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数秘術関連等ツイート(2015年1月分)

 

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喜びと愛 (2015.1.31 22:01)

 

3」は産めることの喜びと産んだ自分への愛。

6」は育てることの喜びと育てた相手への愛。

9」は愛せることの喜びと互いの存在への愛。

 

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当たった占いの影に (2015.1.31 21:40)

 

一つの怖いくらいに当たった占いの影にはみんなもそして占い師もがスルーした百の外れた占いが眠っている。

できればそのまま眠らせておいてください。

 

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「らない」と「れない」 (2015.1.31 9:21)

 

頑張った人が報われる社会」というのは裏返せば「頑張らない人は報われない社会」ということだね。

でもこの「頑張らない人」の中に、心身にハンデを背負っているような「頑張りたくても頑張れない人」をも含めようとしてしまうのが一番怖いよなぁ。

頑張らない」と「頑張れない」は違うよ。

 

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赤くなければ (2015.1.30 14:18)

 

もしもヒトの血がカブトガニのように青ければ、火星は軍神とはならなかっただろうな。

 

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欲しいもの (2015.1.29 18:31)

 

それぞれの数が欲しいもの

1:大を成す自制と忍耐
2:探究しがいある深み
3:役に立つ喜びと感謝
4:遊べる自由と小冒険
5:安心安定と守るもの
6:怯まず自分出す勇気
7:信じるものと理解者
8:折れぬ自信と自尊心
9:ありのままを愛す人

 

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パズルのピース (2015.1.28 12:33)

 

6」的な人は家族や組織や社会というパズルの枠に自分というピースを無理矢理はめ込もうとしがち。

そうするとせっかくのピースが歪んでしまい、その歪みを見て今度は自らに失望してしまう。

合わないのはピースのせいじゃなくて、パズルの枠が狭過ぎるせいかもしれないから焦らないでね。

 

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「アート」そのものを (2015.1.28 12:14)

 

アートそのものを純粋に真正面から見据えるのではなく、アートに付随するもの(作者の思想・生い立ち・肩書きなど)に対しても注目してしまうのは、自らの美的センスへの信頼が無い証なのかな。

アートはアート、ヒトはヒト

 

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「動かぬ土」の真骨頂 (2015.1.27 21:44)

 

たとえ注目されなくても、たとえ失敗を重ねたとしても、一歩一歩の積み重ねによって大空へ羽ばたけるものと信じて、ただひたすらにコツコツ努力を続けることで、気がついたらとんでもない業績を上げ、とてつもない高みへと登り詰める、それが「4」という「動かぬ土」の真骨頂だね。

 

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どちらも愛でる (2015.1.27 20:02)

 

なんだか「逆数秘術」をこねくり回していると、正反や順逆や善悪や優劣や美醜や高低や長短や多寡なんてどうでもよくなってくるよ。

一者はもう一者の存在によって存在できているわけだから、選り好みせずにどちらも愛でてあげればいいんだ。

一者にとっての短所はもう一者にとっての長所なんだ。

 

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閉じた人生 (2015.1.26 19:57)

 

広い世界に羽ばたかず、自分の城に寛いで、身近な者とだけ仲良く暮らし、そして安らかに死んでいく。

ある意味とても「閉じた人生」だけれど、これはこれで豊かな人生だと思うな。

井の中の蛙、安寧を知る」だね。

 

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真の寛容 (2015.1.26 11:45)

 

不寛容な者をも寛容するというのが多分「真の寛容」なんだろうけど、このほぼ無理ゲーをプレイさせられる機会が増えてきた感じがするなぁ。

偶奇両有であり、それらの存在を分け隔てしない「9」こそが「真の寛容」であり、補数「0」という「憎しみクリーナー」がセットとなっているんだね。

 

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愛の優先順位 (2015.1.25 17:31)

 

それが自己愛(3)だろうが、他者愛(6)だろうが、博愛(9)だろうが、本来の「」には上下も貴賤もないはずだよね。

ただそれらの「」が接触してしまった際に優先順位をつけられてしまうのは致し方がないんだろうな。

 

