数秘術関連等ツイート(2014年10月分)
相対的な大人 (2014.10.31 22:16)
「3」の人の中には自らの子供性を嫌悪するあまり、逆数「6」的な教育職に就き教える立場となることで「相対的な大人」になろうとするケースがある。
「1」の王、「8」の王 (2014.10.31 13:21)
「1」の王性は「生き様」としての王性であり、「8」の王性は「役割」としての王性だね。
それぞれの魔法使い (2014.10.30 22:53)
攻撃魔法をぶっ放してエンジョイしているうちに、自分以外のメンバーが全滅してキョトンとする「3」の魔法使い。
不思議と思う心 (2014.10.30 15:13)
「不思議なもの」なんてどこにもなくて、あるのはただ「それを不思議と思う心」だけ。
偶数を強いる奇数 (2014.10.30 11:30)
奇数というカオス(混沌)に覚悟を持って自らが生きるのであれば、それはとても格好いい生き方だと思うけど、そのために他人に対して偶数というコスモス(秩序)を無理強いするのはちと格好悪い生き方だよね。
自らの理性への信頼 (2014.10.29 0:34)
自らと自らの理性との間に信頼という丈夫なロープが繋がっていなければ、人は何かを確かめたり考え続けたりすることはできない。
無知に悩め (2014.10.29 0:27)
人はみんな多かれ少なかれ「7」の要素を持っている。
常識の賞味期限 (2014.10.28 21:51)
若者たちの「新しさ」や「軽さ」を指摘する大人の側がただ「古く」そして「重く」なっているだけ、ということもあるよね。
占い師無敵説 (2014.10.28 21:01)
「ソフィーの世界」より
自分色のメッセージ (2014.10.28 19:27)
前にもつぶやいたけどもう一度。
「1」へのエール (2014.10.28 16:52他)
せっかく「1」なんだから、他人のクソ助言なんかにゃ中指立てながら、自らが信じることに邁進していけばいいさ。
読まぬ聞かぬが一番 (2014.10.28 15:51)
「占いがあなたの未来を予知している」のではなく「あなたが占い通りの未来を無意識のうちに演じている」と考えることができれば、きっと泥沼にハマる人も減るんじゃないかな。
「枠組み」じゃない (2014.10.28 14:25)
西洋占星術における星座や惑星も、数秘術における数もどちらも同じことが言えるけど、これらは性格等を定める「枠組み」ではなくて、あくまでも一つの「要素」に過ぎないということだね。
バランス型主張 (2014.10.28 14:19)
主張ってどうしても一方に偏りがちだから、もう一方の主張も踏まえた「バランス型主張」が大切だと常々思ってはいるんだけど、これって得てして主張していないのと同じような感じになったりもするんだよなぁ。
梵我一如 (2014.10.27 23:39)
梵(ブラフマン:宇宙や自然そのもの、遍在する真理)と我(アートマン:個人を支配する原理、不変の実体)が同一であることを「梵我一如(ぼんがいちにょ)」というけれど、これを数秘術的に捉えると「9(梵)」=「1(我)」が成立するね。
絶望の底を抜けて (2014.10.27 12:42)
「7」の人は奇数(動的・混沌)らしく徹底的に絶望し尽くした方がむしろ絶望の底を抜けていけるんじゃなかろうか。
水清ければ魚棲まず (2014.10.27 12:04)
「6」の中には逆数「3」的な「いい加減さ」を戦略的に活用する人もいるけど、それは「水清ければ魚棲まず」を身を以て体験しているから。
楔(くさび)を打ち込め (2014.10.26 23:53)
自らについてあまり深く考えずに途中で引き返してしまった「7」の中には、逆数「2」が過剰に現れるケースも見られる。
グレゴリオ暦元年 (2014.10.26 22:14)
欧州における旧暦であるユリウス暦から新暦のグレゴリオ暦に変わって今年で432年。
高い離婚率 (2014.10.26 14:52)
ポルトガルの離婚率が七割というのはすごいな。
壁の外 (2014.10.25 22:51)
