数秘術関連等ツイート(2015年1月分)
喜びと愛 (2015.1.31 22:01)
「3」は産めることの喜びと産んだ自分への愛。
当たった占いの影に (2015.1.31 21:40)
一つの怖いくらいに当たった占いの影にはみんなもそして占い師もがスルーした百の外れた占いが眠っている。
「らない」と「れない」 (2015.1.31 9:21)
「頑張った人が報われる社会」というのは裏返せば「頑張らない人は報われない社会」ということだね。
赤くなければ (2015.1.30 14:18)
もしもヒトの血がカブトガニのように青ければ、火星は軍神とはならなかっただろうな。
欲しいもの (2015.1.29 18:31)
それぞれの数が欲しいもの
パズルのピース (2015.1.28 12:33)
「6」的な人は家族や組織や社会というパズルの枠に自分というピースを無理矢理はめ込もうとしがち。
「アート」そのものを (2015.1.28 12:14)
アートそのものを純粋に真正面から見据えるのではなく、アートに付随するもの(作者の思想・生い立ち・肩書きなど)に対しても注目してしまうのは、自らの美的センスへの信頼が無い証なのかな。
「動かぬ土」の真骨頂 (2015.1.27 21:44)
たとえ注目されなくても、たとえ失敗を重ねたとしても、一歩一歩の積み重ねによって大空へ羽ばたけるものと信じて、ただひたすらにコツコツ努力を続けることで、気がついたらとんでもない業績を上げ、とてつもない高みへと登り詰める、それが「4」という「動かぬ土」の真骨頂だね。
どちらも愛でる (2015.1.27 20:02)
なんだか「逆数秘術」をこねくり回していると、正反や順逆や善悪や優劣や美醜や高低や長短や多寡なんてどうでもよくなってくるよ。
閉じた人生 (2015.1.26 19:57)
広い世界に羽ばたかず、自分の城に寛いで、身近な者とだけ仲良く暮らし、そして安らかに死んでいく。
真の寛容 (2015.1.26 11:45)
不寛容な者をも寛容するというのが多分「真の寛容」なんだろうけど、このほぼ無理ゲーをプレイさせられる機会が増えてきた感じがするなぁ。
愛の優先順位 (2015.1.25 17:31)
それが自己愛(3)だろうが、他者愛(6)だろうが、博愛(9)だろうが、本来の「愛」には上下も貴賤もないはずだよね。
「性格」の数 (2015.1.24 23:56)
その人の「性格」は交流している人の数だけ存在するよなぁ。
十を聞いて一を語る (2015.1.24 14:55)
一を聞いて十を語る人よりも、十を聞いてようやく一を語る人の方がなんとなくカッコ良く見えるのは気のせいかな。
新成人 (2015.1.24 14:44)
奇数(動的・混沌)過ぎる新成人も偶数(静的・秩序)過ぎる新成人も共に幸あれ。
自己愛の向かう先 (2015.1.24 10:30)
傷付いた自己愛の向かう先は二つ(自己顕示型・引っ込み思案型)あるんだね。
MOB扱いしない (2015.1.24 0:22)
全くの赤の他人をMOB扱いせず、きちんと「人格を持った一人の存在」として扱えるだけでも、それはとてもすごいことだと思うよ。
境界線を定める愛 (2015.1.23 14:40)
偶数(静的・秩序)である「6」には愛の象意があるけれど、この愛は「境界線を定める愛」でもあるんだよね。
自業自得論 (2015.1.22 21:47)
「みんなの助言にも従わず、それだけ自由勝手に振舞ったのだから、いくら不利益を被ったとしてもそれは自業自得だよ!」という言葉に潜んでいるのは、光り輝く「自由」への憧れと、その「自由」を謳歌した人への妬みだね。
自己責任論 (2015.1.22 21:40)
何やら「自己責任論」が盛んだけど、本来責任とは自由のあるところに存在するものだから、つまり相手を自己責任論で詰るという行為は単に相手が行使した自由に対する羨望の裏返しなんじゃないか、などと考えてしまうなぁ。
「5」には「4」の癒しを (2015.1.21 21:54)
誰にも縛られず、誰も縛らず、自由という永世中立性を謳歌するのが「5」という数の真骨頂。
どちらの暦でも (2015.1.21 12:47)
かの「イスラム国」による国家樹立宣言日は西暦だと2014年6月29日だけど、イスラム暦だと1435年9月1日となるようだ。
蟷螂の英雄 (2015.1.19 18:10)
捕まった「つまようじ少年」曰く「少年法改正のために英雄になる必要があった」とのこと。
無視のススメ (2015.1.19 14:51)
