだろうな。
「自信」について (2015.12.24 15:56)
動的・混沌・チカラの直観を表す奇数の「1」は同時に「自信」をも表す。
有我と無我の間 (2015.12.24 15:46)
それ自体が単体で存在する「1」という「有我」。
均整による不均整 (2015.12.24 14:34)
自分自身の均整(美)を取ろうとするのが「4」マインドだが、自らの均整に注力し過ぎたあげく、社会との不均整を招くこともある。
「狂う」とは (2015.12.24 13:24)
事実としての現象とは別に、自らの脳内でぐちゃぐちゃに練り上げられた「7」というカオスな思考が、スクリーンに投影された幻(当人はリアルな現象と認識している)の如く、「2」というコスモスへと固定化されていく。
狂い始める「7」 (2015.12.24 12:50)
自らの観察(2)結果に疑念を抱き「表ではこんな態度だったけど、裏ではきっとこう思っているに違いない!」と考え、相手を必要以上に洞察(7)しようとする。
奇形 (2015.12.24 11:55)
「善」とは「悪」の奇形だね。
感覚人 (2015.12.23 22:59)
暗闇でバットの素振りをした際の音で状態を把握したり、指導の際にも擬音や擬態語を多用したりと、「5」の長嶋茂雄はつくづくその数の示す通りダイナミックかつカオスな「感覚人」なんだなぁ、などと考えていた。
ブレーキは少しずつ (2015.12.23 13:02)
「1(本能・衝動)」のアクセルで加速したものを「8(理性・抑制)」のブレーキで抑止する。
世のため、人のため (2015.12.22 23:42)
「世のため、人のため」とは、結局のところ「(自分を大切にしてくれる)世のため、(自分を大切にしてくれる)人のため」ってことじゃないすかね。
「野生」と「理性」 (2015.12.22 21:52)
「1」という「野生」をコントロールすべく、「8」という「理性」の両腕でハンドルを握り締める。
じゃあ死ねば? (2015.12.22 20:56)
もし占いの依頼で「僕、最近死にたい気持ちが収まらないんですけど、一体どうしたらいいですか?」なんて尋ねられたら「じゃあ死ねば?」って答えると思う。
今日は冬至 (2015.12.22 17:02)
北半球「今日は冬至!」
逆転する表現 (2015.12.22 13:34)
一部の異常な事例を「異常な○○」とマスコミが取り上げた結果、いつの間にか「○○は異常」というような形で民衆に伝わっていく。
「真実」は主観次第 (2015.12.21 18:50)
いくら科学的根拠により導かれた「真実」であったとしても、それ自体が「真実性」を担保してくれるとは限らない。
堕落論 (2015.12.21 18:30)
坂口安吾の「堕落論」を「3(堕落も含めた"生"そのもの)」と「6("生"を美しく調える機能)」の対比で読んでいくと、数の象意の理解にも繋がっていくと思う。
「鈍化」で自らを守る (2015.12.21 18:14)
眼前において「5(破壊)」が繰り広げられた時、ヒトの感覚は自らを守るためか往々にして「4(鈍化)」となる。
「数性」の本質 (2015.12.21 17:24)
根が明るい「7」もいる。
英雄を崇めるな (2015.12.21 15:26)
「Fate/Zero」が僕に教えてくれたのは、「英雄」や「奇跡」を崇めるな、そしてそれらに騙されるな、ということだね。
その本心は本心? (2015.12.21 15:18)
己の本能に基づく本心、いやヒトの本能に基づく本心を知りたければ、ケモノを観察するのが手っ取り早い。
頑張れば報われる? (2015.12.21 15:00)
「頑張れば報われる」という言葉自体が一種の麻薬だね。
「善性」はほどほどに (2015.12.21 0:02)
「ヒーロー」とか「超人」という存在に無条件に「善性」を与えるのはやめようよ。
無検証 (2015.12.19 14:26)
「7」マインドとは、つまり存在を「疑う(検証する)」ということ。
「アンチ」で楽に (2015.12.19 13:01)
「6(ホスピタリティ)」が苦しい時は、「3(アンチホスピタリティ)」で楽になるべ。
一般化と特殊化 (2015.12.19 9:54)
万象を分類(線で分ける)したり、関連付け(線でつなげる)したりという「2」による知の秩序化により万象は「一般化」や「言語化」されて、より広く共有できるようになる。
世界を割り切る(÷) (2015.12.19 0:01)
