数秘術関連等ツイート(2012年10月分)
占い三様 (2012.10.31 14:42一部改変)
自らの楽しみ(3)のための占いでも、人の幸せを願って(6)の占いでも、皆の喜びを求めて(9)占いでも、何でもオッケーさ。
ジョーカーな9 (2012.10.31 14:18)
9に0以外のどんな数を足しても、単数変換すれば元の足した数となる。 9+4=13→4となるように。
なんだかこれは「ジョーカー」入りポーカーをイメージしちゃうな。 ジョーカーというオールマイティ。9というオールマイティ。
認知的複雑性 (2012.10.31 14:14)
そういえば昨日「認知的複雑性」という言葉を見た。 単一の物の見方やステレオタイプな分類をせず、同時に幾つかの見方をすることで認知の妥当性を高めることらしい。
奇数偶数で分けず、1やら6やら単一の数字でステレオタイプ化せず全方位で見ていくのは、全てを内包した9に通じるな。
7を救う3 (2012.10.31 13:22)
自分が嫌いになりがちである7な人は、補数3の如くそんな自分自身を嫌う自分が好きになれるかどうかがポイントかもね。まぁ一種の開き直りだわな。 嫌いならば嫌いでいいから、そんな嫌う自分を愛でてあげる感じ。
「規格外」という褒め言葉 (2012.10.31 9:50)
ヒトって分類されたりラベリングされたりすると安心する割に、「規格外」と言われても自尊心をくすぐられたりすることもあるから厄介だよねぇ。
いたずらの日 (2012.10.31 9:11)
そういえば今日はハロウィンか。
10/31を単数変換すると5になるね。そりゃあいたずらもしたくなるさ。
型 (2012.10.30 22:10一部改変)
星座も血液型も、そして私の専門の数秘術も皆こじつけである。 性格というカオスに適当な「型」を与えているに過ぎない。
破調の美 (2012.10.30 21:17)
「開運!なんでも鑑定団」なう。
なんでも古伊賀の水指(みずさし)は作られる際、一旦完成した物をわざと崩してしまい、それで形をなすという。これを「破調の美」というらしい。
調ったもの(6)をあえて壊すこと(5)で完成する美。正に5と6のフュージョン。
9の存在感 (2012.10.29 19:39他、一部改変)
1のような存在感の大きさは無いけれど、ふと気が付いたら無くてはならない存在となっているのが他でも無い9の人だったりする。
空気の如く無くてはならない存在が正に9なのだ。
それぞれの「空気」 (2012.10.29 19:13)
1:「空気が俺を読め」 2:「必死に空気を読まなきゃ」 3:「空気は読まずに温めよう」 4:「空気という抽象表現はやめなさい」 5:「空気なんて一瞬で変えてやる」 6:「的確に空気を読みましょう」 7:「空気の裏を読もう」 8:「空気ってホント重たいね」 9:「僕は空気さ」
どっちが幸せ? (2012.10.29 15:39)
「特報首都圏」の再放送にてチャイルド・プアについて取り上げている。俺もそうだったけどね。
「貧富の差があって当たり前。富は力で勝ち取れ!」という奇数的な競争主義と、「普通に頑張れば皆が平等に富を得られるぞ!」という偶数的な共産主義。
子供が幸せになるのはどっちかな?