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「性格」の数 (2015.1.24 23:56)

 

その人の「性格」は交流している人の数だけ存在するよなぁ。

 

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を聞いて一を語る (2015.1.24 14:55)

 

一を聞いて十を語る人よりも、十を聞いてようやく一を語る人の方がなんとなくカッコ良く見えるのは気のせいかな。

 

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新成人 (2015.1.24 14:44)

 

奇数(動的・混沌)過ぎる新成人も偶数(静的・秩序)過ぎる新成人も共に幸あれ。

 

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自己愛の向かう先 (2015.1.24 10:30)

 

傷付いた自己愛の向かう先は二つ(自己顕示型・引っ込み思案型)あるんだね。

自らを顕(あらわ)にし、周囲にその有益性を認めてもらおうとするのは「3」→「6」的な自己顕示。

自らの内側に引きこもり、周囲をビクビクと警戒するのは「7」→「2」的な引っ込み思案。

そんな感じ。

 

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MOB扱いしない (2015.1.24 0:22)

 

全くの赤の他人をMOB扱いせず、きちんと「人格を持った一人の存在」として扱えるだけでも、それはとてもすごいことだと思うよ。

だって大抵の人々はMOB扱いにでもしないことには心がもたないからね。

 

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境界線を定める愛 (2015.1.23 14:40)

 

偶数(静的・秩序)である「6」には愛の象意があるけれど、この愛は「境界線を定める愛」でもあるんだよね。

つまり境界線から内側にいる存在はとことん愛し尽くすけれど、境界線の外にいる存在には一切の愛を施さないというスタンス。

何かを愛する」とは「何かを愛さない」ことなんだ。

 

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自業自得論 (2015.1.22 21:47)

 

みんなの助言にも従わず、それだけ自由勝手に振舞ったのだから、いくら不利益を被ったとしてもそれは自業自得だよ!」という言葉に潜んでいるのは、光り輝く「自由」への憧れと、その「自由」を謳歌した人への妬みだね。

 

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自己責任論 (2015.1.22 21:40)

 

何やら「自己責任論」が盛んだけど、本来責任とは自由のあるところに存在するものだから、つまり相手を自己責任論で詰るという行為は単に相手が行使した自由に対する羨望の裏返しなんじゃないか、などと考えてしまうなぁ。

 

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「5」には「4」の癒しを (2015.1.21 21:54)

 

誰にも縛られず、誰も縛らず、自由という永世中立性を謳歌するのが「5」という数の真骨頂。

でもそんな「5」は全方位を敵に回す可能性も秘めている。

だからこそ、逆数「4」という「ドック(修理スペース)」が欠かせない。

5」に「4」の癒しがあれば、百万人敵に回しても怖くはない。

 

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どちらの暦でも (2015.1.21 12:47)

 

かの「イスラム国」による国家樹立宣言日は西暦だと2014年6月29日だけど、イスラム暦だと1435年9月1日となるようだ。

国家としての基本数を出すならば前者は「6」、後者は「5」となるね。

もちろんどちらの数でこじつけてもいいんだ。暦法は何も西暦だけじゃないからね。

 

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蟷螂の英雄 (2015.1.19 18:10)

 

捕まった「つまようじ少年」曰く「少年法改正のために英雄になる必要があった」とのこと。

独りよがりな英雄願望は負の「1」とも言えるけど、そんな幼稚な「1」は逆数である「8」の社会圧に容易に制圧されるだけ。

2015年という「8」の年に負の「1」という蟷螂の斧があぶり出される。

 

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無視のススメ (2015.1.19 14:51)

 

数秘術に没頭して様々な数のメッセージを拾い上げることができるようになったのならば、それらのメッセージを一切無視することもマスターしておいた方がいいと思うな。

さもないと数というメッセージにただただ翻弄されるだけになっちゃうからね。

数は所詮ただの数なんだよ。

 