「知」とは世界を割り切る(÷)という「2」的な行為であり、それは静的かつ秩序化された「知」。
どんな人にもなれない (2015.12.18 17:42)
オールマイティな「9」の「どんな人にもなれる」性質は、結局のところ「どんな人にもなれない」性質というのとイコールだね。
「当たっている」 (2015.12.18 17:39)
「当たっている」と「当たっていると感じる」の間に広がる100光年ほどの距離。
噛み合わずとも (2015.12.18 12:15)
ただ一方的にしゃべくりまくり(3)、ただテキトーに受け流し(9)、そんな互いを意に介さなければ、とても負荷の少ないコミュニケーションができるかも。
語呂合わせ (2015.12.16 23:30)
「369」を「弥勒(みろく)」と読ませて有り難がる行為。
現実化のプロセス (2015.12.15 20:54)
自らの内側にて吹き荒れる「7」という精神的なチカラが、自らの強固な意志によって凝縮・圧縮・組織化され、「8」という物質的なカタチとして自らの外側に顕現していく。
攻撃とは過剰な防衛 (2015.12.15 15:57)
「5」のヒトラーが求め続けたのは、逆数「4」という「ホーム」としての国家だったのかな、と。
「9」という外交政策 (2015.12.14 23:58)
江戸時代、かの琉球王国は日本と中華帝国(明・清)に両属の態度を取っていたけれど、この政策こそ偶奇両有の「9」的と言えるし、普段から「9」マインドの特徴としてあげている「なんくるないさぁ」精神が育まれた一因なのかも、などと考えてみたりもする。
固結びされたロープ (2015.12.14 21:56)
「依存」とは自らを定義付けできていないからこそ陥るものと捉えがち。
定義付けの「2」 (2015.12.14 20:55)
他者を観察し繋がることにより自らを定義するのが「2」であり、その定義付けの材料とすべく、より多くの人々と分け隔てなく交際していく。
「他」で「自」を知る (2015.12.14 17:13)
他者をつぶさに「2(観察)」することにより、自らの「7(洞察)」へのヒントを得ようとするマインド。
二つの「調和」 (2015.12.14 11:38)
「2」の調和とは自己と他者、つまり「個人対個人」という構図の中の調和。
Mr.マスターナンバー (2015.12.14 1:16)
レオナルド・ダ・ヴィンチの生年月日は父方の祖父の日記によると、1452年4月15日(当時はユリウス暦)であり、単数変換すると22→「4」だが、途中で止めればマスターナンバーの「22」となる。
「補数」を馴染ませる (2015.12.14 0:02)
「7(懊悩)」そのものが「3(愉悦)」となるならば、それはきっとすばらしいこととなる。
どちらの「中庸」か (2015.12.13 23:34)
「中庸」という概念を「9(両極の混淆)」と捉えるのか、もしくは「0(無極)」と捉えるのかで、その有り様は大きく異なっていくと思う。
「型」を見る (2015.12.13 22:04)
「4」マインドは自らの「型」を内側からつぶさに見て、いかに漏れ出す箇所無く堅牢に造られているかをチェックする。
大放言アピール (2015.12.13 9:48)
歪んだ「6」という極端な「排他により清浄を保つ」思想の持ち主ほど、歪んだ「3」という歯に衣着せぬ大放言で人気を集めたがる。
取りこぼしたもの (2015.12.12 12:16)
「7」という非言語思考を「2」という言語思考に変換する際、どうしても取りこぼしてしまうものが、自らに「変革」をもたらすのかもしれない。
なったこと (2015.12.12 11:38)
そういえば、僕は今回精巣腫瘍になったことや時期などについて、特に数秘術的な検証を行っていないや。
だからこそ生き残る (2015.12.11 23:30)
ある人は占いを「本物」と言う。
占いというもやもや (2015.12.11 23:26)
占いって、この現代社会においては特に「9」的な存在として「もやもや」とした何かに包まれながらいろんな人のいろんな隙間に入り込んでくる。
減点法と加点法 (2015.12.11 21:50)
「6」という「減点法意識」は、物事の完成度を効率的に上げてくれる。
誘蛾灯 (2015.12.11 21:40)
「4」のホリエモンが見せる、あざといほどの逆数「5」。
モットー (2015.12.11 15:26)
「明日できることは明後日やる」が僕のモットーです。
「家」っていいねぇ (2015.12.11 15:23)