6の持つ機能主義 (2012.10.29 14:32一部改変)
間引くことによって均質化を果たす、というのは正に6の持つ機能主義だ。
それが暴走するとただの5(破壊)となるし、賢く使えば7の如く問題の本質を解決できることだろう。
違うようで同じ6 (2012.10.29 14:23)
他者を慮り、弱き者を助けようとする6。 効率化を最優先し、不能者をドライに排除する6。
一見真逆に思えるが、「自らの美意識や価値観を忠実に他者に投影させようとする」という意味では同じ6なのだ。
究極の効率化 (2012.10.29 14:15)
さっきSugarさんがアメリカインディアンのイロコイ族(Iroquois)の古の慣習(狩りが出来なくなった老人に姥捨山行きか斧で頭をかち割られるかの二択を迫る)について呟いてたな。
イロコイ(毒蛇の意)をゲマトリアしたら6だった。 不能者の排除は究極の効率化(6)だな。
9的な虚無感 (2012.10.28 22:09)
なんか数秘術を捨てたくなるくらいにセミナーで喋りまくったな。 疲れを通り越した心地よい虚無感が心身を支配してら。
あぁ、これが9的な「満ちるが故に感じる無」なんかいな。
鎖外してもまた鎖 (2012.10.26 14:44)
トラウマなどの見えない鎖を誰かに断ち切ってもらった場合、今度はその誰かへのご恩が見えない鎖になったりするから気を付けようね。
2という鎖を断ち切った後に再び繋がる鎖は2×2=4や2×2×2=8の如く雁字搦めに縛ってくるからご注意を。
どっちが自然? (2012.10.26 13:35)
得体の知れない幼虫が小学校横の道路を歩いていた。
この幼虫を「道路脇の草むらに戻してあげる」ことが「自然」なのだろうか。 はたまた「幼虫の自由意志に委ねる」ことが「自然」なのだろうか。
どちらも「自然」な気もするし、「自然」じゃない気もするね。
こじつけという営み (2012.10.25 22:09)
陰陽五行説やカバラに触れてみて思うのは、何千年も前からヒトが少数のシンボル的概念に万物をこじつけているという事実の滑稽さ。
1〜9に万物をこじつける俺もまた滑稽なヒトそのものだな。
さぁ!どんどんこじつけよう!
石原新党 (2012.10.25 15:29)
石原慎太郎都知事(1932年9月30日生、基本数9)が辞任して新党を結成だってね。
個人年数が8に入りたて、個人経過月数もまだ8のままというタイミングでの発表。
空隙だらけの政界に撃って出て、政治を制御するラストチャンス。 現役最後の8に勝負に出たようだ。
確率なんて気にするな (2012.10.24 11:47)
何百回、何千回と繰り返す行為の場合は確率論が活きてくるのかもしれないけど、人生のうちで数回程度の重大決断をする際にはほとんど気にしなくていいと思うよ。
「確率」に縛られない選択をしよう。
自己愛過剰 (2012.10.24 10:09)
週刊誌にて「自分好き部下への対応法」などと銘打ち、承認欲求を満たしてあげるなどの対処法を紹介している。 その記事の最後には「自己愛過剰になりがちな現代社会。あなたはどうか。」などと書かれていた。
そんな3的自己愛が過剰になるのは、今まで6的他者愛を賞賛し過ぎた反動だろう。
開拓か逃亡か (2012.10.23 21:47)
4的閉塞を苦しく感じた際、5的な解放運動を選択するのはよくあるが、それを「新天地の開拓」と捉えるか「苦悩からの逃亡」と捉えるかは本人次第。 でもなるべくならば自分に都合良く捉えたいね。
「逃亡」は残してきた4を強く意識することであり、「開拓」は未来の5を強く求める探求心。
盲目の登山家 (2012.10.23 20:14)
テレビで盲目の登山家が取り上げられている。 失明前の写真にて着ていたユニフォーム番号が5だったのが印象に残っている。
失明という運命に必死で抗う5的な反骨力。 いや、運命という名の幻から自由になる5的な思考。
そんな彼は基本数5のヘレン・ケラーの自伝から勇気を貰ったのだ。
数秘術のプロ (2012.10.23 15:54)
Q:数秘術のプロってどんな人?