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成長牢獄 (2015.1.19 14:00)

 

右を聞いても「成長しなさい!」。
左を読んでも「成長しなさい!」。

これじゃまるで「成長牢獄」だよ。

 

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「厄」と「役」 (2015.1.19 10:40)

 

数え年で男性は42歳、女性は33歳の時は大厄だけど、「厄」=「役」とみなされていて、男女共にこの年の時に村社会における大役を任せられるとのこと。

どちらの年齢も単数変換すると「6」になるけれど、集団への奉仕や責任意識などというのは正に「6」的であり、全体調整のための犠牲だね。

 

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貫くか、捨て去るか (2015.1.18 18:33)

 

桑田佳祐も忌野清志郎も「4」の人であり、表現やメッセージの端々に逆数「5」的な常識からの逸脱や反権威性が垣間見えるね。

もちろんそんな「5」を一生に渡って貫き通せる人はカッコいいけれど、周りに迷惑を掛けないために「5」を捨て去る決断をする人もカッコいいと思うよ。

 

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「業」について (2015.1.17 23:44)

 

ヒトが撒いた「」は幾世代にも渡ってヒト自らが刈り取らなければならない、ということ自体が大きな大きな「」なんだね。

 

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人助けの資格 (2015.1.17 18:58)

 

ものすごく苦しい時に誰かに助けられて、そしてそのことを心から感謝した人でないと、本当の意味で人を助けることはできないのではないか、などと考えてしまうなぁ。

 

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「8」もそれぞれ (2015.1.17 18:17)

 

8」は「コントロール」を表し得るけれど、その人にとってお金がコントロールの象徴であれば「8」はお金のイメージを帯びるし、忍耐や鍛錬がコントロールの象徴であれば「8」は忍耐や鍛錬のイメージを帯びてくるね。

つまり「8」は「人為的に世界を動かし得る何か」を表すわけだね。

 

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強迫観念 (2015.1.16 14:30)

 

僕のように変に「数秘術」を名乗っているアカウントだと、世間のニュースについて数秘術的にアプローチし、そして上手いことまとめ上げてツイートしなきゃ、などという強迫観念に囚われるよなぁ。

しかもそういう時ほど大したこじつけが出来ず、更には底の浅いツイートになっちゃうから嫌になる。

 

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マネーゲーム (2015.1.16 14:24)

 

昨日のスイスショックにおける阿鼻叫喚と狂喜乱舞。

FX」をゲマトリアすると12→「3」だけど、ヒトの欲を唆してとてつもない富を生み出す(=その分誰かの富が奪われる)マネーゲームなんだよなぁ。

でもこのゲームで一体どれだけのヒトが命を落とすんだろうか。

 

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表現の不自由 (2015.1.16 12:23)

 

表現の自由」を過剰に尊ぶ人々がむしろ「表現の不自由」を生み出しているというのはすごい皮肉だよなぁ。

 

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別れるおしどり (2015.1.16 7:17)

 

5」の三船美佳と「8」の高橋ジョージが離婚したのは驚いた。

高橋が在宅中は三船に仕事以外の外出を認めなかったが、高橋は飲んで朝帰りになることもあったとか。

8」が妻に向かうも自身は逆数「1」生活だった夫と、逆数「4」生活を余儀無くされた「5」願望の妻。

そりゃ別れるか。

 

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宇宙の体温 (2015.1.15 21:18)

 

-270℃の大宇宙、36.9℃の小宇宙。

熱が出始めたから寝るとするか。

 

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ヒトの原罪 (2015.1.15 18:43)

 

もしも「運命」というものが完全に定まったものであるならば、こんなに楽なことはないよね。

運命」というものが定まっていないからこそ、つまり「余地」があるからこそヒトは苦しむわけだから。

そう考えると「自由意思」そのものが実はヒトの背負いし「原罪」なのかもしれないね。

 

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ニーチェ崩れ (2015.1.15 18:29)

