数秘術関連等ツイート(2015年9月分)
偶数でチェックしよう (2015.9.30 23:38)
そのアクション(1)は誰を意識(2)してのものなのか。
「壁」の意味を知る (2015.9.30 15:32)
自らの自由を阻んでいた「壁」が、実際には自らの自由を守る「壁」だったということに気づくまでが「4」のテーマだったりする。
創るスピリチュアル (2015.9.30 15:25)
「スピリチュアル」なものがあるから「スピリチュアル」を求めるんじゃなくて、「スピリチュアル」なものが欲しいから「スピリチュアル」を自ら創り上げるヒトというのは一定数いると思う。
空のハンドル (2015.9.30 14:34)
自他を含めあらゆるものをコントロールしようと欲する「8」マインド。
それ「断捨離」? (2015.9.30 14:11)
その「断捨離」にちゃんと「自我」は含まれているかい?
アール・ブリュット (2015.9.29 20:19一部抜粋)
「アール・ブリュット」とは「加工されていない、生(き)のままの芸術」という意味のフランス語とのこと。
「きっかけ」を無くそう (2015.9.29 18:20)
ヒトの中の「ケモノ(暴力性)」をいくら法や倫理などの「鎖」で雁字搦めに抑え込んでも「ケモノ」が完全にいなくなるわけではない。
ヒトは「暴力的」 (2015.9.29 18:10)
虐待や暴力のニュースに接した人々は「こんなことは一部の人間がやることであり、常識では考えられない!」などと反応する。
「我」は「他」 (2015.9.29 17:59)
我々は自らという「我」と環境という「他」を対比で捉えがちだけど、「我」は「他」を構成する一要因であり、そして「他」も「我」を構成する一要因であり、本来なら同じもの。
面倒臭い「吉凶」 (2015.9.29 13:39)
「吉」を招き「凶」を避けようとするのはヒトの性(さが)であり、それはつまり万物を「吉凶」の二つに分離すること。
かわいそうな日 (2015.9.29 13:27)
「吉日」ばかり愛でるなよ。
わた師 (2015.9.29 12:33)
「数秘術師」である前に、まずは「わた師」でありたい。
「現象」は「現象」 (2015.9.28 16:52)
そろそろヒトは「現象」に「意味」を与えることから足を洗ってもいいんじゃなかろうか。
高過ぎる目標 (2015.9.28 16:14)
高過ぎる目標を与えることは、一つの「暴力」になるね。
消費される「美」 (2015.9.28 16:04)
とある人物を一方的に「美のシンボル」として祭り上げ、更にはそのシンボルに対して「美のシンボルは常に『スタンドアロン』であらねばならない」などという呪いをかける。
「分類」をやめる (2015.9.28 15:22)
ヒトを「分類」していったとしてもヒトのことを理解できるわけではない。
「時間」こそ苦 (2015.9.28 15:05)
「1」という「一者」に無く、「2」という「二者」に存在するのは「時間」という概念。
「暴力」について (2015.9.28 14:40)
「行為はイデオロギーではない。もしイデオロギーから生まれる行為であれば、それは暴力に到る」(『クリシュナムルティの日記』p101)
超シンプルな風水 (2015.9.28 14:20)
様々な本を読んで風水にこだわるよりも「部屋に新鮮な風を入れる」というシンプルさを僕は好む。
愛されるに値する国 (2015.9.28 13:18)
やたらと「愛国心」という言葉を使いたがる人がいる。
「善性」なき「家族」 (2015.9.28 13:05)
構成員それぞれの「個」がきちんと尊重されている場合のみ、「家族」という概念に強い「善性」が与えられる。
「善」と「善性」 (2015.9.28 12:45)
「善」は独りでかつ自発的に行うことで、その「善性」を発揮していく。
人道的 (2015.9.28 12:36)
「人道的」であることはとても大事なことだけど、この「人道的」という概念には社会において恐ろしいほどの強制力がある。