A:簡単な足し算を間違えて全く異なる基本数を出したとしても、問題無くこじつけリーディングできる人。
美から生まれる醜 (2012.10.23 0:13)
6的な人が追い求める調整美の実現には補数の4(伝統・枠組み・規則)が武器として使われがちである。
しかしながら思うように諸事を調整できない場合、ふと魔が差して5(自分中心主義・革命主義・破壊衝動)に堕ちてしまうことがあり得る。
美を求め過ぎることで生まれ出るのは醜である。
偶奇九行 (2012.10.22 22:03)
古人が作り出した「陰陽五行」。 俺が数秘術で作り出しているのは差し詰め「偶奇九行」だな。
無常 (2012.10.21 23:00)
「無常」という概念は数で喩えるなら「4」がずーっと続くような永遠不変なものは無いということになるが、「4」の次に「5」が来るとは限らないということを教えてくれるのも「無常」という概念だったりすると思う。
無頼派 (2012.10.21 22:52)
師を持たず、先人を敬わず、スピリチュアルに阿(おもね)らず、宗教的歴史的価値観を頼らず、独自のシンプルな数秘術アートを我流で貫こうとする俺は多分数秘術界の無頼派。 以上で妄言を終わります。
鴨長明 (2012.10.21 22:41)
鴨長明が方丈(一丈四方)の庵を結んだことから名付けられたという随筆「方丈記」。 不安な社会情勢や災害で苦しむ衆生を極めてリアルに書き記しているが、その文章は当時の常識とは異なり漢字と片仮名で構成されているという。
鴨長明は逆数5の反骨心を持つ基本数4だったのかもしれない。
6の若松孝二監督 (2012.10.21 19:57)
映画監督の若松孝二氏(1936年4月1日生、基本数6)。 個人年数が9→1の象意の嵐を超えてすぐのタイミングで没した。
生前は逆数3的な言動や下降数5的な反逆が目立ったが、その実7への上昇を果たしていた6中の6的人物だった。世界の歪みを正すべくもっと抗って欲しかった。
6に殺されるかも (2012.10.21 9:32)
自分の中の6的な義務感や美意識が幅を利かせると、3的な楽しみやゆとりがその分少なくなっていくような気がする。
もちろんこの偶数的な社会で生きていく以上6的要素は必要なんだけど、3という余裕もきちんと持ち合わせていないとそのうち自らの6に殺されちゃうかもよ。
不幸との接し方 (2012.10.20 18:45一部改変)
5的な人の生き方は「自らの幸福を憂い、不幸を開き直って楽しむ」って感じかな。 これが7的な人だと「自らの幸福を疑い、不幸であることでむしろ心の落ち着きを感じる」って感じかも。
執着からの解放 (2012.10.19 20:37他、一部改変)
執着(8)を手放そう(9)とする執着を手放そうとする執着を手放そうとする執着…エンドレス。
執着からの真の解放は執着という概念からの解放が必要になると思う。 それは究極的には「何も望まず何も考えず」に繋がる。
神話 (2012.10.19 20:29)
遡(さかのぼ)って神話なんぞ調べるな。あんたの存在自体が既に神話だ。
眠くなったら寝る (2012.10.17 22:58)
講座の告知文やらプロットやらを作りたいのだが、眠いので寝ることにする。 つか人類は大昔、日暮れと共に寝ていたのだから、今の時間でも十分夜更かしだよ。
「眠くなったら寝る」ことが中々に難しい現代は幸福なのかね不幸なのかね。
用心の大切さ (2012.10.17 20:29)
「地震予知なんて無駄無駄無駄ァァァ!」なんてことを主張する外国人の地震学者がいる。 一理あると思うよ。予知できたら素敵だけど、予知の可否に関わらず「用心」するってのが一番確実な対策だろうね。
この「用心」の大切さは何も地震だけじゃなく、人生においても極めて大切なことだよ。
国家と人 (2012.10.17 20:08)
「クローズアップ現代」にて『女性が日本を救う?』と題して何かしら話しているようだ。 でも別に国を救うために女性がいるわけじゃ無いし、それは男性も然りだと思う。
国家は人のために存在するものであって、国家のために人が存在するわけじゃ無いからね。
単純な価値観 (2012.10.17 18:13)
自分の望みが叶ったら「幸せ」で、叶わなかったら「不幸せ」っちゅう一般的な価値観。 そろそろなんとかしない?そんな単純な価値観。
破天荒 (2012.10.17 17:05)
1と5と9の破天荒について。
1の破天荒は自らの衝動のみを動力源とする邁進活動や牽引活動。 5の破天荒は柵(しがらみ)や壁を強く意識した上での刷新行動や破壊行動。 9の破天荒は自らの衝動も柵や壁などの存在も全く意識しないボーダーレスな平等運動や人類愛運動。
元々無かったもの (2012.10.16 21:53)
ネットが全く繋がらない山ん中の宿に泊まって自然と相対していると、もうツイッターとかどうでもよくなるね。まぁギリギリ踏み止まったけど。
元々無かったものなんだから、無くたっていいのさ。もちろんあってもいいけどさ。 そう、どっちだっていいんだよ。
円は動?静? (2012.10.15 9:58)
9は円にたとえられるけど、円がもしグルグルと回っていたとしても、近くから見なければその円は静止しているようにしか見えないことだろう。逆もまた然り。
動と静の両方を併せ持った円。 奇数偶数両方の要素を併せ持つ9に相応しい図形だ。
白髪染め (2012.10.14 11:19)
白髪染めなう。20代後半から白髪が出始めてる俺。
若さや活発なイメージ(3)を取り戻すべく不可逆に逆らい、一部の白髪を周囲の黒髪に合わせ調整する(6)という人造美な行為。
無為自然(9)を愛する俺の微笑ましい矛盾だな。
古さは正しさかい? (2012.10.14 10:43)
神秘主義者の中には「歴史の長さや古さこそが正しさの証」みたいなことを言う人がいるようだ。
だったらピテカントロプスとかすげぇだろうな。 三億年前から存在しているゴキブリなんてもう絶対的な正しさになっちゃう。
それに比べりゃヒトなんて間違いだらけなんだろうな。全く。
未来・現在・過去 (2012.10.14 0:27)
1・4・7の「自」のライン。
1は未来を見据え、4は現在を見極め、7は過去を見返る。
文化への昇華 (2012.10.13 23:11)
あなたのそのビジネスは「文化」へと昇華できますか?
