数秘術関連等ツイート(2013年2月分)
占い師の「言葉」 (2013.2.28 23:18)
Q:占い師にとって「言葉」ってどんなものですか?
A:売り物。
堂々巡りな7 (2013.2.28 18:57)
1を1〜9それぞれで割ると、1・2・4・5・8では割り切れ、3では0.333…、6では0.1666…、9では0.111…と同じ数が無限に続く。
でも7だと0.142857142857…というように「142857」が循環するので「7」に「堂々巡りの考え」という象意を与え得る。
7の聖性 (2013.2.28 12:11他)
世界中で「7」が聖数として扱われている、という解説が数秘術本に書かれていることがよくあるね。
旧約聖書の創世記にて「(休みも含めて)神が7日間で世界を創造した」とかね。 まぁこの根拠としては、7天体(日月火水木金土)の存在が一番濃厚なのかな、と思う。
他にも「7」は三位一体の「3」と十字架の「4」を足したものだから聖なる数なんだ、というキリスト教的な思想に基づいた解釈もあったりするね。
まぁでもこれだけは言えるのは「どんな数にも聖性はまとわせられるんだよ」ということだね。 別に「7」だけを特別扱いする必要はないさ。
いいわけ臭 (2013.2.28 10:26)
「私は今回の失敗について決していいわけなどしない!」という言葉からは、むしろぷんぷんと『いいわけ臭』が漂ってくるんだよなぁ。なぜか。
宗教と暦と数秘術 (2013.2.27 15:22他、一部改変)
宗教的な意味では「6」は「仮初めの完成」って感じの数。 旧約聖書の創世記でも神は6日間で全てを完成はさせているけれど(7日目はお休み)、その6日目に創られたヒトはこの体たらく。
そういえば数秘術で用いられる数のイメージの根拠においても、キリスト教的なものがかなり色濃く反映されていることが多いね。
何かしらの暦を採用するということは無意識のうちにその暦の根元にある文化の影響を受けることを意味するのかもしれない。
2を断ち切る7の刃 (2013.2.26 23:32)
「三国志演義」は実に色々なことを教えてくれる。
独裁者董卓&猛将呂布という蜜月状態にあった君臣は、忍従していた配下王允の「美女連環の計」により双方に猜疑心が発生し、結果呂布が董卓を殺害した。
固い絆の君臣関係(2)などを解れさせるには、やはり疑念(7)が最良の刃なのだろうな。
願いの真偽 (2013.2.26 20:20他)
誰かに占ってもらう際「私の願いは叶いますか?」みたいな質問をする人がいるよね。
問題なのはその願望が本当に「自らの衝動」から来ているものなのか、はたまた「他者の強い求めに応じようとするあまり、自らの衝動から来る願望であると勘違いをしている」だけなのかで結果は変わりそうだね。
本当の意味でその願望は「自らの純なる衝動(1)」に基づくのか、「他者からの強い求めにただただ応じたい受容の気持ち(2)」に基づくのか、「そんな他者の願いが初めから自らの願いであったかのように思い込み、自らを極限まで追い込む忍びの心(8)」に基づくのかをよくよく考えたいよね。
ロボット考 (2013.2.25 22:19)
人間に従順にコントロールされる(2)ロボット。
このロボットが自ら考え状況判断する(7)ことができるようになれば、人間社会に違和感無く溶け込み遍く使用される(9)ようになるかもしれない。
問題は進化の末に完全無我(9≒0)のロボットに自我(1)が芽生えるかどうかだろうな。
進化と深化が生み出すもの (2013.2.25 20:24)
未来へ拡がる1の「進化」と内へ拡がる7の「深化」という2つの動的奇数要素がそろったならば、正に万物を制御(8)し得るのかもしれないね。
マスターナンバーが生む焦り (2013.2.25 20:18)
先日の岐阜講座に参加された方の感想。
「私は今まで自身をマスターナンバー11として認識してきたが、今日11は2である旨を聞いてかえって気が楽になった。」
マスターナンバーは当人にいらぬ特別意識を与えると共に、その数に合った自分であらねばという焦りをも生み出すのかもしれない。
正しいことなんてないさ (2013.2.25 12:42)
この世に「正しい」ことなんて何一つ無いさ。 あるのはヒトが勝手に定めた「正しさ」だけだよ。
「正しさ」の定め加減によっては「間違い」すらも「正しさ」へと変わってしまう。
絶対ではなく相対なんだ。
「人が嫌がること」考 (2013.2.25 8:05他)
「人が嫌がることをしてはいけない」 「人が嫌がることを言ってはいけない」
これらはもちろん人間関係という名の糸で編まれた社会で生きていく上でとても大切なことだね。
しかし「何を嫌がるのか」ということは人それぞれ違うし、他者からもわかりにくかったりするから厄介なんだ。