 

つくづく思うけど、ツイッターって「ニーチェ崩れ製造マシーン」だよなぁ。

 

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十牛図 (2015.1.15 18:19)

 

いわゆる禅の「十牛図」における一つ一つの数に現代数秘術的なこじつけを施すよりかは、新たに「十牛図」をモチーフとした数秘術を考案した方が手っ取り早いかもね。

無理に既存のこじつけ方に押し込める必要はないって。

 

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量か、順序か (2015.1.15 18:14)

 

数秘術的に数で何かをこじつける際、その数が「」か「順序」かで、その趣は少し変わってくる気がする。

」であれば取り立てて前後との整合性を意識する必要はないけれど、「順序」であれば必然的に前後の数との整合性を意識しなければならないからね。

当然、後者の方がこじつけにくい。

 

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過去からの光 (2015.1.15 15:51)

 

夜空に輝く星々が発する光は何百年、何千年、何万年か前に発せられた光であることを考えると、星を見て占うという行為はあくまでも「過去」を見ながら「未来」を類推しているってことなのかな。

つまり「未来」が見えているわけでも見えるわけでもないということか。

 

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多様性という戦略 (2015.1.15 14:44)

 

奇数も偶数もごった煮状態で混在するカオスモスな「9」は正に「生物多様性」の象徴。

この「9」という集団の中には一見して弱い者や無能な者も混ざり込んでいるけれど、環境の変化によって彼らが強い者や有能な者に化ける可能性を秘めている。

適者が生き残る世界における生存戦略なんだね。

 

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ニート (2015.1.15 14:27)

 

ニート(NEET)」をゲマトリアすると17→「8」になるけれど、案外ニートの本質をうまく捉えているのかも。

つまり「8」という恐怖本能による自制ブレーキが効き過ぎてしまい、逆数「1」の衝動アクセルをいくら踏み込んでも前に進めない状態。

ヘタにブレーキが外れると途端に大暴走。

 

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両性具有的な老い (2015.1.15 14:14)

 

老いる」という「9」的な現象の理想形は正に「両性具有的」であること。

男性性と女性性、動性と静性、混沌と秩序などという両性を共に乏しくさせる(「0」)わけではなく、むしろ共に豊かな状態でそれらのバランスを維持していくことがより良い「老い」という「9」へと繋がっていく。

 

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いろんな円熟 (2015.1.15 14:07)

 

9」は老境における円熟を表し得るけれど、この円熟は三つに分けられるんじゃないかな。

円熟さを更に行動に活かしていく「9」→「1」的な円熟。

円熟さを活かしてより自制的に生きていく「9」→「8」的な円熟。

動にも静にもその都度でコロコロと転がっていく「9」的な円熟。

 

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濃いか、薄いか (2015.1.15 13:23)

 

いつも講座で話しているけれど、「1」は正に自我のエスプレッソであり、補数の「9」は正に自我のアメリカーノ(湯で薄めたエスプレッソ)だね。

どちらにもそれぞれの良い味わいがあるよ。

 

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動けている勘違い (2015.1.14 21:49)

 

不遇な「4」の人の中には逆数「5」的な全方位ツッコミをする人がいるけれど、これって自らは全く動けていないにも関わらず「ツッコミ」を忙しく繰り返すことで「自分はこんなにも動けているんだ!」などという勘違いを生み出したりもするね。

これが高じると「4」はただ腐り、そして朽ちていく。

 

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それは私です (2015.1.14 20:28)

 

「こじつけアート」なる言葉を多用し、のらりくらりと様々なものをかわす数秘術師はどこのどいつだ!?