4だからこそ (2012.10.13 20:59)
そういえば俺は自らの実存や自らが観ている世界の実存を夢にも疑ったことが無い。 そんな絶対的な自己を持ち続けられるのは基本数4だから、などとこじつけておくとしよう。
そんな自己であるために観ることができないものもあるだろうが、そんな自己であるために救われているとも言える。
4という型 (2012.10.13 16:08一部改変)
数秘術無料セミナー用のプロットを作ってる。 本当はこんなプロット無しで自由気ままにセミナーを楽しみたいのだが、それをやるとセミナーごとのクオリティが変わっちゃうのでコツコツ作ってる。
これが正に4なのだな。 窮屈そうに見える「型」は自他の安心安定に繋がる。
運の無い人生 (2012.10.13 13:53)
人の力で運ばれても「運」だし、自らの力で運んでも「運」。どっちの「運」でもオッケー。
そして、そもそも「運」そのものを全く意識せずに生きていってもオッケー。いいよ〜、ラクで。
無意味かつ有意義 (2012.10.13 11:11)
人生って、その全てが無意味だし、その全てが有意義。 同じ出来事を無意味にするか有意義にするかは自分次第。
全てはニュートラルなんだから、どちらに傾けるかは自分次第なのさ。
探すだけムダ (2012.10.13 11:02)
「人生の意味」なんて探すだけムダムダ。 そんなのは自分で勝手に作ればいいのさ。自分の人生なんだから。
懐かしさを濃くするもの (2012.10.13 10:50)
俺の母校、都立大泉高校の校舎が取り壊されてた。新しく建て替えるのだろうか。 今までは近くを通り過ぎてもさほどの感慨は無かったのだが、いざ校舎が無くなってみると様々な思いが去来し始める。
何かを壊し一新した(5)後になって初めて、懐かしき思い出(4)が色濃く蘇ってくる。
善悪両有が人也 (2012.10.13 10:44)
大多数が善と認めるものに悪性を、悪と認めるものに善性を見つけてみよう。 ダライ・ラマの悪やヒトラーの善を想像してみるんだ。
それが本当の意味での人間理解に繋がっていく。 則ち一方的な賛美や誹謗に惑わされず、ニュートラルな人間評価を心掛けろ、ってこと。
善悪両有が人也。
5があって気づくこと (2012.10.12 14:23)
地震があると普段は揺れないありふれた日常がありがたく思える。少しオーバーだけど。 5(変化)を体験することで初めて4(平穏)のありがたさに気付くってもんだ。
どうでも良いさ (2012.10.12 11:47)
数秘術で世界の様々なことをシンプルにこじつけていると、ありとあらゆることがどうでも良くなってきちゃうね。あぁ、これが9的な境地か。
ごちゃ混ぜ、曖昧模糊、カオス、ボーダーレス、それらすらも心地良く感じるぼーっとした状態。
どうでも良いからこそ、好きにやっていいんだよ。
円環と螺旋の無限構造 (2012.10.11 13:57)
円環の理と螺旋の理はよく聴く話。
でもその螺旋が円環を構成し、かと思いきやその円環が螺旋となり、またその螺旋が円環を成していく…という無限構造を思い付いた。
当然ながら図解できません。無限なんで。イメージよろしく。
ゼロの境地 (2012.10.11 8:09)
数秘術で遊んでいると森羅万象を1〜9にこじつけることが更にシンプルとなり、奇数と偶数だけでこじつけるようになるなぁ。
最終的には数でこじつけることすらしなくなるんだろうけどね。正に0の境地。
過干渉から孤独化へ (2012.10.11 8:03)
ニュースにて親の過干渉による若者の孤独化について取り上げている。
真剣に子供のためを思う気持ちは正に6だが、それも過ぎれば過干渉となり、そこから逃げ出す(5)子供は孤独(7)に苦しむ。
そしてそんな孤独に耐え切れず半端な繋がり(2)で自らを慰める、という哀しさ。
相棒 (2012.10.10 22:02)