「人の嫌がることを言ったりしたりしてはいけない」ということを究極的に実現させようとすると、人々は誰も話さず、誰も動かなくなり、関係性という「線」が全て切れて皆一つ一つのただの「点」になっちゃうかもね。
目指していた「理想郷」が実は「乾き切った砂漠」だったという感じ。
つまり「人が嫌がることを言ったりしたりしてはいけない」という理想は言い方を変えると「完全実現させちゃいけない理想」なんだよね。
まぁそんな僕が言えることは「互いにもっと腹の中をぶちまけあおう」「ぶつかることを恐れるな」「喧嘩もコミュニケーションのうち」って感じかな。
ド主観 (2013.2.24 23:56一部改変)
客観を自由自在に捻じ曲げる「ド主観」には気を付けたいものだ。
水星逆行 (2013.2.24 23:40)
【水星逆行前の障害】 →「逆行が近付いているからだわ!」 【水星逆行中の障害】 →「正に逆行中だからよ!」 【水星逆行後の障害】 →「まだまだ油断できないわ!」 【水星ド順行時の障害】 →「」
こういう人ってたまにいるよねぇ。
言葉よりも饒舌 (2013.2.24 11:56)
音楽的な音や数秘術的な数って、むしろ言葉よりも饒舌だと思うなぁ。
ダメだしの続き (2013.2.24 11:18)
昨日の「ダメだし」の話だけど、そのダメだしをする相手の立場や知識・人気等が高ければ高いほど、ダメだしした本人が自らを尊ばせる効果が高くなるんだよね。
自他の高低差がそのまま「幻の自尊心」へと化けていく。
「蟷螂の斧」の蟷螂(かまきり)にだって都合があるのさ。
ダメだし (2013.2.24 1:03)
「ダメだしを、しているオレは、ダメじゃない!」
まぁ上手く五七五にまとまったけれど、何かにとことんダメだしをすることで自己肯定感を増やそうとする人がたまにいるね。
対象を貶めることで相対的に自らが尊くなったように誤解する…正に心の麻薬だな。
溜めたマグマの行き先 (2013.2.24 0:06)
自らの苦悩や苦労をマグマの如く蓄えた8的なパワー。
それを逆数1的に真っ直ぐ一点に対象へとぶつければ、大抵の障害は溶けて蒸発しちゃうかもね。
まぁ溶かさなくてもよいものまで溶かさないよう、対象選択とバランス感覚は大切に。
2の如く甘受しよう (2013.2.23 22:27)
たまに自らの意思でタロット占いをしておきながら「こんな結果は受け入れられない!」などと抵抗する人がいるね。
でもそれってさ、寿司屋に入って「おまかせ」を頼んでおきながら嫌いなネタを残すようなもんだろうな。
偶然に全てを委ねる「卜術」をやるのならば、2の如く全て甘受しようぜ。
7を解決する3 (2013.2.23 22:22)
様々なことを悩み疑う7的な状態から解放されるため、いっそその対象を信じ抜き受け入れてみるという逆数2的な解決策もあるけど、まぁ諸刃の剣だよね。
それよりも自身の内にうごめく悩みや疑念をありのままにバーっと表現する補数3的な解決策の方がよいのかもしれないね。
真逆は一つにあらず (2013.2.23 21:19)
僕の数秘術ではたとえば1の逆数は8であり、1の補数は9であるというダブルの相反性が見られる。
これを「水」でたとえるなら「水」の逆は一般的には「火」だけれど、「水」の逆として「乾いた砂」を置いてみてもしっくりとくる。
一つのものの真逆な存在は決して一つとは限らないんだ。
予知か、用心か (2013.2.23 14:53)
地震災害の対策には「地震を予知し避難誘導などに活かす」というものと「常に用心して対策を講じる」という二つあるけど、これって占いにも同じことが言えるかもね。
「未来を予知し対策を講じる」方法もありだし「不運に見舞われた際の対処法を常に意識する」方法もありだよね。
僕は後者。
真ん中ゲーム (2013.2.23 2:54)
何かに偏らず「真ん中にいること」ってとても大切なことだけど、だからといってミクロン単位で「真ん中」にいることをこだわっているとすぐに寿命を迎えるかもね。
むしろ「真ん中あたりを目指すゲームを楽しもう」的な感じでいいと思うよ。 右に傾いたら左に重心を移す。この所作を楽しもう。
下を見てごらん (2013.2.23 2:49)
誰かが今どん底にいるとして、そんな人に「上を向こうよ!」などとアドバイスをしても、かえって自らのいる場所の低さを残酷なまでに認識するだけとなるかもね。
そんな時はむしろ「下を見てごらん」と言ってみるのも良いかもよ。 相対的に自らのいる場所が高く感じられるだろうからさ。
低俗からの哲学 (2013.2.23 0:25)
どんなに低俗でくだらないと感じるものであっても、そこに哲学を見出せるのが哲学者の理想形な気がするよ。