数秘術に没頭して様々な数のメッセージを拾い上げることができるようになったのならば、それらのメッセージを一切無視することもマスターしておいた方がいいと思うな。
成長牢獄 (2015.1.19 14:00)
右を聞いても「成長しなさい!」。
「厄」と「役」 (2015.1.19 10:40)
数え年で男性は42歳、女性は33歳の時は大厄だけど、「厄」=「役」とみなされていて、男女共にこの年の時に村社会における大役を任せられるとのこと。
貫くか、捨て去るか (2015.1.18 18:33)
桑田佳祐も忌野清志郎も「4」の人であり、表現やメッセージの端々に逆数「5」的な常識からの逸脱や反権威性が垣間見えるね。
「業」について (2015.1.17 23:44)
ヒトが撒いた「業」は幾世代にも渡ってヒト自らが刈り取らなければならない、ということ自体が大きな大きな「業」なんだね。
人助けの資格 (2015.1.17 18:58)
ものすごく苦しい時に誰かに助けられて、そしてそのことを心から感謝した人でないと、本当の意味で人を助けることはできないのではないか、などと考えてしまうなぁ。
「8」もそれぞれ (2015.1.17 18:17)
「8」は「コントロール」を表し得るけれど、その人にとってお金がコントロールの象徴であれば「8」はお金のイメージを帯びるし、忍耐や鍛錬がコントロールの象徴であれば「8」は忍耐や鍛錬のイメージを帯びてくるね。
強迫観念 (2015.1.16 14:30)
僕のように変に「数秘術」を名乗っているアカウントだと、世間のニュースについて数秘術的にアプローチし、そして上手いことまとめ上げてツイートしなきゃ、などという強迫観念に囚われるよなぁ。
マネーゲーム (2015.1.16 14:24)
昨日のスイスショックにおける阿鼻叫喚と狂喜乱舞。
表現の不自由 (2015.1.16 12:23)
「表現の自由」を過剰に尊ぶ人々がむしろ「表現の不自由」を生み出しているというのはすごい皮肉だよなぁ。
別れるおしどり (2015.1.16 7:17)
「5」の三船美佳と「8」の高橋ジョージが離婚したのは驚いた。
宇宙の体温 (2015.1.15 21:18)
-270℃の大宇宙、36.9℃の小宇宙。
ヒトの原罪 (2015.1.15 18:43)
もしも「運命」というものが完全に定まったものであるならば、こんなに楽なことはないよね。
ニーチェ崩れ (2015.1.15 18:29)
つくづく思うけど、ツイッターって「ニーチェ崩れ製造マシーン」だよなぁ。
十牛図 (2015.1.15 18:19)
いわゆる禅の「十牛図」における一つ一つの数に現代数秘術的なこじつけを施すよりかは、新たに「十牛図」をモチーフとした数秘術を考案した方が手っ取り早いかもね。
量か、順序か (2015.1.15 18:14)
数秘術的に数で何かをこじつける際、その数が「量」か「順序」かで、その趣は少し変わってくる気がする。
過去からの光 (2015.1.15 15:51)
夜空に輝く星々が発する光は何百年、何千年、何万年か前に発せられた光であることを考えると、星を見て占うという行為はあくまでも「過去」を見ながら「未来」を類推しているってことなのかな。
多様性という戦略 (2015.1.15 14:44)
奇数も偶数もごった煮状態で混在するカオスモスな「9」は正に「生物多様性」の象徴。
ニート (2015.1.15 14:27)
「ニート(NEET)」をゲマトリアすると17→「8」になるけれど、案外ニートの本質をうまく捉えているのかも。
両性具有的な老い (2015.1.15 14:14)
「老いる」という「9」的な現象の理想形は正に「両性具有的」であること。
いろんな円熟 (2015.1.15 14:07)
「9」は老境における円熟を表し得るけれど、この円熟は三つに分けられるんじゃないかな。
濃いか、薄いか (2015.1.15 13:23)
いつも講座で話しているけれど、「1」は正に自我のエスプレッソであり、補数の「9」は正に自我のアメリカーノ(湯で薄めたエスプレッソ)だね。
動けている勘違い (2015.1.14 21:49)
不遇な「4」の人の中には逆数「5」的な全方位ツッコミをする人がいるけれど、これって自らは全く動けていないにも関わらず「ツッコミ」を忙しく繰り返すことで「自分はこんなにも動けているんだ!」などという勘違いを生み出したりもするね。
それは私です (2015.1.14 20:28)
「「こじつけアート」なる言葉を多用し、のらりくらりと様々なものをかわす数秘術師はどこのどいつだ!?」
特権 (2015.1.13 21:11)