もし「壁の外」に強い関心を持つ「4」の人がいたとすれば、それは自らが持つ(または持たされている)「4」的な環境に閉塞や退屈を感じており、それを一刻も早く打破したいという「5」的な破壊的変革願望が色濃く現れているということ。
壁の中 (2014.10.25 22:39)
他人の用意してくれた場には逆数「5」的な抵抗をするくせに、自らがこしらえた場は「4」的にしがみつき守り抜く、という「4」の僕。
恋と愛 (2014.10.24 23:19)
「恋」は奇数、「愛」は偶数。
他人の視線の有無 (2014.10.24 22:48)
「1」はたとえるなら生まれたままの姿だが、「2」という他者の視線を経過していないので、わざわざ隠しもアピールもしない。
「0」の通過儀式 (2014.10.24 0:09)
最後の「9」までたどり着いたなら、次に「1」として再出発する前に見えない「0」を通過しておく必要があるね。
ジグザグ進行 (2014.10.23 23:28)
「1」から「9」までを順番に歩むとしても、これは決して直線ではないよ。
妥協 (2014.10.23 22:32)
「妥協」って偶数性の塊だね。
不心得者 (2014.10.23 21:27)
「神が土塊に人性を与えた」とは考えず「人が土塊に神性を与えた」と考える至って健全な不心得者です。
信じぬ親子 (2014.10.23 21:03)
そういえば「7」のオカンと「4」の僕とで共通している考え方は数少ないんだけど、そのうちの一つが「神はヒトが創った概念」というもの。
長生き (2014.10.23 10:43)
これから長生きがどんどん報われにくい時代になると「まぁまぁな年齢であまり苦しまずにさっさとくたばる方法」みたいなものの需要が出てくるのかもね。
獣と神 (2014.10.23 7:33)
「1」は「獣」でもあり「神」でもあるんだ。
天上天下唯我独尊 (2014.10.23 0:48)
つくづく思うけど釈迦が降誕の際に唱えたとされる「天上天下唯我独尊(宇宙の中で自らこそが一番尊い)」はいい言葉だよなぁ。
成長した社会 (2014.10.23 0:41)
たとえ一般的な成長曲線から大きく外れていたとしても、その存在が数多くの人々に祝福される社会こそが「成長した社会」なんだと思うよ。
「1」という獣性 (2014.10.23 0:14一部改変)
誰もがみんな「1」という獣性を持っていますが、これを発露することをみんな怖がっている。 だからこそ「1」っぽく生きている人を羨望の眼差しで見るんだ。
イメージの反転 (2014.10.23 0:08)
僕は逆数秘術において奇数を動的、そして偶数を静的と捉えているが、これは見方によっては容易に反転する。
憧れられる「1」 (2014.10.22 23:57一部改変)
愛のラインである「3」「6」「9」は「愛」というアクションでもって自らを規定するけれど、自のラインである「1」はアクションの有無に関係なく自らを規定できるから、その辺りの確固たる自我に憧れるのかもしれないね。
成長しない権利 (2014.10.22 23:54)
成長することは確かに様々な刺激と大いなる喜びをもたらすけれど、かといって全ての者が成長を強制される社会はしんど過ぎてかなわん。
翻訳 (2014.10.22 22:45)
僕が普段やっていることは、僕自身が見聞きしたことを象徴言語としての「数」に翻訳している感じだね。
傾聴とレスポンス (2014.10.22 22:41)
「2」的な傾聴は聞いたことについてきちんとしたレスポンスを返したり、一つ一つの言葉に丁寧に意味付けをしていくイメージ。
聴き手と考え手 (2014.10.22 22:29)
究極的な聴き手であるところの「2」がいることで、究極的な考え手であるところの「7」がその内観エンジンを正しくフル回転させる。
超凡人 (2014.10.22 21:28)
全ての人を超越した「超人」よりも、いろんなものを俯瞰で捉えることができるようになってもなお変わらずに凡人のままで居続ける言わば「超凡人」のような存在の方がいいなぁ。
順序 (2014.10.22 21:07)
順序は決して価値の優劣を表しはしないよ。