十字架の愛 (2015.9.28 11:42)
為そうとする「愛」が「3(エロス・純愛)」ならば難しくはない。自己完結型の「愛」だからだ。
スーパーなムーン (2015.9.28 1:28)
「スーパームーン」という言葉を見て思うのは、月に月蝕以外の「特別感」を与えたいと思う気持ちにより生まれた言葉なのかな、ということ。
この人こそ… (2015.9.28 0:20)
「4」のクリシュナムルティ(1895年5月12日生)をマスターナンバーにしたがる気持ちはよくわかる。
ヒロイックな占い師 (2015.9.27 22:20)
占い師によるアドバイスは占術や技術などではなく「この俺の生き様を目に焼き付けろ!それが俺からのアドバイスだ!」的なヒロイックさ(すごく「1」的な)で攻めてもいいと思う。
「制御」は「被制御」 (2015.9.27 14:41一部改変)
何かを制御(8)しようとすれば、それは必ず制御されるもの(2)を生み出す。
正反対の「知」 (2015.9.27 14:24)
対象をつぶさに観察し、それに名前をつけ、他の対象と関連付けをし、更に体系化してアーカイブにまとめていくのが「2」という「知の秩序化」。
何者だい? (2015.9.27 14:12)
「自分とはいったい何者なのか?」ということを問い続けさせられ、自ら定義した「何者か」になるための努力を余儀なくされる社会とはどれだけ不自由な空間なんだろう。
やがては消えていく (2015.9.27 14:06)
四つの機能の全てを溶かして「自然」との一体感を味わうのが「9」であることだが、この一体感すらもやがては消えていくものであり、それは「0」になるということ。
「9」で得る一体感 (2015.9.27 13:46)
大地にどっしりと座り、ただじっとその場にいるという行為。
罪滅ぼし (2015.9.26 17:40一部改変)
大口を開けて笑い楽しむ「3」的なものを堪能した後、それをただの「3」で終わらせずに逆数「6(いかに役に立った)」や補数「7(いかに深かったか)」を付加させる人がいる。
ゆとりのある行為 (2015.9.26 16:49)
目の前の「生」を生き抜くことに使うリソースを減らすことで、ヒトは初めて「考える」ことができるようになる。
「平均台」から降りよう (2015.9.26 16:19)
その人自身が定義した何かしらの「成功」へとひたすらに向かい、その道筋から落ちないようにまっすぐ歩んでいくという一種の「苦行」。
引き寄せない (2015.9.26 16:12)
まずは「引き寄せない」ことから始めてみてはどうだろうか。
「2」は「はかる」 (2015.9.26 15:29)
「はかる」という言葉は正に「2」的な言葉。
自発的な「勉強」 (2015.9.26 15:12)
自らの「創造性」が自らの持つ「ツール」の能力を大きく超えたものとなった時、ヒトは初めて自ら「勉強」する。
僕の「排泄物」 (2015.9.26 15:07)
僕のツイートはとどのつまり大便とか小便の類いに他ならない。
「善悪」じゃなく「広狭」 (2015.9.26 14:59)
異なる二つの主張を「善」と「悪」に分けようとするから話がややこしくなる。
「ツール」の役目 (2015.9.26 14:47)
「ツール」というものは何かを作り上げる際に用いるものであり、もし目指す何かが出来上がれば、もうその「ツール」を持つ必要はなくなる。
曲解から始まる「信仰」 (2015.9.26 14:41)
自らが強く感じていることと、ほとんど同じことを他者から聞いたとすれば、当然ながらその他者を信じようとするだろう。
共に「4」である縁 (2015.9.26 14:35)
組織の指導者であることを強いられた結果、指導者を辞めて「真理は組織化し得ない」などと組織という概念自体を否定したクリシュナムルティ。
「比較」なんかしない (2015.9.26 14:10)
わざわざ他の何かと「照らし合わせる」ことにより、自らが信じる「正義」や「神聖」を確かめたり強化したりする人は多い。