特権を持っているとされる人々を攻撃して引き摺り下ろすのと、特権を持たぬとされる人々に改めて特権を付与させる平等運動を行うこと、一体どちらがより建設的なんだろうね。
占い勝負 (2015.1.13 13:38)
とある漫画家がとある占い師に占い勝負を挑んでるツイートが流れてきたけど、占い師側は断っていたね(まぁ当たり前か)。
「3」で広めていく (2015.1.12 20:57)
仏教のバラエティ番組を観ているけれど、共に「3(広がる・楽しむ)」的である布教とバラエティは実にしっくり結び付く。
「象徴」の装飾 (2015.1.12 19:42)
「象徴」をやたらと美しく飾り立てる行為そのものがまるでヒトの信じる力の弱さを表しているかのようだね。
コミケという「9」 (2015.1.12 18:47)
コミケ特集番組観てたけど、やっぱコミケって「9(ごった煮ワンダフルワールド)」だよなぁ。
瞑想と書き出し (2015.1.12 16:25他)
「瞑想」という「7」と「思考の書き出し」という「3」は正によい補数関係だね。
自己啓発の罠 (2015.1.12 1:38)
そういえば自己啓発系の本の中には「トマトだってメロンになれる!」位の勢いで書かれたものもあったりするね。
大切な「1」 (2015.1.12 1:18)
様々な人々が互いの存在を認め合いながら暮らしていく「9」的な社会はまるで社会の理想像のようにも映る。
フラクタルな世界 (2015.1.11 17:48一部改変)
ちなみに僕は講座の際、直線と円環の混交ともいえる「螺旋」的な世界観をいつも説明している。
本当の無為自然 (2015.1.11 17:38一部改変)
単数変換の際の九去法では「9」=「0」と捉えられるけど、ある意味「無為自然」を目指さなくなり、更には意識すらしなくなった時に本当の「無為自然」が眼前に現れるのかもしれないね。
自然か、無為か (2015.1.11 17:27)
「1」から「8」までを巡りに巡り、奇数と偶数の行ったり来たりを繰り返した「9」的な人が行き着く先は二つ。
力と形と空間と (2015.1.11 17:14)
行為としての愛を貫く「3」は「チカラ」の愛。
カテゴライズ (2015.1.11 11:31)
あまり深く考えず、対象を「良い(味方)」と「悪い(仇敵)」の二つのうちいずれかにサクッとカテゴライズするのが「2」的な盲信。
四十九日 (2015.1.10 20:35)
真偽のほどは定かではないけれど、古代インドでは七進法が使用されていたため、7×7=「49」が満数として扱われていたという。
エンターテイメント (2015.1.10 12:28)
既に日常そのものが奇跡であり不思議でもあるのだが、多くの人が日常の外に奇跡や不思議を探し求めているというのは、まるで奇跡や不思議をエンターテイメントか何かと思い込んでいるかのようだね。
静の知・動の知 (2015.1.10 12:17)
いつでもどこでも皆が参照できるようにきちんと整理されてこそ「知」は「知」になると捉えるのが「2」的な考え。
覚悟を持って笑え (2015.1.10 12:02)
「笑われる覚悟を持つ人だけが笑いなさい」というフレーズが浮かんだけれど、使い道がないや。
「パートナー」でいいよ (2015.1.10 11:56)
とりあえず「妻」とか「夫」という表現が早く廃れるといいね。
一人で妬み嘲る (2015.1.10 11:41)
徒党を組んで大を妬み小を嘲るくらいなら、たった一人っきりで大を妬み小を嘲る方がマシだよなぁ。
群れられない「7」 (2015.1.10 10:03)
内外を深く深く掘り下げて思考する「7」はその性質ゆえに「驕慢」と「謙遜」という両極端を行ったり来たりする。
表現と倫理 (2015.1.10 6:41)
もちろん「表現の自由」は尊いものではあるけれど、うっかりすると暴走しがちな「3(表現)」という混沌に適度な「6(倫理)」という秩序をブレンドすることで、少なくとも争いごとは減る気がするよ。
アナログに混じり合う (2015.1.10 6:17)
「9」というアナログな多様性の中には当然ながら「2」というデジタルな関係性も存在しているし、また「1」といういわゆる「個」のままで居続けようとするものも存在する。
デジタルとアナログ (2015.1.10 6:02)
僕は人間関係を考える際、「2」的な性質と「9」的なそれとに分けて考えてる。
「才」のみを読む (2015.1.9 12:32)
僕の逆数秘術では「才」は読むけれど「命」は読まないよう心掛けているよ。
象徴のワンタイム化 (2015.1.8 22:51)