焼き魚と読書 (2014.10.22 21:01)
焼き魚を食べる際に僕は骨や腑(はらわた)を取り除くけれど、難解な本や著者独自の思想が強過ぎる本を読む時もつい同じようなことをやってしまうよ。
「4」と「5」の往復 (2014.10.22 18:17)
「4」的な保持力でもって「5」的な破壊を遅らせることはできるだろうけど、最終的な破壊は避けられないだろうな。
「9」の隣は「1」 (2014.10.22 14:38)
1〜9は数直線ではなく、あくまでも円環で捉えているから、「9」の隣は「1」となる。
本でなくても (2014.10.22 14:29)
昔ならば自らの考えを広めるために本を著すという行為が必要だったかもしれないけれど、今はサイトやブログやSNSなどを駆使すればそれで割とOKだったりするよなぁ。
ゾンビ殺戮ゲーム (2014.10.22 13:51)
ゾンビを殺戮するゲームが多くなったけど、これってヒトの欲求がより殺人的な方向に向かっているような気がしてならない。
「7」から「8」へ (2014.10.22 13:27)
世界中の知や自らの内側を徹底して掘り下げていく「7」が、それを現実世界のコントロールツールとして活かし始める「8」への変容を遂げるためには、「1」という粗暴なまでの衝動や野心が必要となるね。
忙しい「8」 (2014.10.22 12:48)
mixiのコミュニティにて「「8」の人はなぜ忙しそうな人が多いのか?」という質問トピックが上がってた。
ヒトのすばらしさ (2014.10.21 20:03)
たとえ蟷螂の斧とバカにされようとも、宇宙や大自然と戦い続ける勇気と矜恃を持つのがヒトのすばらしさであると本気で思っているよ。
個人の正義感 (2014.10.21 18:16)
組織が個人の正義感の発露を抑え込むことで、誰かがきっと死んでいくんだね。
「2」と「7」を自在に (2014.10.21 16:50)
外的世界との繋がりや区別を表す秩序の「2」と、内的世界への没入や無区別を表す混沌の「7」。
「統計」というアート (2014.10.21 16:21)
占い師の中には占いについて「これは古来から続く統計に基づいた立派な学問でありサイエンスなのです」などと言う人もいるけれど、この「統計」という手法はアートとサイエンスの境目にある手法だったりするよ。
「アート」で居続けよう (2014.10.21 15:58)
「アート」的な世界観が自らの権威付けのために「サイエンス」的な世界観に阿(おもね)るというのはいろんなところで見られる光景だけど、どことなく姑息な感じに見えてしまうのは僕だけなのかな。
伝統から伝説へ (2014.10.21 15:49)
曖昧になり、正しく遡ることが難しくなった「伝統」がその曖昧な箇所にありもしないことを盛りに盛られ、ついには「伝説」というおとぎ話にされていく事例はたぶん枚挙に暇がないんだろうなぁ。
のらりくらりなしぶとさ (2014.10.21 14:43)
これは他の数の人にも言えることだけど、特に「9」の人が飄々とした態度で人生をうまく泳げるようになったら、それは自らの「9」(他の数の人であれば基本数と逆数とのバランスが取れた状態)が馴染んできた証かもね。
「9」と「0」と幸不幸 (2014.10.21 13:47他、一部改変)
「9」の境地に達すると幸不幸が気にならなくなるけれど、「0」の境地に達すると今度は幸不幸を感じなくなるね。
幸でも不幸でもその時その時を受け入れ味わおうとするのが「9」の境地。 幸も不幸もよくわからなくなる位に心が不感症となってしまうのが「0」の境地。
アンカー (2014.10.21 12:52)
生年月日や氏名から数秘術的に導き出した数は、評価を定めにくい自らの性格を固定化する「アンカー(錨)」として機能するね。
辞任の二大臣 (2014.10.20 21:04)
今日大臣を辞任した小渕優子氏と松島みどり氏はどちらも基本数「7」であり、どちらも現在の個人年数は「2」なんだね。
ニュートラル (2014.10.20 1:21)
奇数(カオス)・偶数(コスモス)という両極性の存在を認めて許す「9」的なニュートラルもあれば、その両極性の存在を消し去ろうとする「0」的なニュートラルもあるね。