この一冊 (2015.9.26 14:02)
「この一冊に出会えたのなら、自らが所有している凡百の本など未練なく捨ててもいい」…そう思えるような本に出会えることは、とてつもない喜びだ。
「美」の果て (2015.9.26 13:51)
ヒトが美しいものを「美しい」と感じて褒め称える機能にこそ、恐ろしいまでの「残酷さ」が潜んでいる。
ナイフの二つの機能 (2015.9.26 13:38)
「ナイフ」の機能を「数」で喩えてみる。
両輪の「知」を廻す (2015.9.26 13:19)
「2」で「知の秩序」を調え、「7」で「知の混沌」を楽しむ。
「カテゴライズ」の先へ (2015.9.26 13:09)
いくつかの事柄を整理するために「分ける」、そして他者から見てわかるように「名付ける」、これが「2」という「カテゴライズ」。
「幅」の是非 (2015.9.25 18:23)
「宇宙における天体運動は極めてスケールの大きなものだから、多少の幅は容認すべきだ」という考え方に以前から違和感を抱いていたりする。
偶像崇拝というコピペ (2015.9.25 12:36)
ムハンマドが最初の啓示を受けたマッカ(メッカ)のヒラー山登山口には、登山する観光客に対しての「この山は本来は神聖視されるべきものではない」という注意書きがサウジアラビア政府によって掲げられているらしい。
「反応」の毒 (2015.9.25 9:12)
「2」というロープで人々や社会と繋がるということは「2」の「反応」という行為・被行為で自らを縛り上げるということ。
平和圧 (2015.9.24 21:45一部改変)
偶数性の強い人にとっては「自らの定めた多々のタブーに触れないこと」こそが平和。
「タブー」を設ける「6」 (2015.9.24 21:39)
静的・秩序・カタチを表す偶数、とりわけ「6」という数は「タブー」を多く設ける数として捉えても良いと思う。
弱まっていく「7」 (2015.9.24 21:23)
「信頼」→「信奉」→「信仰」というように「2」が強くなればなるほど、「7」という「検証性」は弱まっていく。
「視線」が作る「美」 (2015.9.24 20:58)
他者からの「視線」にさらされることで自らの「外」に磨きをかける「6」。
「6」の中の哀しみ (2015.9.23 14:39)
僕は「3(感情の混沌)」を楽観や喜びの数、「6(感情の秩序)」を悲観や哀しみの数として扱っている。
開けるか、閉じるか (2015.9.23 14:10)
「目を開けるための哲学」と「目を閉じるための哲学」。
ストーリーは淡々と (2015.9.23 13:54)
この世界というストーリーには「プロローグ」も「エピローグ」も「ヤマ」も「オチ」もありゃしないよ。
ラブソング (2015.9.23 13:29)
たった今、外で一匹のセミが鳴き始めた。
効いている感 (2015.9.23 12:58)
多くの人々がつい求めてしまうのは「効いている」ことよりも「効いている感」なんじゃなかろうか。
「思考停止」という思考 (2015.9.23 11:21)
「2」という「思考の停止」とは無思考状態というわけではなくて、「思考を止めるための思考」であると言える。
「信仰」を哲学すること (2015.9.23 10:11)
「信仰」というものは極めて「2」的なものであり、これはつまり「思考停止という秩序」であるとも言える。
「9」は特別じゃない (2015.9.23 9:59)
僕は奇数(1・3・5・7)と偶数(2・4・6・8)両方のイメージを併せ持った数として「9」を捉えているけれど、だからといって別に「9」のことをマスターナンバーのように特別扱いはしない。
「自由」で「不安定」 (2015.9.23 9:43)
奇数とは「自由」かつ「不安定」そのもの。
放屁 (2015.9.22 23:23)
「お腹に溜めているのは良くないから出しちゃおう!」といって勢いよく放屁するのが「3」だとすれば、「人前で放屁とか恥ずかし過ぎてありえない!」とたしなめるのが「6」だね。