高尚なものばかりを求めて、低俗なものを退けるのは正に「食わず嫌い」だわな。 低俗なものでもじっくりと噛み締め味わうことで、思わぬ「気づき」が得られるかもよ。
6のこだわりと納得 (2013.2.23 0:18一部改変)
6のこだわりは正に自らの美意識の投影。
自らが持つ「考え」と対象物の「姿」とが違和感無く鏡写しの如く調ってはじめて「納得」できる。
「Law」と「Chaos」 (2013.2.22 23:41)
名作RPG「真・女神転生」では、法と秩序を重んじるLaw、自由と混沌を重んじるChaosという二つの相反する属性が登場する。
でも個人的にはLaw(4・6)の反対はun Law(5・3)だと思うな。 秩序も無秩序も入り混じっているのが本当のChaos(9)だと思うよ。
9という曖昧さの良さ (2013.2.22 22:46)
尖閣問題のように相手が支配や管理(8)を望んだ場合それに全て委ねる(補数2)のも一つの解決法だけど、まぁ普通はそれに激しく抵抗し「これは俺たちのものだ!」と息巻く(逆数1)んだよね。
今までこんな大事にならなかったのは両国首脳が結論を出さず曖昧にしてきた(9)からなんだよね。
逆数3的ガード (2013.2.22 22:34一部改変)
周囲からの反発への恐れから、表現を全て微笑みとユーモアというオブラートに包み込みやすいのが逆数3としての働きだったりするんだよね。6の人の場合。
口伝の是非 (2013.2.22 21:34)
コピペ文化が花開きっぱなしの昨今においてパクリを防ぐには「口伝」の方が良いのかもね。
でも「口伝」って連鎖するほど「バッタもの」を生み出すから、これはこれで難しいなぁ。
マッチする補数関係 (2013.2.22 20:21)
「俺はもう妻の支配から抜け出したいんだ!」などということを言っている人間ほど、実は支配されていることの安心感をよく認識しているんだよね。
管理(8)と独走(1)だと逆数同士でぶつかり合うけど、支配(8)と被支配(2)なら補数同士だから意外とマッチするんだよね。
信じる2から疑う7へ (2013.2.22 20:14)
「私たちはベストフレンドだね!」などという強い意識は真逆である「犬猿の仲」に容易に繋がる。
「友達だから信じる!」みたいな2的な状態は、とある出来事をきっかけに「本当なのかな?」という逆数7的な疑念を簡単に生み出しちゃう。
意識せずになんとなく続く9的な友情が良いのかもね。
6の「〜べき」 (2013.2.22 19:34一部改変)
6は「調える」であり、6の人の考えには「世界はもっと美しくあるべきだ!」とか「人はもっと隣人を愛していくべきだ!」みたいに『〜べき』を多用する傾向がある。
乱れたものを憂い哀しみ、キレイにしようとする心だ。
税金を払わない権利 (2013.2.22 18:41)
税金というのは様々な福祉やインフラ整備に活用されるサービス税的な要素を帯びていることは理解している。
でもさ「俺は国の助力なんぞ一切享受しない!」という人に対しては『税金を払わない権利』を認めてあげてもいいのかな、とも思うんだ。
1・4・7の「自のライン」的な考えかもね。
3に流れた市長 (2013.2.22 18:33)
「橋下大阪市長は嘘つきだ」というツイートが流れてきた。
確かに初めに約束したことが後になって真逆の方針へと変わったわけだから、結果的には嘘つきに見えるかもしれないけど、彼は嘘をつこうとした訳じゃないと思う。
基本数6の同氏が持つ逆数3で「易きに流れた」と言うべきだろうな。
凪(なぎ) (2013.2.22 18:21)
初めから風が吹いていない静かな凪の状態(4)と、大風が吹き荒れた(5)後に訪れる凪(4)とでは、同じ凪(4)でもその感じ方は大きく変わると思うな。
前者は平穏感と退屈さが同居しているし、後者は凪いだことへの安堵感と再び嵐が訪れるのではないかという恐怖心が同居しているね。
両極端な4の納税意識 (2013.2.22 17:36)
「納税は国民の義務なのだからきちんと納めなければ!」と考える4の人もいれば、「俺が稼いだ金を国なんかに持っていかれてたまるかよ!」と憤る4の人もいるね。
前者は規範遵守、後者は保守頑迷だけど、どっちも同じ4の象意なんだよ。 ちなみに僕は後者です。
客観→主観、主観→客観 (2013.2.22 17:09)
科学のように「客観(外の)世界」をとことん追究してから「主観(内の)世界」を見つめていくことと、哲学のように「主観(内の)世界」をとことん探究してから「客観(外の)世界」を眺めていくことは、プロセスの違いはあれど似たような認識の結果にたどり着くのかもね。
6と7の求めるもの (2013.2.20 18:36)
6の人が求めるのは「美しさ」。 たとえ底が浅くても、表面が調い美しければオッケー。