自由意志で選ぶ色 (2014.10.19 22:14)
万色あふれる中から自らの意思で選ぶ漆黒と、黒白や灰色そしてカーキ色の中から半強制的に選ばされる漆黒。
無極性の世界へ (2014.10.19 15:50)
両極性の「真ん中」に居続けることに疲れ果てたら、その両極性の世界を抜け出して無極性の世界を新たに生み出した方が、ある意味常に「真ん中」であり続けられるから楽かもね。
能力と人格 (2014.10.19 15:24)
「すばらしい能力者はすばらしい人格者でもある」などという錯覚には囚われない方がいいかもね。
独り言 (2014.10.19 15:19)
「ツイッターは所詮独り言さ」という意見があるけれど、独り言に「承認欲求」なんか入る隙間は無いはずだけどなぁ。
子育ての最終形 (2014.10.19 14:52)
自然界を見回してみると、子育ての最終形って「親の子離れ、子の親忘れ」だと気付かされるね。
忘れましょう (2014.10.19 14:33)
奇跡は忘れた頃にやってくるので忘れましょう。
潜在的な悩み (2014.10.19 13:56)
占い師にとって「相談者の潜在的な悩み」というものは金の卵でもあるしパンドラの箱でもあるから、それを掘り出すべきかどうかの選択は実に悩ましいね。
それって奇跡かい? (2014.10.19 13:43)
十面ダイスを転がした際、たとえ十回連続で「9」の目が出たからといって、それをわざわざ奇跡扱いする必要はないさ。
到達点 (2014.10.19 0:18)
妻曰く「数字を一切使わずに数秘術的思考を元にした発信ができることが一つの到達点だと思う」とのこと。
「普通」の罪 (2014.10.18 20:35)
「普通」という、とてつもなくあいまいな概念に当てはまらないことを「不幸」と捉える癖はそろそろやめにしようぜ。
「理不尽」になりたい (2014.10.16 23:21)
「進撃の巨人」を見て思うんだけど、我々は巨人と戦うエレンたちよりも、むしろ巨人という「理不尽」そのものになりたいのかもしれないね。
迷惑なコントロール欲 (2014.10.16 14:12)
「8」というコントロール欲を外にばかり向けることで、自らの弱くか細い「1」が強化された気になるっていうのが厄介だよなぁ。
「バカ」との出会い (2014.10.16 13:27)
そういえばツイッターをやるようになって「バカ」とのエンカウント率が増えたように感じるよ。
今日から「6」の年 (2014.10.16 13:17)
今日から僕は「6」の年に突入したわけだけど、この「6」のテーマ性は既に誕生日の一ヶ月ちょい前からスタートしてるね。
「5」というアウトレイジ (2014.10.16 0:03)
「4」の北野武が作った「アウトレイジ
ビヨンド」を観た、同じ「4」の僕。
マッサン (2014.10.15 13:23)
「3」の如く自分の「好き」を貫くべく、まるで逆数「6」の如くウイスキーの品質にとことんこだわった基本数「3」のマッサン。
アイコン化した正義 (2014.10.14 21:09)
アイコン化した「わかりやすい正義」にこそ、鋭いツッコミを入れていかないといけないんだなぁ。
自然絶対主義者 (2014.10.14 17:02)
「自然絶対主義者」の不自然ぶりときたらもう。
「6」的な生活を目指す (2014.10.14 13:59)
同い年の親友が急死して、日頃健康を気にしない俺が人間ドックや健康診断についてググり始める有様。
火葬場にて (2014.10.13 22:09)
あの世へ行った基本数「3」の親友を火葬場で荼毘に付した時、炉の番号が逆数の「6」だったというのが今日のハイライト。
くそくらえ教 (2014.10.12 18:49)
「ありがとう教」があるのなら、バランスを取るために「くそくらえ教」も作らないとね。
死んじまった友人 (2014.10.12 12:31他)
30年来の同い年の友人がクモ膜下で死んじまった。
ポイ捨ての覚悟 (2014.10.12 10:12)