「食べていく」の軽重 (2015.9.22 23:12)
何かで「食べていく」という表現の中には「それで頑張って生活していく」という重さと「まぁ食えれば何だっていいさ」という軽さが同居しているね。
「惑う」暇の無い社会 (2015.9.22 22:19)
「四十にして惑わず」などと言われるけれど、現代社会だとむしろ「惑うことすら許されない」感が強い気がする。
お客様を信じるな (2015.9.22 20:03)
昔、ヤ○ーのコールセンター(テクニカル部門)で働いていた時に「お客様の言葉ではなく、モデムを信じろ」などと教えられたけれど、これは占いでもそうかもね。
一周忌 (2015.9.22 17:05)
そういえばもうすぐ「3」の友人の一周忌だが、自らが「3」的なことをする際には常にそいつが横にいるような感じがするから、特に寂しさなどは感じない。
無くなっていく「時間」 (2015.9.22 16:52)
ここ数年、僕の中では「時間」というものが無くなりつつある。
無幸の幸 (2015.9.22 16:23)
ヒトは「幸」を手に入れることに躍起になるけれど、この「幸」の裏には「苦」がもれなくくっ付いてくる。
死にゆく人 (2015.9.22 16:10)
死にゆく人は決して「死」を手に取ることはできない。
消えていく「死」 (2015.9.22 16:01)
「死」というものをただの「0(無)」と見て避けるのか、はたまた遍く宇宙に満ちている「9(全)」と見て優しく受け容れるのか。
「9(全愛)」に気づく (2015.9.22 15:40)
「愛は、時間のなかにも分析のなかにもない。後悔したり、互いに責め合うような泥試合のなかにもない。金銭や地位への欲望がなくなり、自分をずるく偽らないようになったとき、愛はそこに在る(『クリシュナムルティの日記』より)」
「血」のせいじゃない (2015.9.22 12:31)
自殺者の子が自殺したり、大量殺人鬼の弟が大量殺人を犯したりする悲劇。
こんなこともあるさ (2015.9.22 11:18)
たとえどんなことが我が身に降りかかったとしても「まぁこんなこともあるよね」などといなしてしまえるようになるのが理想。
いるいる (2015.9.21 12:44)
自分の奇数性(動的・混沌・チカラ)には寛容であっても、他人の奇数性には不寛容なヒトって一定数いるね。
三つの「調和」 (2015.9.21 1:44他)
「神」または「モナド(単子)」であり、古代には通常の「数」扱いされなかった「1」を除けば、最初の奇数は「3」となり、最初の偶数「2」と掛け合わさることで「6」という「調和(ハルモニア)」が生まれる。
奇数と偶数の同時性 (2015.9.20 22:47)
奇数性と偶数性は一つの事柄において同時に存在し得る。
「過必要」の害 (2015.9.20 18:14)
もちろん社会において「偶数性(静的・秩序・カタチ)」は必要なものだが、問題なのはそれを過剰に必要であると思い込んでしまうこと。つまりは「過必要」の害。
辞められない理由 (2015.9.20 16:54)
幼少の頃より受け続けてきた「偶数性教育」により、よく従い(2)、よく守り(4)、よく働き(6)、よく忍ぶ(8)ことがいかに善であるかを叩き込まれた人が、大人になってから「ブラック企業」をなかなか辞められなくなるのも無理はない。
「居場所」が欲しいだけ (2015.9.20 14:37)
その人の「5」的な反抗や自由奔放に見える行為は、ただ「4」的な「自分の居場所」が欲しかったことが理由かもしれないよ。
まずは周りから (2015.9.20 14:27)
「所変われば人変わる」というのは別のその人自身が変わるわけではなく、先にその人を取り巻く周囲の人々が変わるということ。
バチガイ (2015.9.20 14:17)
あなたが「キチガイ(気違い)」と断じる存在は、実はただの「バチガイ(場違い)」なだけかもしれないよ。
恐れて望む (2015.9.20 14:14)