7の人が求めるのは「深さ」。 たとえ表面が調っていなくても、底が見えないほど深ければオッケー。
幸福感は相対的 (2013.2.20 9:47)
お布団に入ることができて、真っ直ぐ横になれて、地面が揺れない…なんと幸せなことだろうか。
「幸福感」って実に相対的な感情だよね。 同じ感覚であるはずなのに比較対象が異なるだけで「幸福」を感じたり感じなかったりすることがあるもんね。
宗派争い (2013.2.18 9:09)
『目玉焼き教』にも「塩コショウ派」や「醤油派」「ソース派」など多種の宗派が存在するけれど、共に目玉焼きを愛する仲間なんだからきっと仲良くなれるはずさ。
「俺?目玉焼きには塩コショウ以外ありえないでしょう!」 ダメだこりゃ。
ならない師 (2013.2.18 9:02)
俺はある意味でもう既に「うらない師」では無い(と一方的に思い込んでる)と思っているけど、やがては「(占いなんて)いらない師」になり、そして最後は「(なにものにも)ならない師」になりたいなぁ。
魔法 (2013.2.17 22:03)
きゃりーぱみゅぱみゅの「つけまつける」に出てくる『つけるタイプの魔法だよ』という歌詞じゃないけれど、数秘術はさしずめ『こじつけるタイプの魔法だよ』なんだろな。
「望む」は2 (2013.2.17 17:00)
漢字の「望」は11画(→2)であり、「NOZOMI」をゲマトリアすると38→11→2となるね。
人にとっての本当の「望み」とは2の象意の如く、他者に受け入れられ、他者と繋がり、他者を信じる…正に「他」の存在があってのものかもしれないね。
まぁまぁなこじつけかな。
奇跡 (2013.2.17 16:46)
奇跡とて、続けばいずれ、あたりまえ。
シャーマン (2013.2.16 11:46)
誤解を恐れずあえて数でこじつけるならば「シャーマン」は2と9を行う人のことかもしれない。
自らを空っぽ(9)にして大いなる存在の大いなる何かを受け入れ(2)、繋がり(2)、そして溶け合って(9)いく。
そういう意味では2+9=「11」は正に「シャーマン」な数かもね。
閉じ込めても抜け出しても (2013.2.16 10:22)
自分の人生を数やら星で閉じ込めても、それはそれで良いのかもしれない。
でもさ、そんな風に閉じ込めず、数やら星から思う存分に抜け出したっていいんだよ。
数やら星を意識する人生、しない人生。 それぞれ是非はつけられないさ。
意味がいっぱい (2013.2.16 10:12)
さっき好物の「鳩サブレー」を喰べたんだけど、この「鳩サブレー」という言葉だけだと「鳩の形をしたサブレー」なのか「鳩用のサブレー」なのか「鳩肉を使ったサブレー」なのか、はたまた「サブレーという名の鳩」なのか、いまいちわからないよね。
言葉って難しいけど面白いんだよね。
マトリックスの是非 (2013.2.16 10:03)
映画「マトリックス」では、コンピュータによって造られたマトリックス(仮想現実世界)から脱出し、現実世界で目覚めることが主人公たちの目標となっているね。
もちろんそれも「あり」なんだけど、あえてマトリックス(仮想現実世界)の中で生き続けることも「あり」だと思うんだ。僕は。
4と鳥居 (2013.2.14 11:12)
そういえば神社の鳥居って4本の棒でできてるよね。
そんな4な鳥居の存在はそこが神の住まう社であることを知らしめると共に、その4な鳥居によって神が一所に縛り付けられているとも言えるかもしれないね。
分量は正しく、ね (2013.2.13 23:55一部改変)
自我が濃過ぎる1の人が補数の9を程良くブレンドする分には良いけれど、分量を誤ると今度は探せど探せど1の自我が見つけにくくなってしまう。
9の海は変な心地良さがあるから、温まり過ぎないように気を付けよう。
1の引き揚げ (2013.2.13 23:17)
一度9的な「無我の海・忘我の沼」に落ちてしまった1的な自我を引き揚げるのは正直言って容易では無いんだよね。
そんな沈みそうな1的自我を救ってくれるのは2的な繋がり…正に「本当に信じられる」何かしらの存在だったりする。
でもそのことがかえって依存(2)に繋がることもあるね。
今日を終える素晴らしさ (2013.2.13 21:21)
「昨日」が終わって「今日」が来て、「今日」が終わって「明日」が来る。 なんと素晴らしいことよ。
世の中には「今日」すら終えられない人が大勢いるのだから。
若さと老い (2013.2.13 21:11)
「若さ」と「老い」を数で表すならば「1」と「9」もいいけれど、馴染むのは「3(活発)」と「4(不活発)」かなぁ。
でも、そんな若い「3」だからこそ逆数6(無理のある大人びた振舞い)に憧れちゃうし、老いた「4」だからこそ逆数5(天邪鬼なアンチエイジング)に憧れちゃうのかもね。