「相棒11」なう。
杉下右京(生年月日不明・姓名数5) 亀山薫(1966年7月23日生、基本数7・姓名数1) 神戸尊(1970年2月1日生、基本数2・姓名数1) 甲斐亨(生年月日不明、姓名数5)
姓名数が1と5だけなのね。へー。
取れなかったけどね (2012.10.10 12:42)
村上春樹氏(1949年1月12日生、基本数9)が今回ノーベル文学賞を取れるかどうかが話題なようだ。
現在の個人年数は自身の数と同じく9、そして10月12日〜11月11日の個人月数も9。 これならまぁ受賞出来てもおかしくないね。
5は4の中にあり (2012.10.8 23:47)
かの福沢諭吉(1835年1月10日生、基本数1)が自由主義を自身の書物にて紹介する際、「自由在不自由中(自由は不自由の中にあり)」という言葉を用い、自分勝手主義へ堕することへ警鐘を鳴らしたという。
数秘術的に表すと「5は4の中にあり」とか「奇数は偶数の中にあり」とかかな。
細胞の初期化 (2012.10.8 21:46)
ノーベル賞を受賞した山中伸弥教授の研究。その最大の功績は「細胞の初期化」とのこと。
成熟した細胞が受精直後の細胞のように各組織や臓器に変わることができるようになる「初期化」。
数秘術的には成熟しきった9が生まれたての1に変わるようなものか。 正に9→1の象意の嵐的成果。
4の山中教授 (2012.10.8 19:27)
今回ノーベル医学生理学賞を受賞した山中伸弥教授(1962年9月4日生、基本数4)。
受賞理由であるiPS細胞の生成技術開発は45歳の時で個人年数は4。 そのiPS細胞はヒトの皮膚細胞に4種類の遺伝子を導入して生成したという。
正に今後の医学の礎(4)となることだろう。
クマとヒト (2012.10.8 19:17)
「生存」のために里へと下りるクマと、「生活」を守るためにクマを駆除するヒト。
減らすべきはクマかヒトか。どっちなんだろね。
補数で知る世界の仕組み (2012.10.8 10:29)
世界に遍く大勢の衆生(9)がいるからこそ君臨する王者(1)が存在できるし、被支配に甘んじそれを求める人々(2)がいるからこそ支配者(8)が存在できる。
補数の法則がシンプルに教えてくれる世界の仕組み。
王の1と8 (2012.10.8 10:18)
ピラミッド構造のトップに立って君臨すること(1)と、遍く衆生を統治(8)すること。 「王」が持つ二つの機能。
昔は1も8も持ち合わせている「王」が当たり前だったものの、現在では1のみを求められる「王」が大半を占め、残りの8は憲法や内閣がその責を負うようになった。
不思議止まり神秘止まり (2012.10.7 23:51)
数と森羅万象との照応関係に「不思議さ」や「神秘さ」を見出そうとする数学者寄りの数秘術師は割と多い。
しかし残念なのは、幾ら突き詰めていっても「不思議さ」や「神秘さ」止まりで終わってしまうということ。
まぁ面白いことは面白いんだけどね。そこから先が意外に無かったりするのよ。
数秘術的暴力 (2012.10.7 22:55)
あらゆる数字を全て1〜9のルートナンバーに還元するのが、俺流の数秘術的暴力。 人々の目には時としてシンプルさが激しい暴力に映るもんだ。
8は蜘蛛 (2012.10.7 16:11)
これは俺だけのイメージかもしれないけど、8の獲得力って8本足の蜘蛛が獲物をガシッと捕らえる感じなんだよね。そりゃあ逃げられないわな。
差別のシステム (2012.10.6 20:52)
「上昇」やら「成長」やら「進化」やら「深化」を絶対的な価値として捉える人が多いが、それは結局のところそれらの対極にあるものを強く強く意識し、「下にいること」や「止まっていること」を拒絶していることに他ならない。
そんな意識から「差別」が生まれるのは極めて容易である。
基本数と逆数の混ざり合い (2012.10.6 16:33)