奇数(動的・混沌・チカラ)は偶数(静的・秩序・カタチ)に絡め取られて囚われることを恐れ、そして望んでいく。
「異常」とは「距離」 (2015.9.20 14:02)
顕著な偶数性(静的・秩序)に満ちた移動中の電車内にて、顕著な奇数性(動的・混沌)に溢れた人が奇声をあげてドアを何度も蹴りながら車両内を移動していった。
蜘蛛の巣 (2015.9.20 13:34)
八本足の蜘蛛が用意周到に巣を張り巡らせて獲物を待ち受けるのは正に「8」的なイメージになるけれど、巣という住処と罠を作っているが故に巣から離れられなくなるリスクを負っている。
組体操という「病」 (2015.9.19 23:32)
『学校はなぜ「巨大組体操」をやめられないのか』なる記事を読んだが、この「巨大組体操」というリスクの集合体こそ正に「偶数病」の病巣という感じ。
自虐と自尊 (2015.9.19 18:09)
自己否定の強さ、つまり「8(自虐)」が強いということは、その分だけ「1(自尊)」も強いということ。
「美」の味方 (2015.9.19 15:41)
世界に「美」をもたらそうと躍起になる「6」がもし燃え尽きたなら、隣にいる「孤高」の名が付いた「7(孤独)」と「刷新」の名が付いた「5(破壊)」とが共に手招きしてくることだろう。
人々に与えるもの (2015.9.19 15:20)
「3」という「アート」が人々に与えるのは「感動」。
ケンカをさせる金持ち (2015.9.19 14:52)
「金持ちケンカせず」という言葉があるけれど、実際には「金持ちは自らケンカはせずに、他者にケンカをさせる」という表現の方が正しいと思う。
「根」と「葉」 (2015.9.19 14:46)
「4」はスタティック(静的)な感覚であり、いわば「感覚の根」。
負のプレゼント (2015.9.19 14:15)
相手への慮りがズレた「親切」の最大の問題点は、いかにズレたものであったとしてもその「親切」を断った側にある種の「申し訳無さ」を生じさせることであり、それはある意味で「負のプレゼント」とも言える。
人生後半部の「数」 (2015.9.19 13:46)
「4」の抱く逆数「5」的な「異端願望」も、やがて冷めれば「4」的な「正統願望」へと揺り戻されていく。
本当の意味の「信仰」 (2015.9.19 13:30)
「7(疑念)」から逃げ回ることに疲れ切ったが故に走る「2(信仰)」は本当の意味の信仰ではなく、ただその対象を「信じ込もう」としているだけ。
幸せになりたいだけ? (2015.9.19 13:23)
僕の逆数秘術は別にヒトを幸せにするわけじゃなくて、ヒトに「幸せとは何か?」を考えさせるきっかけを与えることが可能かもしれないというだけのツールに過ぎない。
シャッフルマシン (2015.9.19 12:54)
つくづく政治問題とは「友人シャッフルマシン」だな。
誰の味方? (2015.9.19 0:04)
僕は与党の味方でも野党の味方でもなく、「プロテスト(抗議)」の権利や「プロテスタント(抗議者)」の味方だよ。
難解かつシンプル (2015.9.18 23:11)
奇数(1・3・5・7)側から見ても偶数(2・4・6・8)側から見ても、偶奇両有の「9」はとてもわかりにくい存在。
鏡に映る「歪み」 (2015.9.18 22:11)
歪んだ「6」を鏡に映した時、そこに映るのは歪んだ「6」ではなくて鏡像としての歪んだ「3」が映る。
「結論」と「思考」 (2015.9.18 21:16)
「2」の思考はいわば「結論のための思考」。
「教え」から「教理」へ (2015.9.18 20:47)
はじめは「9(アガペー)」として存在した「教え」から「3(エロス)」が綺麗に取り除かれることで、殊更に「6(フィリア)」であることを求める「教理」が誕生する。
阿片 (2015.9.18 16:00)
「1(我)」による苦しみから逃れる道として補数の「9(無我・忘我)」があるが、これは喩えるなら「阿片」のようなもの。
人を殺める言葉 (2015.9.18 15:45)
Q:歴史上最も多くの人を殺めた言葉は何ですか?