自暴と自棄 (2013.2.13 15:04)
「自暴」は「自らを大切にせず、自らを自らで損なうこと」であり、「自棄」は「己が身を粗末に扱い顧みないこと」であるという。
「自暴」も「自棄」も1(自分自身)→9(自我の希薄化)への下降であり、アクセントとして5(破壊行動)が自分自身に働く感じかな。
自由に割り当てよう (2013.2.13 10:03)
もし生年月日から出す基本数や氏名から出す姓名数が自身に馴染まないときは、自分自身に一番馴染む数を自由に割り当ててみよう。その数があなたの新しい基本数となる。
生年月日や氏名から導き出すのはあくまでも便宜上のルールなんだから、自分で数を割り当ててもいいんだよ。
曖昧バンザイ (2013.2.13 0:59一部改変)
曖昧はむしろ「9」の持ち味。
曖昧さは平和への一番の近道だからね。
健全な自我を手に入れよう (2013.2.13 0:49一部改変)
9の人が「1」に昇り他者と比較する必要すら感じない「健全な自我」を手に入れられれば正に鬼に金棒だろうね。
でも実は「9」の心地良さも魅力的だったりするから難しいところだね。
行ったり来たり (2013.2.13 0:25)
僕の逆数理論も本(誕生日大事典)になったことだし、なんかもう「9」みたく霞んじゃおうかな、という瞬間が頻繁に訪れて実に困る。
でも、ふとした拍子になけなしの「1」が蘇って「まだまだ書いてないこといっぱいあるやんけ!」みたいに衝動が蠢き出すんだ。
9と1を行ったり来たりさ。
9の問題点 (2013.2.12 23:49一部改変)
「9」の問題点は全てを持っているという事実に中々気付けない点と、全てを持っているが故に突出した個性を自覚しにくいところ。
ゼロの恐怖、9の恐怖 (2013.2.12 23:40)
僕は小さいころとにかく「死」というものが怖くて怖くて堪らなかったなぁ。
「1」なる自分が消えてなくなるという「0」への恐怖って感じ。
大人になってからその恐怖はなくなったけれど、その代わり「1」なる自分が社会や衆生に溶け込みなくなるのではないかという「9」の恐怖はあるね。
悩みの海 (2013.2.12 21:53)
いくら数秘術や占星術を学んでも「悩みの海」に落ちることは避けられないんじゃないかな。
でもそれらを学んで、かつ数や星と日々遊び慣れることで、「悩みの海」に落ちても溺れることなく岸へと泳げるようになるかもしれないね。
7だからこそ、必要な3 (2013.2.12 13:57)
7な状態(無限なる思考)だからこそ、補数の3(自らを衒い無く表現する)的な行動によって自らの精神バランスを取るのは有りだと思うな。
心の中を掘り進んだら(7)、その分の土を心の外に吐き出して(3)いかないとね。
7の前後とその先 (2013.2.12 13:51)
7な状態(無限なる思考)から抜ける際、6に下がる(自身の美意識や倫理観に縋り自らを正当化する)のか、はたまた8に上がる(力ずくではない思考の制御)のかで自ずと結果は異なるかもね。
でも6→5(自己中心的な破壊衝動)への再下降、8→9(拘りからの解放)への再上昇もあるけどね。
7もしんどいねぇ (2013.2.12 12:22)
「自分の言動がもしかしたら相手に不快感を与えているかもしれない」と感じてしまうのは7の人や7な人の特徴なんだけど、今は僕自身がその気持ちに苛まれているなぁ。
そんな僕は1/16〜2/15の個人経過月数が7であり、今日2/12の個人経過日数も7だった。 むーん。
教皇の引退 (2013.2.11 20:40)
きっと世界中の占い師がこじつけ始めているだろう現教皇ベネディクト16世(1927年4月16日生、基本数3)の退位表明について僕もこじつけてみようかな。
現在の個人年数並びに1/16〜2/15の個人経過月数は7か。
3の人が3でいられない事を悟り、補数7の時宜に引退って感じ。
心身のアート (2013.2.11 13:36)
タロット(Tarot)が心身のアート(to Art)に繋がるのは当然か。
9の人の焦り (2013.2.11 12:41一部改変)
実は既に1〜8をまんべんなく持っている9だからこそかえって「もしかして私って実は何も持っていないのかも」という焦燥感に駆られたりするんだよね。
青信号、赤信号 (2013.2.11 12:09)
僕の中での幸運のイメージは「進めど進めど青信号が続く」感じだし、不運のそれは「進む度に赤信号で止まってしまう」感じ。
でも青信号が続くことで油断してスピードに乗ってかえって事故を起こすこともあるし、赤信号に引っ掛かることでスピードが緩み事故を未然に防ぐことにも繋がるよね。
潜在的な恐れ (2013.2.11 9:55)