「象徴」って伝統によりルール化をするよりも、むしろその都度その都度使い捨てていく「ワンタイム化」の方がしっくりくる気がし始めたよ。
反動的自由 (2015.1.8 22:05)
「「5(自由)」こそが至上である!」などと主張する人ほど、「4」という伝統的なものや不自由なものを悪し様にあげつらったりもするね。
大切な「逃げ道」 (2015.1.7 22:07)
「「6」は愛の数だから人を愛し慈しむことが使命だよ!」なんてことを言われたら、喜ぶ人もいるけれど逆に追い詰められる人もいるんだろうな。
一面的な表現 (2015.1.7 21:57)
数多の数秘術本を読んでみて「6」はあまり当てはまらないけど、「33」はよく当てはまるなどという形でマスターナンバー信奉に傾く人は多い。
人を救わば穴二つ (2015.1.6 17:53)
最近は「占いで人を救う」ということがすっかり怖くなってしまった感がある。
人生を棒に振ろう (2015.1.6 9:45)
人生を棒に振る覚悟で一つのことに取り組めば案外何とかなるもんだ。
満月と夜空 (2015.1.5 23:58)
もし「8」を満ちた月だとすれば、「9」は月が満ちたということを知らしめる夜空なのかもしれないね。
「7」→「8」→「9」 (2015.1.5 20:17)
「7」から「8」へ向かうというのは、自らの「7(思考の混沌)」を「8(コントロール)」できるようになるということ。
オーバーハピネス (2015.1.5 12:39)
みんなまるで世界中のハピネスの量、更には一人に与えられるハピネスの量が初めから決まっていると思い込んでいるかのように「オーバーハピネス」を怖れるし、そんな「オーバーハピネス」はきっと身を持ち崩すに違いないなどと自らに言い訳をしながら慎ましく生きていたりもするよなぁ。
喜ぶもの (2015.1.4 23:40)
自分の喜ぶものを見つけて楽しむ「3」。
一年の計 (2015.1.4 1:13)
一年の計を立てなくても生きてはいけるし、そもそも一年の計そのものが「生きること」だったりする僕。
不幸は一人きりで (2015.1.3 19:54)
「誰かと一緒に不幸になるよりも、一人きりで不幸になるほうがいいわ」とは「7」のマリリン・モンローの言葉だけど、いかにも「7」の人の言葉だよなぁ。
逆数でウソをつく (2015.1.3 17:08)
社会はもっと「5(革新的)」であるべきだなどとうそぶくヒトに限って、実際の行動は極めて「4(守旧的)」だったりもするよね。
「自・他・愛」と「逆数」 (2015.1.3 10:40)
1・4・7は自のライン、2・5・8は他のライン、3・6・9は愛のラインだけど、これを逆数の法則に絡めると以下の通りとなる。
分別智と無分別智 (2015.1.2 23:02)
智を整列させる「2」と智を混ぜ返す「7」の往復運動によって「分別智」が生まれ、そしてその分別という行為を超越していくのが「9」という「無分別智」なのかも。
中空構造 (2015.1.2 22:43)
テレビにて日本の「中空構造」についてを取り上げていたけれど、これこそ正に「9」=「0」的であり、そして日本における中空性の最たる例が「天皇制」なんだろうね。
入れ歯安定剤 (2015.1.2 22:25)
偶奇両有の「9」って奇数と偶数を平和的に共存させる仲立ちであり、よくくっ付くけれどはがすのも容易な入れ歯安定剤みたいな存在なのかもね。
茹でられるカエル (2015.1.2 22:11)
なんか最近は日本の美点を中韓と比較し、優越感を満たさんとする記事が増えたなぁ。
「隠す」と「隠れる」 (2015.1.2 21:54)
「2」は「隠す」であり、「7」は「隠れる」であるのかも。
2015年・その2 (2015.1.1 17:14)
2015年は「8」の年なのでテーマは「コントロール」。
振り回されないで (2015.1.1 15:36)
ヒトが自然に振り回されるのは致し方がないけれど、ヒトが同じヒトにより生み出された仕組みや概念に振り回される必要はないって。
一日遅れで祝おう (2015.1.1 15:34)
先ほど近所のスーパーにておせちセットが半額になってた。
害と益 (2015.1.1 14:00)
僕は偶数(秩序)の益を諦めた分だけ偶数の害を免れ、奇数(混沌)の害に甘んじている分だけ奇数の益を受けているよ。
元日という日 (2015.1.1 13:29)
元日という日は自分がいかにアウトローな人生を送ってきたのかということを痛感させられる日だよなぁ。
2015年・その1 (2015.1.1 2:27)
2015年は「8」の年であり、下一桁は「5」。
|