メタ数秘術 (2015.9.18 14:15)
これから必要となってくるのは「メタ数秘術」だと思う。
偽善活動 (2015.9.18 13:13)
見返りを求めることを否定せず、「これは偽善活動さ」などと言ってのける「6」の慈善活動ほど清々しいものはない。
利己心とフィリア (2015.9.18 13:07一部追記)
「フィリア(友愛)」であるところの「6」とは則ちこういうことなんだよね。
「願い」が作る数秘術 (2015.9.18 12:15他)
とある名称や単語の頭文字を取り出して作られる略称のことを「頭字語」というけれど、ゲマトリアの際には正式名称と略称のどちらを採用するかで迷うことになる。
「神」の居場所 (2015.9.16 11:59)
「2」は「神」とつながり、「7」は「神」を自らの中に見出し、「9」は「神」に包まれ自らを溶かしきる。
「意味」を伝える手段 (2015.9.16 11:46)
「言葉」に「意味」を与えているんじゃなくて、「意味」に「言葉」を与えているだけだよね。
「あさが来た」 (2015.9.16 11:04)
新しい朝ドラ「あさが来た」の主人公のモデルは「5」の広岡浅子。
「定義」しているだけ (2015.9.16 0:01)
その占いはもしかしたらあなたがあなた自身のことを理解できたつもりにしているだけで、実はただあなた自身をとあるカタチに「定義」しているだけかもしれないよ。
いろんな「定義」 (2015.9.15 23:01)
占星術や数秘術で自らを天や時に「定義」してもらってもいいし、エニアグラム的なもので自らを自らの意思で「定義」してもいいし、自らを「定義」することから離れるのもいいね。
「恋愛」と「結婚」 (2015.9.15 21:13)
結局のところ「恋愛」はとことん奇数的(動的・混沌・チカラ)なものであり、「結婚」はとことん偶数的(静的・秩序・カタチ)なもの。
いろんな「癒し」 (2015.9.15 21:01)
奇数性(動的・混沌・チカラ)が強過ぎる社会であれば偶数性(静的・秩序・カタチ)が「癒し」となるし、逆もまた然り。
「奇数」の反乱 (2015.9.15 12:49)
政治権力や国家権力という強大な「偶数(秩序)」に対する、一般市民たちの「奇数(混沌)」による自由希求の戦いが革命だったりデモだったりする。
「7」という「異常」 (2015.9.14 16:28)
「異常」とは字の如く「常とは異なる」状態を表す言葉だけれど、その「常」自体に疑いを持ち続けるのが「7」であり、だからこそ余計に「異常」扱いされてしまう。
奇数病の例 (2015.9.14 16:19)
「社会から俺が放逐されるんじゃない!俺が社会を放逐するんだ!!!」などと叫ぶ重症の奇数病患者の例。
「おかす」ということ (2015.9.14 14:28)
奇数性(混沌)による偶数性(秩序)への抵抗を表す言葉として「おかす」がある。
リツイートとふぁぼ (2015.9.14 13:14)
「リツイート」って「こんな面白いのがあったから見てみて!」という意味ではすごく「3」的だし、「ふぁぼ」って「これはためになるから大事に取っておかなきゃ」という意味ではすごく「4」的だね。
転色 (2015.9.13 21:46)
早まって転職する前にとりあえず「転色」でもしてみたら。
五感による検証 (2015.9.13 17:04)
五感をフル活用して「検証」を試みるのが「7」だよなぁ。
ほのかな香り (2015.9.13 16:32)
香り付き柔軟剤とかもそうだけど、この「香りだらけの社会」の中で上書きされて消えていく「鼻腔に遠慮しながら入ってくるほのかな香り」も多いんだろうな。
どっちを書いても (2015.9.13 14:46)
「4」の人の性格について書いたとしても「5」的に生きてる「4」の人が違和感を持つし、そっちを意識して書くと今度は「4」的に生きてる「4」の人が違和感を持つ。
二つの「伝統」 (2015.9.13 13:03)
「4」という現在進行形の「伝統」は、古くから続いているものが現在においてもなお脈々と受け継がれ、その継続自体が存在意義であるもの。
責任としての「笑顔」 (2015.9.12 16:15)
「3」的な笑顔を「ありのままの笑顔」とするならば、「6」的な笑顔は「責任としての笑顔」だろう。