自らの基本数は「潜在的な恐れ」を表したりもするよ。
1:進むことへの恐れ 2:繋がることへの恐れ 3:表すことへの恐れ 4:落ち着くことへの恐れ 5:変わることへの恐れ 6:愛し育てることへの恐れ 7:考えることへの恐れ 8:力を持つことへの恐れ 9:何もないことへの恐れ
8と∞は違うよ (2013.2.10 23:54)
そうそう、多くの数秘術本にて「8を横にすると∞のマークになる」という理由で類似性を持たせようとする記述があったりするけれど、8と∞は何の関係も無いからね。
「ウロボロス説」や「ローマ数字のCIC(最後のCは逆向き)が変化した説」が現在有力だよ。
恐怖教育 (2013.2.10 13:24)
僕の家では正にしつけは「恐怖政治」そのものだったなぁ。 母子家庭だったから、なおのこと母親が父親役も務めなきゃならない。
そんなしつけに対して外部の人間が是非を論じるっていうのは、なかなかに難しいことだよねぇ。
子供(3)のしつけ(6)には強制力(8)も止む無しかなぁ。
「外」より「内」を (2013.2.10 12:37)
自らの「外」が充足してはじめて自らの「内」が充足するヒトは多いよね。 欲しいものを手に入れてはじめて感じる充足感や幸福感とか。
でもそれだと「外」が充足しなければ「内」も充足できなくなっちゃう。
「外」の充足の有無にかかわらず「内」を充足できればどれだけ楽になることか。
外の世界からの解放 (2013.2.10 11:59)
高級ホテルのスイートルームでも、安アパートの四畳半でも、入眠してしまえば同じだわな。
「自分の外の世界」というものになるべく左右されずに生きていけたらいいねぇ。
覚えている、忘れてしまう (2013.2.10 11:55)
「覚えている」という幸せと「忘れてしまう」という不幸せ。
「忘れてしまう」という幸せと「覚えている」という不幸せ。
まぁケースバイケースだね。
7なバレンタインデー (2013.2.9 22:55)
もうすぐ2月14日のバレンタインデーか。 2月14日ということは数字根は「7」だね。
本命チョコをあげる女子は一途に相手のことのみを考え(7)更に相手が受け取ってくれるかどうか思い悩む(7)んだろうな。
そしてチョコを貰えぬ男子は懊悩する(7)という。7な日だねぇ。
1と1か、1+1か (2013.2.9 22:38)
人と人とが一対一で仲良くお話しているように見えていても「心や耳がここにあらず」的な会話がいろんな所で見受けられるね。
これって1と1が合わさって2とはならず、1と1がそのままの形で対峙しているようなもんだよなぁ。
1と1がきちんと2になるには「受ける姿勢」が大切だね。
良い中途半端 (2013.2.9 10:57)
「心の欲求」と「体の欲求」とが相反する時は選択が実に難しくなるね。 どちらかを選べば、選ばなかった方が我慢を強いられちゃう。
でも「心の欲求」と「体の欲求」、どちらもまぁまぁ満たしてくれるような道を選ぶという手もあるね。
中途半端が最善手という時もあるさ。
自分のための表現を (2013.2.9 10:44)
「こんな文章、いったい誰が読んでくれるのだろうか…」などと憂う必要はない。 必ず誰かが読んでくれている。
もし誰も読んでいなくても「あなた」が必ず読んでいる。
「表現(3)」という行為は自らを存分に愛してあげる(3)という行為につながるのだ。
自分のための「表現」を。
6の人の愛 (2013.2.9 10:23一部改変)
「人と人の織りなす関係は美しくあるべきだし、こちらが愛したら相手も相応の愛を返すべきだ」と考えがちなのが6の人なんだよね。
そんな返報を求める愛が3のような自己愛的行動に見えてしまうのはよくありがちだと思うよ。
3と6、愛のメビウス (2013.2.9 9:56)
他者を思いやり愛している(6)つもりが見返り目当てのただの自己愛(3)に堕してしまうこともあれば、自らをきちんと愛してあげる(3)ことが結果的に他者への思いやり(6)につながることもある。
3の自己愛と6の他者愛は裏表つけがたきメビウスの輪のようだね。
リスキーな「5」 (2013.2.8 18:34)
言動や行動等で「5」的なものを羨み目指すヒトがよくいるけれど、正直言って社会生活上かなりリスキーだから気を付けてね。
「5」の自由奔放さは「4」の基礎基盤や「6」の責任を手に入れることではじめてしっくりと馴染み心地良き光を放つようになるんだよ。
終わり良ければ (2013.2.7 21:46)
「終わり良ければすべて良し」という言葉を多用する人はもしかしたらプロセスを軽視しがちかもしれないね。
そう考えると実に乱暴な言葉だよなぁ、これって。
6の悲観と、7の絶望 (2013.2.7 9:51)