あっ、はい。

 

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特権 (2015.1.13 21:11)

 

特権を持っているとされる人々を攻撃して引き摺り下ろすのと、特権を持たぬとされる人々に改めて特権を付与させる平等運動を行うこと、一体どちらがより建設的なんだろうね。

 

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占い勝負 (2015.1.13 13:38)

 

とある漫画家がとある占い師に占い勝負を挑んでるツイートが流れてきたけど、占い師側は断っていたね(まぁ当たり前か)。

ただ「当たる」ということが「占い」の存在意義をこれからも支え続けることを考えると、誰かがこの挑発にあえて乗ってみることも大切なのかなとも考えちゃうなぁ。

 

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「3」で広めていく (2015.1.12 20:57)

 

仏教のバラエティ番組を観ているけれど、共に「3(広がる・楽しむ)」的である布教とバラエティは実にしっくり結び付く。

何かを広めていくためには「3」の要素が欠かせないね。

明るく、楽しく、分かりやすく

 

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「象徴」の装飾 (2015.1.12 19:42)

 

象徴」をやたらと美しく飾り立てる行為そのものがまるでヒトの信じる力の弱さを表しているかのようだね。

」を信じられないと「」を信じられないんだろうな。

 

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コミケという「9」 (2015.1.12 18:47)

 

コミケ特集番組観てたけど、やっぱコミケって「9(ごった煮ワンダフルワールド)」だよなぁ。

 

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瞑想と書き出し (2015.1.12 16:25他)

 

瞑想」という「7」と「思考の書き出し」という「3」は正によい補数関係だね。

瞑想」という「7」を続けることで、逆数「2」の如く静かに自己観察ができるようになる。

思考の書き出し」という「3」を続けることで、逆数「6」の如く思考の整理整頓ができるようになる。

正に偶数(静的・秩序)を目指すための奇数(動的・混沌)なんだね。

 

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自己啓発の罠 (2015.1.12 1:38)

 

そういえば自己啓発系の本の中には「トマトだってメロンになれる!」位の勢いで書かれたものもあったりするね。

でもそういう本を読んだ人は自らがトマトのままであることが恥ずかしく思うようにもなるし、かといって実際にメロンになれるわけでもなく、とても中途半端な状態に置かれたりするかも。

 

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大切な「1」 (2015.1.12 1:18)

 

様々な人々が互いの存在を認め合いながら暮らしていく「9」的な社会はまるで社会の理想像のようにも映る。

でもそんな「9」的な社会は相互のトラブルを避けるあまり、下手をすると没個性のどんよりした集まりと化し、あらぬ方向に進むことも。

だからこそ「1(自己)」をしっかりと持ちたい。

 

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フラクタルな世界 (2015.1.11 17:48一部改変)

 

ちなみに僕は講座の際、直線と円環の混交ともいえる「螺旋」的な世界観をいつも説明している。

螺旋」がより大きな「螺旋」の一部を構成するというフラクタルな世界観。

 

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本当の無為自然 (2015.1.11 17:38一部改変)

 

単数変換の際の九去法では「9」=「0」と捉えられるけど、ある意味「無為自然」を目指さなくなり、更には意識すらしなくなった時に本当の「無為自然」が眼前に現れるのかもしれないね。

 

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自然か、無為か (2015.1.11 17:27)

 

1」から「8」までを巡りに巡り、奇数と偶数の行ったり来たりを繰り返した「9」的な人が行き着く先は二つ。

一つは「自然」な人であり、もう一つは「無為」な人。

前者は全数字を巡る旅を再び味わう気力があるけれど、後者はその気力が乏しく半ば諦めてしまい、限りなく「0」に近い状態。

 

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力と形と空間と (2015.1.11 17:14)

 

行為としての愛を貫く「3」は「チカラ」の愛。

成果としての愛を目指す「6」は「カタチ」の愛。

上記二つを交互に繰り返した結果、ただ優しく見守るという愛で包む「9」は「空間」の愛。

愛を暴走させず、愛に凝り固まらず、更には無為を愛とごまかさない。

それぞれをバランス良く。

 

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カテゴライズ (2015.1.11 11:31)

 