「気づき」の矛盾 (2015.9.12 15:39)
「二項対立の罠を超えて皆が一つになれるように『気づき』を深めていこう!」などというスローガンを掲げる集団が、結局のところ『気づけた人』と『未だ気づけない人』という二項対立を抱え込まざるを得ない矛盾。
「ワンネス」への旅 (2015.9.12 15:17)
「9(全)」という「ワンネス」から、「0(無)」という「ワンネス」を経て、「1(単)」という「ワンネス」へと向かっていく旅。
「手相」を超えて (2015.9.12 14:41)
「乙武洋匡さんを納得や共感させる手相占い師」ならば、僕はその占い師をとても好きになると思う。
「4」は「5」の「母」 (2015.9.12 11:23)
たとえそれがどれだけ「5(異端)」であったとしても、その存在が長続きすればやがて「4(伝統)」へと変質していく。
孔孟と老荘 (2015.9.12 11:18)
孔子や孟子が説いたのは「6」の道であり、老子や荘子が歩んだのは「9」の道。
「喜ばせる」ということ (2015.9.12 11:14)
自らの中の「6」、つまり「わたし以外の誰かを喜ばせる」ために日々頑張っている人は、自らの中の「3」、つまり「わたしがわたし自身を喜ばせる」ことがきちんとできているのかどうかを時々思い返してほしいと思う。
冒涜者 (2015.9.11 0:00)
奇数人よ、健全な冒涜者たれ。
生きてるだけで丸儲け (2015.9.10 16:50)
「生きてるだけで丸儲け」というのは確かにそうなんだけど、実際ヒトって自らの命の価値を自身の存在以外のモノ(マイホームなど)に委ねてしまうヒトも多いから難しい。
「不倫」で育つ (2015.9.10 14:09)
「不倫」が占い師を育てている。
二つの「信じる」 (2015.9.9 16:52)
自分が「観た」もの(実際に目で見たかどうかにかかわらず)を「2」的にそのまま信じる人。
「0」あってこそ完成 (2015.9.9 16:32)
自らを「9(全)」の如く、とにかく様々なもので満たそうと躍起になってはいないだろうか。
条件反射的に (2015.9.9 13:22)
マイナンバーが配られた時に条件反射的に単数変換をしない人は数秘術師じゃない。
貪欲 (2015.9.8 22:14)
「7」は自分の「内側」に貪欲であり、「3」は自分の「外側」に貪欲なんだ。
その「自由」はない (2015.9.8 20:03)
医者には病気になる「自由」は無いし、ダイエットインストラクターにはぶくぶくと太る「自由」は無いし、占い師には不幸になる「自由」は無いよね。
非生産活動 (2015.9.8 18:05)
この三日間くらい「妖怪ウォッチ」プレイに夢中になっていたら、数秘術ツイートが激減したではないか。すばらしい。
「空っぽ」という可能性 (2015.9.8 14:27)
「空っぽ」とは「空(0)」で「満ちている(9)」というわけだから、とてつもないポテンシャルだよね。
「偏り」も「偶然」のうち (2015.9.7 8:37)
たとえサイコロの目で「1」が10回連続で出たとしても、そういった事態を含めての「偶然」なんだよね。
「1」の不完全燃焼 (2015.9.5 23:57)
「1」マインドの強い人がうまく前進できなくなった際に、補数である「9」マインドを演じることで「成功とか失敗とかそんなんどっちでもいいんだよ!」などと自らをごまかしたりする。
こじつけ過ぎに注意 (2015.9.5 22:48)
「星」や「数」に自らの人生をこじつけすぎるあまり、何でもないようなことまでも不運や不遇として捉えてしまわないようにね。
どっちにしようかな (2015.9.5 17:59)
「2」:「どっちにしようかな…(どっちかに決めなきゃ)」
あくまでも「一度きり」 (2015.9.5 14:06)
一度でも「奇跡」を起こしたなら、その後は何度でも同じかそれ以上の「奇跡」を求められてしまう。
工夫ある継続 (2015.9.5 11:18)
よく「継続は力なり」などと「4」的な継続を奨励したりする。
「6」と「3」のバトル (2015.9.5 1:58)
「6」:「そんなことをしていてはあなたのためにならないよ!」