僕は6に悲観、7に絶望の意をこじつけているけれど、前者は外的要因に基づくもので、後者は内的要因に基づくものだと思う。
自らの美意識に則り調えたものが崩れ去ることへの恐れ…これが6の外への悲観。
ピンポイントな思考を繰り返すほどに最善解から遠くなる…これが7の内への絶望。
免罪符 (2013.2.6 20:59)
数秘術や占星術を中々変えられない自らの資質や中々変わらない周囲の環境の「免罪符(いいわけ)」として使うのはほどほどにね。
変わるものも変わらなくなっちゃうよ。
毒と薬は表裏一体 (2013.2.6 17:32)
その人にとってマイナスに働きやすい逆数だけど、それも全く無ければ偏った人間が出来上がってしまう。毒も加減すれば薬となる。
その人にとってプラスに働きやすい補数だけど、それも多過ぎればかえって逆効果となってしまう。薬も摂り過ぎれば毒となる。
1的な占い、8的な占い (2013.2.6 17:02)
占いには1的な個人の心理を重視するものと8的な個人を取り巻くシステム(環境や偶然)を重視するものとがあるね。
心理占星術とかは前者よりで、東洋の占いは後者よりなのかな。
「1の人」と「1な人」 (2013.2.6 13:47)
僕の数秘術ツイートにてたとえば「1の人」と書いてあればそれは基本数が1の人のことであり、「1な人」と書いてあればそれはその人が自覚している数であることを表している。
生年月日から導き出す基本数は当人が選べるものでは無いけれど、自覚であれば主観で後から変わることもあり得るね。
4あっての5 (2013.2.5 12:35)
5の人って自らを取り巻く環境が4的(伝統的・硬直的・普遍的)であればあるほどかえって自由や刷新、破壊を生み出す力が強くなるんだよね。
でもそういった4的なものが無く真っ白な状態であると、5の人は戸惑ってしまって何もできなくなってしまう。
4あっての5なんだよね。
上も下も (2013.2.5 8:13)
上を向かなければ空へと羽ばたくことはできないけれど、下を向かなければ羽根を繕う場所へは降りれないよね。
上も下も大切に。
断捨離を断捨離する (2013.2.4 22:42)
「断捨離」することにこだわることを「断捨離」しよう。
たぶんそれが本当の「断捨離」。
8の人に向けて (2013.2.4 21:13一部改変)
8そのものは自他コントロールや抑圧的心理を表すけど、一つ下の7への下降(過剰な内省・内罰、不要な洞察)や更に6への下降(極めて過剰な他者意識・自虐的責任感)にも注意が必要だね。
「恥」が奪ったもの (2013.2.4 19:12)
「わいせつ」とか「ひわい」という概念って高度に美しく整えられた6的社会だからこその概念なのかもね。
皆が生まれたままの姿で楽しく踊って過ごす3的な社会であれば、そんな概念も存在しにくいだろうに。
「恥」という概念がヒトの営みから奪ったものは意外と多そうだ。
もう少し信じてみようか (2013.2.4 13:57)
僕は機序や根拠の無いものをほとんど信じず「疑う」というプロセスを大切にするけど、まぁこれは7的だね。
もちろんそのスタンスは今後も変えるつもりは無いけれど、もう少し様々なものを素直に受けとめ「信じる」というプロセスも取り入れてみようかな。まぁこれは2的だね。
4はひたすらに (2013.2.4 11:41)
4の人へのアドバイスは「何も考えずにとにかく続けること」かな。
続けている途中にゴールへの道程の遠さや困難さに悩み、ショートカットを試みて失敗したりポイっと投げ出してしまう(逆数5・下降3)という弱点を抱えがちだからね。4の人は。
ひたすらに。ただひたすらに。ね。
5を嫌がり4を求める (2013.2.4 1:09)
現代社会における各種の変化(5)に不安を覚えかつついて行けない人々が伝統的なもの(4)を求めるのはごく自然なことかもね。
変わる(5)のが嫌ならば変わらないもの(4)に安心を求めるのはもっともだからね。
ロバート・キャパ (2013.2.3 21:18他)
有名な写真「崩れ落ちる兵士」を撮ったロバート・キャパ(1913年10月22日生まれ、基本数1)の特集を観てる。
個人年数5の時(40歳)、ベトナム戦争取材中の触雷で亡くなった。
かのノルマンディ上陸作戦時も突撃する兵士に混じって撮影を敢行。 正に鉄砲玉フロンティアの1だ。
「ロバート・キャパ」アンドレ・フリードマン(基本数1)の恋人であり、共に「ロバート・キャパ」という架空人格を作り上げたゲルダ・タロー(基本数2)。
主役の1と助手の2が作り上げた「ロバート・キャパ」は著名な『崩れ落ちる兵士』に代表される人口に膾炙される(3)写真家となった。
節分教育 (2013.2.3 19:58)
Q:あなたに子供がいたらどんな教育をしますか?