これだけいろんなものがあふれる世の中だと「俺はこの○○のために人生を棒に振ってもいい!」などのように自らの人生をポイ捨てできる覚悟がかえって強大なベクトルを生み出したりもするね。
陰謀論 (2014.10.12 9:53)
なんか陰謀論を主張する人の多くはその陰謀に操られている人々を半ば蔑み、自らはさぞ世界の真実を知っているかの如く優越感に浸っているようにしか見えないんだよなぁ。
スカスカな社会 (2014.10.12 1:59)
人口密度の高い社会ならば「自由には責任が伴う」という考え方になるだろうけど、これが人口密度の極めて低い社会(極論として無人島とか)ならばそんなことはあまり考えなくても済むね。
ひどいアピール (2014.10.12 1:51)
占い師もこんだけ増えるとアピールが難しくなるから、ここはぜひ「占わない占い師」とか「占いをdisりまくる占い師」路線で攻めてみませう。
マイナスの力 (2014.10.11 17:11)
世の中のあらゆるものが「プラス」なもので満たされていくと、それ自体が苦しみに化け始めるね。
「9」はあらゆる色 (2014.10.11 14:17)
全ての数の象意を持っている「9」をもし色で喩えるならば全ての色を合わせた「黒」であるとも言えるし、もし光で喩えるならば全ての光を合わせた「白」であるとも言える。
「9」の少女の願い (2014.10.10 18:19)
今年のノーベル平和賞は基本数「9」のマララ・ユサフザイさん(1997年7月12日生)らに決まったとのこと。
二つのストーリー (2014.10.10 14:58)
「腐敗し淀んだ偶数的(静的・秩序)な組織の中で、正義を貫く奇数的(動的・混沌)なヒーローが活躍する」というストーリー。
「不幸」なら心配いらない (2014.10.9 22:10)
「自分は不幸だ…」などと感じるのはココロが生きている証拠だよ。
数秘術の三宗派 (2014.10.9 15:04)
苦情は作者(私)まで。
「1」から「2」へ (2014.10.9 13:34)
衆人が監視する目の前でいざ歩こうとしても変に周りを意識し緊張してしまうけど、誰にも見られないうちから歩き始めてしまえばそこまで緊張せずに済むと思う。
見る・見られるの「2」 (2014.10.9 13:24)
見る・見られるを強く意識してしまう「2」と、そんな偶数的縛りから逃れて自由に自らの内側へと潜り込む「7」。
両賭け (2014.10.9 8:38)
たとえば数や星があまりにもハッキリと何かを予言するかのように現れたとして、でも当の占い師は「これはあからさま過ぎて逆に当たらないかもね」などと言う。
穏やかな日々 (2014.10.8 23:05)
たまにしか占わなくなった(しかも占いと呼べる代物かどうかもビミョー)今現在の方が、占い師として頑張ろうとしていた昔よりもはるかに平和になった感があるなぁ。
「1」出れば「8」現る (2014.10.8 15:16)
「私は○○をする!」などと「1(衝動)」的な宣言をする人が出てくると、まるでバランスを取ろうとするかの如く「やめておいた方がいいよ」などと「8(抑制)」的な助言をしてくる人が現れたりするね。
数秘術でノーベル賞 (2014.10.7 20:03)
僕も数秘術でノーベル賞を狙ってみるか。
人間創造 (2014.10.6 23:20)
創造主がヒトに与えたのは従順(2)・質朴(4)・善徳(6)・自制(8)という偶数性だったのに、楽園にて蛇に唆された彼らが手に入れたのは自尊(1)・享楽(3)・破戒(5)・猜疑(7)という奇数性。
偶数という「ルール」 (2014.10.6 21:24)
偶数は一種の「ルール」を表し得る。
権威的な本の中身 (2014.10.6 20:49)
自らが信じる体系の正当性を喧伝するため、他の体系に仰々しく阿(おもね)り、それとの共通項を殊更に強調する「権威的な本」にそろそろ飽きてきたな。
共感なんかできんさ (2014.10.6 20:04)
「わたしはあなたに共感することはほとんどできないだろう。ただ理解することならばできると思う。なぜならばわたしはあなたでは無いからだ。もちろん共感したふりならばいくらでもできるだろうけど、何かについて互いが全く同じように感じるというのは極めて難しいことなんだ!」という魂の言い訳。