「自然物」への偏執 (2015.9.5 1:00)
「自然」というのはいわゆる「大局的なバランス」のことであり、「人工物」を忌避するあまり対極のものとしての「自然物」に偏執していくのは既に「自然」ではないよね。
有名という「罰」 (2015.9.5 0:15)
「有名」になるというのは、「無名」では無くなるという「罰」だったりするね。
「感情」の善し悪し (2015.9.4 23:21)
難民問題を見ていて思うのは、人は「感情」により難民を受け入れたとしても、後年その「感情」により難民を追い出していく恐れがあるということ。
二つの「力」 (2015.9.4 23:05)
「Force」と「Power」、二つの「力」。
「占い」と「メガネ」 (2015.9.4 20:13)
占いって「メガネ」と同じだね。
「盲信」という盲進 (2015.9.3 22:41)
グチャグチャでドロドロした「7」というカオスな思考はとても辛い。
どちらも「愛」 (2015.9.3 22:30)
相手の自由を尊重し、相手の行為を赦していく鷹揚な「愛」。
「哲学」の流れ (2015.9.3 21:57)
「2(思考の秩序・静的思考)」という「=」で固くつながっていた自らと世界を「7(思考の混沌・動的思考)」というナイフで一旦バラバラにする。
「5」という覚悟 (2015.9.3 13:25一部改変)
「4」という安寧空間を「退屈」と断じ、そこを未練なく捨て去ろうとする大いなる覚悟が「5」だ。
「ダメ」だから面白い (2015.9.3 12:09)
「ひみつ道具出して〜!」と甘えるのび太と、「しょうがないなぁ…」などと言いながら結局はのび太を甘やかすドラえもん。
「9」のドラえもん (2015.9.3 12:02)
2112年9月3日生まれのドラえもんの基本数が「9」というのは、「ドラえもん」という作品を考える上で大切なポイントなのかもしれないね。
ハズレを引かない (2015.9.3 11:54)
「4」マインドの強い人が意識しがちなのは「アタリを引く」ことよりも、いかに「ハズレを引かないか」ということなんだ。
「4」のグルメ (2015.9.3 11:50)
新宿に着き、先にポーチを購入。
「力」の行く先 (2015.9.3 11:12)
「8」マインドの強い人が諸事を都合良く進めるために振るう「力」は、回り回って自らを抑圧する「力」へと変わっていく。
「1」の人の「9」の年 (2015.9.3 10:59一部改変)
「1」の人にとっての「9」の年は、まるで靄だか嵐だかわからない混交した世界の中に自らを飛び込ませるようなもの。
でもあえてそうすることで次の「1」の年がより可能性に満ちたものとなる。
大いにカオスモスの中で揉まれよう。
言わないか、言うか (2015.9.3 8:54)
「4」:「言わなくても気付いてよ」
TPO (2015.9.2 23:49)
「6」って正に「TPO」の数だけど、「TPO」をゲマトリアしたら「6」になるんだね。
全てを内包する「赦し」 (2015.9.2 22:24)
全ての数を内包した「9」という赦しの数の中には、当然ながら全てを疑い、確かめ、そして考える「7」という検証の数が含まれている。
理解か、説明か (2015.9.2 12:43)
「7」:「もっと自分で考えて理解しろよ」
ネガティヴ・アルケミスト (2015.9.2 8:32)
とてつもなくマイナスな「7」モードに入った人には、どれだけの言葉を尽くして励ましたとしても、その言葉を分解・再構築することでとてつもなくネガティヴな意味に置き換えてしまう。
甘い罠 (2015.9.2 1:31)
「3」というアーティストの両隣には常に「2(コピー)」と「4(パターン)」という甘い罠が潜んでいるね。
エンブレム (2015.9.1 18:22)
「3」の日(2015.7.24)に大々的に発表された東京オリンピックエンブレムが「9」の日(2015.9.1)に見直し発表か。
「不運」の時こそ (2015.9.1 12:53)
ヒトは一度「不運」な出来事に遭遇すると、目に見える全ての出来事に「不運」のラベルを貼ってしまう。
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