A:節分の豆まきの時「鬼は外!って鬼がかわいそうだよぉ!」と鬼に同情する子供に育てます。
6に下降した7の人 (2013.2.3 18:11)
一つ下の6に下降した7の人って自分と同等かそれ以上の知識や知恵を持っている人へは大いなる敬意を持つけれど、逆に自分よりも知識や知恵が劣る人のことを内心蔑視したりすることもあるんだよね。
「世界も人も美しくあるべきであり、相応の知識と知恵を持つべきだ」などと考えがちだからね。
「好き」を仕事にする (2013.2.3 18:03)
「私は好きなことを仕事にしたい!」という人は多いと思うけど、実際いざ好きなことを仕事にしてもしばらくしたら嫌いになってしまうことも多いんじゃなかろうか。
3的な気軽な「好き」から、6的な「好き」だからこその責任感へのシフトが求められるからね。
3から6へは中々にしんどい。
7の人のエコモード (2013.2.3 10:22)
普段はぼーっとしている7の人もいたりするけど、これは何かにつけて考え癖や悩み癖がある7ゆえの特徴かも。
常に動き回っている脳みそや心が燃料切れでエンストしないように自らをエコモードに切り替えて、精神力の消費を抑えているのかもね。
2も重なれば… (2013.2.3 10:12)
か弱く支配される側(2)の人であっても、二乗(2^2)すれば自らを守る盾(4)となるし、三乗(2^3)すれば支配者とも互角に張り合える力(8)を持てる。
決めつけない (2013.2.3 8:28)
先日僕の数秘術フリースタイルレッスンを受けた方が感想として「決めつけない」と書いていたけど確かにそうかもね。
だって数が人の性格や事象に関わるという仕組みが説明できない以上、決めつけることはできないはずだもんね。
所詮「こじつけアート」なんだから決めつけなくていいんだよ。
9の人の落とし穴 (2013.2.3 7:46)
逆数0の憂き目に遭い自我やら自信を失った9の人が8に下降するケースはよくある。
自らにオーバーワークを課したり他者や事態のコントロールに勤しむことで失った自信を取り戻そうとしてしまう。
でももっと怖いのは更に下降して7となること。 仮初の自信を持て余し自他批判に走るからね。
やり辛さ (2013.2.2 18:45)
最近数秘術関係のつぶやきをする際、それぞれの基本数のフォロワーを思い出してしまって何だかやり辛いなぁ。あまりディスれないじゃないか。
ヌメロロジカル・タロット (2013.2.1 18:33)
『ヌメロロジカル・タロット』でも作ってみようかなぁ。
全部で99枚あって、大小アルカナの区別なし。
「1-1」は「戦士の鍔迫り合い」とか、「2-2」は「奥ゆかしき関係」とか、「7-5」は「一人ぼっちの砂山崩し」とか名前をつけてくの。
逆位置使ってもいいよー。
有るけど無い「0(ゼロ)」 (2013.2.1 15:53)
「0(ゼロ)」って「有る」とも言えるし「無い」とも言える不思議なやつだよね。
無いことを表すのが「0」なわけだからもちろん「無い」と言えるけど、無いことを表す「0」という概念が存在するわけだからその意味では「有る」とも言えるよね。
まぁ考えるとキリが無いね、「0」って。
織物と糸 (2013.2.1 8:29)
フォロワーのツイートに刺激を受けた僕が数秘術的なこじつけを加味したツイートを流し、そしてそれを読んだフォロワーが更に刺激を受けてその人なりのツイートをTLに重ねていく。
正にツイッターは織物だね。 そして一つ一つのツイートは織り上げるための糸なんだろうね。
いろいろなゴール (2013.2.1 8:19)
一般的に数秘術では1がスタートで9がゴールというこじつけをするけれど、別にそれに縛られる必要は無いよね。
「新規事業を無事にスタートさせる」ことをゴールとする1的なものでもいいし、「事態の安定」をもってゴールとする4的なものでもいいよね。
ゴールは自ら決められるんだよ。
「相性」で止めないこと (2013.2.1 8:01)
人間関係の良し悪しを「相性」というあやふやな概念で片付けてしまう行為。 それが良いケースもあれば悪いケースもあるよね。
まぁ個人的には「相性」で止めずにもう一歩考察を進めて欲しいと思うな。
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