先天的な生来の性格である基本数と、後天的に纏った性格である逆数。
長い人生において、この基本数と逆数が交互に程良く交わることで、心地良いカオスである9へと変わっていくことだろう。
1と8、2と7、3と6、そして4と5。 ちなみに9はそのまんまでいいし、そのまんまが良い。
ハインリッヒの法則 (2012.10.5 18:18一部改変)
ハインリッヒの法則(重大事故1件/軽微な事故29件/ヒヤリハット300件)の数秘術こじつけ。
重大事故の顕現(1)、重大事故へ繋がる兆候(29→2)、楽観視で生まれる軽微なミス(300→3)。
ブッタとシッタカブッタ (2012.10.5 18:09)
「ブッタとシッタカブッタ2」を読了。
奇数偶数を両有している9的な境地を勧めているが、同時に生まれ持った基本数をそのまま愛でることの大切さも教えてくれている。
…などと手前勝手な数秘術的解釈をしてみた。
9の教え (2012.10.5 14:00一部改変)
魚も人も死ぬことで水や大地に溶け込み、新たなる生命創造の糧となる。 「9」という数が教えてくれるのはそういうこと。
1へ進むか9に留まるか (2012.10.5 13:29一部改変)
何かを望んだり前進をするからこそ絶望が生じる。
もちろんそんな絶望をも乗り越える9→1的な進歩はとても素晴らしいことだが、1へ進まずあええ9のまま留まるということも、それはそれで素晴らしいことだったりする。
どちらも是なのだ。
諦学 (2012.10.5 13:11)
「諦める」という戦略的停止を人生においてもっと有効に活用しよう。 それを広めるためにも「諦学(ていがく)」なる言葉を提唱しようじゃないか。
ちなみにこの言葉、「諦めることを学ぶ」「学ぶことを諦める」どっちも正解だよ。 4の如く運動を停止することで気づくこともあるさ。
ブッダと9 (2012.10.5 12:02)
「釈迦涅槃図」では入滅前のブッダが横に臥しているが、この姿そのものがブッダの教えの核心なのではないだろうか。
1〜9全てを内包して、緩やかに終わりに向かわんとする9的境地の素晴らしさ。
良い人悪い人 (2012.10.4 23:05)
人は「良い面」と「悪い面」を持っているのであって、「良い人」とか「悪い人」というのは存在しない。
占わなくても得られる幸せ (2012.10.4 21:30)
占いで得られる幸せと占わなくても得られる幸せ。この二つの幸せは大きく異なる。 前者は技術で獲得する幸せであり、後者は思想で気付く幸せである。
私は後者の道を求めて進もう。
福神漬 (2012.10.4 14:13)
カレーライスの添え物として存在している福神漬。
福神漬が添え物としての職務を全うするのであれば、単品としての美味しさを追求するのでは無く、「口直し」としての役割を十分に弁えた上での向上を図る必要がある。
美味しすぎる福神漬はカレーライスをものの見事に殺すことだろう。
あなたもネオになれる (2012.10.4 11:44)
映画「マトリックス」にて主人公ネオが覚醒した際、仮想世界の現実がデジタルデータとしてネオの目に映るようになる、という描写があった。
数秘術で遊び戯れるようになると、人と話をしてもニュースや本を見ても、全てが1〜9の数として目に映るようになるだろう。
あなたもネオになれる。
人は書物 (2012.10.4 0:42)
人は書物。
読み辛くて投げ出してしまいそうな本でも、気長に頑張って読了することで得られる「気づき」もあるというもの。
人は書物。
平均という幻 (2012.10.4 0:26)
「平均」なんてもんは無いし、「平年」という年も無い。
「平均化」という埋め立て工事をすると、かえって大切な何かを見失うかもね。
真理は7? (2012.10.3 23:29)
人は「真理」というと大抵何かしら道を極めることで見つけられる7的なものとして捉えがちだ。