あまり深く考えず、対象を「良い(味方)」と「悪い(仇敵)」の二つのうちいずれかにサクッとカテゴライズするのが「2」的な盲信。

あまりにも深く考え過ぎて対象のカテゴライズに戸惑い、判断の根拠や隠された真実などをひたすらに確かめ続けるのが「7」的な懐疑。

程々にどちらも大切だね。

 

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四十九日 (2015.1.10 20:35)

 

真偽のほどは定かではないけれど、古代インドでは七進法が使用されていたため、7×7=「49」が満数として扱われていたという。

没後49日目に生まれ変わる世界(六道)が決まる(定まる)という点では数字根の「4」もそれなりにしっくり来るね。

 

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エンターテイメント (2015.1.10 12:28)

 

既に日常そのものが奇跡であり不思議でもあるのだが、多くの人が日常の外に奇跡や不思議を探し求めているというのは、まるで奇跡や不思議をエンターテイメントか何かと思い込んでいるかのようだね。

自らの生そのものが奇跡であり不思議であり、そして至上のエンターテイメントなんだよ。

 

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静の知・動の知 (2015.1.10 12:17)

 

いつでもどこでも皆が参照できるようにきちんと整理されてこそ「知」は「知」になると捉えるのが「2」的な考え。

辞書辞典に「知」を閉じ込めるのではなく、自らの全人生を駆使して「知」を体験しつくそうとするのが「7」的な考え。

前者は「静の知」であり、後者は「動の知」だね。

 

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覚悟を持って笑え (2015.1.10 12:02)

 

笑われる覚悟を持つ人だけが笑いなさい」というフレーズが浮かんだけれど、使い道がないや。

 

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「パートナー」でいいよ (2015.1.10 11:56)

 

とりあえず「」とか「」という表現が早く廃れるといいね。

パートナー」でいいじゃん。

 

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一人で妬み嘲る (2015.1.10 11:41)

 

徒党を組んで大を妬み小を嘲るくらいなら、たった一人っきりで大を妬み小を嘲る方がマシだよなぁ。

 

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群れられない「7」 (2015.1.10 10:03)

 

内外を深く深く掘り下げて思考する「7」はその性質ゆえに「驕慢」と「謙遜」という両極端を行ったり来たりする。

そしてその両極端が招くのは深い闇の如き「孤独」であり、そんな「孤独」に開き直るのもまた「7」の持つ性質かもしれない。

7」は群れないのではなく群れられないのだ。

 

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表現と倫理 (2015.1.10 6:41)

 

もちろん「表現の自由」は尊いものではあるけれど、うっかりすると暴走しがちな「3(表現)」という混沌に適度な「6(倫理)」という秩序をブレンドすることで、少なくとも争いごとは減る気がするよ。

 

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アナログに混じり合う (2015.1.10 6:17)

 

9」というアナログな多様性の中には当然ながら「2」というデジタルな関係性も存在しているし、また「1」といういわゆる「個」のままで居続けようとするものも存在する。

大切なのは「9」という多様性の中では「2」も「1」も偶数(秩序)奇数(混沌)も、その存在が許されるということ。

 

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デジタルとアナログ (2015.1.10 6:02)

 

僕は人間関係を考える際、「2」的な性質と「9」的なそれとに分けて考えてる。

2」は相手と強固に繋がる、または相手との間に拒絶の壁を設けるというたった二つの「デジタル」な関係性。

9」は繋がりと拒絶との間に無限の多様性というグレーゾーンが存在する「アナログ」な関係性。

 

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「才」のみを読む (2015.1.9 12:32)

 

僕の逆数秘術では「」は読むけれど「」は読まないよう心掛けているよ。

個人の可能性を「」で閉じず、「」で開かせてあげたいからね。

でもどんなにすばらしい「」であっても、それは「諸刃の剣」であるということをしっかりと教える。

逆数秘術はそれを可能にしてくれるんだ。

 

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象徴のワンタイム化 (2015.1.8 22:51)

 

象徴」って伝統によりルール化をするよりも、むしろその都度その都度使い捨てていく「ワンタイム化」の方がしっくりくる気がし始めたよ。

 