「なぜ?」の奥へ (2014.10.6 18:17他、一部改変)
占いで未来を知ろうとする前に「なぜ未来を知りたいと思うのか?」ということを自問してみた方が案外手っ取り早いかもね。
まずはカタチから (2014.10.6 17:10)
ぶっちゃけ数秘術をマスターするに際して数にどんなイメージを与えようが別に構わないと思う。
アポトーシスという美学 (2014.10.6 14:53)
静的・秩序を表す偶数には「美学としてのアポトーシス」が存在している気がしてならない。
堪え性の功罪 (2014.10.6 14:21)
「8」という「堪え性」が過労死という形で死を招くこともあれば、自暴自棄を思い止まるという形で死を未然に防ぐこともあるね。
ジョーカーかコウモリか (2014.10.5 14:19)
奇数(動的・混沌)にも偶数(静的・秩序)にもなれる可能性を秘めているのが偶奇両有の「9」だけど、これってつまり奇数にも偶数にもなり切れない可能性も同時に示しているんだよね。
ノーベル平和賞と9条 (2014.10.5 12:55)
2014年10月10日(「9」の日)に今年のノーベル平和賞が発表されるとのことだが、今回予測として上がっているのは「憲法9条を保持する日本国民」なんだそうだ。
言い訳の時期到来 (2014.10.5 11:53)
さて、いよいよ遅刻や遅延やコミュニケーションの齟齬を全て「水星逆行」のせいにして、自責の念を大幅に軽くできるステキな時期が到来しましたね。
語らぬという神秘性 (2014.10.4 21:02)
「月の公転周期は約28日、そして女性の生殖周期も約28日。なんという神秘!」などと言ってくる人に対して「で?」と答えたなら、その人は次にどんな神秘を提示してくるんだろうか。
当たり前の神秘 (2014.10.4 0:25)
「神秘」を目指した結果「神秘」と「神秘でないもの」を分け隔ててしまい後者を蔑むというのは果たしていかがなものだろうか。
溶け合ってるか〜い! (2014.10.3 23:31)
「2」的な「愛し合ってるか〜い!」の次は「9」的な「溶け合ってるか〜い!」を提唱してみるか。
気にせず生きたいなぁ (2014.10.3 22:12)
星や数を始終気にして生きている人より、それらを全く気にすることなく生きている人になりたいなぁ。
頑張るという倫理 (2014.10.3 19:27)
「頑張る」という行為と「倫理観」という価値観を強く結び付けるから、話が実にややこしくなっちゃう。
分けられるけど分けない (2014.10.3 14:33)
分けられない奇数と分けられる偶数。
「7」の究極 (2014.10.2 23:11)
奇数であり思考の混沌を表す「7」の究極って「何かを疑っている自分という存在そのものの実存をも疑う」という感じ。
柔らかい「1」であれ (2014.10.2 12:39)
ニュートラルに「1」でいることって実は案外難しい。
でも時と場合による (2014.10.1 19:04)
僕はどんなに良い言葉であっても、その最後に「でも時と場合による」の一文を付け足す悪い癖があるね。
「0」という特性 (2014.10.1 16:39)
偶奇両有であり1〜9の全てを内包している「9」はそのオールマイティさが仇となり、自らの特性を今ひとつ掴みきれないこともあるね。
無常観 (2014.10.1 15:09)
喜怒哀楽がひとりの中で「9(充満・もう沢山な状態)」になればなるほど、まるでバランスを取るかのように「0(虚無)」がぴたりと寄り添ってくる。
もののあはれ (2014.10.1 14:18)
平安時代の美的理念である「もののあはれ(物の哀れ)」。
コントロール欲と怒り (2014.10.1 10:53)
「怒り」という奇数的(動的・混沌)な情動を引き起こす原因は偶数的(静的・秩序)な願望、言い換えると「コントロール欲」だったりする。
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