しかし、本当の「真理」はごくありふれて遍在(9)しているか、全く存在しない(0)かのどちらかだろう。
遍在・無存在、いずれにしても7の如く探し回る必要は無いというわけだ。
4のクリシュナムルティ (2012.10.3 23:14一部抜粋)
基本数4のクリシュナムルティが纏った逆数5。 偶数化(組織化・固定化)への反抗と自己改革の促進は正に5であり、上昇する道。 その道の先には9がある。
商店街 (2012.10.3 21:57)
ふとアーケード商店街を歩いてみると、両側にこれでもかと言わんばかりに飲食店やら雑貨屋やらが並んでいる。まるで人々の享楽(3)を唆すかのように。
でもそんな店々や店員達はお客のわがままに応えようとして、過剰なサービス(6)を提供する。
3と6で溢れる商店街。
自己批判 (2012.10.3 17:14他)
これから人に会うことが事前に分かっているにも関わらず、お昼にペペロンチーノを食べた俺。 基本数4の俺には肝心なところで補数6(他者への気遣い)が足りないだけでは無く、3の如く大好きなペペロンチーノを食べたいという欲求を素直に満たしてしまう。すみません。
てなわけでブレスケアやらミンティアやらの6的(エチケット)お菓子を装備して出陣中。
信仰ではない宗教 (2012.10.3 13:33)
「信仰」としての宗教ではなく「思想」としての宗教が早く世界に溢れて欲しいもんだ。 一者への信仰ではなく、万種の思想を愛でよう。
占いではない何か (2012.10.3 12:53)
「占う」ことが不要となった俺が教えるべきは「占い」としての数秘術では無く、「アート」や「思想」としての数秘術なんだろうな。
金子哲雄氏 (2012.10.3 12:01)
人に心配させまいとして隠し事をした結果、かえってショックを倍加させることもある。
昨日急死した基本数7の金子哲雄氏。 補数3(ユーモラス)を武器に8(経済)を分かりやすく説明してくれた同氏。 しかし自身の病状については6(配慮)を徹底したようだ。合掌。
頑張らない悟り (2012.10.2 22:09)
諸事を「頑張らない」ことも立派な「悟り」だよ。
一悩息災 (2012.10.2 21:18)
一病息災ならぬ一悩息災。
悩みの解消法 (2012.10.2 21:17)
Q:悩みってどうすれば無くなりますか?
A:死ねば全部無くなるよ。逆に言えば生きている内は悩みは完全には消えないよ。 だから悩みの完全解決は初めから諦めて、とりあえずは前に進んでみてね。 まぁなんとかなるだろ。
疑うということ (2012.10.2 8:58)
何かを疑う(7)ということは、少なくても自らの見識なり知性を信じている(2)ということに他ならない。
問題は自らを信じることができなくなった場合だ。 そうなると今度は他者に対して自らの立地点を求めるようになってしまう。 これはもう盲信(逆数2)だ。
マクドナルドのメニュー (2012.10.2 7:45)
マクドナルドがレジ前に置いていたメニューを撤去する、という話が流れている。
効率化(6)は経済活動において大切な概念だが、乱暴に種々を刷新する(5)だけではいけない。少数のニーズを排除せぬようきちんと思慮・洞察(7)する必要がある。
5に堕ちるのでは無く、7へ昇ろう。
相手に逆を求める (2012.10.1 14:42)
他人には偶数性を求めながらも自らは奇数性を貫こうとする人って結構多いね。 正直ちょいと迷惑。
でもその逆に、他人には奇数性の強いアクションを唆(そそのか)しつつも自らは偶数性で雁字搦めに固まってしまう人もいる。これは実にしんどいねぇ。
違いは悪? (2012.10.1 7:04)
互いに「違う」というだけのことなのに、それを「悪」であるとみなしてしまうことってあるなぁ。
小は男女の仲、大は民族問題。
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