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反動的自由 (2015.1.8 22:05)

 

「5(自由)」こそが至上である!」などと主張する人ほど、「4」という伝統的なものや不自由なものを悪し様にあげつらったりもするね。

もちろんそういう「反動的自由」も必要な時はあるけれど、いきり立ちながら「5」を主張している間は本当の意味での「自由」は訪れそうにないよなぁ。

 

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大切な「逃げ道」 (2015.1.7 22:07)

 

「6」は愛の数だから人を愛し慈しむことが使命だよ!」なんてことを言われたら、喜ぶ人もいるけれど逆に追い詰められる人もいるんだろうな。

6」をただ「6」に閉じ込めるのではなく、逆数の「3」という自愛や享楽などの「逃げ道」を用意してあげることで「6」は輝くようになるよ。

 

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一面的な表現 (2015.1.7 21:57)

 

数多の数秘術本を読んでみて「6」はあまり当てはまらないけど、「33」はよく当てはまるなどという形でマスターナンバー信奉に傾く人は多い。

でも僕としては「33」が当たっているというよりも「6」が極めて一面的に書かれているだけなのではないかとつい考えちゃうんだよね。

 

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人を救わば穴二つ (2015.1.6 17:53)

 

最近は「占いで人を救う」ということがすっかり怖くなってしまった感がある。

自己満足的な「救う」という行為が相手の期待を生み出し、そしてそれが自らに跳ね返ってきてある種の「呪縛」となっていく過程に対する恐れなのかも。

正に「人を救わば穴二つ」くらいの覚悟が必要なんだろうね。

 

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人生を棒に振ろう (2015.1.6 9:45)

 

人生を棒に振る覚悟で一つのことに取り組めば案外何とかなるもんだ。

まぁ何とかならなければ人生を棒に振るだけだから何の問題もないって。

 

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満月と夜空 (2015.1.5 23:58)

 

もし「8」を満ちた月だとすれば、「9」は月が満ちたということを知らしめる夜空なのかもしれないね。

 

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「7」→「8」→「9」 (2015.1.5 20:17)

 

7」から「8」へ向かうというのは、自らの「7(思考の混沌)」を「8(コントロール)」できるようになるということ。

そしてその過程で失われていく「無駄なもの」に注目し、「無駄」であることの利に気づくことが「8」から「9」へと向かう流れ。

 

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オーバーハピネス (2015.1.5 12:39)

 

みんなまるで世界中のハピネスの量、更には一人に与えられるハピネスの量が初めから決まっていると思い込んでいるかのように「オーバーハピネス」を怖れるし、そんな「オーバーハピネス」はきっと身を持ち崩すに違いないなどと自らに言い訳をしながら慎ましく生きていたりもするよなぁ。

もしそんな「オーバーハピネス」を受け取ったなら、多くの人々に少しずつそのハピネスを分けていけば、身を持ち崩すことなくみんなでハピネスの滋味を味わえるのかもね。

だから別に怖れることなく「オーバーハピネス」を求めちゃってもいいんだよ。

 

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喜ぶもの (2015.1.4 23:40)

 

自分の喜ぶものを見つけて楽しむ「3」。

他人の喜ぶものを見つけて楽しませる「6」。

自分と他人に共通した喜ぶものを見つけて共に楽しむ「9」。

 

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一年の計 (2015.1.4 1:13)

 

一年の計を立てなくても生きてはいけるし、そもそも一年の計そのものが「生きること」だったりする僕。

後はその「生きること」をどのようにアレンジするかどうかだけ。

 

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不幸は一人きりで (2015.1.3 19:54)

 

誰かと一緒に不幸になるよりも、一人きりで不幸になるほうがいいわ」とは「7」のマリリン・モンローの言葉だけど、いかにも「7」の人の言葉だよなぁ。

 

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逆数でウソをつく (2015.1.3 17:08)

 