あれだけ入院とか手術とか片タマさようならとかつぶやいておきながら、いざ退院して自宅でまったりしているとそんなことすらふと忘れている自分に気づく。
プロトコル (2015.12.11 15:10)
プロトコルを単純化・最小化して、全てをスピードアップさせる「1」マインド。
届けるべきは情熱 (2015.12.10 22:50)
妻から借りた「Fate/Zero」小説版の第1巻を読了。
人体実験 (2015.12.10 18:36)
そうそう、今回めでたくガンになったけれども、願掛けやヒーリングの類を一切行わない「人体実験」を自らに課しているよ。
「才能」への気づき (2015.12.10 14:20)
自らが特に意識せずとも発現できる「3」的な才能は、「6」的な教育や鍛錬を重ねた後になって初めて「これが俺の才能なんだ!」と自ら自然に認められるようになるのかもしれない。
一方的な「使命」 (2015.12.10 14:10)
一族や社会への「使命感」という「6」的価値観から逃亡を果たす「3」的人間。
「動の思考」の先 (2015.12.10 13:53)
「7」という「動の思考」が心を向けているのは「7」自体ではなく、「2」という「静の思考」の対象、つまり観察対象という数秘術的翻訳。(RT先リンク)
自らに合った小社会 (2015.12.10 13:28)
TPOを弁えたり、空気を読んだりなど、社会の側に過剰に自らを合わせるべく調えていく「6」的行為に疲れ果てた挙句、逆数「3」的な開き直りで自己を開放していった方が結果として「自らに合った小社会」を作り出せるのかもね。
鮮やかな「自由」 (2015.12.10 13:11)
今回の入院のように「4(安静)」を強いられる環境だと、「3」と「5」という二つの隣接数で表される二つの「自由」がより鮮やかに見えるようになるね。
野坂昭如 (2015.12.10 10:28)
「6」の野坂昭如が亡くなったとの一報。
洞察の年 (2015.12.10 8:49)
そういえば僕の個人年数は39歳となった今、「7」(39+基本数「4」→43→「7」)となって少し経つ。
精巣腫瘍 (2015.12.10 7:14)
しかしまぁ、今回の入院と手術でいろんな体験ができたなぁ。
「5」を育むもの (2015.12.9 6:30)
何たって宮澤賢治は「5」の人だからなぁ。
「1」あってこそ (2015.12.8 15:48)
「9」という没我の海に飛び込むためには、「1」という我がしっかりしていないと融けて無くなってしまう。
強欲なやつ (2015.12.7 19:25)
誰か 「もっと生きていたい!」
消したり蘇らせたり (2015.12.7 15:12)
「9」という赦しと癒しの抱擁により、喧しい「我」を消していくこと。
冷や水 (2015.12.7 13:00)
あらゆる占いや神秘に「冷や水を浴びせる」のが僕の趣味です。
お笑い (2015.12.6 19:39)
綿密な計算の元にネタを作り、何度も繰り返し練習を重ね、その結果を更にフィードバックしていく、つまり「6」の積み重ねでもって観客を大いに「3(笑う)」させる。
ピンチはピンチ (2015.12.6 17:24)
格言つき日めくりカレンダー「まいにち修造!」の報道の中で、チラッとヒロシのネガティヴカレンダー的なものが見えた。
語るほど「野暮」 (2015.12.6 12:28)
そもそも「幸せ」なんてものは、語れば語るほど「野暮」になっていくというもんだ。
「幸せ」という評価 (2015.12.6 12:23)
そろそろ「幸せ」という評価指標から離れようぜ。
「ペルソナ」の癒着 (2015.12.6 12:14)
感情の数である「6」は、同じく感情の数である「3」がありのままの感情をそのまま出すのとは対照的に、自らの感情をまるで俳優のように演技的にコントロールしていく。
掘り当てる「地下水」 (2015.12.6 1:56)
「7」とは「疑う」であり、そしてそれは真実を探るために、目の前の現象を知性のスコップで「掘る」ということ。
兵士になる将軍 (2015.12.5 23:25)
「1」が「戦士」なら、「8」は「将軍」。
「お金」と「制御」 (2015.12.5 23:19)
「8」マインドにとって最も重要なのは、それが「制御可能」かどうかということ。
「逆性」の存在理由 (2015.12.5 19:59)
その奇数(動性・カオス・チカラ)で偶数(静性・コスモス・カタチ)を健全化させよう。
まずはセルフケア (2015.12.5 16:50)