社会はもっと「5(革新的)」であるべきだなどとうそぶくヒトに限って、実際の行動は極めて「4(守旧的)」だったりもするよね。

ヒトは逆数でウソをつく

 

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「自・他・愛」と「逆数」 (2015.1.3 10:40)

 

1・4・7のライン、2・5・8のライン、3・6・9のラインだけど、これを逆数の法則に絡めると以下の通りとなる。

1(自)」⇔「8(他)
3(愛)」⇔「6(愛)
5(他)」⇔「4(自)
7(自)」⇔「2(他)
9(愛)」⇔「9(愛)」&「0

 

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分別智と無分別智 (2015.1.2 23:02)

 

智を整列させる「2」と智を混ぜ返す「7」の往復運動によって「分別智」が生まれ、そしてその分別という行為を超越していくのが「9」という「無分別智」なのかも。

 

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中空構造 (2015.1.2 22:43)

 

テレビにて日本の「中空構造」についてを取り上げていたけれど、これこそ正に「9」=「0」的であり、そして日本における中空性の最たる例が「天皇制」なんだろうね。

天皇制」という曖昧さが日本を日本たらしめているのかもしれない。

 

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入れ歯安定剤 (2015.1.2 22:25)

 

偶奇両有の「9」って奇数と偶数を平和的に共存させる仲立ちであり、よくくっ付くけれどはがすのも容易な入れ歯安定剤みたいな存在なのかもね。

 

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茹でられるカエル (2015.1.2 22:11)

 

なんか最近は日本の美点を中韓と比較し、優越感を満たさんとする記事が増えたなぁ。

でもこれって美点ではないことまでをも美点であると思わせたり、「あれらの国に比べれば日本はまだマシだね」みたいな感覚の鈍麻を招くね。

日本人が水から茹で上げられていくカエルにならなきゃいいけど。

 

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「隠す」と「隠れる」 (2015.1.2 21:54)

 

2」は「隠す」であり、「7」は「隠れる」であるのかも。

2」は社会との繋がりはあくまで保ったまま、開陳すると都合の悪い本心等にベールを被せて社会生活を演じ抜く感じ。

7」は自らが見せたくないものを自身の存在ごと隠そうとして、社会との繋がりを断って深部に引きこもる感じ。

 

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2015年・その2 (2015.1.1 17:14)

 

2015年は「8」の年なのでテーマは「コントロール」。

つまり実際世間で目立つのは、逆数である「1」的な「衝動の暴走」「ブチ切れ」「独りよがり」「拙速主義」「短絡的行為」「自尊心暴発」「過激な権利主張」「オンリーワンよりナンバーワン」「大個人主義」などとなるから気を付けてね。

 

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振り回されないで (2015.1.1 15:36)

 

ヒトが自然に振り回されるのは致し方がないけれど、ヒトが同じヒトにより生み出された仕組みや概念に振り回される必要はないって。

 

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一日遅れで祝おう (2015.1.1 15:34)

 

先ほど近所のスーパーにておせちセットが半額になってた。

元日に元日を祝う必要がないと考える僕のような人間にとってはとてもすばらしいことだ。

クリスマスも元日も、全部一日遅れで祝っちゃえ

 

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害と益 (2015.1.1 14:00)

 

僕は偶数(秩序)の益を諦めた分だけ偶数の害を免れ、奇数(混沌)の害に甘んじている分だけ奇数の益を受けているよ。

 

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元日という日 (2015.1.1 13:29)

 

元日という日は自分がいかにアウトローな人生を送ってきたのかということを痛感させられる日だよなぁ。

 

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2015年・その1 (2015.1.1 2:27)

 

2015年は「8」の年であり、下一桁は「5」。

前回この組合せだったのは1925年だけど、この年はムッソリーニの独裁宣言、ナチス再建、そして日本における治安維持法の公布という、禍々しいまでに負の「8(コントロール)」により「5(自由)」が徹底して抑圧され始めた。

怖い怖い。

 

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