幼少の頃から「社会の役に立つこと」、つまり『「6」であれ!』ときつく教えられてきた人が、ストレス解消のための逆数「3(遊び楽しむ)」をうまく取り入れられず、逆に忌み嫌うケースも少なくない。
「生(なま)」である私 (2015.12.5 15:52)
「私は生きている!」と言い切るほど傲慢にはなれない。
「生」の正体 (2015.12.5 15:40)
「生きている」と「生かされている」の間に、ただぼんやりと漂っているものこそが「生」なのかも。
占い師は「演出家」 (2015.12.5 15:18)
占い師とは自らが脚本した「ドラマ」の中において、数や星や札を登場人物として演技させる、つまり「演出」しているだけなのかもしれない。
巨額の寄付行為 (2015.12.5 12:03)
「5」のマーク・ザッカーバーグの掲げる理念に「迅速に行動し物事を破壊せよ」というものがあり、正に「5」そのもの。
生んで、育てる (2015.12.5 11:26)
「3(生む)」というカオスな「愛」のチカラ。
にんげんだもの (2015.12.4 20:06)
「滅んでもいいじゃない、にんげんだもの。」
未婚の自由 (2015.12.4 19:59)
中年期に入った独身の子供に対して「もう外国人でもバツイチでもいいから結婚して欲しい」などと嘆く親がいるけれど、そんな子供にはそろそろ『結婚なんぞしなくてもよい自由』を与えてやったらどうだろうか。
「8」の年の断捨離 (2015.12.4 19:46 一部改変)
「8」の年の断捨離は「自他を含む万事をコントロールしやすくするため」のもので、「9」の年のそれは「自他を含む万事への興味関心が淡くなるがゆえのもの」という感じかもしれない。
「9」の年の断捨離 (2015.12.4 18:26 一部改変)
「9」の年における断捨離は、この9年間に蓄積したあらゆるモノを見返すということ。
マインドブロック (2015.12.4 17:21)
「人を信じて繋がり合うべし(2)」
「2」の理、「9」の理 (2015.12.4 13:59)
自らを何かと「繋げる」ということは、則ち自らと別の何かとを「分かつ」ということ。
優柔不断 (2015.12.4 11:02)
数秘術において「2」の人を「優柔不断」と捉える向きがあるが、僕はそれを逆数「7」のいたずらであると捉えている。
脱社会的な人間 (2015.12.4 10:48)
「反社会的な人間」ならば社会にとって好ましくない存在なのかもしれないけれど、「脱社会的な人間」ならば別に存在していてもいいんじゃないか。
裏切り (2015.12.3 23:16)
奇数の一見「裏切り」に見える行為は、ただ変化したがっているだけ。
ねるねるねるね (2015.12.3 11:04)
心の中で年がら年中、精神の「ねるねるねるね」をぶつぶつ呟きながらかき混ぜているのが、見せぬカオスの「7」マインド。
融和への険しい道 (2015.12.2 23:45)
「奇数も偶数も互いの存在を認め合って、共に仲良く暮らそうよ!」などと両者の融和を望むのが「9」マインドの真骨頂。
宥和と融和 (2015.12.2 23:32)
相手の態度をゆるして仲良くするのは「宥和」。
手に余る欲 (2015.12.2 17:52)
人生って「手に余る欲」を手放すことでだいぶラクになる気がする。
「7」の二つの指針 (2015.12.2 15:07)
「様々なことで常に思い悩み、精神のカオスがぐるぐると回る」というような「7」状態の人。
安定のためのウソ (2015.12.2 14:02)
周囲を戸惑わせるようなウソをついて楽しむのが「3」的なウソだとすれば、自己や周囲の安定性を保つためのウソは「6」的なウソになるね。
アンチ長生き (2015.12.2 13:01)
老後の心配について朝のテレビで取り上げていたけれど、なるべくなら「老後」の無い人生を送れるようにしていきたいなぁ。
「9」という大葛藤 (2015.12.2 10:03 一部改変)
奇数と偶数のイメージが入り混じる「9」という数は正に「葛藤」そのもの。
ガーデニング (2015.12.1 22:15)
地中の種が発芽し始めるように、内側から外側へと成長・拡張していく様を表すのが「3」。
模範的か反模範的か (2015.12.1 8:44)
「6」という数は「ホスピタリティ」の数であり、それはつまり「みんなの役に立つことを最大の喜びとする」数であり、模範的な喜びを表す。
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